徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

ちはるさんの凸凹裏日記 第3弾

2009-05-16 19:58:17 | テレビ


ちはるさんの凸凹日記から


 『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば』という番組は、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』というタイトルに変わり、土曜の夜8時からの一時間枠で再スタートすることになった。
 フジテレビのこの時間帯には、伝説の番組『オレたちひょうきん族』が放送されていたということもあり、出演者もスタッフもかなり気合いが入っていた。
 私はといえば、新番組の準備でバタバタと忙しくする皆に忘れられたかのように声を掛けて貰うことはなく、やはり次は無いのだと、友人に誘われるまま当時流行りだった自己啓発セミナーに通ってみたり(この話はまた詳しくしますね)、仕事も少なくなりそうだったので、またバイトでも始めなきゃとか、先の見えない東京生活をモヤモヤとした気持ちで過ごしていた。

 ところが、意外にも私は次の番組にレギュラー続投ということになった。番組がスタートする本当にギリギリ、ふと思い出したように連絡があったのだ。ウッチャンのパートナー役としてコントに出演するということ以外、詳しい内容はほとんど教えてもらえず、マネージャーの飯島さんと共に不安を抱えつつ、当時新宿の河田町にあったフジテレビのスタジオに出向いていったのを憶えている。

 タレントクロークに着くなり、待ち構えていたチーフディレクターに「あぁ、ちはる。おまえ今日から顔オレンジだからよろしくね」と言われた。
 「オレンジ…?」
 意味が分からず、ほえっとする私はアレヨアレヨとメイク室へ連れて行かれて、「ほら、これのオレンジ版にするから」とウッチャン扮するマモーの写真を見せられた。
 ルパン三世の映画で見たことのあるマモーというキャラクターは知っていた。写真の中のウッチャンはそのマモーに見事なりきっているのだが、これのオレンジって一体…!?

 『誰やら』の時からの馴染みのメイクさんが「大丈夫、意外と可愛くなると思うんだよね」と言いながら特殊メークの準備を始める。
  状況が飲み込めずキョロキョロしていると、メーク室に良く知った顔の人が入って来た。
 「あっ! フミヤさん…」
 そう、当時チェッカーズで一世を風靡していた藤井フミヤさんが突然現れたのだ。しかも、私の隣の席に座り、慣れた感じでメイクさんに話しかけているじゃないですか。

 私は学生時代からファンで、チェッカーズの『たんたんたぬき』という映画も友人と3回連続で見たぐらいだし、どうしよ~フミヤだ~~~!!!と、自分の置かれている状況も忘れ内心バクバクしていたら、鏡越しに私に気づいたフミヤさんが「あれ…?」と、こっちを見ているよう。
 「ねぇ、キミってアルバイトニュースのCMに出てる子だよね?」
 突然話しかけられ、しかも自分を少しでも知ってくれていた事に驚き、アホみたいにただただ頷くと、
 「あのCM可愛いよね。オレこの子いいなぁ~って思ってたんだよね」
 え…? 嘘っ!? そ、そんな事、フミヤさんに言われたら鼻血ブーものじゃないっすか!
 「えっ、あ、ありがとうございます!!」
 ドキドキしながら答えると、ニカッとフミヤスマイルを見せ、自分のメイクをしだした。

 隣にスターが座り、夢見心地でいた私に、準備が整ったメイクさんから元気に声がかかる。
 「じゃ、オレンジに塗ってくからねー!」
 そして私の顔には、ためらうことなく綺麗なオレンジ色のドーランが塗られ始めた。
 「うわっ! その色スゴいね~」
 隣の顔の異変に気付き、興味シンシンで覗きこむフミヤさん。
 「手早くやらないとムラになっちゃうからね。さてと、次はシワを書いてくよ」
 意気揚々と黒のペンシルで手際よくシワを描き始めるメイクさん。
 「へぇー、これは大変だね。…誰だかわかんなくなっちゃうじゃん」
 と、フミヤさん。
 私は戸惑いつつも無理して苦笑いを浮かべたら、
 「あー、今は笑わないで! 笑いジワが出ちゃうから」
 とメークさんにたしなめられ、出来上がっていくオレンジ色の妖怪の顔を憧れのフミヤさんと一緒に、人ごとのように眺めていた。

 しばらくすると身支度の済んだフミヤさんは「じゃ、頑張ってね~」と風のようにいなくなり、私はいつのまにか、マモーの愛人、ミモーに変身していた。
 最初は「なんじゃこりゃー!」って感じだったけど、完成したミモーは意外に可愛かった。
 悲しく響いたフミヤさんの「誰だかわかんない」という言葉も逆に楽しく思えるようになった。
 そう、私はあまりの衝撃で開き直ってしまったらしい。ミモーは私であって私じゃない。ミモーでいる限り比べられるものは何もないのだ。

 そんな風に考えられるようになったのは、やはりウッチャンの影響が一番大きかったんだと思う。マモーに限らず、自ら考え出したキャラクターに扮するウッチャンは、まるで憑依したかのように声も表情も瞬時に変わり、それらを作り出すことをとても楽しんでいるようだった。
 隣で「マモー!」「ミモー!!」と叫びあっているうちに私までこのミモーという架空のキャラクターを愛しく感じるようになっていったのだ。
 普段は言い返せないナンチャンの意地悪も、ミモーに扮してからは感情を爆発させ泣きながら言い返してみたり、はたまた笑い飛ばせたり、素の自分を出せるようになっていった。

