釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

法の欠落

2012-12-11 19:16:14 | 社会
今朝も庭に氷が張り、霜柱が立っていた。愛染山の山頂部の雪を昇って来る朝日が真っ白に映し出していた。車の窓ガラスにも霜が降りていて、出勤前に専用具で取り除いた。街の中心部に向かう道路には所々内陸からやって来た車が落として行った雪が残されていた。信号で止まった隣の車線のクレーン車にも雪がそのまま積もっていた。復興作業のため内陸から出かけて来たのだろう。始業前に職場の裏山を見てみると、醤油工場の裏山にある銀杏の葉がかなり落ちてしまっていた。葉が落ちて枝の隙き間から背景の青空が見えるようになってしまった。飛んで来たヒヨドリが何を啄んでいるのか、枝をしきりにつついていた。 昨日、高知県は東海、東南海、南海地震が連動するM9クラスの南海トラフ巨大地震による津波被害予想を発表した。現在高知県の人口は75万人だが、その半数に達する38万人もが被災すると想定している。特に最大34mの津波が来ると予測されている黒潮町では町人口の9割が被災する予想だ。県内の死者数は4万9000人に上るとされる。先週金曜日の三陸沖地震は気象庁により「当初説明した単純なアウターライズ型地震ではなく、複数の断層面が動いた可能性が高い」と訂正された。しかし、いずれにしてもM8クラスのアウターライズ型地震が今後も発生する可能性があり、注意が必要だとする。今日の午前1時53分にはインドネシア東部のタンニバル諸島沖のバンダ海でM7.1の地震も起きている。太平洋周辺は地殻の動きが連動しており、互いに圧力を及ぼし合っている。その歪みは何か所にも及ぶ。昨日、群馬県渋川市の金井東裏遺跡で6世紀初頭の榛名山二ツ岳の噴火に巻き込まれて亡くなったよろいを着た成人男性の人骨が発見されたと発表されている。火山の噴火も地殻の動きと連動する。日本列島はもともと大陸から分かれた二つの島が現在の中央地溝帯(フォッサマグナ)で繋がった、極めて変化の強い地帯にある。四つのプレートが接しており、他地域以上に地殻変動の影響を受けやすい。その列島に54基の原発と最悪の再処理工場がある。福井県敦賀市の日本原子力発電敦賀原発の断層再調査を行っていた原子力規制委員会は、昨日、2号機原子炉建屋の直下を通る断層について、専門家5人全員が「活断層の可能性が高い」と評価し、再稼働は難しい可能性が出て来た。原子力規制委員会の現地調査団メンバーで、活断層が専門の鈴木康弘名古屋大学教授によれば、30年以上前の2号機建設時に行われた国による安全審査で、今回問題となった2号機直下の破砕帯(断層)や敷地内の活断層をすでに日本原子力発電が追加調査しており、審査では日本原子力発電の「問題はない」という主張をそのまま認めていたことが明らかにされた。活断層であることは明らかになって来たが、現在の法律では、原発建設時に活断層のあるところには建設を認めないという規制は可能であるが、建設後に活断層が発見された場合の規制は厳密に言えばできない。電力会社に対してはあくまで運転停止を「要請」出来るだけである。しかも原子炉等規制法に基づく運転停止の強制力を原子力規制委員会が持つのは来年7月からになる。一種の法の欠落だ。日本原子力発電にとって運転停止は、廃炉になることを意味し、その費用を含めれば経営的に極めて窮地に追いやられる。様々なルートから次期政権への強力な働きかけに走るだろう。
朝日が映し出した愛染山

