土佐っぽ

四国は土佐国のもんが、日々の中で思いゆう事や、得手勝手な考えを書きよります。どうぞよろしく。

<君が代伴奏拒否>教諭の敗訴が確定 最高裁判決

2007年02月27日 21時04分07秒 | Weblog
<君が代伴奏拒否>教諭の敗訴が確定 最高裁判決


最高法規を憲法とするのは、
どの教科書にもあるしほとんどの人が知る事実だろう。
ただ、
当たり前が、そうでない状況になりつつある。

文科大臣が、バターと人権を言う。
厚労大臣が、女性は産む機械と言う。
そして、
恥ずべきかな、高知市議(自民党)は、中年女性を産めなくなった機械と、、。

人権というのは、
個々の人間がしっかりと自覚しそれをまもろうとしない限り、
どんどん削減され、最後には消滅する。

隣の国の誰かが、ニホン人を拉致した。
そこに憤りがあるのは、人権を無視したからだ。
だれでも、幸せに生きれる、生活できる、、権利がある。
自由に、自己の願いや思い、そういうものを発表できる自由もある。

しかし、、
いかなる状況であれ、それが制限されだすと、
それは、どんどん一人歩きし、最後には
人権????
アホか、、そんなもの存在しない。。
になろう。

自己の人権は、他者の人権をまもるところから保障される。

国家に忠誠を誓い、
滅私奉公を強制する時、
それをされた公務員は、当たり前のように、、
多くの国民にそれを強制するだろう。

それは、過去の歴史が明確に、、
明確に、、証明してきた。

どうして、それが分からないのか、、

そう、
やっぱり、教育の敗北なんだ。

ほんとうに、、教育の敗北なんだ。

この国の民は主権者を捨て、
臣民になろうとしている。

まるで、60年以上前の、あの時のように。。。


写真1

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チームスポーツとは・・・

2007年02月24日 22時20分44秒 | Weblog
ある人の言葉、、

チームスポーツが意味するものとは・・、

公明正大な社会のひな型であり、
その社会では、
みんなが、同じ目的を持ち、
みんなが、同じルールで動き、
もしも、
違反をするものがいれば、
その場で処罰される。
それも、
有無をいわさず・・・。

それが、チームスポーツの意味である。

そして、、

チームスポーツとは、
絶対的な男性支配を基本とするシステムで、
ユングの言う『動物的な衝動』を、
口当たりのいい飾りことばに言い換えたに過ぎない。

元来、闘争本能は古代原始人より受け継がれたDNAに存在し、
それをスポーツという形で発散させている。

学校という場で、
同じ目標を持たせ、
同じルールで縛り、
そして、罰を与える。
そのジャッジは教師が行い、
支配しようとする。

特に、部活と受験では、それが顕著すぎるほどに顕著にイヤラシく出る。

監督が指名するスタメン。
そして、「勝つ」ことだけを目標とした取り組み。
部活のルール。
試合のルール。
それだけには忠実な生徒。

同じく、受験もそう。
同じ問題を同じであろう採点基準。
そして、点数だけで合否が決まり、、
人生に大きな影響?がある。

ここには、
「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育」などは、存在しない。

そう、、
実は、学校が、この国の最高法規と教育基本法をだいなしにしてきた犯人であり、
最大の組織でもある。

そのことに、まだ、、ほとんどの教師と呼ばれる人達は気が付いていない。
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JR西日本の奢りの理由

2007年02月22日 21時03分44秒 | Weblog
JR西日本の被害者への強気の態度を見るにつけ・・・・
耐震偽装の企業を見るにつけ・・・・・・・
官僚などの癒着や好き放題を見るにつけ・・・・・
放送局の、数字を追うがゆえの偽造を見るにつけ・・・・

ほんとうに、、恐怖の中にいる。

例えば、、
第一線の運転士などの労働者が、
職人的な「誇り」と「自信」を持って働けていた、
そういう時代はほとんど消え去った。

あちこちの職場や産業で、こういう状況がありすぎる。

それは、
世の中の多くの人から組合が攻撃され出した時期とほとんど同じ。

労働者などの苦しみや困難は、政府になんとかして貰う、、
いわゆる、権力者に願い出る「お慈悲」を待つようになったから、。

春闘とか今ではほとんどファッションのようなものだろう。

貴方は組合に所属していますか?
自らの労働条件や生活の向上に集団で闘おうとしていますか?