 あとから聞いた話だけど、前回の番組で縮こまって本来の自分を出せず作り笑いばかり浮かべる私に、もうあの子は無理だろうという話がスタッフ内で出たらしい。でもその時、ウッチャンが「僕がちはるを何とかします」と手を挙げてくれたのだそうだ。ウッチャンのこの時の一言で今の私があるのだし、ナンチャンがオーディションに呼んでくれたというコトもしかり、ウンナン様には本当に足を向けて寝られない。

 そしてこのミモーがTVに放送されはじめると、私の名前は劇的に世間に知れ渡っていった。本当に一夜にして変わるシンデレラといった感じで、私はミモーになる魔法をかけられ、見事ブレイクしてしまったのだ。


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思い出のシーン 中村俊輔編

2009-05-16 16:49:05 | サッカー(その他)
















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お袋のこと

2009-05-16 15:43:28 | 認知症
私は二人兄弟。
父は厳格なサラリーマンだった。
昭和59年2月、父は肺炎で死去。
当時57歳だった。
兄は私と違い優秀。
大阪の豊中市何とか小学校、浜松市の元城小学校、
静岡市の新通小学校に通い、
その後末広中学校へ。
中学2年の11月から、我々家族は東京へ引っ越し。
兄貴は一人自宅に残り、同じ敷地内にあった、
父方の伯父の家で食事等はお世話になりながら学校に通い、
はれて慶応高校に入学。
東京で一緒に暮らし始めたとたん、
今度は父が沼津に転勤。
兄貴は高2から、今度は母方の叔母の家にお世話になる。
だから私は兄とは10年くらいしか一緒に暮らした事がなかった。
その兄も数年前に肺がんで死去。当時50歳。
お袋は今でも実家で一人暮らしだが・・・・・
身内は私一人。


そして、母がアルツハイマーと診断されてから、
1年半?2年?
毎月病院に連れて行き、
会社帰りに極力お袋の家に行き、
一緒に食事したり、ちゃんと薬飲ませたり。
お袋も今のところ、
行きつけのスーパーやコンビニに買物は行けるし、
身の回りの掃除や洗濯も今のところは普通にできる。
でも、
日常と少しでも違う事にはもう対処できない。
突然の来客や電話には対応できないし、
先日も自分の妹たち(私の叔母たち)や、
お袋の学生時代の友達が静岡に来ても、
最初は誰が来たかわからなかった。
電話では相手の言っていることが理解できないので、
振り込め詐欺には引っ掛かりそうもないが。

調子のいい時は何とか思い出せても、
日によっては私の名前も思い出せない時もある。
自分の夫や、自分の両親の名前は思い出せない。
今の医学では治す薬はなく、
進行を遅らせる薬しかないらしい。
でも、進行が遅れているとは言い難い?
順調に進んでいる?
そんな感じか?
脳が委縮しているお袋。(それがアルツハイマーらしいが)
先日周りがよく見えないというので眼科に連れて行くと、
どうやら脳の視力をつかさどる部分の委縮により、
認識できない?可能性が高く、
眼鏡をかけても少ししか視力はよくならないと言われた。
味覚も、甘いとしょっぱいしかわからなくなりつつあるようだ。
大好きだったすし屋に連れて行ったところ、
おいしくないと言っていた。
なぜか?
甘くないから。
うまみとかはわからなくなっているようだ。


世の中にもっとひどい症状の人も多く、
お袋はまだ独り暮らしができるだけましかも知れない。
でも、少しずつ前にできたことができなくなっていく姿を見るのは悲しい。
会社には遠くに転勤しないような申請を出したが、
どうなる事やら。
それが認められれば給料は若干下がる。
それはそれで悲しい。

今日は、
私の持病の薬をもらいに病院へ。
前回の血液検査で、
甲状腺レセプターがゼロ。
ひょっとして甲状腺の薬とサヨナラできる可能性が出てきたらしい。
安心はできないが。
そして血圧も、今日は126の84?
かなりいい感じ。
あとはメタボ対策か?

そしてそのあと、
ケアマネージャーと、デイケアサービスの担当者と、
3者会談?を行って、
今後のケア方針の確認を行った。
お袋には長生きして欲しいが、
つらい人生にはなって欲しくないし。
体はまあまあ元気なので、
もう少し認識力が良くなるといいのだが・・・
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父母会

2009-05-16 06:47:29 | テニス
昨日はR中女子ソフトテニス部の父母会だった。
まともに参加したのは久しぶり。
さらにもう一人のOコーチが都合で欠席。
大勢の父兄の前でコーチとして挨拶してきた。
口下手な私。
何を話していいのかわからないので、
私やOコーチの簡単なテニス歴。
そしてR中の最近の(過去7年くらいの)歴史。
部活の考え方。
そんなことをお話ししたが・・・・
今年の1年生はタツタの同級生。
参観会やら運動会やら何やら、
これからも色々な行事で、
同級生の父兄としてお会いするのに、
コーチと父兄と言う立場は、
非常に微妙だなあと思った。
私が正式に資格を持った、
本格的なコーチならともかく、
まあ、練習のお手伝いさんと言う立場だから、
そういう思いはなおさらという感じか。

まあ、そんな私の感想はともかく、
主役は子供達。
どの子もテニスに一生懸命。
上手い下手はあっても、
テニスに頑張っている姿は共通。
大人になって、中学時代を振り返ったとき、
自分は何をしていただろう?
それが思い出せない人生より、
勝っても負けても、
何かに打ち込んだ自分。
何かに熱中した自分。
そういうことを思い出せる人生は幸せだと、
私はそう思っている。
こういうことを昨日話せればよかったかなあ。
まあ、私は話のプロではないので許してもらおう。
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