常識を外れても批判されない日本銀行

2012-12-10 19:21:02 | 社会
今朝も続いて庭に氷が張り、霜柱が立っていた。さらに今期はじめて犬たちの飲み水も凍っていた。冷たい突風が吹き、外は寒い。しかし、釜石は沿岸部に暖流が流れ込んで来ている関係で、内陸は雪が積もっているのに、まったく雪はない。京都や名古屋の積もった雪を見ていると奇妙な感覚になる。釜石の方がそれらの地域よりずっと北になる。午前中から少しづつ青空が出て来たが、風が強く、冷たい。所用で昼休みに職場を離れたが寒さと風で、八幡神社まで行く気がしなくなった。 1998年のリーマンショック以来、日本は先進国の中でも特異なデフレ状態が続いている。過去30年間で先進国でデフレを経験したのは日本だけだ。世界では日本はデフレが定着してしまったので、デフレを「日本化」と表現されるようになってしまった。デフレは物の価値よりお金の価値の方が高くなることを意味する。同じ1,000円でも物価が高いインフレの時は、1,000円というお金の価値が下がる。逆に物価が下がっているデフレの時は1,000円のお金の価値が上がる。今はデフレだから物の価値は下がっており、お金の価値が上がった状態になっている。お金の価値が上がっているのだから高所得者ほど有利な状況だ。この状況が何年も続いて来たのだ。日本のお金である円の価値が高いのだから円高になっているのは当然だ。一般に今のように景気が悪い状況の時には預貯金の利子、利息は低くなる。出来るだけ企業が融資を受けやすくしたり、個人が借金をしたりしやすくするためだ。景気がいい時には利率を上げて、少し融資を受けにくくして、引き締める。利率を下げたままにしておくと、どんどん融資や借金が進み、お金がたくさん市中に出回り、インフレに繋がる。要するにお金である円の価値は利率と円というお金の供給量でコントロールされる。ところで、利率は長く低い状態が続いており、景気も悪いままなので、これは仕方がない。しかし、お金の供給量も少ない状態がずっと維持されて来ているため、いつまでもお金の価値の高い状態、つまりデフレが続いている。お金の供給量を増やす権限は日本銀行にある。その日本銀行がかたくなにお金の供給量を増やさないで来た。そのためデフレがこうして長引いている。市中にお金が増えれば、お金の価値は下がる。それがデフレからの脱却と言うことになる。こんな簡単な高校生でも分かる話は世界でも経済関係者の間では当然常識となっている。米国や英国などもこうした手段をリーマンショック後に講じて、景気を回復させている。日本だけが同じ手を使わないでデフレ状態を放置して来た。日本銀行法と言う法律により日本銀行の独立性が保証されており、政府からの余分な圧力を受けないで、日本銀行が処置できるようになっている。しかし、この独立性が誤解され、日本銀行は独自の判断で、これまでデフレを放置して来た。国の政策には目的と手段があり、日本銀行の独立性と言うのはあくまで手段の独立性であり、目的の設定は政府の権限範囲である。国民により選ばれたものでもない日本銀行には本来、日本の経済目的を決定する権限などない。政府から完全に独立している中央銀行などと言うものは存在しない。一人日本だけがあたかも一国の独立国でもあるような日本銀行の在り方が許されている。以前にも触れたが、日本銀行に対してはメディアも経済学者もほとんど批判を向けない。政府までもが及び腰だ。本年10月東京で開催された国際通貨基金(IMF)・世界銀行総会でラガルドIMF専務理事が日本銀行への量的金融緩和(実質的なお金の供給量の増加)の期待を表明し、11月5日日本銀行もようやく35兆円の量的緩和を決定したが、これも小出しになれば効果はない。2001年から2004年まで小出しの量的緩和は行われたが、その効果はほとんど見られていない。今回程度の量的緩和は効果が無いことはすでに2004年に経験済みだ。過去の経緯を見れば、日本銀行が量的緩和に消極的であることは明らかであり、これまでのかたくなな姿勢を改めたとは思えない。増税と長引くデフレは低所得者ほど負担を大きくする。まして、不況も長引いているため、満足な職さえ得られない状況であれば、尚のこと生活が厳しくなる人が出て来る。貴公子の日本銀行マンにはこうした人たちの生活の苦しさや不況にあえぐ中小企業など目に入らないのだろう。
職場の裏山の木々もほとんど葉が散ってしまった

