土佐っぽ

四国は土佐国のもんが、日々の中で思いゆう事や、得手勝手な考えを書きよります。どうぞよろしく。

冤罪への償い

2007年01月28日 23時58分23秒 | Weblog
えん罪強姦:県警本部長、男性に直接謝罪 就職先紹介も
 富山県警が強姦(ごうかん)容疑などで逮捕した男性(39)が服役後に無実と分かった問題で、県警の安村隆司本部長と小林勉刑事部長が今月26日、男性に直接謝罪し、就職先の紹介など生活支援をする意向を伝えていたことが分かった。小林刑事部長は「組織としてのけじめ」としている。県警は捜査幹部が23日にも男性に謝罪している。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070129k0000m040026000c.html


もう、、数年前になりますかね、、。
さだまさしの歌を審判で紹介して、説諭した判事のお話し。
少年事件で、その審判でさだまさしの「償い」を話したという。。。

もしも、この警官2人がその償いをしたのなら、、
いや、
「警察のけじめ」らしいけんど、、。

結局は自慰行為でしかないのではと、、。

そんな穿った見方をしてしまう。。

性犯罪で逮捕拘留、判決後の服役。
刑事も刑事だろうが、
それをそのまま鵜呑みにする判事に一番の問題があろう。

自らが信じて自信をもっての判決が、、
実は冤罪だった。
だとしたら、辞職してもいいのでは、、、。

ろくに審理もせずに有罪、懲役刑。
その人の人生はほとんど修復不可能の状態。

よく不祥事をした公務員、、
まあ、教員なんか、、。
社会的制裁を受けたので、、もう、何をしても、
などという腹黒い好き放題ができる状況じゃあないだろう。

就職を斡旋、、、。
どれだけの仕事、ペイ、、
そして、自尊心を復活できるのか、、
そんな事を、既にサラリーを貰っている警官がしたとして、
一体、、と、、
ついつい、考える。

と、同時に、、、
自分自身が、、その警官である場合があるだろうと、、
過去に、未来に、、、
それがすごい気になる記事だった。

ついつい、、、生徒を裁いているのではないかと、、、、。

ザル

2007年01月24日 00時19分55秒 | Weblog
毎日新聞の記事、、

虐待などで保護の必要な子どもが増え、東京や大阪などの児童養護施設では定員を超えた子どもの入所を特例で認めざるを得なくなっていることが分かった。ただでさえ日本の児童養護施設は狭くて職員も少ないと指摘されてきた。被虐待児など専門の心理的ケアが必要な子どもも増え、現場からは悲鳴が上がっている。

という。、

義家が豪語する、、、
この国の教育の将来。

あっという間に、一杯の疑問の中で、簡単に成立した、
改正教育基本法、、、。

2005年の終わりから、、
2006年にかけて、
この国のあらゆる社会がおかしくなった。

その少し前から、、
自死が30000人を越えるという、、異常な状況。

そういう前兆がありながらも、、
為政者たちのなすがままに、好き放題法律が変えられ、
主権者は、どんどん苦しい生活を強いられる。
しかし、
その、生活にすぐになれ、、
誰が、なぜ、そういう状況にしたかを考えない。

あらゆる場所で「ゆとり」が奪われ、、
ハツカネズミのように、、ひたすら働くことを強要される。

60年かけて、教育してきた成果か。
柔順で素直な主権者を育てる、、、教育。
まるで、教育勅語の、
一旦緩急あれば、だ。

養護施設は、
一時保護と長期保護とに大きくわけられるが、、
一時保護の申請が行政からあまりにも多く、、
削減されっぱなしの予算に、
少ない職員で、
ヒガチに、、それこそ、夜昼かかわらず、、
一生懸命取り組みをしてくれている。

社会の弱者を、なんとか救い保護しようとする人達への手立ては、、、力を持つ強者にとっては、、どうでもいいことらしい。

ザルのような、、欠陥だらけの行政に、
いつ、、文句をいうのか、、

この国の主権者は。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


宮崎県知事

2007年01月24日 00時18分49秒 | Weblog
「腐ったみかんの方程式」というのがあるらしい。
箱の中でみかんがひとつ腐れば、それはその隣近所に及ぶ、、

宮崎の素人知事、、
素人だからこそ、、県民の意識そのままに、県政ができるのではないか、、
腹黒い、、そういう人があまりにも知事や議員でありすぎた。
理想を言うだけじゃあ、、と、
多くの人が言うが、

