昨日、ノーベル文学賞作家パトリック・モディアノがドイツの占領時代(すなわちヴィシー政権の時代)に執着しているという話をした。
直接的にその時代を取り上げていない作品でも、その時代のことが裏のストーリーとなって表のストーリーに濃い影を落としている。たとえば、彼の傑作の1つ『さびしい宝石』(原題は『かわいい宝石』みたいな意味)がその典型。
表のストーリーは二十歳にもならない女性が精神的危機を乗り越えていく話であり、これだけでも十分に読み応えのある小説なのだが、彼女の心の傷となっている母親の存在が裏ストーリーとなっており、これが理解できると小説をもっと楽しめるじゃろう。
ただ、日本人が知識なしに読むと、やはり裏ストーリーが理解しにくい。もちろんモディアノは、ごく些細な暗示しか与えない。フランス人の読者は、どうやってこの裏ストーリーに気づくのだろうか?
手元にフォリオ版があるが、それをパラパラめくって、その暗示らしきものをいくつかピックアップする。
(1)主人公は、母親の一枚の写真が何度も悪夢となって出てくる。それは、真っ暗な中で強い光を当てられ撮られた母親の顔写真だ。
(2)母親はダンサーだったが、くるぶしを痛めて断念し、苦しい生活を送っていた。しかし、突然、ブーローニュ近くの豪華なアパルトマンに移り住む。ここには家具などほとんどなく、だだっ広い空間だった。
(3)母親は急に金持ちになり、中国人の料理人などを雇い、「伯爵夫人」を名乗り始めた。
(4)母親は主人公と一緒に映画に出演した。主人公を映画スターにするという夢を抱き、「かわいい宝石」という芸名をつけた。
(5)主人公(まだ就学年齢ではない)が家に帰って呼び鈴を鳴らしても、誰も出てこないことが多かった。そんな時、主人公は近くのカフェに行き、家に電話を入れるように言いつけられていた。
(6)どういうわけか、そのカフェの常連たちは主人公がどこの娘なのかを知っていた。
(7)主人公は七歳で、田舎に住む昔のダンサー仲間に預けられる。
(8)その田舎でダンサーの友人たちの会話から、母親が「ラ・ボッシュ」(ドイツ女)と呼ばれていたことを知る。
(9)同様に、友人たちは母親のことを「運がよかった」と評していた。
(10)母親は、戦後、モロッコに渡り、そこで死んだと教えられる。
まあ、この小説を読んだのはずっと昔のことなので、記憶違いの部分があるかもしれんが、だいたい上のような暗示があれば、一つの裏ストーリーがぼんやりと浮かび上がるようになっておる。
怪我で挫折したダンサーがドイツ軍占領を良い機会としてドイツ人たちに接触し、親しくなる。それが「ラ・ボッシュ」の由来である。広いアパルトマンに移ったのは、当時金持ちのユダヤ人たちが次々と収容所送りになり、空き家が相当に増えていたからである。もちろん、そこに住むにはドイツ軍の許可が必要となる。映画に出演できたのも、同じコネが利いたのであろう。また母親は一人または複数のドイツ人と親密な関係を持っていた可能性が非常に高い。なぜなら、呼び鈴を押しても誰も出てこなかったらカフェから電話するように言われていたからだ。当然、その時、母親は男と逢引の最中だったと思われる。カフェの常連が主人公を知っていたのも、当時ドイツ軍にすり寄って利益を得る人間は一般フランス人から白い目で見られており、常連たちは「あのゲス女の娘だ」と考えていたのだろう。しかし、戦況が悪くなり、とうとう解放されたパリで、おそらく母親は対独協力者の疑いがかけられたのだろう。(1)の写真は、おそらくその取り調べで撮られた顔写真だと思われる。主人公は田舎に預けられ、自分はスキを見てモロッコに逃亡した。だから(9)のように「運がよかった」と言われるのである。
ちなみに、あのサルトルも処女戯曲を上演したのは占領下であり、そのことからドイツ軍に強いコネがあったのではないかと疑われている。戦後になって急にレジスタンスなんか言い始めたが、もともとつるんでいたのではないかというわけだ。真実はよくわからんが、Sartrreという名前自体がドイツ系だしな。
セリーヌなんかのこともあり、やはりこの占領時代はフランスの文学にも大きく影を落としているようじゃな。
直接的にその時代を取り上げていない作品でも、その時代のことが裏のストーリーとなって表のストーリーに濃い影を落としている。たとえば、彼の傑作の1つ『さびしい宝石』(原題は『かわいい宝石』みたいな意味)がその典型。
表のストーリーは二十歳にもならない女性が精神的危機を乗り越えていく話であり、これだけでも十分に読み応えのある小説なのだが、彼女の心の傷となっている母親の存在が裏ストーリーとなっており、これが理解できると小説をもっと楽しめるじゃろう。
ただ、日本人が知識なしに読むと、やはり裏ストーリーが理解しにくい。もちろんモディアノは、ごく些細な暗示しか与えない。フランス人の読者は、どうやってこの裏ストーリーに気づくのだろうか?
