土佐っぽ

四国は土佐国のもんが、日々の中で思いゆう事や、得手勝手な考えを書きよります。どうぞよろしく。

『主権者の責任』 ☆警察権力を与えているのは、自分たち主権者だ。☆

2012年09月26日 01時04分47秒 | Weblog
「働けるのに無職で逮捕」に衝撃!(R25) - goo ニュース



非常に、注目すべきニュースだと思う。

軽犯罪法第4条に明記された、
第四条  この法律の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。

この、国民の権利を不当に侵害。
要は、この逮捕拘留が、
「国民の権利を不当に侵害」したかどうかが大きな争点になる。

働く意志の有無の確認方法
(多分、ハローワークに登録していれば、問題ないんだろう)
生計の途の確認方法
いわゆる本籍住所、さらには家族の有無や近親者などの有無
そして、
じゃあ、その人の名前や年齢の確認。
などなど、
さらには、諸方とは、どのエリアや地域を言うのか、、、

その辺で、警察が、
「国民の権利を不当に侵害」せずに、何をもって逮捕拘留したかであろうが、

結局は、
「国民の権利を不当に侵害」されても、黙っている主権者が、
あまりにも多い。
「国民の権利を不当に侵害」されても、自分自身は我慢し絶えている主権者が、
あまりにも多い。
「国民の権利を不当に侵害」されても、自分も我慢し絶えているから、周囲のだれもが
同じように、又はそれ以上に我慢し、絶えるのは当然だと考える、公表する主権者が
あまりにも多い。

という、今のこの国の民主主義度から見れば、
この手の逮捕劇は、どんどんエスカレートする可能性は、
あまりにも高い。

だからこそ、

「国民の権利を不当に侵害」されたら、徹底的に戦う主権者でないと、
あらゆる逮捕要因を持って、だれもが逮捕拘留され、裁判で有罪にされかねない、
そんな暗黒の社会になってしまう。

ぜひぜひ、そこに注目してほしいと、つくづく思う。
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『いじめ』を社会の責任とできない人たち

2012年09月21日 18時39分57秒 | Weblog
生徒自殺の高校、私服登校指導…通行人が中傷で(読売新聞) - goo ニュース


■生徒自殺の高校、私服登校指導…通行人が中傷で
(読売新聞 - 09月21日 09:55)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2161517&media_id=20


「いじめ」は社会のあらゆる場所で蔓延している。
貴方の家庭、地域、職場、市町村など、
そこに、「いじめ」やそれに類する人間関係はありませんか???

「違い」を認める。そこから「いじめ」の減少がはじまります。

大津市のあの中学校を攻撃しても、
あの教育委員会を攻撃しても、
ましてや、在学中の児童生徒を攻撃しても、
絶対に、
社会の中から「いじめ」は消え去らない。

人間が数人集まれば、セクトができる。グループが、対立が起こる。
などと、
よくいわれます。

もちろん、誰でも、好き嫌いや、どうしても好きになれないなど、
そういう、雰囲気や、なんというか、感覚は、よく、よくわかります。

でも、だから、
悪意を持って、攻撃してもいいのか、、、、
でも、だから、
無視をしたり、悪口を言ってもいいのか、、、、

それは、絶対に違うと思うのです。

問題は、
一対一じゃあなく、

一対集団

だという事です。

「みんな」とよく言います。
「組織」とも、よく言います。
「常識」だとも、言います。

そういう言葉で、複数の人間が、
価値観や立場を同じにして、
それを認めない、反対する意見を攻撃する。

それが、きちんとされた場所であり、
ディベートのようなゲームとかで、
複数対複数
であれば、いいのだけれど、

ほとんどの場合が、

違うという  個人対集団

になっている。
そこが、何よりの問題であり、
その集団の中には、
ほとんど確実に、リーダー格が存在する。

実は、その集団の中にも序列があり、
結局は、差別的状況が生まれている。
だから、
「いじめ」という『差別』をおこなってしまう。

あなたの家庭に、地域に、職場に、
そういう、集団で一人を攻撃している場面はありませんか???

その集団から遠ざかる。
違うと感じ、思っている人に
ちょっとでもいい歩み寄ってみる。

何か、変化がおこりだす、、、
と思うのですが。
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『学びの螺旋階段』ではなく、「点数合戦」ですから・・・・・

2012年09月20日 19時41分20秒 | Weblog
小数のかけ算・割り算、小6の半数近く理解せず(読売新聞) - goo ニュース




「受験の為の勉強はするな」
「試験の為の勉強はするな」
「学テの為の勉強はするな」

と、言える人がどれだけいるんだろうか・・・・・・・


ここ、30年以上、
このニッポンでは、

学問や学び、
それを追い求める教育ではなく、

点数をいかにあげるか。
「学テ」の平均が、
昨年度より、
周囲の自治体より、
高くする。

それだけが目標だから、
どうしても、内容は希薄になるだろうし、
何よりも、
「学び」は成立することは無いだろう。


尖閣などで中国の暴動が起こる。
世界が、尖閣などに注目する。
しかし、
世界の国々は、絶対に、ニホンの見方ではない。
何しろ、アメリカでも、
明確に、尖閣が、ニホンの領土だと中国に言ってはいない。
ただ、
安保の範疇であるとしか言って居ない。

と言う事は、
ニホンがどうすればいいのか、

「ゆとり」が批判され攻撃され、学テの点数合戦が再熱しだしたが、
点数合戦や、競争主義が、

じゃあ、
技術の向上を生み出すのか、

じゃあ、
世界の中で、中国とあれこれあっても、
ニホンの品物が、部品が、あの重要な部分が、、、
と、なるのか・・・

文科省も、「いきる力」などで、思考力こそが重要だと、言って居る。
そして、
あの、学テのB問題、これが、それに当たるとも、

しかし、
実際の学テの結果では、B問題は、非常に不出来。

「いきる力」を提唱した時の「ゆとり教育」
これは、

課題を見出す。
課題を解決する方法をさがす。
課題を解決する。又は、解決に近づける。

そして、必ず、
次の課題が出る。

それが、『学びの螺旋階段』。

を、
学校の教科書に縛られず、
学校の教師に惑わされず、
学校の教科に縛られず、

それぞれの学年や基礎の中から、
しっかりと見出す。
もっと言えば、
自らとの対話をおこなう事で、
自分自身の未来に向けて、何を学ぶのか。
それを探し、探求し、結果を少しでもいいので出していく。

そこにこそ、「ゆとり教育」の目指したもの。

そして、同時に、その結果、
ニホンが、技術大国だと、世界のあちこちに誇れるだろう。
と、なったはずが、
今や、パナソニックも、シャープも、ソニーも、
外資に乗っ取られようとしている。


教育の歴史を見直してみると、

受験戦争に邁進しだした世代、
この辺から、この国の技術力の低迷が始まったのと、
どうにも、残念だが、
重なってしまう。

昔、ある学校の校長は、

「受験のための勉強はするな」

と、言った。

独立基督教学園の鈴木校長。

日々の学びの結果として、
大学が、そして、点数がと。

なぜだろう???????
どうしてだろう????

この国がこんな現状になったのは、

それは、
対中国でも、
対朝鮮でも、
対世界でも、

ニホンが、どういう国を目指すのか、
ニホンが、世界の中でどういう位置にいたいのか、
ニホンが、平和に世界の中で誇れるのは何か。

まったく、政府の国家も、主権者も
その目標を持っていなかった、

その教育も、まったく行ってこなかった。

そこに最大の原因があろうと思う。


目標は、
世界に誇れる、日本国憲法に明記されている。

日本国憲法の理想と理念の実現の為に、
教育も、政治も、経済も、
それこそ、奮励努力すれば、いい。。。

それだけのことなのだが
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『ニーメラー』 と 「治安維持法」