これほどの格差が出た今、、
これほど、労働者がクソミソに扱われているのに、、
組合の存続が危ぶまれている。

企業の経営者は、政府にしっかりとまもられ、
もしも、反対する物があらば、、
国会議員(もちろん自民党じゃない)であれ、脅迫される。
そういう暴力による恐怖で従わせろうとする社会になった。
それが、当たり前になった、。

何度でも言う。
それは、教育の成果だ。
確実に、戦後60年かけてしたたかにおこなってきた成果。

主権者の意識がどうであれ、教育基本法は改正され、
遠からず、憲法も改正されるだろう。。

それも、教育の成果。
団結や争議をする権利がありながら、、
それを自らが放棄してきた。

まだ、、どれだけの権利を放棄するつもりなのか、、。

「日の丸」や「君が代」に反対すれば、

授業がいかに素晴らしくとも、
学級経営がいかに見事でも、、
児童生徒から、どんなに慕われ尊敬されていても、、
多くの卒業生から信頼され長くつきあっていても、、

「日の丸」や「君が代」に反対するだけで、

辞めろ。。
クビだ。。
それでも教師か。。

人間としての、何よりも人間としての権利さえ奪われてしまう。
それを、多くの普通の国民が、当たり前に言い出す。。

人の権利を認めれないということは、
そのまま、、
自分自身の権利の放棄をしているんだ、、
ということに、気が付かない。

それを、上手に利用して、これからもどんどん権利は消滅していくだろう。。

自分が強者だと思い込んでいて、、
ほんとうは、弱者なんだと気が付いた時、
全てが遅かったと、、、
それでは、
あまりにも、あまりにも、、

遅すぎるんです。


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右向け右。(幹事長の一括)

2007年02月20日 21時13分28秒 | Weblog
国から、、

「国のトップち集団がこれほどまじめにやってるんだ。だから、下々の国民もこれに見習え。。」と、

言い出すのは、そう遠くないだろう。

あちこちのあらゆる社会集団で、トップが来れば起立礼。
まるで、
小学校や中学校、高校などで、、
授業の始まりに、
「起立・・・礼!」と、やるように、、
そんな風景が当たり前にみられるようになるのかも、、

まあ、この「美しい国」の国民は、いとも簡単に臣民になれるらしい。
そうやって教育を徹底してきたから、、。

授業の初めに、
「起立、礼」「始めましょう」「よろしくお願いします」
授業の終わりに、
「起立、礼」「終わりましょう」「ありがとうございました」

しかし、、
なぜ、学習の権利者である児童生徒が、
「お願いして、ありがとう」なのか、、
だから、私は授業ではこれはしない。

「礼儀もでき無い奴が何を言うか、、、。」

と、多くの声が聞こえそうだが、
だれかに強制されて挨拶をする事ほど、
無意味で乾燥したものはないだろう。

小さい数歳からこれを強制されると、
それは、必ず当たり前になる。

この国の教育の一番の恐さは、、、
個人の人格や個性、疑問感、想像性や創作性、などなどを、
あらゆる手法で封殺してきたところにある。

だから、前の教育基本法の理念などはだれも理解してないし、その実現に努力もしなかった。

幼稚な閣僚たちが、オヤジに一括されて、、
すぐにしゅんとなり言うことを聞く。

ある面、素晴らしいんだろうが、
非常に危険であり、恐怖に背筋がゾゾっとする。
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F22 戦闘機 「ステルス」という道具

2007年02月17日 19時08分07秒 | Weblog
闘争本能というのがあるという。
それは、だれにでもあるのだろうか、、
それは、他人に対してのものだろうか、、

なんらかの行動にでるときに、
自分自身のマイナス面との闘いで、
より人間らしく善良に生きようとする、
その意味での闘争本能ならば、それは、素敵なものになろう。

しかし、
殺戮や破壊、そういう人間の歴史の中で、
苦しみと悲しみ、怒り、という、、
人間としてのマイナス面が顕著にあらわれる、
そういう本能として表現されたのなら、
それは、
結局は、、
教育の敗北だし、
民主主義の敗北でもあり、
人権や倫理などというそういうものの敗北でもある。

闘争本能を最も刺激するのが、戦争だと言う人がいる。

どの社会であれ、時代であれ、場所であれ、

「人を幸せにする戦争」など存在しない。

米軍基地を引き受けてもらっているオキナワに、
とてつもない殺戮の道具がやってきた。

それを、歓迎するマニアがいる。

そこには、
目の前で、血の海にうごめく、
目の前で、内蔵が飛び散り息絶えた、、
そういう凄惨でむごい状況は存在しないのだろう。

高度な兵機による殺戮は、
その数字が膨大なものになる。

ゲームや楽しみで戦争や兵機を語れる、、
そこに、、

教育の敗北をつくづく、、感じる。
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教職員組合と宣伝カー

2007年02月12日 23時20分49秒 | Weblog
日教組であれ、全教であれ、、
何らかの大会を開こうとすると、
近隣のあちこちから宣伝カーがやってきては、、、
それはそれは騒音を撒き散らした。

