1日1話・今日の話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『誇りに思う日本人たち』
『ビッグショッツ』
『黒い火』ほか

6月25日・ガウディとユーザー

2018-06-25 | 建築
6月25日は、漫画家、本宮ひろ志が生まれた日(1947年)だが、アントニ・ガウディの誕生日でもある。

アントニ・ガウディは、1852年、スペインのカタルーニャ地方、タラゴナで生まれた。父親は銅製の鍋や釜を作る銅細工師で、アントニは、5番目の子だった。
小さいころ病弱だったアントニは、絵を描き、学校の演劇の際に大道具や小道具を作るのが好きな子どもだった。
彼は21歳からバルセロナで建築を学び、いくつかの建築事務所で働き、26歳のとき建築士の免許を得、パリ万博に出典する手袋の店のためにショーケースをデザインした。それがたまたま実業家エウセビオ・グエルの目に止まった。グエルは、グエル邸、コロニア・グエル教会地下聖堂、グエル公園などの設計をガウディに依頼した。そして1883年、31歳のとき、サグラダ・ファミリア(聖家族教会)の専任建築家に推薦された。
サグラダ・ファミリアは、すべて個人の寄付によって建設費を集めて建てようと計画された教会で、すでにべつの建築士が無償で引き受け、着工していた。でも、意見がぶつかり、建築士が下りてしまっていた。その後任として使命されたのがガウディで、彼は設計を一からやり直し、巨大な教会建築に取り組んだ。
1926年6月、バルセロナでホームレスらしい風体の男が路面電車にはねられた。男は、その3日後に死亡した。それがガウディだった。73歳だった。生涯独身だったガウディは、身なりに気をつかわず、彼と気づかれず、手当てが遅れたのだった。
彼がすべてを注ぎ込んで没頭したサグラダ・ファミリアは、着工から百年以上たった現在なお建造中である。

ひもに重りをつけてたらした形を、上下さかさにひっくり返した造形。
その土地の地形をなるかけ生かし、石などその場所でとれた材料を生かした建造。
角のない、すべてが曲面で構成された建築物。
ガウディの建築は、それまでに類を見ない、強烈に個性的なものだった。
いまでは日本でもガウディは有名で、ガウディの作品と聞けば、みんながこぞってちやほやほめるけれど、はじめて見たとき、とてもそういう感想はもたなかった。
個性的ではあるけれど、異様で気味が悪かった。レンガがいまにも崩れてきそうな感じで組み合わされた教会の天井など、悪趣味ではないか、と。
ガウディが造ったバルセロナの「カサ・ミラ」アパートなど、おどろおどろしい感じで、なかに住んでいる人はどんな気持ちかしら、といぶかっていた。日々不安定な気持ちでいたりしないかしらと。埴谷雄高も同じ疑念を漏らしていた。
先日、テレビを見ていたら、「カサ・ミラ」賃貸アパートにテレビカメラが入り、住人にインタビューしているのが映った。
その住人は品のよさそうな老婦人で、とても住み心地がいいと言っていた。天井にガウディが描いた絵があったりして、芸術に囲まれていて、気持ちがよい、と。テレビが映し出す室内も、明るくて、なかなか感じがよかった。現在は世界遺産に登録されているそうだ。
外見は異様でも、ガウディ建築は案外暮らしやすいのかもしれない。
(2018年6月25日)


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「十二支占い」シリーズ。十二支の起源から、各干支年生まれの性格、対人・恋愛運、成功のヒント、人生、開運法まで。


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10月6日・ル・コルビュジエの近代

2016-10-06 | 建築
10月6日は、平成天皇の少年時代の家庭教師、ヴァイニング夫人が生まれた日(1902年)だが、建築家のル・コルビュジエの誕生日でもある。