2012年09月19日 21時24分42秒 | Weblog
人権委法案を閣議決定=臨時国会提出目指す(時事通信) - goo ニュース


■人権委法案を閣議決定=臨時国会提出目指す
(時事通信社 - 09月19日 13:05)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2159091&media_id=4

まず、ニーメラーの警告

いろいろな訳がありますが、

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
(ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、)
私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。

////////////////////////////////////////////////////
彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。
////////////////////////////////////////////////////

そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。

ウイキペディアから・・・・・・・・・


これは、非常に有名だけれど、
でも、同時に、今のこのニホンを確実に言い表している。


そして、この第二次世界大戦前の1925年。
ニッポンで、こんな法律が成立している。

治安維持法

中学校の社会科の教科書にもある。
ただ、多くの社会科の教師は、これをまともに指導できない。
名前だけを伝えて終わる。
最悪は、共産主義者を抑制する為だとだけの説明。

問題は、この法律。
最初は、ロシア革命後の共産主義を封殺するために成立した。
しかし、その後、あらゆる「表現の自由」を封殺し、
死刑が最高刑にまでなっている。

この時のニッポン人は、まさしく、
「ニーメラー」と、まったく同じ感覚でこの法律を迎えた。

さて、
その、
「治安維持法」に非常に似た法律。

ただ、名前が、あまりにもあざとい。
いや、
どうしようもなく、えげつない。

人権救済機関設置法案

要は、人権を守るためには、
人権を抑制してもいいんだ。
その為には、裁判所の令状が無くても、
何でもできてしまうかも・・・・
というほど、強権を、いやいや、
警察以上の、特別高等警察のような権力を与える。

という、そういう法律。

じゃあ、、誰に?????

人権擁護委員会などの第三者機関に、
その強力な権力をと。

そういう法律が、
尖閣の竹島の、あれこれの騒動の最終に、
内閣で、決定されたという。

まさか、
そのまま、臨時国会などで、成立するとしたら、
これほど、

おぞましいお話はないだろう。
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『暴徒』を許しては、絶対にならない。

2012年09月19日 20時24分37秒 | Weblog
中華料理店へ投石相次ぐ…中国系企業入居ビルも(読売新聞) - goo ニュース




「デモ」を容認する中国政府は、
許されないのか・・・?????

「デモ」を容認する国民や社会は、
許されないのか・・・・?????????????

新聞、テレビ、ラジオの中で、
いろいろなコメンテーターやアナウンサーが、
中国政府は、「デモ」を容認していると言う。

じゃあ、、
ニホンのあちこちで行われる

「反原発」や
「賃金アップ」や、
「政治的主張」や
「右翼の街宣」や、
などなどの、
「デモ」行進に、

ニホン政府が、
警察が、否応なく介入し、
逮捕拘禁したとしたら、

主権者として、
民主主義国家の主権者として、

ニコニコ、はいそうですね。
と、受け入れるのだろうか・・・・?????


