5月31日は、シャーレ(ペトリ皿)を発明した独国の細菌学者、ユリウス・ペトリ(1852年)、「夕陽のガンマン」クリント・イーストウッド(1930年)が生まれた日だが、米国を代表する詩人、ホイットマンの誕生日でもある。
自分が、ホイットマンを知ったのは学生のころで、米国作家、ヘンリー・ミラーが『わが読書』のなかでホイットマンを絶賛していたからだった。ホイットマンは、両手を大きく広げ、全世界を抱きしめるような自由詩を書いた詩人である。
ウォルター・ホイットマンは、1819年、米国ニューヨーク州のロングアイランドで生まれた。両親はクエーカーの思想に共鳴していた。貧しい家庭の9人きょうだいの2番目の子だったウォルターは、11歳から弁護士事務所の雑用係として働きはじめ、印刷工、新聞記者、学校教師などをへて、19歳のころにはみずから新聞の発行者となった。
そしてまた印刷工や教師、編集者などをしながら、詩や文章を書きつづけた。
36歳のとき、代表作となる詩集『草の葉』を自費出版。最初の版では、12編の詩を収めた薄い詩集だったが、この初版に、ホイットマンは生涯をかけて、詩を追加し、改定し、版を重ねていった。最初、『草の葉』を読んだ彼の弟は、まったく価値を認めなかったというが、ラルフ・エマーソン、ブロンソン・オルコット、ヘンリー・ソローといった人々が絶賛した。
彼が42歳のときにはじまった南北戦争に際しては、北軍側の陸軍病院で看護士として勤務し、戦後は、政府の役所に勤めながら、詩作と推敲を続けた。
49歳になる年に、英国でホイットマンの詩集が出版され、英国先行の形で彼の詩人としての評価が高まっていった。72歳のころ『草の葉』完成。完成版は389編の詩が収められた大詩集となっていた。
1892年3月、ニュージャージー州で、肺炎、腎炎などにより没。72歳だった。
ホイットマンという人は、山や海や川を歌い、田舎を歌い、都会を歌い、原子から宇宙までを歌い、人間については、奴隷や農民から、大工、木こりなどなど、老若男女すべての人々を歌った詩人だった。ヘンリー・ミラーはこう言っている。
「まったく、たぶんこの世に生れて来た人間で、ウォルト・ホイットマンほど沢山のものを好きになり、僅かのものしか嫌わなかった人間はあるまい」(田中西二郎訳「わたし自身の歌」『ヘンリー・ミラー全集(11)わが読書』新潮社)
「ウォルト・ホイットマン、一個の宇宙人、正真正銘のマンハッタン子、
騒ぎ建てることが好きで、肥り肉で、肉感的で、よく食い、よく飲み、よく種づけるもの、
メソメソ屋ではなく、男たちや女たちのうえにはだかるものでもなければ、彼らから超然と離れているものでもない、
不道徳者にくらべて堅造というのでもない。」(富田砕花訳『草の葉』グラフ社)
大地的というか、宇宙的というか、ホイットマンは、おおらかで、大きい。ホイットマンの詩は、ほんの小さなことに気分を害したり、怒ったりしている自分を軽やかに笑い飛ばしてくれる。人間、こうありたい、と思う。自分の好きな彼のことばにこういうのがある。
「知りたがりであれ、決めつけるのでなく」
(Be curious, not judgmental. Walt Whitman)
(2013年5月31日)
●ぱぴろうの電子書籍!
『ポエジー劇場 子犬のころ2』
カラー絵本。かつて子犬だったころ、彼は泣いているリスに出会って……。友情と冒険の物語。
www.papirow.com
自分が、ホイットマンを知ったのは学生のころで、米国作家、ヘンリー・ミラーが『わが読書』のなかでホイットマンを絶賛していたからだった。ホイットマンは、両手を大きく広げ、全世界を抱きしめるような自由詩を書いた詩人である。
ウォルター・ホイットマンは、1819年、米国ニューヨーク州のロングアイランドで生まれた。両親はクエーカーの思想に共鳴していた。貧しい家庭の9人きょうだいの2番目の子だったウォルターは、11歳から弁護士事務所の雑用係として働きはじめ、印刷工、新聞記者、学校教師などをへて、19歳のころにはみずから新聞の発行者となった。
そしてまた印刷工や教師、編集者などをしながら、詩や文章を書きつづけた。
36歳のとき、代表作となる詩集『草の葉』を自費出版。最初の版では、12編の詩を収めた薄い詩集だったが、この初版に、ホイットマンは生涯をかけて、詩を追加し、改定し、版を重ねていった。最初、『草の葉』を読んだ彼の弟は、まったく価値を認めなかったというが、ラルフ・エマーソン、ブロンソン・オルコット、ヘンリー・ソローといった人々が絶賛した。
彼が42歳のときにはじまった南北戦争に際しては、北軍側の陸軍病院で看護士として勤務し、戦後は、政府の役所に勤めながら、詩作と推敲を続けた。
49歳になる年に、英国でホイットマンの詩集が出版され、英国先行の形で彼の詩人としての評価が高まっていった。72歳のころ『草の葉』完成。完成版は389編の詩が収められた大詩集となっていた。
1892年3月、ニュージャージー州で、肺炎、腎炎などにより没。72歳だった。
ホイットマンという人は、山や海や川を歌い、田舎を歌い、都会を歌い、原子から宇宙までを歌い、人間については、奴隷や農民から、大工、木こりなどなど、老若男女すべての人々を歌った詩人だった。ヘンリー・ミラーはこう言っている。
「まったく、たぶんこの世に生れて来た人間で、ウォルト・ホイットマンほど沢山のものを好きになり、僅かのものしか嫌わなかった人間はあるまい」(田中西二郎訳「わたし自身の歌」『ヘンリー・ミラー全集(11)わが読書』新潮社)
「ウォルト・ホイットマン、一個の宇宙人、正真正銘のマンハッタン子、
騒ぎ建てることが好きで、肥り肉で、肉感的で、よく食い、よく飲み、よく種づけるもの、
メソメソ屋ではなく、男たちや女たちのうえにはだかるものでもなければ、彼らから超然と離れているものでもない、
不道徳者にくらべて堅造というのでもない。」(富田砕花訳『草の葉』グラフ社)
大地的というか、宇宙的というか、ホイットマンは、おおらかで、大きい。ホイットマンの詩は、ほんの小さなことに気分を害したり、怒ったりしている自分を軽やかに笑い飛ばしてくれる。人間、こうありたい、と思う。自分の好きな彼のことばにこういうのがある。
「知りたがりであれ、決めつけるのでなく」
(Be curious, not judgmental. Walt Whitman)
(2013年5月31日)
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カラー絵本。かつて子犬だったころ、彼は泣いているリスに出会って……。友情と冒険の物語。
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