池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつく老人の日常

『さびしい宝石』の裏ストーリー

2019-10-30 08:43:41 | 日記
昨日、ノーベル文学賞作家パトリック・モディアノがドイツの占領時代(すなわちヴィシー政権の時代)に執着しているという話をした。
直接的にその時代を取り上げていない作品でも、その時代のことが裏のストーリーとなって表のストーリーに濃い影を落としている。たとえば、彼の傑作の1つ『さびしい宝石』(原題は『かわいい宝石』みたいな意味)がその典型。

表のストーリーは二十歳にもならない女性が精神的危機を乗り越えていく話であり、これだけでも十分に読み応えのある小説なのだが、彼女の心の傷となっている母親の存在が裏ストーリーとなっており、これが理解できると小説をもっと楽しめるじゃろう。

ただ、日本人が知識なしに読むと、やはり裏ストーリーが理解しにくい。もちろんモディアノは、ごく些細な暗示しか与えない。フランス人の読者は、どうやってこの裏ストーリーに気づくのだろうか?

手元にフォリオ版があるが、それをパラパラめくって、その暗示らしきものをいくつかピックアップする。
(1)主人公は、母親の一枚の写真が何度も悪夢となって出てくる。それは、真っ暗な中で強い光を当てられ撮られた母親の顔写真だ。
(2)母親はダンサーだったが、くるぶしを痛めて断念し、苦しい生活を送っていた。しかし、突然、ブーローニュ近くの豪華なアパルトマンに移り住む。ここには家具などほとんどなく、だだっ広い空間だった。
(3)母親は急に金持ちになり、中国人の料理人などを雇い、「伯爵夫人」を名乗り始めた。
(4)母親は主人公と一緒に映画に出演した。主人公を映画スターにするという夢を抱き、「かわいい宝石」という芸名をつけた。
(5)主人公(まだ就学年齢ではない)が家に帰って呼び鈴を鳴らしても、誰も出てこないことが多かった。そんな時、主人公は近くのカフェに行き、家に電話を入れるように言いつけられていた。
(6)どういうわけか、そのカフェの常連たちは主人公がどこの娘なのかを知っていた。
(7)主人公は七歳で、田舎に住む昔のダンサー仲間に預けられる。
(8)その田舎でダンサーの友人たちの会話から、母親が「ラ・ボッシュ」(ドイツ女)と呼ばれていたことを知る。
(9)同様に、友人たちは母親のことを「運がよかった」と評していた。
(10)母親は、戦後、モロッコに渡り、そこで死んだと教えられる。

まあ、この小説を読んだのはずっと昔のことなので、記憶違いの部分があるかもしれんが、だいたい上のような暗示があれば、一つの裏ストーリーがぼんやりと浮かび上がるようになっておる。

怪我で挫折したダンサーがドイツ軍占領を良い機会としてドイツ人たちに接触し、親しくなる。それが「ラ・ボッシュ」の由来である。広いアパルトマンに移ったのは、当時金持ちのユダヤ人たちが次々と収容所送りになり、空き家が相当に増えていたからである。もちろん、そこに住むにはドイツ軍の許可が必要となる。映画に出演できたのも、同じコネが利いたのであろう。また母親は一人または複数のドイツ人と親密な関係を持っていた可能性が非常に高い。なぜなら、呼び鈴を押しても誰も出てこなかったらカフェから電話するように言われていたからだ。当然、その時、母親は男と逢引の最中だったと思われる。カフェの常連が主人公を知っていたのも、当時ドイツ軍にすり寄って利益を得る人間は一般フランス人から白い目で見られており、常連たちは「あのゲス女の娘だ」と考えていたのだろう。しかし、戦況が悪くなり、とうとう解放されたパリで、おそらく母親は対独協力者の疑いがかけられたのだろう。(1)の写真は、おそらくその取り調べで撮られた顔写真だと思われる。主人公は田舎に預けられ、自分はスキを見てモロッコに逃亡した。だから(9)のように「運がよかった」と言われるのである。

ちなみに、あのサルトルも処女戯曲を上演したのは占領下であり、そのことからドイツ軍に強いコネがあったのではないかと疑われている。戦後になって急にレジスタンスなんか言い始めたが、もともとつるんでいたのではないかというわけだ。真実はよくわからんが、Sartrreという名前自体がドイツ系だしな。
セリーヌなんかのこともあり、やはりこの占領時代はフランスの文学にも大きく影を落としているようじゃな。





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ローブの面影

2019-10-29 08:17:26 | 日記
「風説のユダヤ人」を読んでおると、ちょっと胸が痛くなる。
この講演が行われた時、ユダヤ人を取り巻く環境は最悪になりつつあったようじゃ。
数年後には、ドレフュス事件が起きておる。

しかし、フランス人の名誉のために言うが、フランスはユダヤ人に対して比較的寛容な国といっていい。
ドレフュス事件の時も、ゾラの張った論陣に多くの知識人が賛同している。
しかし、第二次世界大戦でドイツ占領下のヴィシー政権が、ユダヤ人のナチ収容所送りに協力しており、これはフランス史の大きな汚点になった。

