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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6月23日・チューリングの翻弄

2024-06-23 | 科学
6月23日は作家、リチャード・バックが生まれた日(1936年)だが英国の天才数学者、アラン・チューリングの誕生日でもある。

アラン・マシスン・チューリングは、1912年、英国はロンドンのメイダヴェールで生まれた。祖父はケンブリッジ大学出、父親がオックスフォード大出というインテリの家系で、アランの父親は英国植民地インドの官吏だった。
幼くしてすぐに文字が読めるようになったアランは、初等教育を受けるころから、校長がすぐに気づくほど優秀で、習っていない数学問題を自力で公式を発案して解いていた。彼、ケンブリッジ大学のキングス・カレッジへ進み、フェロー(特別研究員)となった。
米国のプリンストン大時代に留学し、「コンピュータの父」フォン・ノイマンと親交を結んだチューリングは、25歳で論文「計算可能数について」を書き、すべての論理的作業をおこなう理想上の機械(後のコンピュータ)を提案し、世界の数学界に衝撃を与えた。こんな機械があれば、数学者は膨大な単純計算やまわり道をしないで、純粋に数学の進歩に専念できる。いわば夢の機械だった。チューリングが英国ケンブリッジ大へ戻ると、そこへ第二次大戦が勃発した。
英国の対独宣戦布告に際し、27歳のチューリングは、召集され、ドイツの暗号解読チームに入った。当時敵国のドイツはエニグマという、解読不能と言われる暗号機を使っており、英国はこれを読み解こうと躍起になっていた。
自分のマグカップが盗まれないように鎖でつないでいたチューリングは、チーム内でも変人として際立っていたが、山のような試行錯誤の後、彼はついにエニグマの暗号解読に成功した。このときにチューリングが作った、1500個の真空管を用いた暗号解読機が、もっとも初期のコンピュータとされる。
英国はドイツ軍の裏をかけるようになり、ロンドンやリバプールに雨あられと爆弾が投下され、近海で英国船が次々と沈められていた戦況はがらりと変わった。
戦争は英国を含む連合国側の勝利に終わり、チューリングは戦勝国の英雄だったが、彼の功績は戦後も長らく国家機密とされた。なんとなれば、英国は解読成功を隠し、エニグマは解読不可能だとして、戦後、ドイツから没収したエニグマをアフリカやアジアの旧植民地に使わせ、ひそかに各国の国家機密を盗んでいたからである。
戦後、大学の研究室にもどり、まだ誰も知らないコンピュータのプログラムを書いていたチューリングは、40歳のとき、男色の罪で起訴された。英国では、第二次大戦後も男色は違法だった。チューリングは裁判で有罪を宣告され、投獄かホルモン治療かの二者択一を迫られた。彼は後者を選び、胸がふくらみ性的能力を失い、うつ状態に苦しんだ後、1954年6月、自殺した。青酸カリを入れたリンゴを食べた結果で、42歳だった。

機械が「人間的」かどうかを判定するためのテスト「チューリングテスト」は、もともとアラン・チューリングが38歳のときに提案したものである。

チューリングの生涯を描いた映画「イミテーション・ゲーム」を見た。なんとも言えない、重たい感慨が残る名画である。
人は時と空間の子であり、その人生は時と空間によって翻弄される。その冷徹な事実を、チューリングの悲劇的な生は再確認させる。
(2024年6月23日)


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