7月31日は、『遠野物語』を書いた柳田國男が生まれた日(1875年)だが、英国の女流作家、J・K・ローリングの誕生日でもある。「ハリー・ポッター」シリーズの作者である。
J・K・ローリングは、1965年、英国イングランドのグロスタシャーで生まれた。本名は、ジョアン・ローリング。父親は航空技術者だった。
子どものころから、物語を書くのが好きだったジョアンは、25歳のころ、ロンドンからマンチェスターまで通勤していた。ある日、彼女がロンドンへもどる列車に乗っていると、機械のトラブルで列車が停車した。彼女は窓から牧草地の牛をながめていた。そのとき、魔法使いの少年「ハリー・ポッター」のアイディアがとつぜん頭にひらめいた。ハリーの人となりや、魔法学校の様子などがつぎつぎと浮かんできた。それから彼女は、朝から晩まで、仕事中も「ハリー・ポッター」の構想を練るようになり、たちまち仕事を失った。
28歳のころには、ローリングは赤ちゃんを連れた母子家庭の母親となっていた。彼女はエディンバラで生活保護を受け、魔法使いの小説を書いた。娘を乳母車に乗せてカフェて行き、コーヒー一杯でねばり、乳母車を片手で揺らしながら、片手でペンを走らせた。
そうして書き上げられた『ハリー・ポッターと賢者の石』は、12社の出版社に断られた後に、ようやく出版にこぎつけた。『賢者の石』は、売れに売れ、世界的なベストセラーとなり、ハリウッドで映画化された。ローリングは歴史上もっとも成功した作家となり、大金持ちになり、勲章を授与された。生活保護の母子家庭の大逆転劇である。彼女は「ハリー・ポッター」を完結させた後、大人向けの小説『カジュアル・ベイカンシー』を発表し、また、別のペンネームで探偵小説も書いている。
出版の業界人にとって「ハリー・ポッター」の成功は鮮烈だった。日本国内でも、その翻訳出版によって、傾いていた小出版社、静山社が一気に大発展し、シリーズ新刊が出るたびに日本の出版統計さえも大きく変動した。「ハリー・ポッター」の新刊が出れば出版界は好景気だったことになり、出なければ不景気だったことになった。それくらい巨大な本だった。拙著『名作英語の名文句』でも「ハリー・ポッター」を取り上げた。
ローリングの無名時代のこと。生活保護を受け、娘に貧しい暮らしを強いながら、世に出るかどうかもわからない魔法使いの話の執筆にうつつをぬかしてよいものか、という迷いは、ローリングにもあったようだ。まともな職業に就き地道に働くべきではないか、と。
たとえ、書いたものが本になったとしても、それで大金が転がりこんでくるなどとは、彼女自身、想像していなかった。迷いはとうぜんだったろう。
そんなとき、妹のダイに物語のことを話すと、ぜひ書いたものを見せてほしいと言ってきた。彼女はこれまでに書いた第三章までの原稿を見せた。
「もしもダイが笑ってくれなかったら、何もかも放り出してしまうつもりでした」(ショーン・スミス著、鈴木彩織訳『J.K.ローリングその魔法と真実』メディアファクトリー)
妹は笑った。それで、作品の続きを、彼女は猛然と執筆しだした。とにかく、まずこれを完成させ、それから就職運動をはじめよう、と。
やはりクリエイターというのは孤独なものだ。どんな大傑作も、誰かそばにいる人の温かい励ましがなかったら、作品は完成しないし、大逆転ドラマも起こらない。
(2023年7月31日)
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『ここだけは原文で読みたい! 名作英語の名文句』(越智道雄選、金原義明著)
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https://www.meikyosha.jp
J・K・ローリングは、1965年、英国イングランドのグロスタシャーで生まれた。本名は、ジョアン・ローリング。父親は航空技術者だった。
子どものころから、物語を書くのが好きだったジョアンは、25歳のころ、ロンドンからマンチェスターまで通勤していた。ある日、彼女がロンドンへもどる列車に乗っていると、機械のトラブルで列車が停車した。彼女は窓から牧草地の牛をながめていた。そのとき、魔法使いの少年「ハリー・ポッター」のアイディアがとつぜん頭にひらめいた。ハリーの人となりや、魔法学校の様子などがつぎつぎと浮かんできた。それから彼女は、朝から晩まで、仕事中も「ハリー・ポッター」の構想を練るようになり、たちまち仕事を失った。
28歳のころには、ローリングは赤ちゃんを連れた母子家庭の母親となっていた。彼女はエディンバラで生活保護を受け、魔法使いの小説を書いた。娘を乳母車に乗せてカフェて行き、コーヒー一杯でねばり、乳母車を片手で揺らしながら、片手でペンを走らせた。
そうして書き上げられた『ハリー・ポッターと賢者の石』は、12社の出版社に断られた後に、ようやく出版にこぎつけた。『賢者の石』は、売れに売れ、世界的なベストセラーとなり、ハリウッドで映画化された。ローリングは歴史上もっとも成功した作家となり、大金持ちになり、勲章を授与された。生活保護の母子家庭の大逆転劇である。彼女は「ハリー・ポッター」を完結させた後、大人向けの小説『カジュアル・ベイカンシー』を発表し、また、別のペンネームで探偵小説も書いている。
出版の業界人にとって「ハリー・ポッター」の成功は鮮烈だった。日本国内でも、その翻訳出版によって、傾いていた小出版社、静山社が一気に大発展し、シリーズ新刊が出るたびに日本の出版統計さえも大きく変動した。「ハリー・ポッター」の新刊が出れば出版界は好景気だったことになり、出なければ不景気だったことになった。それくらい巨大な本だった。拙著『名作英語の名文句』でも「ハリー・ポッター」を取り上げた。
ローリングの無名時代のこと。生活保護を受け、娘に貧しい暮らしを強いながら、世に出るかどうかもわからない魔法使いの話の執筆にうつつをぬかしてよいものか、という迷いは、ローリングにもあったようだ。まともな職業に就き地道に働くべきではないか、と。
たとえ、書いたものが本になったとしても、それで大金が転がりこんでくるなどとは、彼女自身、想像していなかった。迷いはとうぜんだったろう。
そんなとき、妹のダイに物語のことを話すと、ぜひ書いたものを見せてほしいと言ってきた。彼女はこれまでに書いた第三章までの原稿を見せた。
「もしもダイが笑ってくれなかったら、何もかも放り出してしまうつもりでした」(ショーン・スミス著、鈴木彩織訳『J.K.ローリングその魔法と真実』メディアファクトリー)
妹は笑った。それで、作品の続きを、彼女は猛然と執筆しだした。とにかく、まずこれを完成させ、それから就職運動をはじめよう、と。
やはりクリエイターというのは孤独なものだ。どんな大傑作も、誰かそばにいる人の温かい励ましがなかったら、作品は完成しないし、大逆転ドラマも起こらない。
(2023年7月31日)
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