池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

出会い頃、別れ頃(17)

2024-06-15 11:39:24 | 日記

 N氏がまだ何か言っている。ああ、そうか、子供と孫の話か。

 そう、それがあった。私のサラリーマン生活の中でも最大イベントだ。結婚して四年目のことだった。妻が妊娠したかもしれないと私に告げた。その時、私はどんな反応をしたのか、よく思い出せない。「ああ、オレも親になるのか」というぼんやりしたものだったと思う。市販の判定薬を買いに行ったことは覚えている。

 妻は元気いっぱいだった。つわりもほとんどなく、お腹が大きくなっても仕事は辞めず、臨月になってようやく退社した。実家には戻らず自宅で産むつもりだったが、それはあまりに不安なので、なんとか説得して実家に帰した。私も週末ごとに妻の実家に顔を出したが、彼女は相変わらず元気いっぱいで、ベビー服や乳母車のカタログを見ながらニコニコしていた。

 それから一ヶ月もしないうちに妻は男児を出産した。ちょうど週末で、私が妻の実家に泊まった土曜日の夜っで、しかもその日はちょうど予定日だった。破水してすぐに妻と義母が産院に向かったが、それからわずか数時間で出産した。標準体重より重い新生児だったが、出産に伴う苦痛はほとんど感じなかったらしい。

 妊娠から出産まで、信じられないほどスムーズに事が運んだ。私と妻は浮かれきっていた。しかし、これが仇となった。子育ての苦労が数倍重く感じられたからだ。新生児なので数時間おきに授乳しなければならないのだが、さらにその上に息子は癇が強く、夜泣きの声の大きさは耳をつんざくほどで、しかもなかなか泣き止まない。妻は睡眠不足でふらふらになり、一ヶ月くらい経ったら顔から笑いが消えた。産後鬱のようだった。

 ベビーベッドをリビングに移動し、私はその横のソファで寝るようになった。妻になるだけ一人で睡眠をとってもらうためだ。仕事は忙しかったが、なるだけ残業は控え休日は家にいるようにした。当然、ラグビー部の練習は休みがちになる。私が家にいる時には赤ん坊の面倒を一人でみるようにし、妻を外出させたり休ませたりしたのだが、それでも妻は食欲が細り、料理や掃除もやりたがらなくなった。私との会話も極端に減った。家事はなるだけ私が引き受けたが、仕事をやりながらではそれにも限界がある。その当時は育児休暇などという制度はなかった。妻を再び実家に戻すことも考えたが、義母は病弱なのでとても新生児の世話をしていられないだろうとも思った。

 子供が生まれて半年くらい経った頃だろうか、会社の健康診断にひっかかった。胃カメラで調べると胃に潰瘍があるという。そういえば、しばらく前から強い胃痛を感じていた。手術しなくても服薬で治せるとのことだったので、薬を服用しながら仕事と子育てを両立させていたのだが、今度は薬の副作用が顕著になってきた。処方された通りに薬を飲むと、たしかに胃痛はおさまるのだが、急に激しい動悸がし字が書けなくなるほど指先が震えた。そのため、薬の量を減らし、胃痛を我慢しながら、潰瘍がなくなる日をじっと待つことになった。

 妻も私も、もうヘトヘトだった。

 その夢を見たのは、そんな時のことだった。