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読書 その二十二 フロク・2

2011年01月25日 13時29分12秒 | 読書 (国吉康雄、回顧展カタログの翻訳)
クニヨシが、ケニス・ミラーによって紹介されたドーミエは、なにしろ4000枚近くの
リソグラフ(石版)と1000枚前後の木版、800枚以上の水彩画と素描画に300枚程の
油彩画でなんと500万枚の原画に加えて彫刻作品まで制作しています。
どのドーミエのドローイングをクニヨシが見たかは知るよしもありませんが、当時のパリの
雰囲気を感じるドーミエの作品は、どんな影響をクニヨシに与えたのでしょうか?


J'SUIS D'GARDE A LA MERRIE, (On guard at the town hall) 1822.
One of the first known lithographs made by Daumier when he was only 14 years old.
この作品は1822年、ドーミエが14歳のときに制作されたとても珍しいものです。 多分
当時の一流作家の本歌取りや編集者の助言もあったでしょうが14歳にしては大変よく出来ていて、兵士の制服や帽子の違いとそれぞれの表情と注意深く観察しているのが見えます。



GARGANTUA, La Caricature, 1831.
The publication of this daring image of the Citizen King as Rabelaisian giant gained
instant notoriety for the young artist.
1831年の作品、23歳の若いドーミエは、この作品で一躍パリに名を知られる訳ですが、
六ヶ月もくさい飯を食わされたうえ罰金まで取られたそうです。 今日の、フリーダム・オブ・スピーチ(言論の自由)から程遠い時代でした。 当時の石版は、1000枚から3500枚を刷っていたそうですが、これは没収、出版禁止になったため現存しているオリジナルは稀だそうです。



L'AMATEUR D'HUITRES, The Oyster Connoisseur. CHARIVARI, 1836.
This is a delicious commentary on the gourmet pretensions of the middle class.
1836年の作品、ドーミエが観相学にこっていた頃のもので食通が美味しそうに沢山のカキを
食べている表情は絶妙で、ついカキを食べたくなってしまいます。 すばらしいドローイングですが、残念なことに使われている紙が薄いので裏に印刷されたものまで見えています。



L'ODORAT, Smell, from the Five Senses. CHARIVARI, 1839.
An old bachelor in his cotton nightcap is seen in the early morning light, savoring a
very small blossom in somewhat disheveled windowsill.
この作品は1839年、ドーミエが31歳のときに制作されたものです。 寝起き姿の一人暮らし
らしき老人が朝日の中でベランダに咲いたハーブの香りを楽しんでいるパリの朝の風景でしょうか? 風刺画の巨匠と言われたドーミエとは別の一面、優しい繊細さを感じさせられます。



"Nadar elevating photography to the height of art", LE BOULEVARD, 1862.
In 1858 Felix Tournachon, better known as Nadar, made a celebrated ascent in a balloon
over Paris. His extraordinary aerial photographs of the city marked a new chapter in
history of art.
この作品は1862年、ドーミエが54歳のときに制作されたものです。 「ナダールが、写真を
芸術の域まで高めた」のキャプションのある、1858年に気球に乗って初めてパリの街を空中から写したナダールを、4年後にまるですぐ横で見たかのように描かれていす。
帽子が風に飛ばされた瞬間、気にもしないで撮影しているナダール、パリの空で繰り広げられたドラマを大変上手く表現していると思います。



19世紀初頭、磨かれた石灰岩(Limestone)の表面にクレヨンで描くことで始まったリソグラフですが、ドーミエの頃の石版印刷は色々改良が加えられ当時の先端技術でした。 最盛期のパリでは500軒、約5000人の人が働いていたそうです。 テクノロジーの発展と新しいジャーナリズムの進歩、そしてそれを支えられる中産層の増加によって新しいタイプの表現方法、風刺画やコミックの大衆化のみならず、その当時の政治・文化に革命的影響を与えたのでした。



"Crispin and Scapin", Oil. 1858-1860 (60.5 x 82 cm) Muse d' Orsay, Paris.

ドーミエは、ドローイングよりペインティングや彫刻により興味を示していました。
上:クリスパンとスカパン、油絵。モリエールの喜劇「スカパンの悪だくみ」より
下:ドーミエの自画像 、 油絵。


"Self-Portrait", 1869. Oil.



左は、晩年のドーミエの写真ですが、撮影者はナダールです。
右は、ナダールの写真ですが、撮影者は不明です、本人かも知れません。
Left: オノレ・ドーミエ; Honoré Daumier, (Feb.26, 1808 Marseille ~ Feb.10, 1879) Right: ナダール;Nadar=Felix Tournachon, (April 6, 1820 ~ March 21, 1910)


フロクのヨロク:
ここで話は少し横道へそれますが、ナダールことフェリックス・トールナシオンについて少し:
雑誌の漫画家から写真家になった発明家でもあります。 1858年当時ナダールが初めて気球に乗った人ではありませんが、少し小型化されたコロジオン写真機を持ち込んで初の航空写真を気球から撮影したり、初めて電球の光を写真の撮影に使いパリの下水道を写しました。
1886年には初めてのフォト・インタビューを考案しています。



彼のスタジオは、当時のパリのインテリ層の待合場所として人気があり、後の印象派の画家達、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ピサロ、モネ、シスラー達の最初の展覧会、第一回印象派展の場所には彼のギャラリーを提供しました。

 

皮肉な事にドーミエが活躍した分野は、後にイラストや挿絵に限られていき新聞雑誌には写真が広く使われて行くことになるのです。 当時色々な写真を撮りまくっていたナダールですが、
その中でも興味深いものを幾つか紹介します。


La Bris and his flying machine Albatros II. 1868.
ジャン・マリー・ルブリと彼の飛行機械アルバトロスII。


"Pierrot Laughing" 1855. 27.3x19.8cm, Great Mime Baptiste Deburau.
The Horace W. Goldsmith Foundation. Gift through Joyce and Robert Menschel.


ナダールの息子と池田使節団の一行、谷津勘四郎(小人目付)左と斉藤次郎太郎(徒目付)右。
1864年の撮影であろう、ナダールの息子が同じ様に剣を腰から下げて気取っているところが可愛い。
武士もキセルを取り出していてリラックスしているようだ。


Nagaoki Ikeda (Aug.23, 1837 - Sept.12, 1879)
池田長発(筑後守)天保8年~明治12年、1864年の横浜鎖港談判使節団(Ikeda Mission)の正使で、後に勝海舟とともに軍艦奉行になるが晩年明治になり岡山へ移住。


岡山県井原市の池田筑後守陣屋跡。
「井原小学校の敷地にはもともと、江戸時代に領主であった旗本池田家によって建てられた陣屋(役所)がありました。この敷地内に学問所を建てる計画が挙がり、10代目の池田筑後守長発は自ら「心学館」と名づけ、その思い入れは相当のものでしたが、途中病に伏しその願いは叶いませんでした。 正面玄関の東側にある庭園「冬園」には、昭和61(1986)年に長発の生誕150年を記念して、陣屋跡を示す石碑と池田筑後守長発の銅像が並んで設置されました。」
上記の「案内」は井原市観光協会のウェブ・サイトからコピーさせて頂きました。

語り告げられ歌い続けられた歴史は、文字、絵、彫刻を媒体として伝えられて来ましたが、
このあたりから歴史の多くが写真映像として伝えられ残され始めたのでしょう。
誰がディジタル化された彼らの映像が世界中を飛び回っている今を想像出来たでしょうか? たかが150年程前の歴史です。 岡山を出たクニヨシを追って19世紀のパリまで行って
岡山の井原に辿り着いた訳です。

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