土佐っぽ

四国は土佐国のもんが、日々の中で思いゆう事や、得手勝手な考えを書きよります。どうぞよろしく。

宜野湾市長 お見事。

2009年12月19日 17時27分42秒 | Weblog
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

象徴を決めるのは、主権者のみ。

2009年12月12日 11時42分30秒 | Weblog
陛下と中国副主席の会見指示
で、、、
宮内庁が、お怒りらしい。


さて、クイズです。
睦仁→嘉仁→裕仁→明仁
この中で、国民の祝日になっていないのは誰でしょう?

世界に誇れる日本国憲法は、
あまり多くの国民には認知されていないらしい。

だから、、
公務員が好き勝手する。
そもそも、
憲法ってものは、

だれが、まもり、、尊重しなけりゃいけないか。

それも、実は、憲法に明記されている。

しかし、
どうも、、多くの人たちは、
いまだに、
「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」を、
ひたすらに信じているようだ。

それもこれも、、政治的に利用してきたからだろう。
もちろん、、
自民党政府であり、
民主党政府でもあり、、
結局は、
この国の主権者が、、である。

憲法第一条には、明記されている。

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

と。
だから、主権者が選んだ政府が決めればその通りになるということだ。
まあ、、今回は、民主的でない小沢が、「モタモタするな」と、
鳩山に一喝したらしいが。。。。

問題は、
政治的利用に活用される、天皇制をいつまで温存するか。
であろう。

その地位は、主権者が決めれるというルールを、
あまりにも、知らなさ過ぎるのではないか。

あ。。。。。

最初の、クイズ。

睦仁の誕生日は、11月3日
嘉仁の誕生日は、8月31日
裕仁の誕生日は、4月29日
そして、
明仁の誕生日は、12月23日

そうなんですね。
大正天皇の誕生日は、なんにも、、です。
なぜ??
それは、ご自身でお調べください。

最後に、憲法99条には、、、


天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

ここには、主権者も、国民も、、、明記されてません。

日本中の社会科教員は、
このことを、もっと知るべきです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

部活動での、暴言・暴力

2009年12月11日 00時32分42秒 | Weblog
これだけ、
社会がしんどい状態だと、
確かに、我慢というのをしなければいけないのかもしれない。

主権者たる国民がみんな我慢を強いられている今、
じゃ、、、
何をどうするべきなのか、、。


こんな事実がある。


非常に強い部活。
全国の大会にまで出場できる。
そこには、
教員ではない外部コーチがいる。
彼の努力のおかげで、
全国の大会にまで出場した。

しかし、
そのコーチは、
徹底的に選手(生徒)を攻撃する。

ある日。

学級担任に母親から電話があった。
どうしても相談したいことがあるという。
担任は母親と面会する。

今日、子どもが、休み時間に母親に電話をしてきたという。
「部活をやめたい。」と、
母親は、「どうして?」と聞き、詳しく子どもから話を、聞いた。

すると、
部活練習で、
コーチから「死ね」などと言われ、
殴る、など連日、暴言、暴力を受けるという。

母親は、もちろん知っている。
彼が、試合中であれ、なんであれ、
暴力を選手にふるい、暴言を吐くことを。
多くの保護者もそれを容認している。
選手は、
暴力をうけようと、
全国にいける、行かしてくれるコーチだと、
ひたすらに我慢している。

だが、しかし、
日ごろから、恐怖におびえている子どもの必死の訴えに、
ひとまず、家に戻るように言う。

子どもは、帰宅するが、、
もしも、練習にいかなければ、
どんな仕打ちがまっているか、、と、
子どもの学校生活を心配した母親。

親子は話し合い、仕方なく、
子どもに、シューズを忘れたので、遅れたということにして、
練習に行かす。

担任には、
絶対に顧問には話さないでくれという。
もしも、コーチに知れたら、
どんな、恐ろしい目にあうのか、、
ただ、それだけを恐れている。
担任は、了解するしかなかった、、、と。

その生徒の学年の会議で、
担任がその事を報告した。

人権担当は、
許すことができないことだと管理職に報告し、対処するようにする。
しかし、
武道経験者の体育教員は、
1人その会議の中でうつむき、じっとしていた。
会議終了後、体育教員は、急いで帰宅する。

その日の夜、
担任に、母親から電話がある。

子どもは吹っ切れたようで、
元気に部活にも行きます。
だから、何もしないでください。
絶対に、何もしないでください、、、、と。

翌日、
人権担当者は、
校長に文章にしてその事実を告げる。
数時間後、
校長は、何気に、
「これは、外にだしてはいけない。」
「外部から聞こえても知らないと言え」
「管理職が対処したから、これはこれまでとしろ」
などなど

決して事実を封殺してはいない。
しかし、闇の中に葬りさろうとはしている。


目には見えない。
表には現れない暴力が、存在する。

それは、時に非常に強力で、強大になる。

それは、社会の中で必要なのだろうか。
それは、誰もが幸福である社会に必要不可欠なのであろうか。
それは、平等で、自由で、人権が存在する社会に・・・・・

何をまもるべきか
何を大切にするべきか
何を最優先するのか

どうも、そういうものが、
この国では、どんどん希薄になり、
消え去ろうとしているようだ。

学校とは、
世界に誇れる日本国憲法の理想と理念の実現のために、
存在する公的機関。
そこでは、
徹底して、生徒のあらゆる人権が尊重されなければいけない。
しかし、
戦後、このかた、、、
この国の教育現場のどこに、
それが存在するというのだろうか。

教師は、強者であり、生徒は未熟でおろかなものだとし、
徹底して、指導と言う名の強制を行ってきた。

そこでは、徹底的な我慢を押し付けた。
確かに、我慢は必要ではある。
しかし、
不合理や、不都合、
さらには、暴言、暴力、、差別、
などなどに対しても、我慢をしなければいけないというのは、
あまりにも、
憲法を無視した所業ではないか。


もしも、、公務員を攻撃するのなら、

主権者としての誇りと責任で、攻撃してほしい。

学校という怪しげな場所では、
毎日のように、
あらゆる不合理が当たり前のようにおこなわれている。

そして、その不合理と、人権無視を、
教師は、生徒に我慢させ、強制さえもしているのである。

この国から、
暴言や暴挙を少なくするには、

やっぱり、

主権者が、主権者として、
しっかりと、監視し、
そして、必要に応じて、適切な攻撃をすることしか
無いのではないかと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする