10月23日は、「サッカーの王様」ペレが生まれた日(1940年)だが、事業家のジャニー喜多川の誕生日でもある。
ジャニー喜多川は、本名をジョン・ヒロム・キタガワといい、1931年に、米国カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた。父親は高野山の僧侶だった。
太平洋戦争中は、彼の一家は日系人の強制収容所に入れられていたこともあった。
戦後、ロサンゼルスの高校に入り、高校卒業後は、ロサンゼルス市立カレッジに進んだ。
19歳のとき、歌手の美空ひばりが米ロサンゼルス公演をおこなった際、ジョンは公演を手伝い、美空ひばりとその関係者の知遇を得た。
ジョンは21歳のとき、来日し、米国大使館員となり、通訳助手や朝鮮戦争の戦災孤児の対応などに従事した。日本の上智大学に入った喜多川は、24歳のころ、音楽のバンド活動をはじめ、31歳の年に芸能プロダクションを興した。
喜多川の愛称である「ジャニー」から、会社の名前をジャニーズ事務所とし、彼は若い少年をスカウトし、歌やダンスの練習をさせ、アイドル歌手として売り出すビジネスをはじめた。ジャニーズ事務所からは、フォーリーブス、郷ひろみ、田原俊彦、近藤雅彦、シブがき隊、少年隊、光GENJI、SMAP、嵐、などの大スターたちが輩出し、喜多川は芸能界、放送業界に隠然たる力をもつジャニーズ王国を築き上げた。
日本芸能誌史に残る大プロデューサー、ジャニー喜多川は、2019年7月、東京都内の病院でクモ膜下出血により没した。87歳だった。
少年への性的虐待で没後に批判かまびすしいジャニー喜多川だが、なかなか魅力的な一面をもつ人だったらしい。
たとえば、田原俊彦がまだデビュー前の高校生だったころ、週末になると甲府から電車で上京してレッスンに通ってくる田原の交通費はすべて喜多川がもち、さらに、田原が帰る際には新宿駅までかならず自分で見送りにいったという。
あるいは、SMAPの中居正広がリズム感が悪いので、喜多川みずからがカスタネットをたたいて、マンツーマンでレッスンした。
ジャニーズ事務所のアイドルグループ、KAT-TUNの亀梨和也が、テレビの歌番組で明かした逸話も興味深かった。身内による暴露話だから、多少の脚色はあるだろうけれど、なかなか味わい深い話だった。
「オレが悪かったんですけど」
と前置きし、亀梨は以下の内容を語った。
あるとき、KAT-TUNがステージを務めている最中に、亀梨が歌か踊りを忘れてしまった。ステージを降りた後で、亀梨はKAT-TUNの同僚に食ってかかった。
「ああいうときは、うまくフォローしてくれよ」
すると同僚は、こう答えた。
「おれは自分のことでいっぱいいっぱいなんだよ」
「なんだよ、それは」
とつかみあいになりかかった。そこへ、わきで見ていたジャニー喜多川が手を差しだした。亀梨に握手を求めて、こう言った。
「仕事でけんか? かっこいいね」
(2024年10月23日)
●おすすめの電子書籍!
『世界大詩人物語』(原鏡介)
詩人たちの生と詩情。詩神に愛された人々、鋭い感性をもつ詩人たちの生き様とその詩情を読み解く詩の人物読本。ゲーテ、バイロン、ハイネ、ランボー、ヘッセ、白秋、朔太郎、賢治、民喜、中也、隆一ほか。彼らの個性、感受性は、われわれに何を示すか?
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp
ジャニー喜多川は、本名をジョン・ヒロム・キタガワといい、1931年に、米国カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた。父親は高野山の僧侶だった。
太平洋戦争中は、彼の一家は日系人の強制収容所に入れられていたこともあった。
戦後、ロサンゼルスの高校に入り、高校卒業後は、ロサンゼルス市立カレッジに進んだ。
19歳のとき、歌手の美空ひばりが米ロサンゼルス公演をおこなった際、ジョンは公演を手伝い、美空ひばりとその関係者の知遇を得た。
ジョンは21歳のとき、来日し、米国大使館員となり、通訳助手や朝鮮戦争の戦災孤児の対応などに従事した。日本の上智大学に入った喜多川は、24歳のころ、音楽のバンド活動をはじめ、31歳の年に芸能プロダクションを興した。
喜多川の愛称である「ジャニー」から、会社の名前をジャニーズ事務所とし、彼は若い少年をスカウトし、歌やダンスの練習をさせ、アイドル歌手として売り出すビジネスをはじめた。ジャニーズ事務所からは、フォーリーブス、郷ひろみ、田原俊彦、近藤雅彦、シブがき隊、少年隊、光GENJI、SMAP、嵐、などの大スターたちが輩出し、喜多川は芸能界、放送業界に隠然たる力をもつジャニーズ王国を築き上げた。
日本芸能誌史に残る大プロデューサー、ジャニー喜多川は、2019年7月、東京都内の病院でクモ膜下出血により没した。87歳だった。
少年への性的虐待で没後に批判かまびすしいジャニー喜多川だが、なかなか魅力的な一面をもつ人だったらしい。
たとえば、田原俊彦がまだデビュー前の高校生だったころ、週末になると甲府から電車で上京してレッスンに通ってくる田原の交通費はすべて喜多川がもち、さらに、田原が帰る際には新宿駅までかならず自分で見送りにいったという。
あるいは、SMAPの中居正広がリズム感が悪いので、喜多川みずからがカスタネットをたたいて、マンツーマンでレッスンした。
ジャニーズ事務所のアイドルグループ、KAT-TUNの亀梨和也が、テレビの歌番組で明かした逸話も興味深かった。身内による暴露話だから、多少の脚色はあるだろうけれど、なかなか味わい深い話だった。
「オレが悪かったんですけど」
と前置きし、亀梨は以下の内容を語った。
あるとき、KAT-TUNがステージを務めている最中に、亀梨が歌か踊りを忘れてしまった。ステージを降りた後で、亀梨はKAT-TUNの同僚に食ってかかった。
「ああいうときは、うまくフォローしてくれよ」
すると同僚は、こう答えた。
「おれは自分のことでいっぱいいっぱいなんだよ」
「なんだよ、それは」
とつかみあいになりかかった。そこへ、わきで見ていたジャニー喜多川が手を差しだした。亀梨に握手を求めて、こう言った。
「仕事でけんか? かっこいいね」
(2024年10月23日)
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