じゃあ、、
理想のない教育や政治、、これこそ暗黒の社会だろう。

実際、
政治も、経済も、、
好き放題にやりまくり。
結局は、そのツケは、、
何も知らされない、、普通に生活をしている多くの人達に回される。

談合であれこれした都道府県も、結局は、
そのエリアに住む人達がツケを払い続けるしかない。

今回、主権者が選んだ首長。

腹黒い県議は、、妨害だけはしないでほしい。

それだけが、、微かにしてほとんど不可能な願い。


拝金主義

2007年01月21日 23時58分18秒 | Weblog
この国は、良かれ悪しかれ、、
ある種の「格」を大切にしてきたはず。

それは、「誇り」でもあったはず。
自分の作り出す物への執着というか、、
自信。

「物づくり」への執念。
それが、匠とかの言葉に裏打ちされてきた。

今でも、それをひたすらに大切にする人達がいる。
ただ、
その人口は、あまりにも激減した。

その結果、、、
あらゆる産業で、

「拝金主義」がまかり通りだしたのではないか、、。

儲けは、経済活動では必要なものだろう。
しかし、それは、相応のもののはず。

それを逸脱しだした頃から、、
顧客の利益や満足よりは、企業の利益と満足、、に
変化した。
そして、何よりもタチの悪いのが、、
それを平気で認可する政府。

国民の福利厚生などというが、
結局は、政治家の懐を肥してくれる、、
企業の利益のみを優先した、その末路とも言える。

天皇を頂点とした貴族的な格差主義は、、
決して歓迎できないが、

自らの職人としての誇りを感じる、
自らの人格としての誇りを持つ、
そういう
「格差主義」は、大歓迎である。

どうも、
素晴らしく、素敵で、、
世界に誇れていた「格」は、
どんどん消滅し、、

醜い争いを招く、
弱いものが自死を選ばざるおえない、、
「格差社会」は、
益々固定化しつつある。

それが、、
どれだけ、この国の国益を損失するのか、、

結局、、ふさわしい政府を選ぶ主権者の選択肢でしか、、
判定できないのは、、何とも、、悲しいことだ。


一般参賀

2007年01月02日 12時42分12秒 | Weblog
この国が世界に誇れるものに、

日本国憲法と
教育基本法(改正前の・・)

がある。

もちろん、富士とか世界遺産の建造物や、食べ物など、、
さらには、人の暮らしも、、そうだ。

しかし、そういうものは、どの国にも必ずある。
形や風習、習慣などが違うとしても、、
我が国の、、誇れる自然に建造物は、、。

我が国の憲法の第1章は天皇について記されている。
そこには、天皇の仕事???が具体的に記されている。

本日2日の恒例の一般参賀ってのも、、
その仕事??になるのなら、、
なんか変に見える。

防弾ガラス越しに、かなり高い場所から、、
入場する前の厳重チェックと小旗の渡し。

春秋の園遊会ってのは、
特に選別された人が集まり、そこでお茶をして楽しむらしい。
わたくしは、招かれた事もないので、、不明。

広く、主権者に親しく会うのなら、、
池袋でも、新宿でも、、
なんなら、宮殿の正殿あたりを、公開して、
そこで、全部は無理じゃろうから、、
ガラス無しで、、
会えばいい。

この国の主権者、
言わば、ニホンで一番偉い人達。
その最上位にいる人の前に出るのは、
年間で、そうそうない。

誕生日、正月ぐらい。

掃除に来る人の前で、、「ありがとう」は、あるとしても、
ほとんど主権者の前で顔は見せない。

年間約200億円の税金を使って存在する彼らが、
主権者に対し、もっとサービスしてもいいんじゃないか、、
と、
感じたら、、いかんだろうか。

革命の無い、国だから、、そうなのか。
実体の無い民主国家だからか、、

しかし、これから地球社会では、
ジパングのままじゃあ生きていけない、、
ってのが、明白だと、思うけど、、。

一年に一回しか出さない。
だから、、
貴重で、
すごい。
神秘的、
ってのが、多くの人にはある。
それは、いろんな物や何か、、。

それを、200億も税金を費やして温存するのは、
どうも、、不可思議だと、、。

ここに書くのは、

「不敬罪」だと、、

ある人達から言われるだろう。


「非国民」という言葉が公的な場でも復活しそうな、、
そんな、2007年だからこそ、、。

すごい、怖さに背中が震える。


謹賀新年

2007年01月01日 04時08分23秒 | Weblog
2007年になりました。

新年、おめでとうございます。
新しい年、2007年が、幸せで平和な一年でありますよう祈ります。

2006年は、
この国があまりにも変わってしまった一年でした。

国民にふさわしい政府を選ぶとは、言いつつも、、
投票という行為を利害だけで選んだ後、、
政治に関心を持つことがタブーとされるような、
そんな見せかけだけの民主社会になっているこのニホンは、
「おまかせ主義」という危ない無責任社会になっています。

自己責任という、ほんとうに汚い使われ方をした年がありました。
主権者の責任とは、
選挙と言う行為で選んだその後にどれだけの監視をするか、、
選んだ人間が、ほんとうに自分たち主権者を幸せにするために死に物狂いで働いているか、、
それを、常にチェックする、ということなんです。

しかし、多くの主権者は、チェックし修正するという、常にだれにでもが持っている主権者の誇りと責任を、、ほとんど放棄してしまっている。
その結果が、、2006年のあらゆる出来事だと、、思うんです。


多くの命が流されて初めて気が付くのでは、あまりにも悲しみが大きすぎます。
どうか、その時がくるという事を想像してみてください。
目の前で、愛する人が、、、
目の前で、今まで、笑っていた人が、、、
真っ赤な血を流して息絶えて、
真っ赤な血を流してもだえ苦しんでいる、
そんな瞬間が来ることを想像してください。

だれでもない、自分が選んだ、投票したその人が、
戦争に賛成するんです。

2006年は、
より所であった教育基本法が改正され、
「国民に直接責任を負う」教育から「法ときまり」に則った教育へと変わりました。
それは、「一緒に考えましょう」から「決まりですから」への変化とも言えます。

あらゆる社会で、誰もが幸せに生きる権利を持つことの誇りが罪になりそうなこの国で、
『弱』という者への攻撃が激しくなっています。

『強や勝』を求めすぎた教育の成果でしょうか・・
きっとそうなんです。

間違いを探し、
間違いに気づき、
それを修正できるようにする。
それは、やっぱり教育の目的であり目標なんです。

あらゆる社会、
あらゆる場面、
あらゆる人達、

誰でもが幸せを感じれる社会をめざして、努力しなければいけない2007年のようです。

今年も、どうぞよろしくお願いします。
そして、
心と、身体を、どうぞ大切にされ、豊かで幸せで、平和な一年になりますよう、
心から祈っております。。