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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月2日・ノヴァーリスの背

2021-05-02 | 文学
5月2日は、英国のサッカー選手デイヴィッド・ベッカムの誕生日(1975年)だが、ドイツ・ロマン派の作家ノヴァーリスの誕生日でもある。

ノヴァーリスは、本名をゲオルク・フィリップ・フリードリヒ・フォン・ハルデンベルクといい、1772年に、現在のドイツのザクセン=アンハルト州で生まれた。
当時そこはマンスフェルト伯領で、「フォン」の文字があるところからも察せられるように、貴族の家系の生まれだった。父親が再婚した、同じく貴族出身の母親とのあいだにもうけられた11人きょうだいのうちの、ゲオルクは2番目の子どもで、上に姉がいた。
彼は小さいころに赤痢と胃病にかかり、その重篤な症状の病気体験が彼の通常とは異なる、鋭い感性の萌芽となったと言われる。
十代半ばから詩作を試み、ホメロスなどギリシャ古典の翻訳を試みた彼は、イェーナ大学、ライプツィヒ大学、ヴィッテンベルク大学で法学を学んだ。この学生だった時期に彼はフリードリッヒ・シラーの歴史の講義を聴き、フリードリヒ・シュレーゲルと親交を結んだ。
彼はシラーに文学で身を立てたいと相談したが、文学で生活していくのは容易でなく、実業的な職につくようシラーに諭され、法学の国家試験を受け、役所に勤務して実務経験を積みだした。
そんなハルデンベルクは22歳のころ、ゾフィー・フォン・キューンという12歳の少女に出あい、恋に落ちた。ほとんどひと目ぼれで、詩人のヘルダーリンに会ったのもこのころである。
ゾフィーは肺結核と肝臓疾患があり、彼女の両親は娘の婚約に乗り気でなかったが、ハルデンベルクはひるまず、彼女が13歳になったとき、2人は婚約した。
ゾフィーの病気は回復せず、15歳の誕生日を迎えるとすぐに亡くなった。婚約者の喪失体験は、25歳だったハルデンベルクを、より神秘主義的な傾向へと誘った。
その後、彼はヴァイセンフェルス製塩所の補佐役となった。
26歳になる年に、彼はシュレーゲルが発行する文芸誌に文章を寄稿し、そのとき自身の古い家系の名「ノヴァーリス」をペンネームとした。
仕事のかたわら執筆を開始した彼は、4歳年下の大学教授令嬢と婚約し、28歳のときにはテューリンゲン郡の地区管理長に任命されたが、結核が悪化し、実際には管理長の職務につく以前の1801年3月に没した。28歳だった。

彼は本名での仕事より、「ノヴァーリス」というペンネームで書いた詩や散文で知られる。とくに有名なのは、詩『夜の賛歌』、そして小説『青い花(原題、ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン)』である。
『青い花』の主人公、詩人のハインリヒ・フォン・オフターディンゲンは、森の奥の泉で青い花を見る夢を見、旅に出て不思議な人々と出会い、不思議な話を聞くなかで成長していく。この幻想的な伝奇小説は、ゲーテの教養小説『ヴィルヘルム・マイスター』を賞賛はするものの、その現実主義に反発を覚え、これに対抗すべく、詩的芸術を前面に押し出した教養小説を打ち立てようとしたもので、作者の夭逝によって未完に終わった。
ロマン主義文学の妖花である。
大ゲーテに無名の若者が闘いを挑み、立ち上がった、その背筋が凛々しい。
(2021年5月2日)



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