それを、多くの善良な主権者が、、
あいつらのせいで、、と、
組合の教員を攻撃したものだ。
だから、
あの宣伝カーの方たちは、理解者を得たとして、
さらにエスカレートした。

学校の教員は、、
あらゆる場所であらゆる人の注目をあびる。
それは、当然の事。

教え子は何とか覚えていても、保護者や地域の人は記憶できない。近隣のスーパーやその他でも、
あ、、「***の先生」と、わかる。
ある意味、
24時間365日、、見られている仕事だとも言える。

もちろん、それは、当然納得の上で、その仕事をしているはず。
土日に完全な休日もないのが普通。

ただ、、思うのは、

もちろん、自分自身を含めて、、、
注意や要望、疑問を、多くの人から持たれる教員は存在するし、
もちろん、自分自身を含めて、
「あいつが、、よくもまあ、学校で先生と、、、」と、
資質を疑われる教員もいる。

「聖職者のくせに、、、」など、、、

でも、思うのは、、、

攻撃しても、、、
教育は変わらないと、、言うこと。

国、都道府県、市町村、
評価をして給料に多額の差をつける管理職、、
などに、徹底的に管理されている、、
その教員を、攻撃しても、、、
教育は、多分、、ほとんど変わらないだろうと。

なぜって、、
今、教育の現場には、、
自己裁量や、自己選択など、、
創意工夫などはできにくい環境にあるから、、。

授業力や、生徒観、教師観などは、、求められず、
ひたすらに、忠誠を求められる。

まあ、、それが、この国の主権者の選んだ方向ならば、、
当然、、そうだろうが、、。

教員は、
憲法に忠誠を誓い、その理念を目指す教育活動をすべきだが、、どうも、、そういうのは、
攻撃される格好の的らしい。

しかし、、
それも、、
戦後60年の教育の成果でもある、、。
それは、、間違いない。

部活と受験で、
「勝つ」ことのみを、、徹底的に教育してきたのだから、、。

今、、、、

あの宣伝カーの代りに、
多くの主権者が、宣伝カーになってしまっている、、
そんな恐怖が、、、ある。
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部活という名の暴力

2007年02月12日 01時34分28秒 | Weblog
既にご存じの方も多いだろうが、
今日のドキュメント07は、
見ていて苦しく、悲しく、
何よりも、腹が立った。

私も中学校の教員であり、現場でいろいろな事故や事件がおこる。
それを見てもきた。
しかし、これほどの事は24年間の経験でもない。

詳しくは、
http://www.ntv.co.jp/document/index.html参照。
-*-* おおよその内容 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

2003年10月福島県にある中学校で、女子生徒が柔道部の練習中に頭部を強打、意識不明となった。病院での診断は「急性硬膜下血腫」。8時間に及ぶ手術で一命は取り留めたが、3年経った今も意識は回復せず母親が24時間つきっきりの介護にあたっている。しかし学校側は未だに両親へ一切の説明も謝罪も行っていない。事故後、学校側は教育委員会へ「事故報告書」を提出したが、その内容は両親や関係者の証言と大きく食い違うものだった。隠ぺい工作とも思える疑惑だらけの報告書。その裏には事故では済まされない“リンチ事件”の実態があった。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

学校を評価する時の最大の評価項目は、受験と部活であろう。
何人がどこに行ったか。
何部が、どんな大会でどんな成績をおさめたか。

決して、授業や、すてきな学級、研究の成果などではない。

だから、、受験と部活に盲信的に取り組む教師が増える。
いや、部活をしたいから、監督と呼ばれたいから、教員を志望する学生も多い。

教育って何だ?????????

今日のドキュメントは、本当にそれをたたきつけられた。
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差別意識は根深い

2007年02月11日 00時20分58秒 | Weblog
笹川という、、あの戦中戦後のフィクサー。
彼の息子じゃったっけか、、

その人が自民党の議員で、、
先日のテレビでこんな事を言いいよった。

「アメリカだったら即刻免職。いや議員そのものも辞任するだろう。ただアメリカだと絶対に誰もそんな事は言わないだろう、、、、、。」

そう、、
あの、、厚生労働大臣とかの、、
女性は機械論。。。

あのニュースを見て、、
議員でいるべきじゃあないろ、、
と、
思ったけんど、
はてさて、、この国のどれだけの主権者が
そういう思いにいたったか、、、。

ニュースで見る限り、、
インタヴューされた女性は、
それほどの怒りもなく、、
「こまったおじいちゃんね、、、」ぐらいの反応。

いまだに、東京の国会前で、、
女性運動家や活動家のデモもない。

だから、、あの人が
まだ、、居座っているのが、、

だから、あの人が、
まだ、この国の宰相でいるのが、、、、

なんとも不思議。
いやあ、、
当たり前なんじゃろね。。

それを、許し、認め、支援するのは
やっぱり、、
この国の主権者でしかないのだから、、、、、、。。。。。

それは、
この国の主権者の人権意識のレベルを証し、
欧米やアジアのあらゆる国から、何を言われても平気という、そういう国民性なんじゃろうね。

わが国民は三等国じゃあない。。。
最上の一等国だという、、、、、。

ただ、、結局は、、すべては、
教育の中に、
ぜんぜん民主的要素や、
主権者意識を育てるような、、
そういうものが皆無だったという証ながだろ。

それは、自分自身への大きな反省でもあるけんど。。。

ただ、

部活と、受験で、、
勝つことのみを、、
最上の教育とした、
それが、
益々国家により強められる、、
そこは、、

抵抗しても、、
異動やら、あれこれで忙殺されるのが、、、。
過去の経験で、明白じゃけんどねえ、、。

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イジメの温床

2007年02月11日 00時19分43秒 | Weblog
実は、教員集団の職員室。
ここは、有形無形のイジメが頻繁に行われる場所。

自らがイジメを主催している以上、
生徒のそれが、見えるはずもなく、、
ほとんど、
どこぞの厚労大臣と、同じ感覚。

自分自身が何を言っているのか、、
それが、差別や偏見だとは、、思わないらしい、。

指導や懲戒など、、
どのような言葉で表現しても、
結局は、

強者の目
強者の心
強者の意識
強者の言葉

になる。

あらゆる社会で、
あらゆる人が、、

イジメや、
嫌がらせ、
悪意を持った行為の中で、

どうしようもない苦しさを
どうしようもない悲しさを
どうしようもない辛さを

自らの意志とは関係なく思い知らされる。

多様でいろんな考え
多様でいろんな思い
多様でいろんな願い
多様でいろんな人間が、、、、
自分のすぐ隣にいる、
それが、どうしてもわからない、

教育の間違いがどんどん拡大し、、
多様な人の存在を公表するだけで、、
イジメの対象になる、、
そんな社会がすぐ目の前にありそうで、、

何とも恐怖。
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リンナイもあれも、これも、、教育の成果

2007年02月11日 00時18分54秒 | Weblog
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=158107&media_id=2

「ゆとり教育」や、
「総合的な学習」を、
学校教育から排除しようという、、
そういう動きがあからさまにある。

ただ、
それは、
教師の都合のいい「いい子」がもっと欲しいだけであり、
同時に、
権力者にとって都合のいい、「いい先生」を望むだけ、、
でもある。

与える教育への反省から、
「ゆとり」や「総合」がでてきた。
しかし、
現場の教師に、その度量や創造性がないから、
「ゆとり」は、「遊び」に
「総合」は、「何でも」に誤解もはっかいもない、
本当に、、愚かしい納得を無理にさせて、
自らを高めるとか、、
研修を重ねるとか、、じゃなく、
安易でテキトーな取り組みをした。

だから、本来、
「考える力」なぞ、、
教育現場では、放棄されてきた、、
その「力」が、
やっとこさ、教育らしい本物として現場に戻ってくる、
大きなチャンスになろうとしたのに、、
愚かな教師が、それを、、
ツバをはきつつ捨てた。

そう、
能書きや説明書などを読むという、、
基礎的な扱い方などを、
まったく考えずに、、、
全部、任せる、、、。

これは、
児童生徒の疑問や「なぜ?」を許さなかった、
いや、こたえるだけの知識も何もなかった、、
教師による、戦後の教育の賜物であろう。

まあ、もっとも、、
戦後60年かけて、、
国家に忠誠を。。。
国旗に忠誠を。。。
国歌を大声で歌う、、
そういう臣民を教育してきたのだから、、
自民党にとっては、、
まことに都合のいいことだろうが、、

しかし、
依存度だけが高い臣民は、
権力者にとって、都合がいい反面、
もろ刃の刃にもなろうことを、、
想像もできなかったのだろう。

しかし、
教育とは、、
まさに、、恐ろしい。

やめましょう。

部活と受験だけを、、
学校の評価にするのは、、。


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