土佐っぽ

四国は土佐国のもんが、日々の中で思いゆう事や、得手勝手な考えを書きよります。どうぞよろしく。

「常套句」~強者ゆえの視点~

2012年09月12日 18時57分20秒 | Weblog
「教諭、やりすぎるなよと言い放置」遺族指摘へ(読売新聞) - goo ニュース


■「教諭、やりすぎるなよと言い放置」遺族指摘へ
(読売新聞 - 09月12日 08:13)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2151358&media_id=20


「ケガさせるなよ」
「ほどほどにしとけよ」
「俺の前でするんか??」

その後、

「ほら、握手して・・・」
「これで、仲間ぞ」

などと終わらせる。

それが、多くの男性教師に見える
「嫌がらせ」や、集団対個人での「いじり」の
結末の状況。

多分、全国のどこの学校にもいるであろう、
そんな風景だろう。

あるクラスの英語の授業中に、
生徒指導の教諭が、
単語の発音をしなかった生徒に、
「・・・・覚えておけよ。学期末は・・・」
と言う。

教師のお墨付きを得た周囲の生徒が、
その生徒を見る視線が、どうなるのか。

「絶対的な強者」として君臨している彼には、
そういう些細な事は、まず想定もできないだろうし、
何よりも、気付くこともないだろう。

今、多くの学校で体育祭や運動会の準備や練習が行われている。

そこで、最近流行しているのが、

「点数主義」

運動場への集合。
整列の状態。
行進のそろい方。
行進での手のふり方。
行進での足のそろい方。
気を付けや礼の足の角度や腰の曲げ角度。
朝礼台にいる人への頭の下げ方と角度。
校歌や「君が代」などの歌う姿勢と声の大きさ。
準備運動での、腕の上げ方や、体操の動き。
などなど

体育祭の練習の最初っから、本番まで、
体育の教師による点数加点法による、
児童生徒への「指導」が、
ニホン全国の小中学校で、当たり前に行われている。

絶対的評価力を持った、体育主任や体育の教師が、

「おお、紅組は整列が早かったし、きれいだ。だから1点。」

と言うように、マイクを通して炎天下並ぶ児童生徒に伝える。
そうすると、全員が、教師も含めて拍手をする。

その「評価」を求めて、
最上学年の団長やリーダーと呼ばれる児童生徒が、
色の結束を最高潮に持って行こうとする。

そもそも、体育祭や運動会は、
明治時代に軍事訓練として、導入されたもの。
今の時代は、さらに進化して、
徹底した「評価主義」+「点数主義」で、
集団として、有無を言わさない状況をつくりだし、
そして、集団最優先の「組織」をつくっていく。

子どもを、強者に従順で、
集団の中では、徹底した全体主義的思考を植え付ける。

それを、点数という「評価」で、がんじがらめにする。

こういう学校教育の中で、
「嫌がらせ」、「いじり」などを見た教師は、

冒頭に書いたようなセリフをはくだけで、
決して「いじめ」ではないんだと、
「いじめ」の存在を無視し、
自ら、その「いじめ」の現場発見者から
逃げようとする。

文科の緊急調査でも、
「隠れいじめ」や、「隠しいじめ」の存在は、
明確にされていない。
それが証拠に、次から次へと、表沙汰になっている。

学校という場所が、「人権」を無視する場所だというのは、
いまさらではないが、
学校に「人権感覚」を持たせるのは、誰でも無い主権者の義務であろう。

どんどん、学校に行って、
授業を参観し、体育祭やいろいろな行事の本番ではなく、
練習の風景をしっかりと参観する。そして、
地域の「ご意見番」として、感じ、思った事を校長などにしっかりと伝える。

それが、絶対に必要だと思う。