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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月8日・マーガレット・ミッチェルの恋

2017-11-08 | 文学
11月8日は、『日の名残り』の作家カズオ・イシグロ(1954年)が生まれた日だが、米国の女流作家、マーガレットミッチェルの誕生日でもある。『風と共に去りぬ』の作者である。

マーガレット・マナリン・ミッチェルは、1900年、米国南部ジョージア州のアトランタで生まれた。父親はスコットランド系の弁護士だった。
子どものころから、自分で童話をこしらえては、自分で表紙を描いて絵本を作っていたマーガレットのまわりには、意志が強く気性が激しかった祖母を含めて、南北戦争を生き抜いた人々がいて、彼女は南北戦争の敗北により南部から失われたものの話を聞いて育った。
カトリック系の女学校、マサチューセッツ州にあるスミス・カレッジをへて、アトランタへもどってきたミッチェルは、20歳のころ、地元の社交界にデビューし、ダンス・パーティーで知り合った二人の男と三角関係になった。相手は「レッド」の愛称で呼ばれるベリーン・アップショーと、ジョン・マーシュという男性で、レッドは定職を持たない野性的な魅力の男、マーシュは堅実な信頼できる男、と対照的な二人だった。ミッチェルは二人の男を振りまわして楽しみ、二人はミッチェルをめぐって争った後、レッドが21歳のミッチェルと結婚した。
しかし、二人の結婚生活は3カ月しか続かなかった。レッドが出ていった後、まだ正式に離婚していなかった彼女はマーシュとよりをもどし、地元の新聞社の記者になった。彼女は週6日、60時間働き、記事を書きまくった。
ふらりとアトランタに舞いもどってきた夫レッドは、ミッチェルに暴力をふるい、離婚が成立した。そして、独身になった彼女は、24歳のとき、マーシュと再婚した。
結婚後、新聞社を退社したミッチェルは、ある日、考えごとをしながら運転していて、クルマを道路わきの木にぶつけた。足首をねんざした彼女は、夫にすすめられ、タイプライターの前にすわって小説を書きはじめた。26歳のときに書きだし、何度も書き直し、文献を調べ、人に取材し、途中に長らくまったく書かなかった期間をへて完成されたその小説が『風と共に去りぬ』だった。
南北戦争時代を背景に、恋愛ドラマが繰り広げられるその小説は、彼女が35歳のときに出版されるや、大恐慌の不景気な時代にもかかわらず、たちまち大ベストセラーとなり、彼女は一躍世界的作家の大金持ちになった。
彼女は1949年8月、アトランタの路上でクルマにはねられ、死亡した。48歳だった。

『風と共に去りぬ』は、拙著『名作英語の名文句』でも取り上げた。
マーガレット・ミッチェルの生涯を振り返ってみると、彼女の人生経験が『風と共に去りぬ』によく反映されていることがわかる。
彼女が最初に書いたという、小説の最後の場面は要するに、ヒロインが、二人の男にひかれ、男たちが自分をめぐって争うのを楽しみながら、結局、二人とも失い、ひとりぼっちになってしまったヒロインは、じつは二人の恋人のどちらをも、まったく理解していなかったのではないか、と気づく、そういうシーンである。これは、ミッチェル自身にとって自尊心にこたえるシビアな場面だったにちがいなく、それをあえて書かざるを得ない作家の業について考えさせられる。
(2017年11月8日)



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