池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつく老人の日常

芥川龍之介【大正十二年九月一日の大震に際して】

2022-02-27 07:29:04 | 日記
芥川龍之介【大正十二年九月一日の大震に際して】


芥川が関東大震災に関連して書いたものの集成。次のような目次になっています。
一 大震雑記
二 大震日録
三 大震に際せる感想
四 東京人
五 廃都東京
六 震災の文芸に与ふる影響
七 古書の焼失を惜しむ
被災時、芥川は三十一歳であり、田端に住んでいました。この小文集では、震災の様々な側面を写していますが、文体、トーン、テンションがそれぞれ微妙に異なっています。大震災が与えた精神的動揺を引きずっているのでしょうが、同時に、この作家の複雑な内面も垣間見えるような気がします。

語釈
一游亭(いちゆうてい) 洋画家・随筆家の小穴隆一(1894~1966)の俳号。小穴は、芥川と特に親しかった。
後架(こうか) 洗面所、便所。
撞木杖(しゅもくづえ) 握りの部分がT字型になっている杖。
私行(しこう) 私的な行為。
薬研(やげん) 生薬を粉末にするための道具。
丹(に) 硫黄と水銀が化合した赤土。
床上(しょうじょう) 寝床に入ったまま。
孟浪(まんらん) 軽率な行動。転じて、根拠のない言説。
天譴(てんけん) 天による咎め、天罰。
蒼生(そうせい) 多くの人々。人民。
仁人(じんじん) 仁の徳を備えている人。
溌皮(はっぴ) ばちかわ。三味線でバチが当たる部分に貼った皮。
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寺田寅彦【震災日記より】

2022-02-23 10:53:40 | 日記
寺田寅彦【震災日記より】


今回、初めて寺田寅彦の文章を読んだのですが、少々びっくりしました。この天変地異に際した著者の態度とその記述方法にです。感情的に反応したり結論を急いだりすることなく、根拠やデータを集めてから自分の考えをまとめたり、予測を立てたり、行動したりしています。合理的ですね。また、その過程を簡潔に記述しています。
文学形式としての日記ではなく、走り書きのメモ(多少の推敲はあったにせよ)がベースなのに、淀みも衒いもなく、科学者らしい観察眼も利いており、彼が直面している状況全体と思考の流れがすっと頭に入ります。加えて、文のあちこちにこの人の実直な性格が現れており、微笑ましくも感じました。
文人に対して文章が上手というのは大変に失礼な話ですが、長年理系出身者の悪文と悪戦苦闘してきた身としては、こういう風に言葉を駆使できる理系の人間が増えてほしいなというのが率直な感想です。
なお、最後の大島噴火説の流布については、和辻哲郎の『地異印象記』に詳しく記載されています。また和辻が、この寺田寅彦について書いた小文も青空文庫さんにアップされています。
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北原白秋【竹林生活――震災手記断片――】

2022-02-20 15:14:49 | 日記
北原白秋【竹林生活――震災手記断片――】


震災記の三つ目として北原白秋の小文を採り上げてみました。ウィキペディアの年譜を見ますと、白秋は1918年(大正7年)に小田原に転居し、伝肇寺(でんじょうじ)の境内に家を建てたようです。1921年(大正10年)に再婚し、長男が誕生しています。浮き沈みの多かった人生の中でようやく安定した生活を得たかに思われた矢先、大震災に見舞われます。小田原は、震源地がすぐ目の前であったため、壊滅的な被害を受けたようです。
白秋と隣の寺の家族は、余震による倒壊を恐れて竹林で生活することになり、その様子と白秋の感慨が記述されています。短い文章ですが、詩人らしい鮮やかな表現に、白秋の人生観が込められています。
ちなみに、これもウィキペディアの情報なのですが、ファイル41で採り上げた鈴木三重吉と白秋は犬猿の仲だったそうです。理由はわかりません。雑誌『赤い鳥』で何かの応酬があったのでしょう。いずれにせよ、この2つの震災記を比べても、その気質の違いは瞭然としているように思います。三重吉は謹厳実直な教師風、白秋は孤独な預言者風です。
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岡本綺堂【火に追われて】

2022-02-19 13:37:52 | 日記
岡本綺堂【火に追われて】


ファイル41の鈴木三重吉に続いて、『半七捕物帳』で有名な岡本綺堂のエッセイを採り上げます。被災した時、綺堂は五十歳で、戯作者・小説家としてはすでに大家の域。住んでいたのは麹町元園町。
震災の直後に書かれているので、まだ頭は混乱した状態だったと思われます。それにも関わらず、この短い文章は、無駄がなく、運びが上手で、まるで上等の一幕劇でも観ているかのようです。
これを読むと、火事の恐ろしさがよくわかります。実は、私も、高校生の時に実家が全焼するという被害にあったことがあります。火元の家からは距離があったのにもかかわらず、ちょうどその日は風が強く、実家が風下になっていたため、あっという間に火が燃え移りました。私自身は別の町で下宿暮らしをしていましたので、火災の場面を経験していませんが、結構な大きさだった実家が灰になった様子を見て、本当に火事の怖さを思い知らされました。
文中に宇治拾遺物語の絵仏師の話しが出てきます。近年では、家が全焼した時の稲垣足穂の一言「あー、さっぱりした」が有名ですね。しかし、元園町の家は、綺堂が幼いころから育った実家ですので、とてもそんな気分にはなれなかったのでしょう。

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鈴木三重吉【大震火災記】

2022-02-17 16:28:08 | 日記
鈴木三重吉【大震火災記】

まもなく三月。春の訪れで心が和らぐ一方で、哀しい記憶もよみがえってきます。東日本大震災です。阪神淡路大震災の傷跡がようやく癒えたかというところでしたし、原発事故も重なりましたから、この間の悲劇は我々の記憶に強く焼き付いたままです。
そして、来年は関東大震災から100年。この天災は、東京という大都市を物理的に変えてしまっただけでなく、様々な意味で日本という国の転換期となりました。この惨劇が文学者の目にはどのように映ったのか。衝撃をどのように受け止めたのか。何を考えたのか。青空文庫さんにアップされているものの中から幾つか採り上げてみたいと思います。
最初は、児童文学者の鈴木三重吉が書いたもの。一番よくまとまっており、震災の全容を把握するのにちょうど良い記録になっています。同時に、さすがに文学者であり、構成が整い描写が的確で真に迫り、読む者をぐいぐいと引き込みます。
この中には、刺激の強い痛ましい記述も含まれていますが、原文を尊重して、そのまま載せてあります。
本チャンネルでこのようなテーマを採り上げるのは、もちろん多くの犠牲者への鎮魂の意味も込めていますが、同時に、南海トラフ地震が喧伝されている中、我々の心の備えの一助となれば、との思いからです。不条理に目を背けることなく、確かな視線を送ることこそ、我々の未来を切り開く力だと信じてもいるからです。
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