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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月30日・ガウスのラブレター

2015-04-30 | 科学
魔女が集まるヴァルプルギスの夜の4月30日は、独国の数学者ガウスの誕生日でもある。

ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウスは、1777年、現在の独国のブラウンシュヴァイクで生まれた。父親は、煉瓦職人だった。貧しい家庭で、母親は読み書きができず、ガウスが生まれた日付けについても、記録はしていず、ただ、キリストの昇天祭より8日前の水曜日に生まれた、と記憶されていて、後でその日付を計算したものだという。
数学の授業を一時間自習にするつもりで出された「1から100までの整数の足し算」をたちどころに片づけてのけたのはガウスが9歳だったとき。学校の先生方は、自分たちに教えられることはもうないと、さじを投げた。これだけ図抜けた神童になると、まわりが放っておかず、校長や貴族に支援者が現れ、ガウスは周囲の援助を受けて大学に通った。
18歳のとき、正一七角形が作図できることを発見。それから、
「正七角形がコンパスと定規では作図不可能である」という証明、
「すべての代数方程式は少なくとも1つの根をもつ」(代数学の基本定理)という証明、
そのほか、数論、解析学、天文学、電磁気学の分野で数多くの発見、発明があった。
当時は、現代のような研究者としての数学者の職がなかったため、ガウスは貴族の援助で生活していたが、30歳のころ、ゲッティンゲンの天文台長に就いた。
1855年2月、ゲッティンゲンで没した。76歳だった。

ガウスの時代には、学会誌や専門誌がなく、学説を発表するためには、自分で論文を本にして印刷せねばならなかった。お金と手間と、発表後の批判や論争をおもんぱかり、ガウスは自分の研究のかなりの部分を発表しないまま亡くなった。彼の研究の多くが日の目を見たのは、20世紀に入ってからだという。

ガウスが27歳のとき、後に妻となる女性ヨハンナに、こんなラブレターを書いている。
「あなたは私の幸福のために、犠牲を払うことはありません。あなた自身の幸福のみがあなたの決定の道しるべです。いとしい人よ、あなたを所有することのみが私を幸福にする、それほど強く私は、あなたを愛しております。ただそれは、あなたが私に同意してくださるという条件づきですが。いとしい人よ、私はあなたに心のうちを打ち明けました。情熱をもって、しかし気がかりを秘めてあなたの決心をお待ちしています。心のありたけをこめて」(ダニングトン著、銀林浩、小島穀男、田中勇訳『ガウスの生涯』東京図書)
二人は婚約し、結婚した。新郎は28歳、新婦は25歳だった。
しかし、彼らの結婚生活は長くは続かなかった。その後、ヨハンナは三人目の子どもを産んだ際に容態が悪くなり、29歳の若さでこの世を去った。
ガウスが没して半世紀以上たった後になって、32歳のガウスが亡き妻にあてて書いた追悼文が発見された。こんな文章である。
「いとしいものよ、私の涙がみえますか。私が君を私のものとよんでいた間中、君は私の苦しみのほかに何の苦しみも知らず、私が幸せでありさえすれば君自身の幸せのためには何一つ必要としなかった! 祝福された日々よ! あわれにも愚かな私は、そんな幸せを永遠のものと思い、君は、おお一度は肉体をそなえた人間の姿であったが、いまや再び姿を変えて天使となってしまった」(同前)
日付はヨハンナが亡くなった2週間後で、紙に涙の跡があったという。
(2015年4月30日)



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