カメラと言う工業製品

2012-12-09 19:15:56 | 社会
今朝も庭に氷が張り、霜柱も立っていた。昼頃から青空が広がって来たが、同時に冷たい風も強くなって来た。ジョウビタキもやって来たが、今日はすぐに飛び立って行った。庭に出ても手がすぐに冷たくなって来るので、長くはいられない。せっかく晴れてくれたが、そんな状態なので今日は八幡神社へ出かけるのは諦めた。強い冬型の低気圧が来ているようで、日本海側は大雪になるところが出るようだ。近くの山々もほとんど葉が散ってしまって、山の尾根には馬のたてがみのように見える木だけが並んでいる。近所の駐車場には内陸からやって来たと思われる車が落として行った雪が、日中も融けないでそのまま残っている。 釜石は交通が不便で、そのため街としての発展も他の東北地方と同様に遅れているのだろうが、釜石はさらに土地が狭い。大げさに言えば、ちょっとした陸の孤島と言ったところがある。しかし、それ故に、かえって釜石が気に入っている。繁華街もなく、確かに何も無いと言えば、何も無い。そのため、休日は自分の時間としてたっぷりと使うことが出来る。物を買うことも含めて、情報はすべてインターネットから得られる。写真を撮っているうちに古いレンズの独特の写りに惹かれ、こつこつとオークションで集めるようになった。古いレンズを集めていると、同じく古いカメラのデザインにも惹かれるようになり、やはりオークションで少しずつ古いカメラも集めるようになった。古いレンズやカメラの情報もネットからたくさん得られる。さらに詳しく知りたい時は、古書を検索して、古書を手に入れることも出来る。場合によってはそうした古書もオークションで手に入る。古いカメラも最初は日本のものだけであったが、他国の古いカメラにはデザインやメカニズムにさらに個性があることを知って、そうしたカメラまで手を付けるようになった。ドイツ、フランス、イタリア、ハンガリー、チェコスロバキア、旧ソ連、中国、米国、とだんだん広がって来てしまった。どれもそれぞれ個性がある。フランスやイタリアはデザインがとても良く、ドイツは無骨だが、メカニズムがしっかりしている。ハンガリーやチェコは第二次大戦中にドイツに占領されていた関係で、ドイツ的な技術の高さが意外にも伝わっていて、結構優秀なカメラを造っている。レンズも個性がある。しかも、旧ソ連のものと同様に価格も安い。価格で言えば、やはり共産圏にあったところのものは安い。無論、造りも悪い部分がある。旧ソ連のものが面白いのは、同じシリーズのカメラであっても造られた時期によって、造りが異なっていることだ。非常に力を入れて造った時期のものは、ドイツに近い品質のものがある。やがては、かなり手を抜いて行くことになるが。第二次大戦中はカメラの技術力はドイツが秀でていたため、各国ともドイツを真似た。英国や米国さえ。日本でも同じ状況で、今は現存しない小さなカメラ会社がたくさんあった(戦後間もなくの最多時期には500社を数えた)。いずれもがドイツのカメラを模倣した。恐らくその頃の日本が一番カメラ会社が世界でも数の上では最も多かっただろう。それがやがて淘汰されて行き、現在のような数になって来た。自動車もほぼ同じような事情で発展して来た。自動車の場合は英国やドイツ、米国などの車を模倣したのだろう。こうした自動車やカメラもいずれは今懸命に模倣している中国が中心になって行くだろう。日本のカメラメーカーは中国で生産工場を持っている。技術は確実に中国に残って行く。米国のコンピューター技術者の大半がインド人になっており、インドは急速にコンピューター技術を伸ばしている。やがてインドも頭角を現して来るだろう。日本が辿った道をインドや中国、ブラジルが、今、歩いている。
寒風の中の紅葉

三陸のアウターライズ型地震

2012-12-08 19:17:14 | 自然
今朝は庭の水たまりに氷が張り、霜柱が立っていた。小雪が舞う中でまた黒い影のようなものが飛ぶのが目に入った。いつものミソサザイだ。黒っぽい茶褐色のミソサザイは身体に丸味があって可愛いいが、素早い動きのため、まるで忍者の動きのようで、ほんとうに影が動いているように見える。昼前から少し日射しが射すようになった頃、こちらも常連となったジョウビタキの雄もやって来て、しばらくさえずっていた。風もあって日が射しても外に出ると寒い。周辺の200m以上の高さの山の部分はすっかり白くなっている。手前に見える山の後ろに聳える愛染山は見える範囲はすべて雪を冠ってしまった。午後には強い風に流された雲が消えて、青空が広がり、頃合いを見計らって、また八幡神社のモミジを見に行った。冷たい風が吹いていたが、日射しを浴びたモミジはまだ見事な色合いを見せてくれていた。 昨日17時18分に起きたM7.3の地震は震源地が三陸沖、牡鹿半島の東240kmの地点で、深さが10Kmと浅かった。昨年3月11日のプレート境界型の巨大地震の後で起きやすいと言われていた、いわゆるアウターライズ型地震であった。日本海溝より米国よりの太平洋(日本海溝の外側=アウター)で発生し、震源は浅く、揺れが少ない割に大きな津波が起きやすいタイプだ。昨年の地震では日本海溝付近で陸側の北米プレートと海側の太平洋プレートの押し合う力に寄る歪みが開放され、海側のプレートが海溝下で大きく沈み込んだ。そのため海側のプレートには東西に引っ張り合う力が生じていた。その力によって断層のズレが起きるのが今回のようなアウターライズ型地震だ。1933年(昭和8年)3月3日の大津波を伴って死者・行方不明者3,064人を出したM8.4の昭和三陸地震と同じアウターライズ型地震だ。比較的浅いところで断層のズレが起きて、米国よりの部分が隆起(ライズ)することで、海水を持ち上げ、津波を発生させる。昭和三陸地震では大船渡市綾里で最大28mの津波を観測している。この地震の前後でも1931年 3月9日と1935年10月18日にM7を超える地震が発生した。昨年の3月11日の地震では2日前の3月9日11時57分に三陸沖でM7.2の前震が起きている。その前震の後、3月11日の本震までにM4以上の三陸沖を震源とする地震が35回発生している。また、昨年の本震から約40分後にはM7.5の、さらに約1年後の本年3月14日には三陸沖でM6.8のアウターライズ型地震がすでに起きている。同じ地震エネルギーであっても、当然ながら、震源からの距離が遠いと揺れは小さくなり、場合によっては揺れを身体で感じなくなる。アウターライズ型地震は震源地が日本海溝よりさらに米国側になるので日本列島との距離が離れる。従って、小さな揺れは感じなくなる可能性もある。気象庁はこうした無感地震、揺れを体感出来ない地震は公表しない。しかし、米国内務省に属するアメリカ地質調査所USGS(United States Geological Survey)は無感地震を含めた地球上で発生したすべての地震を公表している。それを見ると、昨日のM7.3の地震の前後でもやはり、列島からの距離が200Km以上離れた日本海溝より米国よりでM4以上のアウターライズ型地震が続いて起きている。昨年3月11日の本震と3月9日の前震の間には51時間の開きがある。そのことから、今回も12月9日に警戒をする必要性があると訴えている人もいるようだ。東北大学の津波工学を専門とする今村文彦教授も昨日の地震に対する毎日新聞のインタビューに答えて、「時期は分からないが、(東北沿岸では)今後もさらに大きいアウターライズが起こる可能性がある。」と言われている。
風雨に耐えて残っていた庭のモミジ

