6月30日は、プロボクサー、マイク・タイソンが生まれた日(1966年)だが、詩人チェスワフ・ミウォシュの誕生日でもある。
チェスワフ・ミウォシュは、1911年、リトアニアのシェティニェ村(当時はロシア帝国の一部だった)で生まれた。父親は技術者だった。チェスワフは、当時ポーランド領だったヴィリニュスの高校を卒業後、大学では法律学を専攻した。
23歳のとき、処女詩集を出版し、仏国パリに1年間、フェローの資格で滞在した。
帰国後は、ラジオのコメンテイターを務めていたが、そのコメントが左がかっているとして解雇された。
1939年、彼が28歳のとき、ポーランドは、ナチス・ドイツとソビエト連邦の双方から侵略され、ミウォシュはルーマニアに逃れた。
29歳のとき、ナチス・ドイツ占領下のワルシャワに移り、地下組織の活動に従事した。
第二次大戦が終わると、ミウォシュはポーランドの外交官としてパリ大使館に勤務。
40歳のとき、仏国へ亡命。ソ連の衛星国だったポーランドの状況を描いた小説『囚われの魂』を発表。
47歳のとき、米国へ渡り、カリフォルニア大学でポーランド文学の講義をした。
69歳のとき、ノーベル文学賞受賞。これを機に、本国ポーランドで35年ぶりに著作が刊行されはじめた。
70歳のとき、30年ぶりにポーランドへ帰国。当時創設されていた独立自主管理労働組合「連帯」のワレサ議長と会った。
2004年8月、ポーランドのクラクフで没。93歳だった。
英語、仏語、露語に堪能で、英語による著作もあるが、生涯を通じてポーランド語で詩を書きつづけた詩人だった。
ミウォシュは、72歳のとき、来日していて、訪れた京都のことを詩に書いている。
「京都でわたしは幸せだった。なぜならば、過去は消え去り、未来は計画も願望もなくそこにあったから。まるで朝、コウライウグイスの鳴き声を聴きながら目を覚まし、日が暮れるまで駆けまわっている少年の過ごす七月の一日のようだった。」(小山哲訳「(京都でわたしは幸せだった)」『チェスワフ・ミウォシュ詩集』成文社)
「あたかも双眼鏡を逆向きにはめて目の代わりにしたかのように、世界は遠ざかり、人々も、木々も、通りも、何もかもが小さくなるが、姿かたちは明瞭なままで凝縮される。
昔、詩を書いている時に、そういう瞬間があった。だから、距離を置くこと、無私の観照に没入すること、『私』でない『私』を装うことがどういうことかは知っているが、今では絶えずそうした状態になるので、これはどうしたことか、自分はもしや永続的な詩的状態に入ってしまったのかと自問している。」(西野恒夫訳「詩的状態」同前)
ミウォシュの詩には、笑いの詩情がある。彼のきびしい戦いの人生を考えると、それは筋金入りの笑いである。
(2023年6月30日)
●おすすめの電子書籍!
『世界大詩人物語』(原鏡介)
詩人たちの生と詩情。詩神に愛された人々、鋭い感性をもつ詩人たちの生き様とその詩情を読み解く詩の人物読本。ゲーテ、バイロン、ハイネ、ランボー、ヘッセ、白秋、朔太郎、賢治、民喜、中也、隆一ほか。彼らの個性、感受性は、われわれに何を示すか?
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.jp
チェスワフ・ミウォシュは、1911年、リトアニアのシェティニェ村(当時はロシア帝国の一部だった)で生まれた。父親は技術者だった。チェスワフは、当時ポーランド領だったヴィリニュスの高校を卒業後、大学では法律学を専攻した。
23歳のとき、処女詩集を出版し、仏国パリに1年間、フェローの資格で滞在した。
帰国後は、ラジオのコメンテイターを務めていたが、そのコメントが左がかっているとして解雇された。
1939年、彼が28歳のとき、ポーランドは、ナチス・ドイツとソビエト連邦の双方から侵略され、ミウォシュはルーマニアに逃れた。
29歳のとき、ナチス・ドイツ占領下のワルシャワに移り、地下組織の活動に従事した。
第二次大戦が終わると、ミウォシュはポーランドの外交官としてパリ大使館に勤務。
40歳のとき、仏国へ亡命。ソ連の衛星国だったポーランドの状況を描いた小説『囚われの魂』を発表。
47歳のとき、米国へ渡り、カリフォルニア大学でポーランド文学の講義をした。
69歳のとき、ノーベル文学賞受賞。これを機に、本国ポーランドで35年ぶりに著作が刊行されはじめた。
70歳のとき、30年ぶりにポーランドへ帰国。当時創設されていた独立自主管理労働組合「連帯」のワレサ議長と会った。
2004年8月、ポーランドのクラクフで没。93歳だった。
英語、仏語、露語に堪能で、英語による著作もあるが、生涯を通じてポーランド語で詩を書きつづけた詩人だった。
ミウォシュは、72歳のとき、来日していて、訪れた京都のことを詩に書いている。
「京都でわたしは幸せだった。なぜならば、過去は消え去り、未来は計画も願望もなくそこにあったから。まるで朝、コウライウグイスの鳴き声を聴きながら目を覚まし、日が暮れるまで駆けまわっている少年の過ごす七月の一日のようだった。」(小山哲訳「(京都でわたしは幸せだった)」『チェスワフ・ミウォシュ詩集』成文社)
「あたかも双眼鏡を逆向きにはめて目の代わりにしたかのように、世界は遠ざかり、人々も、木々も、通りも、何もかもが小さくなるが、姿かたちは明瞭なままで凝縮される。
昔、詩を書いている時に、そういう瞬間があった。だから、距離を置くこと、無私の観照に没入すること、『私』でない『私』を装うことがどういうことかは知っているが、今では絶えずそうした状態になるので、これはどうしたことか、自分はもしや永続的な詩的状態に入ってしまったのかと自問している。」(西野恒夫訳「詩的状態」同前)
ミウォシュの詩には、笑いの詩情がある。彼のきびしい戦いの人生を考えると、それは筋金入りの笑いである。
(2023年6月30日)
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