手元にフォリオ版があるが、それをパラパラめくって、その暗示らしきものをいくつかピックアップする。
(1)主人公は、母親の一枚の写真が何度も悪夢となって出てくる。それは、真っ暗な中で強い光を当てられ撮られた母親の顔写真だ。
(2)母親はダンサーだったが、くるぶしを痛めて断念し、苦しい生活を送っていた。しかし、突然、ブーローニュ近くの豪華なアパルトマンに移り住む。ここには家具などほとんどなく、だだっ広い空間だった。
(3)母親は急に金持ちになり、中国人の料理人などを雇い、「伯爵夫人」を名乗り始めた。
(4)母親は主人公と一緒に映画に出演した。主人公を映画スターにするという夢を抱き、「かわいい宝石」という芸名をつけた。
(5)主人公(まだ就学年齢ではない)が家に帰って呼び鈴を鳴らしても、誰も出てこないことが多かった。そんな時、主人公は近くのカフェに行き、家に電話を入れるように言いつけられていた。
(6)どういうわけか、そのカフェの常連たちは主人公がどこの娘なのかを知っていた。
(7)主人公は七歳で、田舎に住む昔のダンサー仲間に預けられる。
(8)その田舎でダンサーの友人たちの会話から、母親が「ラ・ボッシュ」(ドイツ女)と呼ばれていたことを知る。
(9)同様に、友人たちは母親のことを「運がよかった」と評していた。
(10)母親は、戦後、モロッコに渡り、そこで死んだと教えられる。
まあ、この小説を読んだのはずっと昔のことなので、記憶違いの部分があるかもしれんが、だいたい上のような暗示があれば、一つの裏ストーリーがぼんやりと浮かび上がるようになっておる。
怪我で挫折したダンサーがドイツ軍占領を良い機会としてドイツ人たちに接触し、親しくなる。それが「ラ・ボッシュ」の由来である。広いアパルトマンに移ったのは、当時金持ちのユダヤ人たちが次々と収容所送りになり、空き家が相当に増えていたからである。もちろん、そこに住むにはドイツ軍の許可が必要となる。映画に出演できたのも、同じコネが利いたのであろう。また母親は一人または複数のドイツ人と親密な関係を持っていた可能性が非常に高い。なぜなら、呼び鈴を押しても誰も出てこなかったらカフェから電話するように言われていたからだ。当然、その時、母親は男と逢引の最中だったと思われる。カフェの常連が主人公を知っていたのも、当時ドイツ軍にすり寄って利益を得る人間は一般フランス人から白い目で見られており、常連たちは「あのゲス女の娘だ」と考えていたのだろう。しかし、戦況が悪くなり、とうとう解放されたパリで、おそらく母親は対独協力者の疑いがかけられたのだろう。(1)の写真は、おそらくその取り調べで撮られた顔写真だと思われる。主人公は田舎に預けられ、自分はスキを見てモロッコに逃亡した。だから(9)のように「運がよかった」と言われるのである。
ちなみに、あのサルトルも処女戯曲を上演したのは占領下であり、そのことからドイツ軍に強いコネがあったのではないかと疑われている。戦後になって急にレジスタンスなんか言い始めたが、もともとつるんでいたのではないかというわけだ。真実はよくわからんが、Sartrreという名前自体がドイツ系だしな。
セリーヌなんかのこともあり、やはりこの占領時代はフランスの文学にも大きく影を落としているようじゃな。