我が国が、世界に誇れる
日本国憲法には、

第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

と、明記されている。
当然、警察であろうが、自衛隊であろうが、
政府の官僚も、国会議員も、
その、日本国憲法第99条の遵守義務は、存在する。

だから、
絶対に、「デモ」に対して、
抑制や、抑圧、封殺をしてはならない。

だからこそ、
毎週金曜日のデモも、
当たり前におこなえるし、
その他の、いろいろな表現の自由をあらわすものが、
当たり前に、権利として認められている。


問題なのは、
「暴徒」なのだ。

いかなる理由においても、
破壊、暴行、略奪、などなどは、
許されるものじゃあない。

だから、
徹底して、ニホンの警察は取り締まるべきだし、
だからこそ、
民主主義国家だと言える。

そういう意味では、
中国は、未成熟な国であり、
途上国でもある。
まして、
選挙制度はあるとしても、
民主主義国家とは、なかなか言いがたい部分が存在している。

だからこそ、
あの国の中でおこなわれている、いろいろな現象に対して、
先進国と、
民主主義国家だと、
標榜する以上、

ニホンが取るべき事は明白だろう。

「デモ」や、ネットなどにおける表現の自由は、
何が何でも尊重し、死守する。
しかし、

『暴徒』は絶対に許さない。

という、

基本的人権を最優先に遵守し、
主権が国民に存在するという、

日本国憲法の理念と理想を、
ひたすらに実現するしかない。


もし、
この、大原則と、根本を破壊したり、無視したりすると、

暗黒の時代に逆戻り、
それこそ、隣の中国よりもはるかに危険極まりない、
そんな国家に陥ってしまうだろう。

何しろ、
人権救済機関設置法案(人権救済法案)が、
民主党によって、閣議で決定されたというのだから。

人権をまもるという名目の、
人権を制限する「治安維持法」とまったく同じ方向性の法律が、
閣議決定されたという。

まさしく、
「暴徒」は、政府の中にあるのかもしれない。
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「塩」の専売  三公社五現業の歴史

2012年09月18日 18時32分49秒 | Weblog
思わず「韓国人」と…デモの嵐に息潜める邦人(読売新聞) - goo ニュース





三公社五現業

この言葉に反応する人は、
30代以上、いやあ、40代だろうか・・・・

社会科の高校入試にはよく出た言葉。

1980年代に民営化や解体されて、
今はもう、無くなった。

ニホンでも「塩」は、国家により管理されたもの、
そうそう、自由に販売は出来なかった。

画像のように、この看板のある店でしか販売していなかった。

だから、
塩っていうのは、非常に大事な物だという、
そんな歴史がある。
実際、医学的にも非常に重要な物質でもあるのは、
多くの人が承知しているとおり。

何しろ、
古代の貨幣文化が登場しない時代には、
毛皮や、いろいろな物と、海の塩とが物々交換されてもいたというぐらい。

だから、中国で、戦争になる。
そうなると、塩が精製できない地域では、
塩の買い占めってのは、当たり前なんだろう。


しかし、
この、中国でのデモなどで、現地の人たちが、

「ニッポン人」かと、聞く。

そうだとわかると、数人以上で周囲を囲み、
罵詈雑言や、いろいろな挑発的言動ってのは、
なんか、
ある種の、あの国の特異性を感じてしまう。

今の段階でも、死者も重傷者も出ていない。
あれだけの騒動で、
あれだけの破壊で、
あれだけの怒りようで、
あれだけの大事になっている状況で、

いかなるテレビでも新聞でも、

軽傷だとしか報道されていない。
その辺の、分別というか、
なんというか、、

決して彼らの行為を正当化するつもりは無いが、
しかし、
死者も重傷者も出ていない。
そこが、何ともいえない部分である。

かなりの過激な発言もあちこちで起こっているらしいが、
その発言が、国家や警察、さらには軍隊によって実行されている
という事はないはず。

少なくとも、

『三光作戦』

を、徹底的に実行した、あの人たちのように。

さらには、
ニッポンでは、
中国人や朝鮮人が、暴動を起こすという「デマ」で、
多くのニッポン人が、
中国人や朝鮮人をリンチした事があった。

「じゅうごえんごじゅっせん」

そう、

「十五円五十銭」と、言え。

言えないと、中国人や朝鮮人だと判断し、
殺したりした。

よく有名なのが、
関東大震災直後の東京でのあの蛮行。

過去の歴史がどうだから、
だから、
というのは、あまりにも

未来志向ではない。

だから、
ニッポンの歴史がこうだから、
これは、我慢するしか無い等とは言うつもりはないが、
しかし、

未成熟な民主主義国家であり、
一党独裁の不安定で、
国家権力が衰退している中国において、

少なくとも、
自らを、先進国と自慢し、
自らを、民主主義国家だと、吹聴し、
自らを、人権を尊重する国だと、ほらを吹く。

そんな、ニッポンが、
軍事的強大になりつつある途上国に対して、
どういう対応をするのか、

そこにこそ、重要な視点があると思うのだが、

何しろ、

「塩」までも、国家管理を軽減させているんだから、、

ニッポンは。
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メディアの責任

2012年09月17日 10時48分47秒 | Weblog
暴徒乱入、無言で破壊・放火…工場再起不能(読売新聞) - goo ニュース



中国の知人からメールが来た。

現地の報道でも、
それから、ネットの情報でも、
ニホン人に、「死者」も、「重傷者」も発生していない。
そこは、これだけの大規模の騒動の中で、
よかった、よかった。と。
それが、一番の心配だし、
もし、死者が出れば、中国公安は、相当の措置に出るしか無い
となるだろうとも。