ル・コルビュジエは1887年、スイスのラ・ショー=ド=フォンで生まれた。本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ。父親は時計の文字盤職人で、母親はピアノ教師だった。
シャルルは、家業の時計作りを継ぐために地元の装飾美術学校に入ったが、そこの校長に才能を見いだされ、すすめられて建築の仕事を手伝うようになった。
21歳のころ、フランス・パリに行き、建築事務所に勤め、その後、美術学校で教鞭をとったり、新建築の設計にたずさわったりした。
27歳のとき「ドミノシステム」を発表。これは、鉄筋コンクリートによる住宅建設方法で、水平スラブと周囲でそれを支える最小限の柱、各階へのアクセスを可能とする昇降装置を構成要素とするものだった。
33歳のとき、詩人や画家といっしょに雑誌創刊し、そのころから「ル・コルビュジエ」というペンネームを使いだした。
ル・コルビュジエは「住宅は住むための機械である」という思想を推し進め、1925年、38歳のときに開かれたパリ万博では、装飾性を排除した「レスプリ・ヌーヴォー館」を発表し、建築界に衝撃を与えた。
43歳のとき、「低層過密な都市よりも、超高層ビルを建て、周囲に緑地を作ったほうが合理的である」とする考えを打ち出し、この思想は以後、世界の都市計画の考え方に大きな影響を与えることになった。
パリ郊外ポワシーにある「サヴォア邸」、「マルセイユのユニテ・ダビタシオン」「ロンシャンの礼拝堂」などを造った後、1965年8月、南仏カプ・マルタンで海水浴中に心臓発作のため没した。77歳だった。

ル・コルビュジエが提唱した理論に「近代建築の五原則」というものがあって、それはこういう内容である。
・ピロティ(一階部分に柱を残して外部空間とする構造)
・屋上庭園
・自由な平面
・水平連続窓(横長の窓)
・自由な立面
これを実現した典型的な例が仏の「サヴォア邸」や東京の国立西洋美術館であり、これらを含む各国に散らばる17建築のル・コルビュジエ作品が、2016年、世界遺産として一括登録された。

ル・コルビュジエの近代建築の定義からいうと、ほとんどの日本の一般家屋は建築以前の代物で、ただの掘っ建て小屋である。やはり現代人らしい文化的な家に住むためには、広い空間と、豊かな資金が必要なようだ。
こたつを置いた四畳半の、ごろりと寝ころがれば、ステレオにも冷蔵庫にも勉強机にも手が届いた、こぢんまりとした便利な下宿時代の部屋がいまだに懐かしく、ル・コルビュジエの建てるようなだだっ広い家は落ち着かない。人が家を選ぶようだが、じつは家の側でも住むのにふさわしい人を要求するのだろう。
(2016年10月6日)




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『マネーマントラ』(天野たかし)
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2月14日・ジョージ・フェリスの観覧車

2015-02-14 | 建築
2月14日は、古代ローマで自由結婚を主張した聖職者バレンタインが処刑された日(269年)だが、技術者、ジョージ・フェリスの誕生日でもある。観覧車を発明した人である。

ジョージ・ワシントン・ゲイル・フェリス・ジュニアは、1859年、米国イリノイ州ゲールズバーグで生まれた。父親は園芸家だった。
陸軍士官学校をへて、工科大学で土木工学を専攻したフェリス・ジュニアは、鉄道と橋の建設業界に進み、ペンシルベニア州ピッツバーグで、鉄道、橋梁用の素材の検査をする会社を興した。
折しも、コロンブスがアメリカに到達してから400周年を記念した、コロンブス記念世界博覧会が、1893年にシカゴで開かれることになった。
博覧会を主催する委員会側は、4年前に開かれたパリ万博の象徴であったエッフェル塔をしのぐ何かを、このシカゴ万博の会場に建設することを望み、その案を募った。
それに応じたのが、フェリスだった。彼のアイディアは、機械仕掛けで動く巨大な観覧車を会場に設置して、客はこの観覧車に乗って、会場全体を俯瞰できるというものだった。
委員会側ははじめ、この案に対し、危険すぎると怖じ気づいたが、最終的にはフェリスの案を認可した。
フェリスは建設費を捻出するために投資家を募り、資金を集め、観覧車建設に着手した。
完成した観覧車は、36個の観覧ボックスをもち、それぞれのボックスが40席の回転椅子を備え、60人を収容できた。都合、観覧車はいちどに2,160人を乗せてまわるという巨大なエンタテイメント施設だった。
乗客は、50セントの切符を買い、約20分かけて2周する観覧車の旅を楽しみ、観覧車は毎日、3万8,000人の観客を乗せて営業をつづけ、主催者側にばく大な利益をもたらした。
万博が終わると、フェリスと投資家たちは、利益の分け前をよこさないと、主催者側を訴え、ただちに法廷闘争へと移った。
フェリスは、1896年11月、腸チフスのため、ピッツバーグにて没した。37歳の若さだった。