先年ノーベル文学賞をもらったパトリック・モディアノは、1945年生まれで占領時代のことは何も体験していないはずなのに、多くの作品で占領時代を背景にしたり、その時代の混乱が物語の隠れた筋書きになっていたり、当時収容所に送られた若い女性の足跡を必死で追ったり……本当にあの時代に執着していた。

つまり、ユダヤ人にとって、あの時代の悪夢は忘れようにも忘れられんということじゃろ。

ルイ・マル監督はユダヤ人じゃないが「さよなら子供たち」はよかったのう。

政府は戦後、「あれはヴィシー政権がやったこと」とすっとぼけておったが、こういう知識人たちの声の高まりを受けて、シラク大統領が正式に謝罪した。
シラク氏は先日亡くなったが、わしはシラクとミッテランの両ライバルともすばらしい政治家だったと思っておる。
猿孤児が大統領になってから、急にフランスの政治が下品になった。

イジドール・ローブは、こんな人。






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目次

2019-10-28 11:51:04 | 日記
「風説のユダヤ人」
昨日紹介させてもらったデジタルブック。

その目次は、次のようになっておる。




はじめに
噂話は恐ろしい影響力を持つ
噂を広めてしまったのは我々自身の責任でもある

第一章 ユダヤ人の「商才」
お世辞に秘められた悪意
ユダヤ人の本当の実力
ユダヤ人の商才は後天的なもの
ユダヤ人は根っからの農の民
ユダヤ人は仕方なく商売を始めた?

第二章 ユダヤ人は裕福か
なぜユダヤ人の富豪だけが注目されるのか
ユダヤ人が裕福になってはいけないのか
パリですらシナゴーグ建設に苦労していた事実
ユダヤ人の財産は吸い取られる運命にある
ユダヤ人の富を背後で操る人々
テンプル騎士団の手広い商売
七百万人の貧困レベル

第三章 風説の正体
何をしても付きまとう風説
身代わりにされたユダヤ人
もっとたちが悪かったキリスト教徒の貸し手
文芸作品に現れる守銭奴たち
シャイロック像の真実
肉で返済するという話の起源
シャイロックの源流としてのローマ法
返済不能者への残酷な仕打ち
シェークスピアはどこまで知っていたのか
シャイロックのモデルはユダヤ人ではない

第四章 何が憎悪と悪罵を作り出したのか
ユダヤ人は不潔という流言
秘密の病と傷
十二支族と永遠の刑罰
キリスト教徒の血を求める理由
ユダヤ人の風説には別の原型があった
魔術使いとしてのユダヤ人
空想が生み出した敵意
あらゆるマルジノー(社会周縁生活者)が槍玉となる仕組み
ユダヤ人迫害は人類の恥部
希望-結語にかえて

付録 イジドール・ローブを悼む(抄訳)


どう、面白そうじゃろ? 買うてみたら、どう?





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デジタルブック「風説のユダヤ人」説明文

2019-10-27 14:45:22 | 日記
「風説のユダヤ人」の説明文を載せる。
今から読んでみると、かなりの冷や汗ものの文章じゃな。
まあ、ええか。


説明文

 本書は、イジドール・ローブによる講演(一八九〇年)を訳したものである。
 イジドール・ローブは、一八三九年にアルザスで生まれたユダヤ系フランス人。幼いころから父親にヘブライ聖書とタルムードの教育を受け、メッツの中央ラビ学校で傑出した成績を収めた。その後、パリに出て、雑誌『ユダヤ学レビュー』を立ち上げ、活発な評論活動を展開した。世界イスラエリット同名の書記官やパリのラビ神学校の教授職も務めている。
 この『ユダヤ学レビュー』という雑誌は、ローブが一八八〇年に始めたのだが、現在でも続いている。戦争だの不況だのいろいろ困難の多い社会情勢の中でも、当初からほぼ年二回発行のペースを守っており、発刊から百四十年近く経過した現在でもそれは変わっていない。これが第一の特徴と言えるだろう。第二の特徴は、分量だ。ともかく一巻のページ数が多く、だいたい四百ページ前後が文字でびっしり埋まっている。第三は、多言語性だろう。フランス語とヘブライ語だけでなく、様々な言語の一次資料を検証しており、活字を拾ったり校正をかけたりするのも大変だったろうと推測される。つまり、それだけ手間をかけた雑誌なのである。
 内容は、もちろんトーラーやタルムードの話題や協会の収支報告などもあるのだが、中心になっているのは欧州や中近東で暮らしてきたユダヤ人たちの歴史である。ざっと見た感じでは、あらゆる資料を使ってユダヤ人たちの軌跡とその社会背景を徹底的に調べ上げているようである。そこには、文献に向き合う時に要求される厳密さや誠実さの他に、もう一つ別の要素が加わっているように思える。
執念である。
 その姿勢は、この講演でも貫かれている。ローブは、この講演の目的は、「ユダヤ人は商才がある」とか「あくどい金貸し業者である」といった風説・流説のたぐいに反論することである。ローブは、その一つ一つについて、資料や数値データを駆使して反論している。さらに一歩踏み込んで、なぜそんないい加減な中傷や悪罵が生まれてきたのかという根元にまでさかのぼって明らかにしている。そして、真実が一つずつ明らかになっていくたびに、中世以来のキリスト教世界の暗部が照らし出されていくという仕組みだ。特にシェークスピア『ベニスの商人』に登場するあくどい金融業者シャイロックに関する考察は圧巻であり、シェークスピアがどれくらいユダヤ人のことを知っていたのか、どんなねらいでシャイロックという人物を作り上げたのかを明らかにしただけでなく、そのエピソードの起源がローマ法にあることまで指摘している。