そして、同時に、
デモには、

デモを扇動する数人
デモに興味本位で参加する人たち、
デモを見物する人たち
デモを抑制する公安
そして、
中国語が堪能なニッポンのメディア

が、その場所にいる。
大都市なので、貧困層の人たち、
それも、多くは30代までの若者がほとんどだとも、、、

彼らは、春節でもなんでも、
人々が集まり出すと、あちこちから出てきて、
あっという間に群衆になると。
それが、都市部の中国の特徴だと言う。

そういえば、確かに、過去の旅行でも、
多くの人たちが、集まっては引いていったという場面を見た事がある。
要は、何をしているのかという、、、興味が非常に高いらしい。

そして、
ニッポンで放映されるニュースや、ワイドショーの動画。
ほとんどが、リフレインで、同じ動画の放映。

実際の現地では、破壊行為は、限られた暴徒だけで、
ほとんどは、カメラや携帯で撮影する傍観者が多いと言う。

だから、
ニッポンの報道、得にワイドショーで、
危険を扇動するコメンテーター達こそが、
実は、困ったもんだとも。

ただ、なんであれ、
暴動は確実に行われ、
略奪や、放火などもある。
そういう事実は、どうしようもなく悲しいし、
こころが、苦しくなる。


ただ、思ったのは、
この、中国のデモ
国会周辺の「金曜日デモ」とは、かなり違うと言う面がある。
金曜デモに参加する人たちは、
ほぼ全員が、主体的に参加している。
扇動する暴徒も存在しない。
どちらかと言えば、一部の警察の方が危ないぐらいだろう。


この尖閣のあれこれ以後、
この国の国会では、粛々と法律が成立している。
税と社会福祉のあれこれなど。

自民党政府からずっと、
官僚が自分たちに都合のいい法律の成立には、
いわゆる「目くらまし」が、必ず存在した。

ナショナリズムが台頭する今、
その背後に何があるのか、
そこをしっかりと主権者は認識する必要があるのに、
メディアの報道をそのまま鵜呑みにしているのは、
あまりにも、残念でしかない。

中国の若者は、激烈な格差社会の中で、
どんどん閉塞感にさいなまれ、
10年後どころか、5年後の自分の人生がまっくら状態だと。

だからこそ、こんな暴徒に簡単に変化するんだと。

『資本主権主義』に陥っている世界情勢の中で、

やっぱり、儲けの再分配。

『富の再分配』

が、きちんと行われるよう、主権者が経済を監視し、
そうなる社会になるよう、政治を選択するしかないのだが、、、、、

メディアは、そういう方向での報道を完全に放棄して、
ワイドショー化してしまっている。

ジャーナリズムの再認識が一番大事なのかも、、、、、、
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「狂気」にはしる人たち

