土佐っぽ

四国は土佐国のもんが、日々の中で思いゆう事や、得手勝手な考えを書きよります。どうぞよろしく。

「競争原理」のなれの果て

2012年09月11日 21時32分38秒 | Weblog
小中高生の自殺200人=25年で最悪、いじめは4人―半数は理由不明・文科省調査(時事通信) - goo ニュース



わたしも、中学、高校と、同級生に執拗に嫌がらせを受けた。
中学校の時には、それが嫌で、
家を出たが、そのまま近所の山で時間を過ごし、
草むらで弁当を食べた・・・・・・

担任から親に連絡があり、
かなり、怒られた・・
そんな記憶も、今なお鮮明に残っている。


多くの学校の教師は、
中高などでは、顕著だが、
運動部などで活躍し、
大学を経て、
教員になった経験のある人が少なくない。

彼らは、後輩と呼ばれる時には、
先輩と呼ばれる人たちには、ほとんど服従するが、
しかし、後輩と呼ばれる人には、その真逆の対応をする。
きっと、そういう関係で、
自分の中にあるかもしれない・・・
ストレスを発散するだろうし、
同時に、
授業や、学級経営は、
「恫喝」を主体とした『指導』をし、
そして、部活動の監督業では、

もっとも、自分にとっての最上の幸福の時間を過ごすだろう。

だから、
先輩と呼ばれる人たちからの、嫌がらせは、経験があるだろうが、
しかし、同時に、それを、後輩と呼ばれる人に返している。

試合やその他では、完全な実力主義であろうから、
個人競技で、先輩に勝てば、相応の満足と勝利感があろう。

だから、
多くの教師は、「いじめ」の被害者のこころの中は、
実感として共感はできないだろうと思う。

そういう学校の教師の実態に、

さらに、
文科の「学テ」により、点数による振り分け。
学校や、市町村の平均点対抗合戦が、始まってしまい、
どこの都道府県でも、市町村でも、
今、「学テ」の平均をいかに上げるか、
それだけに、奔走している。
そこに、
「いじめ」の自死。

しかし、「いじめ」の本当に実態は、
学校の教師も、まして、教育委員会なんぞが、
それを把握しているはずがなく、
結局は、事件が表面化して、あたふたしている。
というのが、現実だ。
さらに、学校の「いじめ」調査でも、実数を記入しない校長は、
いくらでも存在する。

だから、少ないから、その市町村が、学校が、
幸福で平等な学校と言うことには絶対にならない。

結局、
「数字」というもので、いかに上位を取るのか。

それは、
部活動の試合の勝敗。
学校内で行われる、あらゆる「コンクール」。
点数の獲得合戦などなど。
そして、「学テ」の平均点。

そこに、メディアを含め、
あまりにも、多くの人たちが、「勝者」を求めてしまうという、
そういう、非常に意味の無い『競争原理』が学校を、子どもを追いやっている。

という事になる。

「競争」を全否定するつもりはないが、
しかし、
あまりにも、「勝ち組」を求める。
あまりにも、「目先の利益」を求める。
その結果、
こころが、健康で、他人の悲しみや苦しみ、そして、喜びを、
感じる事ができなくなっている。
それは、紛れのない事実であろう。

企業で、社会で、学校で、
もう、そういう無益な「競争主義」から脱却しないと、

最終的には、戦争に繋がってしまい。
最悪の悲しみと苦しみが、
自分自身におとづれる

そんな事にならないよう、
個々が意識を変えないといけないと思う。