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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6月2日・サド侯爵の執拗

2024-06-02 | 文学
6月2日は、作家、小田実が生まれた日(1932年)だが、「サディスト」の語源、マルキ・ド・サド侯爵の誕生日でもある。

サド侯爵、マルキ・ド・サドは、1740年、仏国のパリで生まれた。「マルキ」は侯爵のことで、本名は、ドナスィヤン・アルフォーンス・フランスワ・ド・サド。彼の祖父の代に、伯爵からひとつ位が上がって侯爵になった貴族の家柄である。
サドは、修道院の僧侶たちによって教育を受けた後、軍隊に入り、フランス軍がオーストリア、ロシアなどと組んで、独英連合と戦った七年戦争に従軍した。
23歳で復員したサドは、結婚し、子どもをもうけ、南仏プロヴァンスにもっていた自分の城に劇場を作ったりしていたが、38歳のころ、もの乞いをする婦人をだまして連れこみ暴行を加え、娼婦の館で肛門性交にふけり、娼婦に毒入りの媚薬を飲ませようとした毒殺未遂の罪状により、投獄された。
以後、人生のほとんどを監獄か精神病院ですごし、そのなかで『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』などの背徳的な小説を書いた。
1789年のフランス革命は、パリ市民によるバスティーユ監獄の襲撃によって火ぶたが落とされたが、そのとき、バスティーユには49歳のサドが囚人としていて、牢獄の窓から彼が市民に蜂起を訴え、それで革命がはじまったのだとする説もある。
革命騒ぎにより、いったんは自由の身になったサドだったが、ナポレオン・ボナパルトが台頭すると、サドはふたたび捕らえられ、牢獄に連れもどされた。
ゲーテの『若きウェルテルの悩み』をいつも持ち歩いている文学好きだったナポレオンは、サドが書いた『美徳の不幸』『悪徳の栄え』にがまんがならず、これを書いたやつをぶちこめ、と命令したのだった。
投獄されたサドは、63歳のとき、精神病院に移され、1814年12月にそこで没した。74歳だった。

パゾリーニ監督が戦時下のイタリアに時代設定を移して映画化した『ソドム百二十日』は、支配階級の人間によって囚われ、集められた犠牲者が、残虐な性的虐待や拷問を延々と受け、殺されていく話である。
『美徳の不幸』は、淫蕩さを発揮して悪行を重ねる女が出世し、身持ちの堅い信心深い女がどんどん不幸になっていく話である。
いずれも、反キリスト教的、反社会的、性倒錯的で、現代ならともかく、18世紀の昔に、よくもここまで想像力の翼を伸ばしたもので、彼の著作は、発禁処分を受け、長らく読まれなかったが、20世紀になって、人間の隠れた欲望に光をあてた文学として再評価されだし、サドは死後二百年たって復活、名誉回復した。

以前、サドの短編をまとめていくつか読んだ。心がけのよい娘が悲惨な運命に翻弄される話が多かったけれど、話としてはよくまとまっていた。まず、ストーリーテラーとして堅実な作家である。背徳やわいせつ性より、作者が運命の皮肉を、これでもかというほど積み重ねて物語を編んでいく、その執拗な執念に打たれた。運命の女神を憎み、運命の女神の罪をあばき、糾弾した作家、それがサドである。
(2024年6月2日)



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世界の偉大な文学者たちの生涯と、その作品世界を紹介・探訪する文学評論。サド、ハイネ、ボードレール、ヴェルヌ、ワイルド、ランボー、コクトー、トールキン、ヴォネガット、スティーヴン・キングなどなど三一人の文豪たちの魅力的な生きざまを振り返りつつ、文学の本質、創作の秘密をさぐる。読書家、作家志望者待望の書。


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