2012年09月17日 08時31分08秒 | Weblog
だんじり休んだ高校生リンチ=仲間5人逮捕、「頭にきた」―大阪府警(時事通信) - goo ニュース



一つの考え、方向性に反する行為や考えや思い。
それは、『リンチ』に値するという思想。

やはり、大阪か・・・・・と、
思い知らされる。

ただ、そういう感覚を持つ人たちが、世界中で非常に増大している。
経済の悪化、労働条件の悪化、生活暮らしの悪化、
その原因は、周囲の人たちには無いはずなのに、

「みんな」と違う奴らを攻撃することで、
自分の心の均衡をはかろうとする。

そこに、強い言葉で、まるで「メシア」のように
光りを当ててくれる。人間が出現すると、

その光りが、とんでもない危険なものでも、
ついつい、それにすがるしか無いという・・・・・・

いまだに、小泉。
そして、西の将軍様の橋下や、
東の将軍様の、石原に、
きっと、救い出してくれるだろうという
ほとんど、妄想に近い切望感から、、
人気があるという、求めていると言う、
そこに、人々の中にある、
未成熟で未発達な「民主主義思想」が、見える。
そう、、、、
あまりにも、稚拙で未成熟な民主主義感覚であり、
自らの責任をまったく放棄した「民」だと思うのだが、

民主主義が定着しない、又は発展をしようとしているという面においては、
中国の一部の暴徒の蛮行も、この「だんじり」の暴徒も、
ほとんど同じ思考回路だろう、

ある事を、最優先する。
それに、賛同、または共同しない。
そいつは、
『敵』であり、当然攻撃しやっつけるのは、

彼らの言う「正義」になるのだから。

こころの叫びは、誰にでもあるし、
もちろん、それを表明する権利は、
基本的人権の中核になる。

しかし、
だからといって、
隣人の「基本的人権」を奪うという行為

これは、絶対に、何が何でも許される事では無い。

こころの叫びは、

私にも、貴方にも、全ての誰にでもあるもので、
それを表明する権利は、平等にある。

その、根源的基本を忘れた時、

狂気に走る、『狂人』になりさがってしまう。

それを、こころに刻むべきだ。
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『戦争』をしたがる人たち

2012年09月14日 21時53分12秒 | Weblog
麺かけられ・眼鏡割られ…上海で日本人暴行続発(読売新聞) - goo ニュース




アフガンに
イラクに、
そして、きっと、
リビアにも、

海兵隊が送り込まれるだろう。

ただ、
アメリカは、この状況を、完全にシラケて見ているのは間違いない。
一応、外交上は、それ相応に反応はするが、
少なくとも、中国政府を刺激するような事は、
言う事はないだろう。
アメリカは、リビアに翻弄されているから。

じゃあ、、
同じように、邦人救出や、邦人保護を目的に、
自衛隊がと、、、
それは、絶対に許されるものではない。

ただ、
この関連のアレコレを見る時、

どうしても、頭から払拭できないのが、

日本政府。
韓国政府。
中国政府??

の、どこか一部の極秘部署が、
お互いに扇動しあうように、内通してはいないかという事。

ニッポンにとっては、
これだけ対外危機が連続で発生すると、
自民党や、民主党のタカ派の面々が熱望する、
憲法9条の改正と、徴兵制などへの第一歩が、
確実になる。
そして、それに呼応するように、大阪のあの勢力。
彼らと一緒になり、
憲法を改正し、国民の権利を制限する。
それも、『戦争』という「公共の福祉」の為に。

中国は、中国で、民族問題や、経済格差。さらには共産党への忠誠心の希薄さ、
などなど、
今や、巨大な権力機構だけになった中央政府への国民の不満をそらす。
そのためには、やっぱり、ナショナリズムが大事。

さらに、韓国も、
歴代大統領のように、遠からず逮捕拘禁されそうな、イミョンバクも、
異常行動で人気を求めだした。
それに、ニホン以上に経済格差が広がっているあの国。
やっぱり、、

各国が、ナショナリズムを高揚させ、政府への反感を持たせない。
その為の、あれこれじゃあないかと。

少なくとも、
一部の狂気乱舞する人間を除いて、
「戦争」を始めたいなどと言う人は少ないはず。

まして、
中国と戦争状態になれば、
あの国にいる、あまりにも多くのニホン人が、
そして、ニホンの技術を投入した企業が、
さらには、
中国製に頼っている、
ニッポンの経済が、どおなるか、、、、