「日本をとりもどす」

2012-12-07 19:17:44 | 社会
今朝は愛染山が雪雲に覆われてまったく見えなかった。平地でも青空が一部に見えていたが、小雪が舞っていた。内陸の盛岡はここしばらく連日雪が降る予報になっている。始業前に職場の裏山を見ていると久しぶりにリスが木に上っているのを見かけた。葉がほとんど落ちてしまったので、見えるようになったのだろう。シジュウカラも群れでやって来ていた。今日も昨日と変わらず強くて冷たい風が吹く。昼休みにまた八幡神社に出かけた。青空が出ていて、見事な紅葉を堪能した。しかし、風がとても冷たく、強く吹き付け、手がかじかんで来た。時間にまだ余裕があったが、早々と引き上げざるを得なかった。夕方、家のすぐそばの関連施設の応援を終えて、帰宅後、すぐに犬たちの餌をやるために庭に出たところで、長い揺れが来た。M7.3とM6.2の地震が続いた。犬たちも緊張していた。すぐに津波注意報が出た。何度も警報が鳴らされ、避難を呼びかける放送が続けられていた。釜石は震度4になっていた。津波が発生したようだが、海岸から離れているので規模は分からない。 出勤時小川地区の信号で止められていると、新しく張られたポスターが目に入った。「日本を、取り戻す」と書かれていた。旧政権党のものだ。まるで他人事だ。いったい誰が今の日本にしたのか。現政権党も旧政権党もまったく反省が見られない。原子力規制庁は原発の再稼働手続きを前倒しして、来年夏には再び原発を再稼働させる見込みだと言う。メディアは一斉に今回の選挙では旧政権党が返り咲く、という予想結果を出した。その旧政権党は憲法改正と自衛隊の軍隊への昇格を掲げている。他国から見れば、いくら自衛隊が軍隊ではない、と言っても、すでに軍隊であるとしか見えないだろう。国内向けの官僚お得意の言葉の遊びでしかない。歴史を振り返れば、国の経済状況が悪化している時ほど右傾化が進んでいる。日本では逆に国が豊かである時には、左傾化ないしリベラル化している。そして日本の右傾化は国を滅ぼしている。「とりもどす」日本は「滅びの日本」だろう。今後20~30年、日本はますます経済は衰退して行く。その中で、威勢のいい人物や政党が出て来ると、国民は現状からの脱却を期待して、そうしたものを支持するようになる。閉塞状況は容易に短絡したものに飛びつかせる。そして、その結果はますます国を閉塞状況へ追い込んでしまう。残された手段は、国民の目を外へ向けることしかない。他国との対立をあおり、国内の閉塞状況から目を逸らせる。いつか来た道を再び歩むことになるのだろう。ただ、その時、米国や現在よりさらに大国となった中国がそうした日本の状況を放置するとは思えない。米国はあくまで自国の都合だけを考えている。自国の都合に抵触しない範囲での日本の行動を許して来た。自国にとって不都合と看做した時には、それなりの行動を起こすだろう。これまでもそうして来たのだ。国土の狭い島国は軍事的にはとても防衛し切れるものではない。軍事技術が進んだ現代は尚更だ。第二次大戦当時とは比べものにならない。日本列島には54の原発と凄まじい放射性物質を抱え込んだ再処理工場がある。それらが狙われただけで簡単に日本はお手上げになるだろう。一旦、他国と軍事衝突すれば、日本列島など一瞬のうちに壊滅してしまうだろう。日本の唯一の防衛は、他国との衝突を避けることしか無い。人口減少に対処するためにも他国との開かれた交流が必要だろう。同じ敗戦国でありながら、日本とドイツでは原発一つとっても歩み方がずいぶん違っている。米国のドイツと日本を見る見方も異なっている。ドイツは米国に対して自立的だが、日本は米国と言う大樹の陰で過ごして来た。米国にとって今でも日本は敗戦国のままなのだ。国のおかれている位置が大きく異なっていることもある。欧州の一員であることに専念して来たドイツとアジアの一員であることを忘れて来た日本。旧政権党はこれまでにそうした日本の状況を創り出して来た当事者ではなかったのか。まだまだ真の日本再生への道は見えて来ないのだろう。
青空が背景の紅葉

