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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6月27日・ヘレン・ケラーの打開

2024-06-27 | 歴史と人生
6月27日は、女性活動家、エマ・ゴールドマンが生まれた日(1869年)だが、ヘレン・ケラーの誕生日でもある。聞く、見る、話すができないという三重苦を乗り越えた人である。

ヘレン・アダムス・ケラーは、1880年6月27日、米国南部のアラバマ州タスカンビアで生まれた。ヘレンの父親は、スイスからやってきた移民の子孫で、地元の新聞を編集し、南軍の隊長を務めていた。
ヘレンは、2歳のとき、高熱にうなされ、聴力と視力を失った。その影響で、ことばを話すこともできなくなった。彼女の教育について、両親はお手上げの状態となり、ヘレンは粗暴でわがままな子どもになっていった。
両親は、電話の発明者として有名なアレクサンダー・グラハム・ベルに相談した。ベルは当時、聴覚障害児教育の研究家としても有名だったからである。ベルの紹介を受け、両親は北部のマサチューセッツ州に手紙を出し、家庭教師の派遣を要請した。その依頼を受け、はるばる南部のアラバマ州へやってきたのは、20歳になるアン・サリヴァンという女性家庭教師だった。アン・サリヴァンも5歳のときにトラホームにかかり、長いなあいだ目が見えなくなった経験をもっていた。その後、サリヴァンは目の手術を受けて回復したが、視力は弱く、サングラスで目を保護していた。
到着したサリヴァンははじめ、既存の手順でヘレンにことばを教えようとした。が、すぐにそれをやめ、ヘレンの興味が向く方向に沿って教えるやり方に変更した。ヘレンのてのひらに文字を書いて教えることで、半年間に575語を習得させることに成功した。
長いあいだことばを失っていたヘレンは、ふたたびしゃべられるようになり、勉強に励みだし、現在のハーヴァード大学を卒業した。さまざまな社会福祉活動にたずさわり、自伝を口述し、各地を講演してまわり、世界中の障害者の心に希望の火を灯した。サリヴァンはその間、ずっとケラーに付き添い、その活動を助けた。
ヘレン・ケラーは22歳のとき、自伝『わたしの生涯』を発表。彼女の名前は世界的に有名になり、各国から招待の手紙が舞い込んだ。日本からも、障害者支援の促進のために訪日してくれるよう要請があった。しかし、そのころ、サリヴァンは病床に伏していた。先生を心配して日本からの来日要請を無視していたケラーに、サリヴァンは日本へ行くようすすめる遺言を残した後、1936年10月、ニューヨークのフォレストヒルズで没した。70歳だった。その翌年、ヘレン・ケラーの来日が実現した。
船で初来日したケラーは、日本各地をまわり、昭和天皇にも拝謁し、希望して秋田犬二頭を贈られて帰国した。その後も、ケラーは世界各国をまわって障害者支援を訴え、福祉活動に尽力した。日本には、68歳のときに再来日し、日本にも福祉法人のヘレン・ケラー財団が関東と関西に設立されている。1968年6月、ヘレン・ケラーはコネチカット州イーストンの自宅で没した。87歳だった。

聴覚と視覚が閉ざされた身で、名門ハーヴァード大学に入学、卒業し、ヘレン・ケラーは人間の不屈の知性を示した。彼女に比べれば、たいていの人間の陥っている苦境などはたいしたことではない。彼女はそれ以前の人類史上に存在しなかった、まったく新しいタイプの英雄である。ヘレン・ケラーは言っている。
「人生は興奮に満ちている。もっとも興奮が高いのは、他人のために生きるときだ。(Life is an exciting business and most exciting when it is lived for others.)」
(2024年6月27日)



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