「エッフェル塔を超える」
この難題にジョージ・フェリスは挑み、空高くそびえてまわる巨大な輪という解答を導きだした。
観覧車のことを、英語ではフェリスの名から、Ferris Wheel (フェリスの輪)と呼ぶ。
恋人たちが愛を誓う日、バレンタインデイと、恋人たちが愛を語らうデートスポット、観覧車とが、不思議な縁でつながっている。
(2015年2月14日)


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『ビッグショッツ』(ぱぴろう)
伝記読み物。ビジネス界の大物たち「ビッグショッツ」の人生から、生き方や成功のヒントを学ぶ。フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ、ソフトバンクの孫正義から、デュポン財閥のエルテール・デュポン、ファッション・ブランドのココ・シャネル、金融のJ・P・モルガンまで、古今東西のビッグショッツ30人を収録。大物たちのドラマティックな生きざまが躍動する。


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12月15日・エッフェル塔の美意識

2014-12-15 | 建築
12月15日は、エッフェルの誕生日。フランスのパリにある、あのエッフェル塔を作ったエッフェル社のエッフェルである。
1889年のパリ万国博覧会にあわせて建てられたエッフェル塔は、高さが312メートルあり(アンテナを入れるとさらに高い)、米ニューヨークのクライスラービルにぬかれるまで、約40年間にわたって世界でもっとも高い建造物だった。

エッフェル塔の姿には、フランスらしい、ある美意識が感じられる。
いちばんのポイントは、単純にたてに棒状になっていず、塔の足元が四つに割れている点だろう。
エッフェル塔は4本に別れた脚で支えられていて、塔の真下は、だだっぴろい広場になっている。だから、塔にのぼるためには、4本の脚の部分にあるいずれかのエレベーターに乗って、斜めにのぼっていくことになる。
自分も一度のぼったことがあるけれど、あの斜めにのぼるエレベーターのなかは、なんともいえない不思議な気分だった。もちろん、東京タワーのように、真下からまっすぐ上へのぼる恰好のほうが、構造上安定するし、技術的にもかんたんなのだろうけれど、それをあえて、技術により困難なものにし、それに挑んだところがにくい。アーチを作っているあの4本の脚が、ちょうど短足な感じでユーモラスで、そこがまたよい。
万博に間に合わせるため、尋常でない急ピッチの工事日程を要求されたにもかかわらず、エッフェル塔はひとりの死者もださずに完成された。

アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルは、1832年、フランス中部のディジョンで生まれた。アルザス地方からやってきたドイツ系の家系で、父親は退役軍人で、母親は石炭関係の会社を経営していた。
小さいころからものを作ることが好きだったアレクサンドルは、工芸学校を出て技師免許をとり、鉄鋼会社や鉄道設備会社で働き、鉄橋建設などにたずさわった後、34歳のとき、エッフェル社を設立。国内外の駅舎ホール、工場、鉄道高架橋、天文台などさまざまな建造物を作った。
そして、55歳のときにエッフェル塔建設に着手。塔の設計は、エッフェル社の社員だったステファン・ソーヴェストルとモーリス・ケクランの二人が担った。約2年をかけて完成した。
エッフェルはそのほかにも、ポルトガルのドウロ川にかかるマリア・ピア橋や、ハンガリーのブダペストの駅舎など、美しく、モダンなデザインの建造物を作った後、1923年12月、パリの自宅で没した。91歳だった。エッフェルはベートーヴェンの交響曲第五番「運命」を聴きながら息を引きとったそうだ。
鉄の時代の到来を告げる、モダニズムの寵児。エッフェルには、そんな印象がある。
(2014年12月15日)


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10月6日・ル・コルビュジエの近代

2014-10-06 | 建築
10月6日は、平成天皇の少年時代の家庭教師、ヴァイニング夫人が生まれた日(1902年)だが、建築家のル・コルビュジエの誕生日でもある。

ル・コルビュジエは1887年、スイスのラ・ショー=ド=フォンで生まれた。本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ。父親は時計の文字盤職人で、母親はピアノ教師だった。
シャルルは、家業の時計作りを継ぐために地元の装飾美術学校に入ったが、そこの校長に才能を見いだされ、すすめられて建築の仕事を手伝うようになった。
21歳のころ、フランス・パリに行き、建築事務所に勤め、その後、美術学校で教鞭をとったり、新建築の設計にたずさわったりした。
27歳のとき「ドミノシステム」を発表。これは、鉄筋コンクリートによる住宅建設方法で、水平スラブと周囲でそれを支える最小限の柱、各階へのアクセスを可能とする昇降装置を構成要素とするものだった。
33歳のとき、詩人や画家といっしょに雑誌創刊し、そのころから「ル・コルビュジエ」というペンネームを使いだした。
ル・コルビュジエは「住宅は住むための機械である」という思想を推し進め、1925年、38歳のときに開かれたパリ万博では、装飾性を排除した「レスプリ・ヌーヴォー館」を発表し、建築界に衝撃を与えた。
43歳のとき、「低層過密な都市よりも、超高層ビルを建て、周囲に緑地を作ったほうが合理的である」とする考えを打ち出し、この思想は以後、世界の都市計画の考え方に大きな影響を与えることになった。
パリ郊外ポワシーにある「サヴォア邸」、「マルセイユのユニテ・ダビタシオン」「ロンシャンの礼拝堂」などを造った後、1965年8月、南仏カプ・マルタンで海水浴中に心臓発作のため没した。77歳だった。

ル・コルビュジエが提唱した理論に「近代建築の五原則」というものがあって、それはこういう内容である。
・ピロティ(一階部分に柱を残して外部空間とする構造)
・屋上庭園
・自由な平面
・水平連続窓(横長の窓)
・自由な立面
これを実現した典型的な例が「サヴォア邸」とされている。

ル・コルビュジエの近代建築の提議からいうと、わが家などは建築以前の代物で、ただの掘っ建て小屋である。やはり現代人らしい文化的な家に住むためには、広い空間と、豊かな資金が必要なようだ。
自分などは、こたつを置いた四畳半の、ごろりと寝ころがれば、ステレオにも冷蔵庫にも勉強机にも手が届いた、こぢんまりとした便利な下宿時代の部屋がいまだに懐かしく、ル・コルビュジエの建てるようなだだっ広い家だとどうも落ち着かない。ということは、家の側でも、住むのにふさわしい、それなりの人を要求するということで、自分などはそもそも近代建築に住むのに不適格な原始人タイプのかもしれない。やれやれ。
(2014年10月6日)




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6月25日・ガウディと暮らす気分

2014-06-25 | 建築
6月25日は、漫画家、本宮ひろ志が生まれた日(1947年)だが、アントニ・ガウディの誕生日でもある。はじめてガウディの建築の写真を見たとき、自分はかなり驚いた。ここまで強烈に個性的な建築がこの世にあり得るとは、と。

アントニ・ガウディは、1852年、スペインのカタルーニャ地方、タラゴナで生まれた。父親は銅製の鍋や釜を作る銅細工師で、アントニは、5番目の子だった。
小さいころ病弱だったアントニは、絵を描き、学校の演劇の際に大道具や小道具を作るのが好きな子どもだった。
彼は21歳からバルセロナで建築を学び、いくつかの建築事務所で働き、26歳のとき建築士の免許を得、パリ万博に出典する手袋の店のためにショーケースをデザインした。それがたまたま実業家エウセビオ・グエルの目に止まった。グエルは、グエル邸、コロニア・グエル教会地下聖堂、グエル公園などの設計をガウディに依頼した。そして1883年、31歳のとき、サグラダ・ファミリア(聖家族教会)の専任建築家に推薦された。
サグラダ・ファミリアは、すべて個人の寄付によって建設費を集めて建てようと計画された教会で、すでにべつの建築士が無償で引き受け、着工していた。でも、意見がぶつかり、建築士が下りてしまっていた。その後任として使命されたのがガウディで、彼は設計を一からやり直し、巨大な教会建築に取り組んだ。
1926年6月、バルセロナでホームレスらしい風体の男が路面電車にはねられた。男は、その3日後に死亡した。それがガウディだった。73歳だった。生涯独身だったガウディは、身なりに気をつかわず、彼と気づかれず、手当てが遅れたのだった。
彼がすべてを注ぎ込んで没頭したサグラダ・ファミリアは、着工から百年以上たった2014年現在、いまなお建造中である。