未来の日本の精神的支柱を築くために

2012-12-06 19:20:49 | 文化
朝方小雨が降り、午前中は雨は上がったが、空を雲が覆っていた。予報では昼から晴れるはずだったので、昼休みに所用を済ませた後、八幡神社前の巨木のモミジのところへ行ってみた。雲が途切れて、日が射し始めて来た。しかし、風がかなり強い。落ち葉が風に飛ばされて身体に打ち付けて来るほどだった。路上には小さな竜巻が出来て、巻き込まれた落ち葉がいくつも舞っていた。モミジは緑であった部分がほとんど黄色に変わって来ていた。日を浴びると先日よりさらに見事な色合いを見せてくれた。強い風は太い枝を大きく揺らせていた。神社拝殿裏の紅いモミジはもうすっかり散っていた。 共同通信によれば、世界各国の汚職を監視している非政府組織(NGO)、トランスペアレンシー・インターナショナル(本部ベルリン)が2012年度の腐敗認識指数(CPI=Corruption Perceptions Index)を発表している。176の国と地域で「清潔度」の最低位は評価が8の北朝鮮とソマリア、アフガニスタンで、北朝鮮は2年連続最低位となった。「清潔度」1位は評価が90のニュージーランドとデンマーク、フィンランドが並び、ニュージーランドは7年連続1位となった。国際機関やシンクタンクが集めたデータに基づき、政治家と公務員らの清潔度を最高100で評価して、順位を出している。日本は評価が74で17位で、昨年より3段階低下した。米国が19位、中国が80位、ロシアが133位となっている。ベルリンの本部が出している世界の腐敗認識マップを見ると、旧来の先進諸国と言われる欧州、北米(メキシコを除く)、日本、オーストラリア、ニュージーランド以外は清潔度がかなり低くなっている。米国の経済情報通信社のブルームバーグは、特にロシアの清潔度の低さを問題にしている。政府による法整備や汚職対策の取り組みが十分な成果を挙げていないことを指摘している。旧来の先進国は確かに、法や組織の整備には歴史があるが、そこに組み込まれる人間の倫理観は次第に後退して来ているのではないだろうか。特に、近年の日本では政治家や公務員だけでなく、一般の犯罪の内容を見ていても倫理観の欠如を感じる。岩手県は幾人かの偉人を出しているが、新渡戸稲造もその一人だ。海外にいる時に、欧米はキリスト教があるが日本人の精神的支柱はあるのか、と問われて、「武士道」だと答えたという話がある。新渡戸稲造は岩手県の盛岡で生まれ、「少年よ大志を抱け」で著名なクラーク博士が離日した直後の札幌農学校二期生として入学した。そこではクラーク博士の影響でクリスチャンとなった一期生の教えで、同級の内村鑑三とともにクリスチャンとなった。後の東京帝国大学へ進むが、札幌農学校のような学術レベルに達していないことに失望して、退学し、米国ジョンズ・ホプキンス大学へ留学する。札幌農学校教授であった時に、体調を崩して、再び渡米して、療養中に英文で『武士道』を発刊した。時の米国大統領セオドア・ルーズベルトも感銘を受け、一夜で読破したという。武士道は江戸時代に完成されたものだが、そこには日本の仏教、神道、儒教など歴史上の精神的支柱となったものが織り込まれている。西欧の騎士道にも通ずるところがあるだろう。札幌農学校同級の内村鑑三も同じく、クリスチャンでありながら武士道を高く評価している。男性中心の近代社会における評価ではあるが、現代の倫理観の欠如を救う重要な精神的支柱の一つであることは間違いないのではないだろうか。日本人の心の中に根ざしたものから築き上げて行かなければ、本物の支柱を創り出すことは出来ないからだ。単なる復古では何も根付かない。あくまでも過去の日本の歴史の上に未来の精神的支柱を築くための一つの要素として考える必要があるだろう。新渡戸稲造にとってキリスト教にも武士道にも個人を超えたものが見えたに違いない。超越的な理念は何も日本人だけに響いて来るものではなかったろう。それ故に、『武士道』は当時、世界的なベストセラーとなった。法然や親鸞にも超越的な理念があるが、文化として連続性を考慮すれば現代人には武士道の方がより感覚的にも受け入れられやすいだろう。
日を浴びるとすばらしい色合いになって来た八幡神社前のモミジの巨木(根元で二本の太い幹に分かれている)

