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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6月18日・ラディゲの明晰

2024-06-18 | 文学
6月18日は、元ビートルズのポール・マッカートニーが生まれた日(1942年)だが、夭逝したフランスの作家、レーモン・ラディゲの誕生日でもある。

レーモン・ラディゲは、1903年、フランスのパリで生まれた。父親は画家で、レーモンは10人(一説には7人)きょうだいの長男だった。小学校時代は成績がよかったが、高等中学へ進んでからは、文学書を読みふけるばかりになり、成績は急降下した。
ひどい近視のなまけ者の不良学生、ラディゲは、15歳のとき、絵画の展覧会場で詩人のジャン・コクトーと出会った。それが縁で、ラディゲはコクトーの家を訪ねた。そのとき、ポケットからしわくちゃになった紙切れをとり出して、コクトーに見せた。そこに書かれていた詩を読み、14歳年上のコクトーはラディゲの文学的才能を見抜いた。コクトーはこのひとまわり以上年下の少年と友情を結び、ラディゲの天才を開花させようと、彼に助言を与えたり、いろいろな場所に連れていき、刺激を与える努力をした。
ラディゲはコクトーに励まされ、詩を書き、小説を書いた。
18歳のとき、小説『肉体の悪魔』を執筆。コクトーがこの原稿をもって出版社をまわり、出版契約にこぎつけた。ところが『肉体の悪魔』にはまだ結末がなかったので、ラディゲはあわてて書き足して、小説を仕上げた。それを読んだコクトーは、
「やっつけ仕事だ」
と非難した。納得したラディゲは書き直した。『肉体の悪魔』が出版されると、大評判となり、ラディゲは弱冠20歳にして一躍、文壇の寵児となった。
その名声のなか、チフスにかかり、1923年12月、パリで没した。20歳だった。
没後、小説『ドルジェル伯の舞踏会』が刊行され、その文名はいよいよ高まった。

ラディゲの死に衝撃を受けたコクトーは、それから長いあいだアヘンびたりの生活におちいった。三島由紀夫はそれを題材にして短編小説『ラディゲの死』を書いた。
日本の作家では三島のほか、小林秀雄や谷崎潤一郎もラディゲの才筆を絶賛している。

成功したラディゲは、若き天才と騒がれることについて、こう言っている。
「著者としては神童扱いされることは、いささか迷惑だ。が、この誤りは、(ぼくの大胆さを許して戴きたい)これが十七歳で書かれた小説だという取るに足らぬ言葉から、それを奇怪だとは言わないまでも、何かそれを奇跡のように思いこんでいる人びとにあるのではなかろうか。書くにはまず生活すべきだというのが、常套語である。それは、ゆるがせに出来ない一つの真理でもある。しかしぼくの知りたいのは、それではいったい何歳になったら本当に『自分は生活した』と言い切れるかということだ。この定過去は、論理的にいっても、死を意味してはいないだろうか?」(江口清訳「ぼくの処女小説『肉体の悪魔』」『レーモン・ラディゲ全集』東京創元社)
論理が明晰で、気が利いていて、完成されている。天才というのはいるものだ。
(2024年6月18日)



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