12月31日。大晦(おおつごもり)のこの日は、「故郷に帰りたい」を歌ったシンガー・ソング・ライター、ジョン・デンバーが生まれた日(1943年)だが、画家、アンリ・マティスの誕生日でもある。
アンリ・マティスは、1869年、仏国の北部、ベルギーとの国境に近いル・カトー=カンブレジで生まれた。父親は裕福な穀物商人で、アンリは長男だった。
彼は最初、法律家を志していたが、20歳のとき、病気で療養しているときに絵画に興味をもちだし、急に絵画志望へと転向した。
ギュスターヴ・モローの教えを受け、ジョルジュ・ルオーと交友関係を結んだマティスは、写実的な作風から、しだいにゴッホやゴーギャンの影響を受けた、感覚的に色彩を大胆に使った作風へと変化していった。
30代半ばには、強い色彩をはげしいタッチで自由に描き、ドランたちとともに「フォーヴィスム(野獣派)」運動の中心的存在とみなされるようになった。
ピカソやブラックのキュビズムが理知的に画面を構成していくところ、マティスらのフォーヴィスムは感覚を重視し、明るい色調でのびのびとした画面を作った。
その後、マティスは、しだいに色彩と線を単純化していき、画面を構成する要素はどんどんすくなくなっていき、ついに、人物のシルエットが画面のなかで躍動しているだけという、切り絵のような作風を作り上げた。
晩年は実際に、油彩をやめ、紙を切り抜いて張り付けた切り絵の作品を作った。
「色彩の魔術師」と呼ばれたマティスは1954年11月、心臓発作のためニースで没した。84歳だった。
マティスの絵は、たいていの場合、とても大きな絵で、遠くからでもひと目でマティスとわかる。見ようとせずとも視界に入ってくる。こちらの意識に強引に割り込んでくる、強烈な個性の画家である。
マティスの芸術は、ゴーギャンの進んだ方向をさらに進み、煮詰め、余分なものをそぎ落としていったものである。
人物の顔のど真ん中に緑色を塗り付け、たくさんの種類の色を塗りたくった初期の作風から、どんどん色数を減らしていき、しまいには、背景に一色か二色、人物に一色か二色程度の色数のすくない画風にいたった。
小学生のころ、まだマティスを知らなかったが、初期のマティスに似た水彩画をよく描いていた。白い壁の家を、いろいろな色で塗りたくって表現して、なぜそういう色彩を使うのかわからないまま、ただ、そうしたかったのでそう塗ったのだけれど、美術の教師はそういう色の使用をなぜか褒めてくれた。
それから何十年もたって、最近は、リキテンスタインなどの色数のすくない絵が好きで、そうしてみると、縁がなかったと思われていたマティスの進み方と、なんだか歩調が合ってきた気がしてくる。
マティスの色彩のような、旗幟鮮明な生き方をしたいものだ。よいお年を。
(2021年12月31日)
●おすすめの電子書籍!
『芸術家たちの生涯──美の在り方、創り方』(ぱぴろう)
古今東西の大芸術家、三一人の人生を検証する芸術家人物評伝。会田誠、ウォーホル、ダリ、志功、シャガール、ピカソ、松園、ゴッホ、モネ、レンブラント、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチまで。彼らの創造の秘密に迫る「読む美術」。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp
アンリ・マティスは、1869年、仏国の北部、ベルギーとの国境に近いル・カトー=カンブレジで生まれた。父親は裕福な穀物商人で、アンリは長男だった。
彼は最初、法律家を志していたが、20歳のとき、病気で療養しているときに絵画に興味をもちだし、急に絵画志望へと転向した。
ギュスターヴ・モローの教えを受け、ジョルジュ・ルオーと交友関係を結んだマティスは、写実的な作風から、しだいにゴッホやゴーギャンの影響を受けた、感覚的に色彩を大胆に使った作風へと変化していった。
30代半ばには、強い色彩をはげしいタッチで自由に描き、ドランたちとともに「フォーヴィスム(野獣派)」運動の中心的存在とみなされるようになった。
ピカソやブラックのキュビズムが理知的に画面を構成していくところ、マティスらのフォーヴィスムは感覚を重視し、明るい色調でのびのびとした画面を作った。
その後、マティスは、しだいに色彩と線を単純化していき、画面を構成する要素はどんどんすくなくなっていき、ついに、人物のシルエットが画面のなかで躍動しているだけという、切り絵のような作風を作り上げた。
晩年は実際に、油彩をやめ、紙を切り抜いて張り付けた切り絵の作品を作った。
「色彩の魔術師」と呼ばれたマティスは1954年11月、心臓発作のためニースで没した。84歳だった。
マティスの絵は、たいていの場合、とても大きな絵で、遠くからでもひと目でマティスとわかる。見ようとせずとも視界に入ってくる。こちらの意識に強引に割り込んでくる、強烈な個性の画家である。
マティスの芸術は、ゴーギャンの進んだ方向をさらに進み、煮詰め、余分なものをそぎ落としていったものである。
人物の顔のど真ん中に緑色を塗り付け、たくさんの種類の色を塗りたくった初期の作風から、どんどん色数を減らしていき、しまいには、背景に一色か二色、人物に一色か二色程度の色数のすくない画風にいたった。
小学生のころ、まだマティスを知らなかったが、初期のマティスに似た水彩画をよく描いていた。白い壁の家を、いろいろな色で塗りたくって表現して、なぜそういう色彩を使うのかわからないまま、ただ、そうしたかったのでそう塗ったのだけれど、美術の教師はそういう色の使用をなぜか褒めてくれた。
それから何十年もたって、最近は、リキテンスタインなどの色数のすくない絵が好きで、そうしてみると、縁がなかったと思われていたマティスの進み方と、なんだか歩調が合ってきた気がしてくる。
マティスの色彩のような、旗幟鮮明な生き方をしたいものだ。よいお年を。
(2021年12月31日)
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