人の運命

2012-12-05 19:15:14 | 文化
昨日の雨と風で散ってしまった家のモミジは庭に落ちて、日射しを受けると、まだきれいな紅葉した葉が輝いていた。そのまま押し花のようにして、取っておきたいくらいだった。日は射しているが、西の空には雲がたくさん出ていて、風もあり、朝にはわずかだが、雪も舞っていた。東北はもう確実に冬モードに入った。遠出をするにはスタッドレスタイヤが必須になった。特に、朝晩は路面の一部が凍るようになったところがある。 NHKによれば、先日の中央自動車道の笹子トンネル事故は1977年開通後一度も補修されたことのない、老朽化したもので、その頃、全国的にも同じようなトンネルや橋が造られており、国土技術政策総合研究所の前の所長、西川和廣氏は社会インフラの老朽化問題を早くから指摘して来たという。建設から30年以上経つ高速道路のトンネルは全国に359カ所あるそうだ。しかし、新規建設に財源の多くが割かれており、点検や補修への組織的な対応体制は十分ではなく、その財源も限られている。その点を西川氏が指摘している。この問題が放置されれば、これからも橋やトンネルの崩落事故は起きる可能性があるだろう。今回の事故では偶然毎日新聞の記者がトンネル内を走っていたようで、ラリー用に使われている瞬発力のある車に乗っていたおかげで、危うく難を逃れたという。昨年の震災などもそうだが、こうした時に犠牲になったり、難を逃れたり、どこか運のようなものが働くのかも知れない。その運を求めて、車にお守りを付けたり、神社でわざわざ車のお祓いを受けたりする人もいる。もうすぐ正月がやって来るが、我が家でも毎年、三ヶ日には神社へ初詣に出かけて、お守りを手にすることもある。神の存在を信じているわけでもなく、まして、その霊験を信じてもいない。そのへんは結構いい加減でもある。子供の頃は父の仕事の関係で、正月三ヶ日はたくさんの人が新年の挨拶回りにやって来た。そのため、母がおせち料理を準備していた。そうした風習も無くなって、せめて初詣に出かけることで正月気分を味わっているのかも知れない。神奈川県の鶴岡八幡宮で正月用の破魔矢が作られていることが報じられていたが、この破魔矢も年によっては手にすることもある。邪気を払うという意味合いがあるのだろう。「破魔」はもともとは仏教用語だから神社で使われるのもおかしなものだが、本来は、破魔矢自体が「はま矢」であったそうだ。647年、孝徳天皇の時、皇子の誕生に鳴弦の儀式というのが行われ、儀式射礼または大射を行い、その時に、用いる的として「はま」という藁縄で丸い的を作った。現在でも九州から北関東あたりまで、地域によってだが、自動車のタイヤや車輪のような丸いものを「はま」と呼ぶそうだ。647年はまだ九州王朝の時代だから、中国、南朝から伝わった風習なのかも知れない。後代に「破魔」の字があてられたらしい。全国には「濱井場(はまいば)」という地名が残っていて、柳田国男は、そこで正月に「ハマ」を射たところから付けられた地名だと言っている。読売新聞によれば、鶴岡八幡宮の破魔矢は前九年の役に勝利した源頼義が奉納した矢に因んで作られるようになったという。庶民にも正月に神社で破魔矢が得られるようになったのは江戸時代からのようだ。「ハマ」は「浜」の字を使っていたこともあるようなので、「ハマ」をアイヌ語で調べると、日本語一般の「浜」と同じ意味のようだ。「浜」は恐らく縄文語であったのだろう。古田武彦氏の言素論では「ハマ」はどのように分析されるのか興味のあるところだ。
落ち葉

人災の責任の問われ方

2012-12-04 19:18:04 | 社会
明け方、強い風と雨を伴い、雷が激しく鳴った。一時的には雹(ひょう)も窓ガラスを強く打ち付けた。釜石で経験した台風よりかえって風の勢いは強いほどだった。この風と雨で庭の最後のモミジがほとんど散ってしまった。甲子川も増水し、出勤時には久しぶりに裏道まで渋滞気味になった。どの車も点灯しているほどに暗かった。この時期に雷と激しい雨が降るのはやはり異常気象のせいかも知れない。昼休みに所用で被災した旧市街地を、雨と雷の続く中を歩いたが、海岸寄りの裏通りは降った雨が川のように流れていて、とても歩ける状態ではなかった。震災後、地盤が沈下したことと下水に詰まりが出来ているせいだろう。 一昨日朝、山梨県の中央自動車道上り線、笹子トンネルで起きた天井板崩落事故では9人の犠牲者が出た。警察は早々と今日、高速道路を所管する中日本高速道路の支社などを捜索した。天井板のつり金具とトンネル最上部の結合部分の点検について打音検査をしていなかったようで、決められた定期点検がおろそかにされていた。その責任を問うために警察が捜索を開始したことは当然とも言えるが、昨年の原発事故との違いに何か釈然としないものを感じる。原発事故では警察は積極的な動きを見せなかった。あれほど多大な被害を負わせておきながら、誰も責任を問われていない。今回の事故と同じく明らかに人災であった。一般の多くの職場でも安全管理には普段から熱心に取り組んでいる。安全委員会のようなものがあって、そこで各部署から提出されたアクシデントに至る前のインシデントに基づき、再びそうしたインシデントを起こさないように対策を立てたりする。安全管理はされていて当たり前であり、それを怠れば、当然責任は問われなければならない。まして、健康や命に関わるものであれば、尚、十分な安全管理がなされなければならないはずだ。しかし、原発事故では、多くの警告を無視して、対策が十分取られてなかった。現在、新たな原子力規制委員会の専門家が日本原子力発電の敦賀原発の敷地内の断層を調査しているが、敷地内にある活断層、浦底断層と原子炉直下を走るD-1破砕帯が交わる場所の近くで、比較的新しい地層の変形を確認している。建設前に十分な調査をしていなかった、ということであり、さらに言えば、そもそも建設時や建設後の調査を当事者である電力会社にさせて、その報告書を検討するなどというやり方自体に問題がある。当事者ではなく利害のない第三者が調査してはじめて、その調査内容に信頼がおけるだろう。大飯原発の原子力規制委員会よる断層の再調査にしても稼働させながら調査をすることにも疑問がある。本来ならば、停止して、十分な調査をすべきだ。しかし、すべては電力会社の利益が優先されている。停止中の原発は巨額の赤字を生み出す。まして、廃炉となれば、それだけで、電力会社は私企業としては成り立って行かなくなるほどの負債を抱え込んでしまう。巨額の資産を失ってしまう。企業としての電力会社にとって、一度原発を立ち上げてしまうと、運転し続けない限り、赤字が増え続けることになる。何としても再稼働をしたいのだ。恐らく今回の選挙ではかなりの政治献金を電力会社や電力労連が出しているだろう。献金を受けた候補者たちは再稼働容認に動くだろう。再稼働されれば、昨年の事故以前同様に何事もなかったかのように、再び安全神話に頼って行くことだろう。日本が地震列島であることなどまた無視されて行くだろう。
八幡神社の黄葉 今日の雨と風でここもかなり散ったかも知れない

趣味の音楽や絵

2012-12-03 19:15:26 | 文化
今朝起きてすぐに愛染山を見ると雪を冠った山頂部だけに日が射していて、斜め上には下弦の月がまだ出ていた。今朝もかなり冷え込んだ。庭の水の溜まったところが凍っていて、霜も着いていた。内陸方向に向かうカラスたちが上空を飛び過ぎて行った。庭先を見ていると、今朝は最初にツグミがやって来て、その後雄のジョウビタキがやって来た。どうやらこのジョウビタキはこのあたりをテリトリーとしているようだ。青空が広がる昼休みに八幡神社へ出かけた。古木のモミジの紅葉が進み、今日はすばらしい色合いを見せてくれた。まだ中心部に緑が残るが、それも含めたグラデーションが見事だ。ほんとうに一人で見るのがもったいないぐらいの紅葉だ。匠の方は昨日このモミジをご夫婦で見に来られたそうだ。以前、是非一度見ておくようにお薦めしておいた。巨木なので枝の数がかなりあり、葉も密集しているため、紅葉のすばらしさを見るためには強い光が必要で、どうしても晴れた日でなければそのすばらしさを味合えない。古木の下から見上げるようにして、紅葉を見ていると、そのグラデーションの中に浸り切って、そのうちふらつきを感じてしまう。ほんとうにすばらしいモミジだ。夕方、4時頃には山影に日が沈み、西の空が薄らとオレンジ色に染まって、カラスがまた海岸方向へ帰って来た。 釜石には何人か陶器を作っておられる方がいて、先日、そのうちのお一人の方の作品を匠の方から頂いた。コーヒーカップと受け皿だが、その絵に感動した。フランスの画家ルオーを思わせる絵柄だった。そのことを匠の方にお話しすると、この作家は個人の家で細々と展示販売しているという。そのうちいつかその方の家にお誘いいただけることになった。その誘いの電話を昨日、匠の方がしてくれたのだが、ちょうど犬たちの囲いの掃除を外でやっていて電話に気付かなかった。普段からあまり携帯電話というのが好きでなく、家にいる時はテーブルの上に置いている。電話があったことに気付かないまま、午後の5時過ぎに娘からの電話があった時に、はじめて留守電があったことが分かった。結局、この日は作家の方のところへは行けなかった。娘は弟のステージでのソロ場面を撮った写真を、その後メールで送って来た。最近はジャズ調のゴスペルをソロでやるようになったらしい。米国人のゴスペル指導者からジャズの才能があると言われたらしい。家族の中では私が一番音痴で、歌も一番下手だ。娘も同じ指導者から日本人には珍しい純粋のアルトだと言われた、と言って来たが、そう言われてもあまりピント来ない。学生時代に同じ下宿に大学の男性合唱団に入っている人が5人中3人までいて、いつも奇妙な発声練習を聞かされていた。ある時、無理矢理一緒に歌を歌わされた。曲がりなりに、何とか歌うと、先輩から「お前はバスバリトンだから、ちょうどいい、是非、合唱団に入れ」と言われた。郷里の先輩でもあり、断るのに難渋したことを覚えている。そんなことがあったぐらいで、歌や音楽は家系的にも縁がない。芸術関係では親戚に60年代に活躍した著名なイラストレーターがいるぐらいだ。恐らく、娘や息子の歌の才能は家人の血筋を引いたものだろう。もっとも、歌で生活を立てようと考えるほどのものではないと思うが。歌はあくまで趣味の範囲だと考えている。趣味としてはとてもいいものだろう。歌が歌えたり、楽器を弾けたりするのが羨ましく思える。特に、楽器などは弾ければずいぶん楽しいだろうと思う。群馬の友人が是非にと頼んで一曲だけ「月光」をピアノで弾けるように教えてもらい、実際にそれを聴かせてもらったことがあるが、とても羨ましく思えた。リズム感もないので、たとえ教えられても、友人のようには弾くことが出来ない。素人の耳ではあるが、「月光」がとてもすばらしく聴こえた。陶器もやってみたいとは思うが、こちらは絵の才能がないため、今一つ踏み出せない。
八幡神社前のモミジの古木