ひもに重りをつけてたらした形を、上下さかさにひっくり返した造形。
その土地の地形をなるかけ生かし、石などその場所でとれた材料を生かした建造。
角のない、すべてが曲面で構成された建築物。
ガウディの建築は、それまでに類を見ない、強烈に個性的なものだった。
いまでは日本でもガウディは有名で、ガウディの作品と聞けば、みんながこぞってちやほやほめるけれど、自分がはじめて見たときは、とてもそういう感想はもたなかった。
個性的ではあるけれど、おどろおどろしく、気味が悪かった。レンガがいまにも崩れてきそうな感じで組み合わされた教会の天井なども、悪趣味な気がした。
ガウディが造ったはアパートなど、ちょっとおどろおどろしい感じで、なかに住んでいる人はどんな気持ちかしら、といぶかっていた。日々不安定な気持ちでいたりしないかしらと。
先日、テレビを見ていたら、バルセロナにある、ガウディが建てた「カサ・ミラ」という賃貸アパートにテレビカメラが入り、住人にインタビューしているのが映った。
その住人は品のよさそうな老婦人で、とても住み心地がいいと言っていた。天井にガウディが描いた絵があったりして、芸術に囲まれていて、気持ちがよい、と。テレビが映し出す室内も、明るくて、なかなか感じがよかった。現在は世界遺産に登録されているそうだ。
外見は異様な感じでも、なかで暮らすぶんには案外いいのかもしれない。
(2014年6月25日)


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『マネーマントラ』(天野たかし)
つぶやくだけでグングン金運が上昇、ウホウホお金が儲かってしまうという魅惑の呪文「マネーマントラ」の本。成功する呪文の本。貧富の原因は口ぐせにあった。あなた向きのマントラをさぐる診断テスト付き。

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2/14・ジョージ・フェリスの観覧車

2013-02-14 | 建築
2月14日。自由結婚を主張した聖バレンタインが処刑された(269年)この日は、観覧車を発明した米国人技術者、ジョージ・フェリスの誕生日でもある。
ジョージ・フェリスが挑戦した課題は、
「エッフェル塔を超える」
という難題で、彼が出したその答えは、空高くそびえてまわる、巨大な観覧車だった。

ジョージ・ワシントン・ゲイル・フェリス・ジュニアは、1859年、米国イリノイ州ゲールズバーグで生まれた。父親は園芸家だった。
陸軍士官学校をへて、工科大学で土木工学を専攻したフェリス・ジュニアは、鉄道と橋の建設業界に進み、ペンシルベニア州ピッツバーグで、鉄道、橋梁用の素材の検査をする会社を興した。
折しも、コロンブスがアメリカに到達してから400周年を記念した、 コロンブス記念世界博覧会が、1893年にシカゴで開かれることになった。
博覧会を主催する委員会側は、4年前に開かれたパリ万博の象徴であったエッフェル塔をしのぐ何かを、このシカゴ万博の会場に建設することを望み、その案を募った。
それに応じたのが、フェリスだった。彼のアイディアは、機械仕掛けで動く巨大な観覧車を会場に設置して、客はこの観覧車に乗って、会場全体を俯瞰できるというものだった。
委員会側ははじめ、この案に対し、危険すぎると怖じ気づいたが、最終的にはフェリスの案を認可した。
フェリスは建設費を捻出するために投資家を募り、資金を集め、観覧車建設に着手した。
完成した観覧車は、36個の観覧ボックスをもち、それぞれのボックスが40席の回転椅子を備え、60人を収容できた。都合、観覧車はいちどに2,160人を乗せてまわるという巨大なものだった。
乗客は、50セントの切符を買い、約20分かけて2周する観覧車の旅を楽しみ、観覧車は毎日、3万8,000人の観客を乗せて営業をつづけ、主催者側にばく大な利益をもたらした。
万博が終わると、フェリスと投資家たちは、利益の分け前をよこさないと、主催者側を訴え、ただちに法廷闘争へと移った。
フェリスは、1896年11月、腸チフスのため、ピッツバーグにて没している。
観覧車のことを、英語ではフェリスの名から、Ferris Wheel (フェリスの輪)というらしい。
恋人たちが愛を誓う日、バレンタインデイと、恋人たちが愛を語らうデートスポット、観覧車とが、不思議な縁でつながっている。
(2013年2月14日)




