土佐っぽ

四国は土佐国のもんが、日々の中で思いゆう事や、得手勝手な考えを書きよります。どうぞよろしく。

3月30日(金)のつぶやき

2012年03月31日 01時17分38秒 | Weblog
23:00 from gooBlog production
確かに「あいさつ」は第一歩。 blog.goo.ne.jp/orgel/e/c31f21…

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確かに「あいさつ」は第一歩。

2012年03月30日 22時59分47秒 | Weblog
あるお母ちゃん。
息子の友達が家に遊びにくる。

「こんにちわ。おばちゃん、今日も暑いねえ」と、
元気に入ってくる友達。

「こんにちわ」と蚊の鳴くようなというか、聞こえない声で、、
そろっと入ってくる友達。

そのお母ちゃんの評価の基準は、
元気に大声で挨拶ができるというそれだけ。

だから、息子にとって最大の親友で、
一番の信頼ができる、後者は、
「いよいよ、ひとっつも聞こえん。あれじゃあいかん」
という事になる。

確かに、挨拶ってのは、

相手の存在を認める有効な手段ではある。
だからこそ、
相手に伝わるってのが、最大のポイントになろうが、
しかし、それだけで、その人間の人間性や能力が否定される、、
という訳でもないはず。

問題は、
挨拶しやすい雰囲気の社会か。
挨拶しなくても、お互いが認め合っているのか、
大声の有無、挨拶の有無、
そんな、評価基準ではなく、人間としての豊かさや深さ、
それこそが、実は、最大の評価基準だという、
そんな認識をもっているか・・・・

だろう。

確かに、「挨拶は第一歩。」

それは、紛れもない事実だが、、
それだけで断定するのは、あんまり過ぎるだろう。
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3月27日(火)のつぶやき

2012年03月28日 01時17分48秒 | Weblog
20:26 from gooBlog production
「脱マニュアル」できない教師達 blog.goo.ne.jp/orgel/e/e996cd…

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「脱マニュアル」できない教師達

2012年03月27日 20時26分02秒 | Weblog
高校教科書、脱「ゆとり」でページ数11%増(読売新聞) - goo ニュース



「脱ゆとり」だとか、「学力テスト」など、
どうにも、この国の教育社会には、

『みんなと同じ』という、集団・集合主義という
ある特定の「枠」の中で、勝敗を追求しようとする
『競争原理』が真髄まで及んでいるようだ。

しかし、それじゃあ、
PISAやTIMSSなどなどの、
国際的な「学テ」には、
絶対に勝利は望めない。

なぜなら、
『枠』を超えた想像力や、工夫、発想性が、
これらの国際的なテストに求められているから。

自由で、いろいろな思考でないと、
今、国際社会で認められにくくなっている。
というよりも、
PISAや、TIMSSなどの点数に右往左往される。
それも、
いわば、点的な、極めつけの一部の評価でしかなく、
人間の多様性なんかが、それで評価できるはずもない。

これは、欧米などでは、確定された当たり前の話し。

何より、
「ゆとり教育」を理解できない教師。
「ゆとり」を感じれない、持てない教師。
「ゆとり」を遊びと、大間違いした教師。

同時に、保護者と教育委員会。
さらには、豊かな想像性に欠くメディアの報道。

これによって、本当の「ゆとり教育」を間違いきってしまった。
アメリカの教員が、「なんと愚かか」と、つぶやいた事があった。

当時の文部省の調査官などは、
「ゆとり」によって、

自分の課題を追求できる。
自分のテーマを探して、それに没頭できる。
インドアになった子どもがアトドアで自由闊達に遊べる。活動できる。
学校の教師が、自分自身の研究を進める事ができる。
だからこそ、
週休2日であり、
学校での教科内容を最低限として、
それ以上は、個々の学校での活動の自由度を大きくすると。
教科の内容を少なくし、基礎基本を最大重視し、
「総合的な学習」の導入。

ただ、あまりにも不幸だったのが、
どの学校の教師も、

教科書と指導書が無いと授業ができない。

という、、あまりにもお粗末な現実があった。
だから、マニュアルが存在しないと、
どうしようもできない。
そんな学校現場になってしまっている。

それは、簡単に言えば、
進化も、進歩も棄てた学校の教師ということになる。

主権者として、
この国の国民が、何を未来に求めるのか
そこにこそ、重大なポイントがあるが、

『マニュアル』信仰に没頭しきったこの国の国民が、
結局、変化するのも、

最終的には、「教育の力」でしかないのだが。

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3月26日(月)のつぶやき

2012年03月27日 01時16分34秒 | Weblog
02:50 from web
@Mazda_PR マツダHPのドライバーズボイス。これはどうにも怪しい。5段階評価を購入者や試乗者が評価をするが、悪評は載せないようにしているらしい。これでは、企業としての成長は望めないどころか、せっかくのクリーンディーゼル搭載のCX-5の進化は無いだろう。残念極まりない。