たくさんの枝を出す古木

日射しを受けた紅葉

シェパードたち

2012-12-02 19:18:05 | 文化
昨夜は雲のない晴れ上がった夜空が広がり、明るい月が出ていた。空気が冷たく、それだけ夜空が冴え渡っていた。今朝も青空が広がっていたがしばらくすると徐々に高い雲が流れて来て、空を覆ってしまった。朝は放射冷却でかなり気温が下がったのか、今期はじめて土が凍っていた。時々雲間から日が射している時に、ジョウビタキの雄が2羽やって来て、縄張り争いを初め、結局2羽ともそろってどこかへ飛んで行った。その後しばらくすると、今度はエナガの群れがやって来た。尻尾が長く、セキレイに体型が似ているが、身体はセキレイより若干小さく、嘴も少し短い。最後に残っているモミジの木の枝に集まっていたが、身体のやや大きいヒヨドリがやってくると、みんな逃げ出してしまった。 子供の頃に2~3日しかいなかったシェパードを除けば、これまで3頭のシェパードを飼った経験がある。後の2頭はそれぞれちゃんとした訓練を受けさせた。訓練にも人間並みに大学院レベルまである。北海道でチャンピオンになったシェパードは楽々この大学院レベルをクリアーした。警察からの呼び出しで、何度か盗難の捜索にも出動したこともある。この犬はとても優秀で、自分のやらなければならないことを十分理解出来ていて、こちらが特に指示を出さなくとも、自分でしっかり動いてくれた。攻撃の訓練も受けていたが、その迫力もかなりのものだった。しかし、いまいるシェパードはとても優しい気性で、迫力は少し落ちる。通りかかった人は、シェパードだというだけで、怖がるが、飼い主から見ると、やたらと吠えたり、噛み付いたりするような犬ではないので、そんな光景を見るとおかしくなったりすることがある。それでも愛知県に住んでいた頃、この犬が一度だけ歩道の信号待ちをしている男性に、突然襲いかかったことがある。少し暗くなっていた時間帯で、男性の立つシルエットと手に持った傘が、犬に何かを感じさせたのだろうと思う。さすがにこの時は一瞬の出来事で、とっさに抑えられなかったため、男性の上着を引き裂いてしまった。身体にはまったく傷がなかったので幸いだった。優しい犬だとこちらも油断をしていた。訓練を受けると何かに反射的に反応してしまうようなところがあるのかも知れない。以来、決して油断をすることはなくなった。頭のいい犬は主人の顔色もしっかり見る。こちらが上の空であれば、手抜きをする。注意深い目を向けていると手を抜かない。ほんとうにちょっとした人間の子供と同じだ、と感じさせられることがある。もう1頭のベルギーシェパード(正式にはベルジアン・タービュレンというが)の方は、顔がシェパードで、身体がコリーと言った感じの犬だが、とても繊細で、貴公子然としている。清潔で、明るく、飼い主をいつも気にする。走るスピードは相当に早い。通常のジャーマンシェパードよりはるかに早い。もともとベルギーの牧羊犬であるので、かっては、羊を狙う狼から羊を守る目的で飼われていた犬種だ。子犬の時に、一時、家の中で飼っていたせいかとても甘えん坊だ。訓練所では言葉と手の両方で指示を与える訓練を行う。面倒な時は、従って、手だけで指示を出したりすることがある。犬はもう家族の一員であり、犬もそれを感じているように思う。家人などは今は大阪にいるホワイト・テリアは自分を犬だと思っていない、と言っていた。犬は縄文時代以前から人の生活の中に入っていたようだ。
庭にやって来た愛嬌のある顔をしたエナガ