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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月9日・ジェームズ・バリの苦さ

2024-05-09 | 文学
5月9日は、ビリー・ジョエルが生まれた日(1949年)だが、『ピーター・パン』の作者、ジェームズ・バリの誕生日でもある。

ジェームズ・マシュー・バリは、1860年、英国スコットランド東部の町キリミュアで生まれた。10人きょうだいの9番目の子で、父親は機織り職人で、母親は石工の娘だった。
ジェームズが6歳のとき、7つ年上の兄デイヴィッド(上から6番目の子)がアイススケート中の事故で亡くなった。デイヴィッドは母親が溺愛していた息子で、母親の落胆ぶりはひどかった。そんな母親をなぐさめるために、幼いジェームズは死んだ兄の服を着、兄の生前のしぐさをまねて見せたという。
親から聖職者になるよう期待されていたジェームズは、少年時代から文章を書くのが好きで、作家志望だった。結局、彼はスコットランドの首都エディンバラのエディンバラ大学に進み、文学を専攻し、在学中から新聞に演劇評を寄稿して活躍した。
22歳で大学を卒業すると、彼はイングランドの「ノッティンガム・ジャーナル」紙の編集部に入り、25歳の年にはロンドンに出て、フリーのライターになった。
そして28歳のとき、スコットランドの生活に題材をとった『オールド・リヒト物語』を発表。これが売れ、一躍有名になったジェームズ・バリはその後『独身時代』『小牧師』『センチメンタル・トミー』を書き、また演劇界に進出して戯曲『お屋敷町』『あっぱれクライトン』で大当たりをとった。
37歳のバリはある日セントバーナード犬を連れて近所のケンジントン公園を散歩していた。その散歩中に、乳母に連れられた幼児のジョージ、ジャック、赤ちゃんのピーターというデイヴィス家の三兄弟と知り合った。彼ら兄弟に、バリは耳や眉をぴくぴく動かす特技を披露し、お話を聞かせて仲良しになり、やがて、たがいに食事に招き招かれる、家族ぐるみでつきあう仲となった。
あるときバリは、ジョージとジャックにこんなほら話を吹きこんだ。
「きみたちの弟ピーターは空を飛べるよ。赤ちゃんは生まれる前は鳥だったからね」
ここから、バリはさらに想像をふくらめて、空を飛べる永遠の子どもを主人公とした戯曲『ピーター・パン』を書き上げた。これが舞台にかかると大評判となり、バリは作品を小説化して『ピーターとウェンディ』(『ピーター・パン』の原題)として発表した。
バリは、デイヴィス家の両親が相次いで亡くなると、兄弟たちの生活を援助し、また、セント・アンドルーズ大学やエディンバラ大学の学長を歴任した後、1937年6月、肺炎のため、ロンドンのウェストエンドの老人ホームで没した。77歳だった。
バリは亡くなる前に、世界的ベストセラーである「ピーター・パン」関連の著作権を、ロンドンにある子ども病院に寄付していた。

ピーター・パンは、ネヴァーランドという島に子どもたちだけで共同生活している。島には妖精ティンカー・ベルや海賊や人魚やワニがいる。人間のヒロイン・ウェンディの呼びかけに応じて仲間たちが現実世界へもどるのに、ピーター・パンだけは最後までネヴァーランドを出ようとせず、成長して大人になることを頑として拒否し続ける。ウェンディは成人し結婚して子どもを産むが、ピーター・パンは子どものまま。ピーター・パンはまた、以前あったことや友人をどんどん忘れ去てしまう。苦々しい味わいのある、秀逸な話である。
(2024年5月9日)



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