徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

NSP あせ

2009-05-04 10:27:39 | 本・映画・音楽

懐かしのメロディ特集になってしまったが・・・
忌野清志郎さんつながりでもう一つ。
NSPの
大好きだった「あせ」
多分中1か中2の時に流行った曲。
授業中以外はずっと、
誰かの曲を口ずさんでいた。
これは本当にはまっていた曲。
コッキーポップは偉大なラジオ番組だった。
私の青春そのままだった。
歌詞が好きだった。
中学生の私に訴えるものがあったんだよなあ。2番3番が好きだった。

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あのねのね 初体験の唄

2009-05-04 09:50:40 | 本・映画・音楽

RCサクセションのことを考えていたら、
「あのねのね」のことを思い出した。
彼らは基本的に歌手ではないが、
所さんやビジーフォーのような、ギャグ+歌で売っていたグループ。
彼らの歌は赤とんぼの歌で有名かもしれないが、
それ以外はほとんど知られていないか。
私はこの初体験の唄と言う歌と、
片思いが好きだったが。
やっと見つけたこの初体験の唄。
音も小さくおぞい歌かもしれないが、
大好きだった。

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さよならRCサクセション

2009-05-04 09:25:02 | テレビ

忌野清志郎さんが亡くなった。
正直それほど好きなグループではなかったが。
むしろNSPの方が好きだった。
NSP  なっとう そらまめ ピーナッツ。
自虐ギャグでよくメンバーが言っていたが。
ニュー サディスティック ピンク。
でも今はNSPではなく、
RCサクセションのお話。


忌野清志郎さん、歌い続けた「反骨と愛」
5月3日7時51分配信 サンケイスポーツ

 がん性リンパ管症のため2日に亡くなったロックシンガー、忌野清志郎さん(享年58)は常に反骨心と愛をテーマに歌ってきた。東京・日野高在学中にバンド、RCサクセションを結成。1970年にデビュー後は、原発問題を取り扱った楽曲が発売中止になるなど、物議を醸してきた。その一方で近年は自転車に凝り、健康に人一倍気をつける生活を送っていた。
 あの“清志郎節”は、もう2度と聴けない。反骨心を持ちながら、人間性に満ちあふれた清志郎さんの楽曲。その礎は高校時代に築かれた。
 清志郎さんは中学時代にアマバンド、ザ・クローバーを組んでいたが、日野高進学後に解散。RCサクセションを結成し、同級生で後に俳優デビューする三浦友和(57)も一時期、パーカッションで加わった。
 高校時代には絵画に打ち込んでおり、美大を目指していた。が、次第に音楽に没頭していき、3年時にはミュージシャンを志す。メジャーデビュー後、1972年にヒットした「ぼくの好きな先生」は、放任主義を貫いてくれた当時の担任教師を歌っている。
 当初フォークグループだったRCは、フォークデュオの古井戸で活躍していたギターの仲井戸麗市(58)が加入してロックバンドに。82年出演のフジテレビ系「夜のヒットスタジオ」で、噛んでいたチューインガムをカメラにつけようとするパフォーマンスに抗議が殺到。この奔放な言動が若者に支持された。
 88年には原発問題を歌った作品を含むアルバム「COVERS」について、所属レコード会社の東芝EMI(現EMI)と対立。親会社の東芝が原発の部品を扱っていたことから販売中止となり、インディーズレーベルで発売された。
 持論は「ロックには毒がなければいけない」。FM TOKYOが同曲などを放送自粛した際には、反発して深夜の歌番組でFM局を中傷する歌を突然歌った。99年には国歌「君が代」をパンク風にアレンジした楽曲を発表した。
 一方、若手時代から一緒のステージに立った井上陽水(60)や坂本龍一(57)とコラボ曲を発表するなど、多くのミュージシャンとユニットを組み、ロック魂を受けつないだ。近年は自転車愛好家として知られ、東京から鹿児島までを走破。また、愛車が盗難に遭う事件も起こった。
 常に話題の中心となった58年の人生。清志郎さんは疾風のように駆け抜けた。

原発の話や、東芝との喧嘩。
それがすごいと思っていた。
権力に対する反骨を貫く姿は見ていてすがすがしかった。
今はご冥福をお祈りしよう。

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