あの、1945年までの戦争で、
資源を持たないニッポンが、
何を「武器」にして、外交を行えばいいのか、
それは、完全に明白になっているはず。

しかし、異常なまでのナショナリズムと、
狂気の沙汰としか言えない、政府の行為により、
「歴史の学び」が薄くなりすぎたのではと、

今の、人々のこころの動きをみると、
非常な恐ろしさを感じる。

「戦争」をしたい人たち。
そういう人たちが、ほんの一部であることを、
祈ると同時に、
自分の周辺に、「平和」を、「戦争の愚かさ」を、やっぱり、伝えるしかないと思う。
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「常套句」~強者ゆえの視点~

2012年09月12日 18時57分20秒 | Weblog
「教諭、やりすぎるなよと言い放置」遺族指摘へ(読売新聞) - goo ニュース


■「教諭、やりすぎるなよと言い放置」遺族指摘へ
(読売新聞 - 09月12日 08:13)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2151358&media_id=20


「ケガさせるなよ」
「ほどほどにしとけよ」
「俺の前でするんか??」

その後、

「ほら、握手して・・・」
「これで、仲間ぞ」

などと終わらせる。

それが、多くの男性教師に見える
「嫌がらせ」や、集団対個人での「いじり」の
結末の状況。

多分、全国のどこの学校にもいるであろう、
そんな風景だろう。

あるクラスの英語の授業中に、
生徒指導の教諭が、
単語の発音をしなかった生徒に、
「・・・・覚えておけよ。学期末は・・・」
と言う。

教師のお墨付きを得た周囲の生徒が、
その生徒を見る視線が、どうなるのか。

「絶対的な強者」として君臨している彼には、
そういう些細な事は、まず想定もできないだろうし、
何よりも、気付くこともないだろう。

今、多くの学校で体育祭や運動会の準備や練習が行われている。

そこで、最近流行しているのが、

「点数主義」

運動場への集合。
整列の状態。
行進のそろい方。
行進での手のふり方。
行進での足のそろい方。
気を付けや礼の足の角度や腰の曲げ角度。
朝礼台にいる人への頭の下げ方と角度。
校歌や「君が代」などの歌う姿勢と声の大きさ。
準備運動での、腕の上げ方や、体操の動き。
などなど

体育祭の練習の最初っから、本番まで、
体育の教師による点数加点法による、
児童生徒への「指導」が、
ニホン全国の小中学校で、当たり前に行われている。

絶対的評価力を持った、体育主任や体育の教師が、

「おお、紅組は整列が早かったし、きれいだ。だから1点。」

と言うように、マイクを通して炎天下並ぶ児童生徒に伝える。
そうすると、全員が、教師も含めて拍手をする。

その「評価」を求めて、
最上学年の団長やリーダーと呼ばれる児童生徒が、
色の結束を最高潮に持って行こうとする。

そもそも、体育祭や運動会は、
明治時代に軍事訓練として、導入されたもの。
今の時代は、さらに進化して、
徹底した「評価主義」+「点数主義」で、
集団として、有無を言わさない状況をつくりだし、
そして、集団最優先の「組織」をつくっていく。

子どもを、強者に従順で、
集団の中では、徹底した全体主義的思考を植え付ける。

それを、点数という「評価」で、がんじがらめにする。

こういう学校教育の中で、
「嫌がらせ」、「いじり」などを見た教師は、

冒頭に書いたようなセリフをはくだけで、
決して「いじめ」ではないんだと、
「いじめ」の存在を無視し、
自ら、その「いじめ」の現場発見者から
逃げようとする。

文科の緊急調査でも、
「隠れいじめ」や、「隠しいじめ」の存在は、
明確にされていない。
それが証拠に、次から次へと、表沙汰になっている。

学校という場所が、「人権」を無視する場所だというのは、
いまさらではないが、
学校に「人権感覚」を持たせるのは、誰でも無い主権者の義務であろう。

どんどん、学校に行って、
授業を参観し、体育祭やいろいろな行事の本番ではなく、
練習の風景をしっかりと参観する。そして、
地域の「ご意見番」として、感じ、思った事を校長などにしっかりと伝える。

それが、絶対に必要だと思う。
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