池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

出会い頃、別れ頃(7)

2024-06-01 13:45:09 | 日記

 我々のような子会社の人間は、新工場内の関連部署に派遣という形で配属される。私が働くことになったのはドキュメント部という新設部署だった。もちろん上司はすべて親会社の人間だが、新しくできたこともあり、何でも物が言い合える自由な雰囲気だ。特に語学のスペシャリストとして入ってきた人間(たいした実力もないが私もその一人になっていた)やネイティブのライターは特別扱いされることが多く、居心地がよかったこともある。

 なぜこんな部署が作られたかについて、少し説明しておこう。

 ここで作っているのは、大きな通信システムである。通信システムは社会インフラとして重要で、地震があっても台風が来ても通信手段が途絶えることがあってはならない。言い換えるなら、絶対にダウンしないノンストップコンピューターでなければならない。したがって、その通信システムはソフトウェアでガチガチに固めた巨大な城みたいなものだった。

 当時は、ようやくデジタル化が始まったばかりである。パソコンが出始めたが、それは八ビットのマシン。16ビットのPC98が出て、皆で「早いなあ」「すごい」と感心していた時代である。そんな時代にノンストップコンピューターを設計するのであるから、そのシステムが膨大な情報の塊であったことは理解してもらえると思う。だから、客先に渡す通常のマニュアルだけで四十種類以上。モジュール仕様書や回路図なども含めたら膨大な量の文書を納入しなければならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする