池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

姉妹(6)

2019-04-20 15:50:33 | 日記
 その姉妹らしき二人は、私の目の前に現れた時から、歩いている間中、ずっとしゃべっていた。その声は、甲高くなったり低くなったりするのだが、ひとときも途絶えず会話を続けている。

 最初、理恵は、彼女たちをインド人ではないかと思ったのだが、私の耳に届く音には帯気音や反舌音のようなものは混ざっていない。膠着語によくあるような、平坦で軽い音調である。
 どこだか知らないが、なんとなく、南インド周辺の少数民族が話す言葉のように思えた。

 二人は、理恵の数メートル前を歩いている。O脚ではないのだが、ややガニ股気味に足を投げ出している。悠然とした歩き方だ。なのに、理恵は彼女たちを追い抜くことができない。別に二人にペースを合わせているわけではない。いつもの通り、普通に歩いている。しかし、理恵と彼女たちの距離は縮まらず、離れもしない。二人の会話する声が私にまとわりつく。

 そんな状態で何分か過ぎた後、理恵は呼吸法をほったらかしにしていたことに気付いた。すぐに、視線を姉妹らしき二人から離し、視線を数メートル先の地面の固定し、再びゆっくりと呼吸し、身体の動きに集中する。

 やがて道は椎名町に移り、あきらかに吸っている空気の質が異なってくる。山手通りが近いからだ。敏感になった理恵の呼吸器は、空気中の成分の変化を明瞭に認識できる。

 ふと顔を上げると、もう姉妹の姿は消えていた。

 実家で昼近くまで書籍・書簡や小物の類いを整理する。父親のものはほとんど仕分けが完了した。あとは母親の私物だ。いろんな物がある。中には、はっとするような懐かしい道具に出会ったり、はがきの差出人に古い名前を見つけたりして、しばらく見入ってしまうこともある。だから、母の持ち物の整理はなかなか終わらない。

 昼になれば、買ってきた弁当を一人で食べる。壊れかけた籐椅子を縁側に置き、ガス戸ごしに、ジャングルのようになってしまった築山を観ながらの食事だ。軒下の物干し竿、雨樋、石段、小さな灯籠、どれも理恵の子供時代からの思い出が詰まっている。半分埋もれかけた赤煉瓦は、父親が理恵のために作ってくれた小さな花壇だ。理恵は、ここによくチーリップの球根を植えたりアサガオの種を蒔いたりしていた。
 気分を乱すといけないので、なるだけ感傷的にならないように努めているが、それでも頭の中には色々な思いでが湧いてくる。

 食後には、音楽を聴きながら一休みし、帰路に就く。




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