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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月5日・ポール・スミスの功名

2024-07-05 | ビジネス
7月5日は、仏国の詩人、ジャン・コクトーが生まれた日(1889年)だが、英国のファッションデザイナー、ポール・スミスの誕生日でもある。

ポール・スミスは、1946年、英国イングランドのノッティンガムで生まれた。
少年時代からプロの自転車乗りになるのが夢だったポールは、15歳で学校をやめ、ノッティンガムの服屋で働きながら自転車レーサーを目指した。しかし、17歳のとき、自転車事故で大けがをし、半年近くを病院ですごすはめになった。このころに、友人と話していて、ファッション業界への興味を覚えた。回復した後も彼は自転車の夢を忘れなかったが、服飾の学校へ通いだし、ついには洋服仕立て屋に勤めるようになった。
24歳のとき、独立し、ノッティンガムに自分の服屋を構えた。3メートル四方の小さな店で、他のデザイナーによるブランド服を売り、並行して自分がデザインした服も売った。
そして、30歳のとき、仏パリではじめての紳士服コレクションのショーを開き、カジュアルとセミフォーマルのデザイナーとして本格的に売り出した。
以後、ポール・スミス・ブランドは成長し、33歳のときには、本国ロンドンに旗艦店を構えるにいたった。そして、38歳で日本にも本格的に進出し、東京南青山に出店。
英国紳士服の伝統を受け継ぎつつも、上流くささや堅苦しさがなく、裏地のデザインに凝る江戸趣味的な遊び心をもち、フォーマルな席でも着られ、かつTシャツにも合わせられる、クラシックかつカジュアルなスーツは、日本人男性の心をつかんだ。日本での成功が、ポール・スミスの世界的成功を導いたとも言われる。彼は言う。
「The Japanese are hard to understand, but once you do the world is your oyster.(日本人はわかりづらいが、わかれば、世界は思うがままだ)」(Men's Precious: https://precious.jp/)
そして、41歳のとき、米ニューヨークの五番街に出店し、当時のニューヨークの若いエリート層の絶大な人気を得、それから女性服にも進出した。
48歳でCBE(大英帝国勲章)を受け、54歳のとき、ナイトの称号を受けた。これにより、彼は「サー・ポール・スミス」と呼ばれるようになった。
4坪足らずの店からスタートしたポール・スミスは、いまや男性用と女性用の洋服、財布、バッグ、腕時計などを世界規模で売る大企業となっている。

マルチカラー・ストライプのポール・スミス。
ひねりの効いたクラシックのポール・スミス。
デヴィッド・ボウイ、トニー・ブレア英国首相、ダイアナ妃も愛用したポール・スミス。
その成功は、卓越した時代感覚と美的センスと商才のたまものだろうが、その発端が、自転車運転中の大けがだというから、人生はおもしろい。まさに、けがの功名である。
ただし、ただのビジネス成功者でなく、仕事と人生とを混同しない、実のある人で、彼はこう語っている。
「Many people live their lives like a business plan; everything is calculated...that's insane.(多くの人々が事業計画みたいに人生を生きている。すべてがそろばん勘定で計られて……正気の沙汰じゃないね)」(DENHAM: https://www.denhamjapan.jp/)
(2024年7月5日)



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