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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月17日・丹波哲郎の大

2024-07-17 | 映画
7月17日は、推理作家、ガードナーが生まれた日(1889年)だが、映画俳優の丹波哲郎(たんばてつろう)の誕生日でもある。007シリーズの映画「007は二度死ぬ」に出演した、日本を代表する映画スターである。

丹波哲郎は1922年、東京で生まれた。本名は丹波正三郎(しょうざぶろう)。先祖が平安期の医学者までさかのぼれるという名門の出で、祖父は薬学者、父親は日本画家だった。
哲郎の学業成績は、家族の期待に応えるほどにはかんばしくなく、仙台の二高など名門校を受験して落ちたため、彼は親戚が総長をしている私立大学に無試験で入れてもらったという。哲郎は学生で召集され、国内の陸軍部隊に配属され航空整備にあたった。
23歳のとき敗戦。戦後は大学に復学し、GHQ通訳のアルバイトをした。
大学卒業後、俳優を志し、劇団所属をへて、映画会社・新東宝に入社。
30歳のとき、セミドキュメンタリー映画「殺人容疑者」でデビュー。
以後、「豚と軍艦」「丹下左膳」「暗殺」「砂の器」「二百三高地」などに出演し、45歳のとき「007は二度死ぬ」に出演、国際的映画俳優となった。出演映画300本以上。テレビでも「トップ屋」「三匹の侍」「キイハンター」「鬼平犯科帳」「Gメンシリーズ」などに出演。晩年は心霊研究に熱中し、著書『丹波哲郎の大霊界』はベストセラーとなった。2006年9月、肺炎のため東京都内の入院先で没した。84歳だった。

その昔、日本の俳優で誰が英語が堪能かという話を聞いた。早見優とか、向こうで育った人は別なのだろうけれど、そのとき聞いた話では、かなり話せる黒柳徹子レベルでもまだ関脇くらいで、いちばん上位にくる横綱は丹波哲郎だということだった。
丹波は10作品ほどの外国語映画に出ている。試しに「007は二度死ぬ」を見てみると、丹波の英語は口のなかでもごもご言っていて、とても聞き取りにくい。中米圏の人がしゃべる英語に近いと感じた。思えば、丹波の場合、日本語でさえ聞き取りにくいので、まあ、英語で話して急に聞き取りやすくなるはずもない話ではあった。
「007は二度死ぬ」に出演するにあたり、丹波は英国ロンドンに数週間留学して英語の特訓を受けたという。だから彼の英語はクイーンズ・イングリッシュなので、それで米国英語に慣れている耳には聞き取りづらい部分もあるのかもしれない。(丹波の声が主役の声より低いので、彼のせりふ部分は吹き替えられたとも聞いた。制作側は、甲高い東洋人の声を望んでいたのである)

生前、丹波哲郎は明石家さんまのトーク番組に出演したことがあって、そこでこんなエピソードが披露された。
あるとき、撮影スタジオに、丹波はだいぶ遅刻して現れた。手を振り、大声で、
「グッド・モーニング」
スタッフはあ然とした顔で迎えた。遅刻してきても大物には誰も文句を言わない。それから丹波は1時間以上もスタジオ内をうろついた後、大きな声で言った。
「ああ、スタジオをまちがえていた」
で、本来の仕事場であるべつのスタジオへ向かった、と、こういう話だった。
大物は細かいことを気にしない。日本からもこれから世界的な俳優がどんどん出てくるだろうけれど、丹波哲郎ほどの大物はもう現れるまい。
(2024年7月17日)



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