02:55 from web
主権者ってのは、いったいなんだろう。とここ最近よく考える。社会は個人の集合体。あらゆる、同じものの絶対にない個性の集合体になる。その中で、自分も他人もが等しく人権を持つ。それを知り納得できないと、主権者とはなれないのではないか。自分も幸福になりたい。しかし他人も同じようにと。

02:59 from web
では、『よき主権者』とは何か。これも難しい。社会を動かす。方向を決める。その時、確実に責任を感じれる。おかしければ、一人だけでも声をあげる。そういう主権者が望ましいんだろうが、なかなか難しい。どうも、「強いものには巻かれろ」が、あまりにも蔓延しすぎたようだ。それは主権の放棄だ。

13:17 from Tweet Button
「英女王が結婚式に飛び入り」 yahoo.jp/_EjVLI #yjfc_british_royal_family (イギリス王室)さすが市民革命の国。ニッポンなら「臣民」が招待状を送れば『不敬罪』騒ぎだろうし、万一宮内庁が受け取っても『御上』に「奏上」しもしないだろう

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3月24日(土)のつぶやき

2012年03月25日 01時16分47秒 | Weblog
20:41 from gooBlog production
「見世物」で終わらせますか??? blog.goo.ne.jp/orgel/e/f0b566…

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「見世物」で終わらせますか???

2012年03月24日 20時41分18秒 | Weblog
「川に落としたろか」自転車の中学生脅す動画(読売新聞) - goo ニュース




以前の職場では、自転車通勤をしていた。
メタボ解消というか、成人病対策が最大の理由。

ある日、
歩道、せいぜい2メートル程度の歩道を走っていた。
そこは、歩行者と自転車が走るよう、
道路標識にはある。そう、画像のもの。

丁度、工事中でガードマンがトラックの誘導をしていた。
前方から老人や小学生などが歩道を歩いているので、
車道に出て自転車を運転した。

その時、ガードマンが、歩道を通るように指さし、
そして、大声でどなっていた。
しかし、車道を通過した。
きっと、あのガードマンには、自分の後ろにいた老人も小学生も見えていなかっただろう。

車道も十分な広さのある道ではないが、
しかし、
自転車を下車しても、狭さはどうしようもないぐらい。


道交法の改正などで、
自転車も軽車両として取り締まりが厳しくなり、
自転車専用のレーンができたりしている。

だが、地方でも都市部でも、
この国の道路行政では、
自転車や歩行者は、必ず二の次にされてきた。

経済の振興、流通の円滑化などなど、
豊かさの象徴としてのマイカーなど、
道路は、今でもどんどん建設されているが、
しかし、
自転車が、歩行者が、
安全で、快適に走れる、歩ける。
そういう「道」は皆無にひとしい。

まして、
自転車通学を当たり前にする中学校や高等学校。
さらには、
恐ろしいまでのガソリンの値上げで、
自転車通勤をするサラリーマンなどなど。

これから、益々自転車の通行は増大するだろう。
その中で、
間違いなく、自転車と歩行者。さらには車。
との交通事故や、大小のトラブルは、
激増するはず。

その中での、この事件。

ドライバーの精神状態がどうかは不明だが、
しかし、
無謀な運転をする自転車の学生や人たちに、
怒鳴りたくなる。
その気持ちは、十分に理解できる。

ただ、じゃあ、、
このニュースを、
自転車の中学生と、ドライバーとの、
関係や、誰か個人を責めるだけで終わる。
とすれば、

やっぱり、このニホンの主権者は、

福島の原発被災者や、
東北各県の地震と津波の被害者。
さらには、
沖縄での米軍の騒音に苦しむ人たち、
そして、
多くの失業者や、ホームレスの人たちの、
その「こころ」に、
近づくことはできないと、

やっぱり、、悲しく思ってしまう。

主権者だからこそ、できる。
主権者だからこそ、しなくてはいけない。

ものがあるはずだ。

激情的、独裁的、首長を選び、お任せするよりも、

自らが、あらゆる場所で手法で声をあげ、
主権者の意識を、思いを政治に伝える。

その努力こそが、
このニュースにあるような、異常さを止めれると思う。
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3月23日(金)のつぶやき

