池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

出会い頃、別れ頃(15)

2024-06-10 09:28:20 | 日記

 考えてみれば、会社というのはおかしな集団である。目標に向かって人と人とが有機的に結びついているように見えるが、実はそうでもない。特に親会社のように歴史があり巨大な組織では、社員同士が通じ合っているようで通じていない。相手の話を聞いているようで自分のことしか考えていなかったりする。集団で不条理劇をやっているようなものだ。

 どうしてこんなことが頻繁に起きるのだろう? 私は親会社の組織の中で働きながら、いつもそんなことを考えていた。私が出した結論は「出世」である。この毒にやられている人間が多すぎるのだ。

 親会社の大組織の構成員には四つのタイプに分かれ、それぞれ出世コースが決まっている。第一が高卒(主に公立の工業高校)、第二が専門学校卒(主に国立工業高専)、第三が地方の国立大学や私立大学の出身、第四が旧帝国大学のエリートだ。第一のグループは定年までに主任になりたくて仕方がない。第三のグループは遅かれ早かれ課長にはなれるが、部長までたどり着くのは難しい。第四のグループは、部長以上の役職、たとえば事業本部長、技師長、あわよくば役員を夢見ている。人事評価などは、どうせ他人の決めることなのだから、気にせず仕事を楽しめばいいと思うのだが、そうもいかないものらしい。

 こういったことにあまり興味を示さないのが第二のグループの社員である。そして、現場によく通じた優秀な仕事人であり、業務とプライベートを上手に切り分けているのも、工業高専卒の人間たちのように見えた。彼らは良い意味で「諦めている」。仕事もないのに遅くまで残業したり休日出勤したりして、必死でアピールする必要性を感じないので、フラストレーションがない。これは、人生を充実させるために重要なテクニックなのだろうと思う。

 目の前にいるN氏も国立工業高専卒であり、英語が上手で仕事もよくできるのだが、必要以上に自分のプライベートな時間を犠牲にすることなく、休日はテニスやDIYを楽しんでいる。私が彼と親しくなったのは、彼がときどき俳句を詠んでは新聞に投稿していることを知ってからだった。

 実はこのことは、我々のような子会社の人間にもよく当てはまるのである。


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