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『2月生まれについて』(ぱぴろう)
ジョージ・フェリス、ロベルト・バッジョ、ジョン・フォード、マッケンロー、スティーブ・ジョブズ、ルドルフ・シュタイナー、志賀直哉、村上龍、桑田佳佑など、2月誕生の29人の人物評論。人気ブログの元となった、より長く、味わい深いオリジナル原稿版。2月生まれの必読書。


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12/15・エッフェル塔の美意識

2012-12-15 | 建築
12月15日は、フランスの建築業者エッフェルの誕生日(1832年)。フランスのパリにある、あのエッフェル塔を作ったエッフェル社の社長である。塔の実際の設計は、彼の会社の社員だったステファン・ソーヴェストルとモーリス・ケクランの二人が担ったらしい。
1889年のパリ万国博覧会にあわせて建てられたエッフェル塔は、高さが312メートルあり(アンテナを入れるとさらに高い)、米ニューヨークのクライスラービルにぬかれるまで、約40年間にわたって世界でもっとも高い建造物だった。

短編小説の名手モーパッサンは、エッフェル塔内にあるレストランからのながめがお気に入りで、
「ここからなら、エッフェル塔が見えないから」
といったらしいが、自分はエッフェル塔の形が大好きである。
エッフェル塔の姿には、フランスらしい、ある強い美意識が感じられる。
ポイントは、単純にたてに棒状になっていず、塔の足元が四つに割れている点だろう。
エッフェル塔は4本に別れた脚で支えられていて、塔の真下は、だだっぴろい広場になっている。
だから、塔にのぼるためには、4本の脚の部分にあるいずれかのエレベーターに乗って、斜めにのぼっていくことになる。
自分も一度のぼったことがあるけれど、あの斜めにのぼるエレベーターの感じは、おかしみのようなものが混じった、なんともいえない不思議な気分だった。
もちろん、東京タワーのように、真下からまっすぐ上へのぼる恰好のほうが、構造上安定するし、技術的にもかんたんなのだろうけれど、それをあえて、技術により困難なものにし、それに挑んだところがにくい。
アーチを作っているあの4本の脚が、ちょうど短足な感じでユーモラスで、そこがまたよいのである。
万博に間に合わせるため、尋常でない急ピッチの工事日程を要求されたにもかかわらず、エッフェル塔はひとりの死者もださずに完成されたという。

パリの退役軍人の父親と、石炭関係の会社をもっていた母親のあいだに生まれたエッフェルは、エッフェル塔のほかにも、ポルトガルのドウロ川にかかるマリア・ピア橋や、ハンガリーのブダペストの駅舎など、美しく、モダンなデザインの建造物を残している。
ニューヨークに送られた自由の女神像の設計にもかかわったらしい。
エッフェルは1923年、パリの自宅で亡くなっている。
ベートーヴェンの交響曲第五番「運命」を聴きながら息を引きとったそうだ。
享年91歳。鉄の時代の到来を告げる、モダニズムの寵児、そんな印象がある。
(2012年12月15日)



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『12月生まれについて』(ぱぴろう)
エッフェル、ゴダール、ディートリッヒ、ディズニー、ジェーン・フォンダ、ハイネ、伊藤静雄、尾崎紅葉、埴谷雄高など、12月誕生の31人の人物評論。人気ブログの元となった、より深く詳しいオリジナル原稿版。12月生まれの取扱説明書。


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