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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月2日・ジュリアーノ・ジェンマの白

2020-09-02 | 映画
9月2日は、テニスプレイヤー、ジミー・コナーズが生まれた日(1952年)だが、イタリアの映画俳優、ジュリアーノ・ジェンマの誕生日でもある。

マカロニ・ウェスタンのスター俳優、ジュリアーノ・ジェンマは、1938年、イタリアのローマで生まれた。戦時中のあるとき、幼いジュリアーノ少年は公園の草原で遊んでいて、近くに爆弾が落ち、炸裂した。そのとき負った傷の跡は彼の顔に生涯消えずに残った。スクリ-ンにアップに映しだされた彼の笑みがかすかにゆがみ、ひきつって見えるのはその傷のせいである。
運動能力にすぐれていたジュリアーノ・ジェンマは、12歳で体操をはじめ、15歳でボクシングを覚えた。映画も好きで、バート・ランカスターが大好きだったジェンマは、18歳のころから映画スタジオに出入りしだし、その運動能力と経歴から、はじめはスタントマンとして映画に出演した。
21歳の歳に制作された巨匠ウィリアム・ワイラー監督の名作「ベン・ハー」に端役として出演したが、彼の名はクレジットされていない。
25歳のときには名匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の名作「山猫」に出演した。主演がバート・ランカスターで、憧れのスターと共演を果たしたことになるが、この映画でジェンマが演技したシーンは編集段階でほとんどカットされてしまった。
そして27歳のとき、マカロニ・ウェスタンの「夕陽の用心棒」に、モンゴメリー・ウッドという芸名で初主演。この映画のヒットによって、彼の存在は一躍世界に知られることとなった。以後は、本名のジュリアーノ・ジェンマとして映画俳優を続けた。
そうして「荒野の1ドル銀貨」「続・荒野の1ドル銀貨」「星空の用心棒」「怒りの荒野」などの傑作に主演し、世界的な映画スターとなった。
その甘いマスクと人なつっこい笑顔、すらりとした長身、若い無垢な印象、そして元体操選手らしい躍動で人気を集めた。
とくに日本での人気は素晴らしく、スマートな彼の魅力にあやかろうと、彼の名をブランド名にした服のシリーズがデパートに並び、写真集が発売され、また彼と契約したバイクメーカーのスズキから彼の名を冠したスクーター「ジェンマ」が発売されると、彼はそのテレビコマーシャルにも出演した。
若いころのアクロバティックな身のこなしがむずかしい年齢になった後も、彼はイタリアのテレビシリーズに出演しつづけ、役者稼業のかたわら、彫刻家としても活躍した。
2013年10月、ローマ近郊の道路でクルマを運転中、対向車と正面衝突し、救急車で運ばれた先の病院で没した。75歳だった。

マカロニ・ウェスタン映画のなか、ジェンマが演じる主人公は、いつも極悪非道な悪者にいじめられる。さんざん痛めつけられ、耐えに耐えるのだけれど、最後のほうでついに堪忍袋の緒が切れて立ち上がり、多勢に無勢で圧倒的に不利な状況のなか、知恵と工夫と持ち前の運動能力でみごと悪者を退治して西部の町に平和をもたらす、という東映の任侠映画のような筋運びがもっぱらだった。だから、日本人にもわかりやすかった。
そして、真っ白ないい者と、真っ黒な悪者が対決して、最後にはいい者が勝つ、というわかりやすい筋立てを好む日本人の好みに合った部分もあったろう。
ジュリアーノ・ジェンマは、善と悪がはっきりしていた時代のシンボル的存在だった。
(2020年9月2日)



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