1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月4日・フォスターの苦闘

2024-07-04 | 音楽
7月4日は、アメリカ合衆国の独立記念日(Independence Day)。この日は、イタリア統一の英雄、ガリバルディが生まれた日(1807年)だが、作曲家、フォスターの誕生日でもある。

スティーブン・コリンズ・フォスターは、1826年、米国ペンシルベニア州のルイスヴィルで生まれた。アイルランド系の一家で、彼は10人きょうだいの末っ子だった。父親は州議会議員や市長なども務めたことのある、ピッツバーグの裕福な商人で、母親はデラウェア州の上流階級出身だった。教養レベルが高く、音楽趣味のある家庭で育ったフォスターは、小さいころから横笛、ギター、クラリネットを独習して演奏し、15歳のときの学校の卒業式では、自作の円舞曲をフルートで演奏した。
モーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバーらの楽譜を研究したというフォスターは、独学で作曲を学び、つぎつぎと歌曲を書き、18歳のとき、最初の歌曲を出版した。
その後、オハイオ州シンシナティで、兄の蒸気船海運会社で簿記係をしながら作曲をつづけ、コンサートを開いた。
24歳で、幼なじみのジェーン・マクダウェルと結婚。「金髪のジェニー」は彼女のことである。28歳のとき、家族を連れてニューヨークに引っ越し、作曲家として身を立てようと志すが、当時は著作権の整備が不充分で、フォスターの楽譜は飛ぶように売れ大ベストセラーとなったのに、作曲者の彼にはほとんどお金が入ってこなかった。
30歳のころ、両親と兄がつづけて没し、フォスターの生活は急に傾いた。曲を書いても書いても生活はいっこうに上向かず、困窮する生活のなか、妻子は出ていき、彼の酒量はしだいに増えていった。
南北戦争の最中だった1864年1月、ニューヨーク市マンハッタンのバワリーのホテルで、フォスターは数日間熱にうなされて寝ていた。そして起き出し、ベッドわきの洗面台に頭をぶつけて転倒。大量出血して倒れているところを発見され、病院にかつぎこまれたが、3日後に没した。37歳だった。作品に「おおスザンナ」「草競馬」「ネリー・ブライ」「スワニー河(故郷の人々)」「主人は冷たい土の中に」「ケンタッキーの我が家」「オールド・ブラック・ジョー」などがある。

フォスターの「主人は冷たい土の中に」を音楽の教科書ではじめて見たときには、すごいタイトルだと驚いた。同時に、なんという美しい曲だと感服した。
フォスターの歌曲には、古き良き時代の米国の匂い、白人と黒人がいる古い田舎街の味わいがしみている。彼の曲を口ずさむと、心にアメリカの大地が浮かんでくる。

小学校のころからフォスターの歌が大好きだった。すべて好きだけれど、とくに「金髪のジェニー」には陶然とする(原題は「Jeanie with the light brown hair(明るい茶色髪のジェニー)」)。この曲は、坂本龍一が沖縄風にしてカバーしている。
「金髪のジェニー」は結婚して4年後に書かれた歌だが、歌詞は、別れたジェニーへの追想という内容である。フォスターの妻は、芸術家肌の夫に愛想が尽きたのか、あるいは生活苦に見切りをつけたか、娘を連れて実家へ帰り、この曲を書いた当時すでに別居状態だったらしい。

フォスターは苦闘の生涯を送り、若死にしたが、その作品は永遠の生命をもって輝きつづけている。フォスターの人生を祝福したい。
(2024年7月4日)



●おすすめの電子書籍!

『大音楽家たちの生涯』(原鏡介)
古今東西の大音楽家たちの生涯、作品を検証する人物評伝。彼らがどんな生を送り、いかにして作品を創造したかに迫る。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパンから、シェーンベルク、カラヤン、ジョン・ケージ、小澤征爾、中村紘子まで。音の美的感覚を広げるクラシック音楽史。


●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする