1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月7日・リンゴ・スターの快気

2024-07-07 | 音楽
7月7日は七夕。この日は、元ザ・ビートルズのリンゴ・スターの誕生日もある。

リンゴ・スターこと、本名はリチャード・スターキーは、1940年、英国イングランドの港町リヴァプールで生まれた。両親はお菓子の製造をしていたが、リチャードが4歳になる年に離婚した。母親は家政婦やバーテンをやって息子を養った。
リチャードは6歳のとき、虫垂炎から腹膜炎を起こし、3日間昏睡状態となり約1年間入院していた。13歳のころには結核にかかり、サナトリウムで2年間をすごした。学校に行かない彼は読み書きや計算が苦手で、サナトリウムでは病院のバンドに入り、ドラムを叩くようになった。
結核がよくなり、サナトリウムを出たリチャードは、工場で働きながら、夜はバンドマンとしてドラムを叩いた。いくつかのバンドをへて、彼は22歳でザ・ビートルズのメンバーとなった。前任者のピート・ベストと交代する形での加入だった。ここに、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、そしてリンゴ・スターの4人がそろい、彼らはザ・ビートルズとしてデビューした。
「リンゴ・スター」という名前は、以前からいつも彼が両手いっぱいに指輪をはめていて「リングス(Rings)」と呼ばれていたところからきている。
1962年にレコードデビューを飾ったビートルズは、英国の、そして世界のアイドルとなり、音楽産業そのものを変え、若者文化に多大な影響を与える巨大な存在となった。
全員がコーラスに参加するビートルズで、リンゴはドラムを叩きながら「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」など数曲でリードボーカルをとり、自分でも「ドント・パス・ミーバイ」「オクトパス・ガーデン」の楽曲を作った。
リンゴは24歳のとき、モーリン・コックスと結婚した。二人のあいだに生まれた3人のうちの長男が後にドラマーになったザック・スターキーである。
1970年、ビートルズが解散した。30歳のリンゴはソロ活動をはじめ「アイム・ザ・グレーテスト」「想い出のフォトグラフ」「ユア・シックスティーン」など、解散直後は元ビートルズのメンバーのなかでもっとも多くヒット曲を放って活躍した。
しかし、当時、プライベートでは生活が荒れ、彼は不倫を繰り返し、アルコールびたりだった。そんなとき、元同僚のジョージ・ハリスンが、彼の妻モーリンを口説いて関係を結び、2人がベッドにいるところを、ジョージの妻パティが目撃するという事件が起きた。これをジョン・レノンは怒り「事実上の親近相姦だ(virtual incest)」と非難した。
双方が不倫し、夫婦はばらばらだった。モーリンはそれでも離婚を望んではいなかったが、リンゴが女性モデルとの不倫に入れ込み、結局2人は、リンゴが35歳のときに離婚した。モーリンは自暴自棄になり、バイクに乗ってレンガ塀に突っ込み自殺をはかったが、一命はとりとめた。リンゴは41歳の年に、映画で共演したボンド・ガール女優のバーバラ・バックと再婚した。その後、彼はさまざまなセッションでドラムを叩き、映画俳優としても活躍している。

1996年、リンゴ・スターは宝酒造のジュース「すりおろしりんご」のCMに出演して言った。
「リンゴすったぁー」

ビートルズがはじめて米国へ着いたとき、空港での記者会見で、ベートーヴェンについて感想を聞かれ、リンゴはこう答えた。
「大好きだよ。とくに歌詞がね」
(2024年7月7日)



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