 この講演が行われたのは、普仏戦争での敗北で精神的にも大きなショックを受けているところに経済不況が重なり、フランス社会が大きく揺れている時である。もちろん、不満のはけ口としてスケープゴートになったのがユダヤ人だ。ローブは、あくまで冷静な語り口を保ちながらも、ところどころで悲痛な怒りや嘆きを洩らしており、当時のユダヤ人の苦悩がどれほど深かったかが、読者に強く伝わってくる。ローブは、この講演を行ってから二年後に死んでいる。この講演録は、ほとんど彼の最後の叫びと言っても差し支えなかろう。
しかし、彼はまだ知らない、彼の死から四年後にドレフュス事件が起き、フランスの国論を二分する大論争が行われることを。ユダヤ人のインテリ青年たちが雪崩を打って共産革命やシオニズム運動に走ることを。二十世紀になり、ロシア革命は成功したものの、主戦場となったドイツでナチスの台頭という手痛い失敗を犯すことを。一方で、イスラエル建国という大偉業を達成したことも。
いま、二十一世紀になり、トロッキズムはグローバリズムに変わったのかもしれない。イスラエルは、地域大国に成長した。まもなく、イスラエルの人口がディアスポラのユダヤ人口を超える。それら事象が世界に何をもたらすのか、まだ判然とはしない。
まさしく、ユダヤ人問題は、現在の我々の問題でもある。

 実のところ、この原文の最後の部分は失われており、その意味では資料として不完全である。しかし、それでもなお、翻訳に値する重要な文献であると考えている。

目次

はじめに
噂話は恐ろしい影響力を持つ
噂を広めてしまったのは我々自身の責任でもある
第一章 ユダヤ人の「商才」
お世辞に秘められた悪意
ユダヤ人の本当の実力
ユダヤ人の商才は後天的なもの
ユダヤ人は根っからの農の民
ユダヤ人は仕方なく商売を始めた?
第二章 ユダヤ人は裕福か
なぜユダヤ人の富豪だけが注目されるのか
ユダヤ人が裕福になってはいけないのか
パリですらシナゴーグ建設に苦労していた事実
ユダヤ人の財産は吸い取られる運命にある
ユダヤ人の富を背後で操る人々
テンプル騎士団の手広い商売
七百万人の貧困レベル
第三章 風説の正体
何をしても付きまとう風説
身代わりにされたユダヤ人
もっとたちが悪かったキリスト教徒の貸し手
文芸作品に現れる守銭奴たち
シャイロック像の真実
肉で返済するという話の起源
シャイロックの源流としてのローマ法
返済不能者への残酷な仕打ち
シェークスピアはどこまで知っていたのか
シャイロックのモデルはユダヤ人ではない
第四章 何が憎悪と悪罵を作り出したのか
ユダヤ人は不潔という流言
秘密の病と傷
十二支族と永遠の刑罰
キリスト教徒の血を求める理由
ユダヤ人の風説には別の原型があった
魔術使いとしてのユダヤ人
空想が生み出した敵意
あらゆるマルジノー(社会周縁生活者)が槍玉となる仕組み
ユダヤ人迫害は人類の恥部
希望-結語にかえて
付録 イジドール・ローブを悼む(抄訳)





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風説のユダヤ人

2019-10-25 20:48:13 | 日記
東京は一日中雨がすごくて、寒かったのう。
まあ、ずっと机の前で仕事じゃったから、難儀はせずにすんだが。

ちょっと、前に訳したデジタルブックの宣伝をさせちくり。
ユダヤ人に関する資料じゃ。



フランスで、ドレフュス事件が起きる少し前に、あるユダヤ人神学校の先生が行った講演の記録。
この人は、年2回発行のユダヤ人の歴史に関するレビューを発刊し、そのレビューは今でも続いておる。

講演では、ユダヤ人に関して、いかに史実と異なるイメージが一般にもたれているかを論じている。

わしはユダヤ人やその宗教について、まったく詳しくないが、これを一読した時、ぜったいに訳して紹介すべき文献だと感じた。

他の欧州諸国でもそうじゃろうが、ユダヤ人の問題はフランスで最もセンシティブで取り扱うのが難しい。

わしの個人的経験から言っても、なんともとらえがたい。
ユダヤ人問題というのは底が見えないくらい深い。

しかし、日本では、かなり一面的なユダヤ人論しかないように見える。
そんなことから、訳してみようということになった。

表紙もコピーも、素人臭が満載じゃが、許してちょうだい。






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