徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

三木たかしさんなくなる

2009-05-20 06:15:57 | お見舞い・お悔やみ
三木たかしさんが亡くなった。

今月11日に下咽頭ガンのため64歳で死去した作曲家・三木たかしさんの通夜が19日夜、東京・増上寺で営まれ、歌手で実妹の黛ジュンらが出席。親族代表の黛は「3月の始め頃に余命の告知を受けて覚悟はしていたんですが、あまりにも突然で、まだ受け止めることができません」と涙ながらに悲しみをあらわにした。

この記事で大好きだった黛ジュンさんが妹と初めて知った。
ちょっとびっくり。





彼女がレコード大賞を取ったのが昭和43年。 
第10回日本レコード大賞
大賞 「天使の誘惑」 黛ジュン
作詩:なかにし礼  作曲:鈴木邦彦
編曲:鈴木邦彦
ポップスから歌謡曲に転じた黛ジュンは、前の年、佐良直美と新人賞の座を争い 、惜しくも一票差で敗れ去り、特別賞で来ていた石原裕次郎に肩を抱かれ、悔し涙に くれていました。当時、黛ジュン所属のプロダクション社長だった裕次郎は、慰めつ いでに毛皮をプレゼントする約束までしてしまった ― という大賞秘話が残っています 。
そして、第10回のこの年、見事に大賞を獲得。超ミニスカートで健康的に歌う彼 女の魅力は、充分テレビでも発揮されました。
私が10歳の時だった。
YOU TUBEも白黒。
そんな時代だった。


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ある思い出について

2009-05-20 05:45:49 | テニス
数年前のR中にある思い出に残る部員がいた。
彼女はうまい下手でいえば、下手!
運動神経は?と問われれば、鈍い!
部活に入ろうか迷ってます、もし相談されたら、やめな!
そんな選手だった。
選手紹介するとすれば、

非力、動けない、
前衛をやっていたが、
速いボールは空振り。
怖いと思ったら逃げる。
ポーチなんてできない。
届く範囲にゆるいボールがくれば触れる。
ストロークは1歩動く範囲に来れば返せる。
強いボールは打ち返せない。
速いボールは空振り。
でも、非力だから滅多にバックアウトはしない。
打ち返したボールのミスは少ない。ゆるいけれど帰る確率は高かった。
サーブは緩いサーブしか打てないが、
ダブルフォールトは少ない。

こう書くとどんな選手?と言われそうだが・・・

彼女のいいところは、
いつもニコニコしていて真面目。
不思議と怒る気持ちにならないこと。

さて、そんな彼女だから、たまたま奇数人数の学年だったから、
下の学年のうまいこと組んだり、
練習試合だったら、別のペアの後衛と組んだり。
いずれにせよ、ペアのランクとしては1番下で出るため、
相手も結構弱いペアだったり、下の学年だったり。
結果的に、勝率が結構高かった。
強いボールが打てないので、つなぐだけなのに、
相手のミスに助けられ、
気がつくと勝っているということが実に多かった。
とにかくつまらないミスが少なく、
ボレーは非力なのでポトンと相手コートに決まる事も多かった。
強いペア達は、当然相手も強く、
勝ったり負けたり。
それに比べて、彼女の勝率はチーム内ではダントツだった。
3年の時は8割は確実に超えていただろう。
練習試合に行って5試合位やることもあるが、
全勝で帰ったこともある。
Oコーチともよく話したことだが、
上手い下手を越えた楽しさを、
彼女が感じていただろうことは間違いない。
公式の大会に出れば、不思議とクジ運強く、
たいてい1回は勝っていた。
もちろんなかなか、2回は勝てなかったが・・・
私はこういう選手がいてもいいなあと思った。

その昔、あるいはそれまで、
私はスポーツは勝つことを目指す事が大切。
常に上を目指して切磋琢磨するのが部活のあり方、そう思っていた。
でも、スポーツを楽しむ。
そういう部活も有だなあ。
目からうろこの出来事であった。
上手い子には技術を教え、上位を目指す。
下手な子には下手な子なりに勝つことの喜び。
その子なりに向上の喜びを教えてあげられれば成功。
今はそう思っている。
そういう指導が出来れば、落ちこぼれはなくなるだろう。
ホンワカと思い出すエピソードである。
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