2012年03月24日 01時18分48秒 | Weblog
23:39 from gooBlog production
「滅びへの道」 blog.goo.ne.jp/orgel/e/6b3820…

23:48 from gooBlog production
それでも・・・「主権者」の選択なんです。 blog.goo.ne.jp/orgel/e/996c42…

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それでも・・・「主権者」の選択なんです。

2012年03月23日 23時41分05秒 | Weblog
大阪府教委の委員長、辞任へ 教育条例「責任感じる」(朝日新聞) - goo ニュース


得票率60%で、何をしてもいいんだ。
というお墨付きを与えた。
それは、誰の責任でもない、
主権者の責任。

その結果、どうなろうとも、
その責任は、首長ではない。
その愚か者を選んだ人たちにある。

大阪の知人は、こう言った。
「きっと変革してくれる。何かが変わるはず」と、
彼の大阪府知事在任中、
じゃあ、、
大阪府民の平均所得が向上したのか、
大阪府民の労働条件が改善したのか。
大阪府民の幸福度が向上したのか。
大阪府民のだれもが、生きていてよかったと感じる事ができたのか。

どうも、先ほどの知人は、
それは、全部無かったと。

しかし、

まるで、平井鉄太郎の詩のように、
大阪府民も市民も、、
太閤さんの出現のように、
強いことばに、、酔いしれている。

なんという、、不可思議な事だろうか。

ドイツのヒトラーを選んだドイツ国民は、
ヴァイツゼッカー大統領の時に、

戦前の極悪非道な残虐行為と、
戦後の欧州を中心とする世界各国に、

「過去に目を閉ざす者は、未来に盲目となる」と、

ナチスの行為を完全に否定し、そして世界に宣言をした。

ヒトラーは、誰でもない、選挙で選ばれた。
それを、忘れてはいけない。

「主権者」は、国家の最高権力者であり、
このニホンでは、

そう、我々国民が、その「主権者」なんだという事を。
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「滅びへの道」

2012年03月23日 23時39分22秒 | Weblog
高校生45人に竹刀・パイプで体罰…3教諭謹慎(読売新聞) - goo ニュース


少年犯罪や、いろいろな犯罪などに
社会的な厳罰要求感覚が、どんどん肥大化しだした。

学校という場では、
愛のムチだか、躾けだか、指導だか、
まあ、
いろいろな言葉に置き換えた「体罰」という名の『暴力行為』が、
横行している。

学校ナンバーワンの強面の柔道部顧問で当然有段者。
その体育教師が、
職員室内の通路で生徒を正座させ、蹴るという行為での
ご指導をおこなっていた。
それを知る周囲の教師も、見て見ぬふり。

丁度、授業から戻った私が、
異様な職員室の雰囲気を感じたので、
様子を見ると、
小柄な生徒が正座。

「どういた、どういた、、なんで正座しちゅう、
次の授業が始まるろお、はように教室に行き」
と、大声で言う。

怒りという感情の爆発が落ち着いたのか、
その教師は、「行け」と一言。

今までに何度もそういう事態があったと。

大阪の首長や、いろいろな首長が、
厳罰主義で一般市民の気分をよくさせている。

裁判員裁判でも、
かなりの厳罰主義というよりも、社会的報復主義とも言える、
そんな判決を出している。

裁判員裁判は、刑事裁判よりも、国やその他の行政を相手に行う
「行政裁判」にこそふさわしい。
市民感覚が欠落したと言われる裁判官では、
権力サイドにいることで出世が保証されるという裁判官では、
到底、「市民感覚」なんぞあるはずもない。
だから、「行政裁判」こそが、、、だが。

どうも、個人や少数の特定の人に厳罰を与える。
または、
個人や少数の特定の人たちを攻撃する。
それで、自分の安定や安全がはかれる、
そういう社会が、まるで歴史の復活のように、
この国や、いろいろな場所で広がっている。

マルティン・ニーメラーを忘れるな。

と、声を大にして言いたい。

教育問題で、
学校現場も教育委員会も、全く理解できず、
何をして良いのかさえ想定できなかったから、
まるで、大失敗の代表のように批判される、
「ゆとり教育」を攻撃するが、

「体罰」こそは、愛のムチだと主張し、
そういう時代もあったと懐かしがる人たち、
学校という教育の場で、
あらゆる形、方法での
「暴力による解決」が、
社会の中にどれだけの「ゆがみ」を生み出すか、
まさに、証明しているような気がする。

私たちの社会そのものが、
厳罰主義や、暴力での解決を求めだしたら、
それは、
「滅びへの道」以外の何者でもない。
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