池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

賭け

2020-12-31 16:56:16 | 日記
 令二は、初めて男の顔を正面から見た。男も令二を見た。お互いに同じことを考えているのだろう。四十年以上も前の名残りを、互いの表情のどこかに見つけようとしている。しかし、記憶との接点を見つけることはできない。目と鼻の辺りが何となく母親と似ている気はするが。
 沈黙が続いた。このまま黙っていても仕方がない。
「本来なら、お兄さんと呼ぶべきなのでしょうが、あまりにブランクが長すぎて、正直言ってまだピンと来ていないのですよ」
「ああ、オレもそうだよ」男はにやりと笑い、ポケットに手を突っ込んで煙草のパッケージを取り出した。
「吸っていいかね?」
「ええと」令二は周囲を見回し、メモを入れるための化粧皿を手にとった「灰皿はないので、これを使ってください」
 男は黙ってそれを受け取ると、煙草に火を付けた。
「まあ、端的に言って、どういう目的で私に会いにこられたのか、よくわからない」
「実の兄弟じゃないか、会いたいと言っても不思議はないだろう」
「それはそうですが、それ以外に何か目的があるのかなと・・・」
「ふうん、それじゃあ何かい、お前さんはオレが金をせびりに来たとでも思っているのかい? ふん、それが四十年ぶりに再開する兄弟に対する言葉かよ」
 男は薄ら笑いを浮かべて煙を吐いた。ねちねちした口調、相手に絡みついてくるような執拗な視線、ふてぶてしい態度、どれもがこの男の過去を暗示していた。
 これが実の兄なのだと思うと、令二の胸に痛みが走る。運命は、どうして兄弟間にこれだけの距離を作ったのか。
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クリスマスの夜

2020-12-29 09:07:09 | 日記
クリスマスの日、夕方に池袋のヤマダ電機で女房と買い物。
そのまま飯を食べて帰ろうということになったが、せっかくだから、いつも食べている池袋ではなく原宿まで足を伸ばそうということになった。バスで明治通りを行くのだが、いつものことながら渋滞で一時間近くかかる。

原宿は、コロナで例年ほどの人出ではないものの、けっこうな人が歩いており、店もほとんど開いている。
表通りから少し入った場所に隠れ家みたいなモールがあり、そこが我々のお気に入りである。

結構広い店内なのだが、客はまばら。
私たちの横で、女の子が二人で自撮りをやっていた。スマホに向かって二人でいろんなポーズをとる。インスタかな。楽しそう。

原宿に最初に来てから五十年以上。本当にこの街は変わった。でも、我々の若い頃と共通するものも残してくれている。それは、物理的なものではなく「空気」である。

女房とおしゃべりをしながら料理をつついていると、なんだか時間が逆戻りしたような気になる。
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穴倉時間

2020-12-15 10:01:26 | 日記
その日から、息子のことをぼんやり考える時間が増えた。

興信所からもらった封筒は、本棚の隅に挟み込み、ときどき出しては、息子の写真を眺める。

やはり、自分にそっくりなのだ。父と子とは言っても、これほど似ていると、やはり感動のようなものを覚える。三十年以上も見ていない子供だから尚更である。

しかし、その息子の足跡がが、三年前から消えている。これはどういうことなのか? 真相が知りたい。
やはり、他人任せではなく、自分の足を使って調べてみる必要がある。そんな気になった。
週日は、帰宅して寝るまで、ネットで息子の痕跡を探す。
週末には、「図書館に行く」とか「休日出勤だ」といった言い訳を使って外出し、以前に息子と付き合いのあった人を訪ねて歩く。

調査を始めて一ヶ月くらい経った頃だった。
新しい情報が入ってきたのである。

電話してくれたのは、不動産屋だ。
息子が、借りていたマンションを退去した後、不動産屋と残金処理のことでやりとりをしたらしく、その書類が残っているというのだ。

翌日、私は、体調不良で病院に行くといって午前中を欠勤し、その不動産屋に駆けつけた。
不動産屋は、メモ書きと領収書がホッチキスで留められた書類を私に差し出した。
領収書には息子の名前が書かれ、印鑑が押されている。
メモ書きには、はっきりと住所と電話番号が記されてあった。

「もうウチには不要なものですから、お持ちになっていただいて結構です。ただ、内緒にしておいてくださいね」
不動産屋は、そう言ってにっこり笑った。

すぐにその電話番号にかけてみたが、「現在は使われておりません」というアナウンスが返ってきた。

最後の頼みは、ここに書かれたアパートだけだ。
その住所は大塚である。すなわち、池袋の次の駅だ。
「なんとも、不思議な結びつきだな」と私は苦笑した。
私は、破産して独り身に戻った時、丸の内線の新大塚駅の近くのアパートに引っ越した。
息子は、私が住んでいた場所の近くに移ってきたわけだ。
行動パターンが非常に似ている。これも「血」なのか。
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穴倉時間

2020-12-14 17:23:07 | 日記
その頃の写真が二枚、フォルダーに入っていた。
二枚のうちの一枚、仲間と肩を組んで笑っているときの息子は、びっくりするほど私自身の若い自分の容貌にそっくりだ。
私もこんな髪型だったし、笑い方も似ている。なにより、身体全体から漂う存在感が、私の若い時分にそっくりなのだ。自分の昔の写真を見ているかのようだ。うれしい気もしたが、驚きの方が大きかった。

入社五年目で社内結婚。しかし二年後に破たん。これも私と同じ軌跡だ。
「子供は?」
「お作りにならなかったようですね。でも奥さんが妊娠中に別居したという話もあります」
「結婚相手はどういう人だったんですか?」
「アンナさんという外国人女性だったようですが、今は日本を離れていらっしゃるようで、何も調査できませんでした」

そして、息子の記述は三年前で終了している。
資料に書かれた最後の言葉は「退社?」である。

「これは、どういうことですか?」
「すみません、よくわからないのですよ。息子さんが勤めていらっしゃった会社は、三年前に日本市場から撤退しています。ということは、息子さんも失職されたのではないかと思うんです。だけど、まったく足取りがわからない。再就職する人は、大手の転職サイトへの登録とか、ネット上に何かの痕跡を残すものなんですが、まったく見当たりませんでした」
「失踪したとか?」
「うーむ、どうでしょう。心機一転して地方に移住したから足跡が途絶えたのかもしれないし」
「死んだということは?」
「それはありません。その場合は身内や友人に必ず連絡が行くはずです」

私は、資料を閉じ、写真をフォルダーに戻した。
しばらく沈黙が続く。

首と肘に軽い痛みを覚える。私のいつもの神経痛が出てきたようだ。

「ともかく、調査は続けていますので、何か新しいことがわかったらご連絡します。こういうのって、意外にすっと糸がほぐれたりするものなんですよ」調査員は、私を元気づけるように言った。
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穴倉時間

2020-12-13 11:00:38 | 日記
「資料に沿って、私の方から調査内容を申し上げます。ご質問はいつでもどうぞ。表紙をめくっていただいて、一ページから奥様についての調査結果です」

調査員は、最初に前妻とその父親のことに触れたが、私はそれにはまったく関心がなかった。
私が知りたいのは、息子のことだけだ。

「ええと、八ページからが息子さんの調査内容です」
息子が卒業した小学校、中学校、公立高校の名前と卒業年次。クラブ活動の記録。文集からのコピーなどが続く。
「写真資料の方は年代順に番号がふってあります。小学校のものは入手できなかったのですが、中学校の修学旅行や高校の卒業アルバムからのコピーなどが入っています」

フォルダーから写真を引っ張り出した。そこに映っているのは、私が記憶している幼児の顔とはまったく違う顔つきの少年だ。写真が少しぼけていることもあり、前妻に似ているのか、私に似ているのか、判断がつかない。ようやく、高校卒業時の写真で、顔全体の造りが私に少し似ていることが確認できた。

「高校を卒業されて、推薦で東京の大学に進学されています」

資料には、大学名と一緒に「工学部」の文字がある。
「理系だったのか……」なぜか知らないが、そんな事実がひどくうれしい。「俺の血を継いでくれたのかな」

大学を卒業後、検査器のメーカーに入社したが、二年で退社し、外資系のIT企業に移っている。
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