出勤時にも降っていた朝の小雨は、周辺の山々の淡い緑と山桜を浮き出させていて、谷間に立ち上る霧を含めてとても幻影的で、まるで東山魁夷の絵画を見ているようだった。この淡い緑もとてもきれいだ。何でもないこの風景のすばらしさに気付くと、この状態がいつまでも続いて欲しいと思ってしまう。職場の裏山ではレンギョウに代わって山吹が咲き、雪柳とともに雨で一層項垂れている。たくさんの花を咲かせている椿にはヒヨドリやメジロが群れて、鳴き交わしながら蜜を吸っている。午後には小雨も降り止んで青空が見えるようになった。一昨日、目的の片栗の群生地では鹿のために片栗がすっかり消えてしまった、と聞いた。生まれた四国の四国中央市にある翠波高原でも栽培されていた30万本の菜の花が鹿のために全滅してしまった。以前、猪による被害もあったが、鹿は茎ごと食べ尽くした。本来、鹿たちの生息域であるところへ、人が侵入した。自生した片栗ならば、食べ尽くされても、いずれまた、違った場所に群生地が見られるようになる。鹿たちの領域に侵入した人は、また、花を植えるしかない。それを覚悟で侵入するしかないだろう。お邪魔した職場の方の橋野の実家も確実に熊や鹿たちの生息域にある。その被害も何度も受けながら生活を続けている。職場の方は以前、夜、実家へ帰ろうとして、鵜住居川沿いの道を上流に向かって車を走らせていた時、その道に熊がいて、一時的に熊と並走する形になり、とても怖かったそうだ。山間部で農作業をしていた人たちや山菜採りをしていた人たちがこれまでにも熊の被害に会っている。野生動物と人間が共生する道を選ぶしかない。でなければ、人間が退くか、動物を滅するしかない。職場の方の橋野の実家にいると、時の経つのを忘れた。居間から見える鵜住居川対岸の山も淡い緑に覆われ、そこに寝転んで、一日その山を眺めていたい気分だった。山間部に住着いた農家の人たちは長い年月をかけて動物との共生の道を模索し、豊かな自然を同時に保全して来た。政治家はこうした農家の人たちの暮らしを知らない。見ようともしない。TPPを進める現政府は安価な輸入農産物と農業の集約化を促進しようとしている。効率の悪い高齢者による農業を廃する。日本人が好む農産物が海外で作られるようになる。そこには日本企業の進出もあるだろう。日本企業が海外の土地を契約し、日本人にあった作物を大量に作らせる。今、産直で見るような形には囚われないが、朝採れたての新鮮な作物を味わうことは出来なくなってしまうだろう。当然、山間部の農家は仕事としての農業を止めるしかないだろう。現在、第一次産業に従事する人口は全国で4%しかいない。岩手に限れば、12%だ。産業別人口で見ればわずかと言えるが、そこでは、数字には表れない景観などは無視されている。北海道でよく見かけた捨てられて、荒廃した土地と残された廃屋の光景が日本の各地で見られるようになる。一度荒廃した農地は取り戻すのに何年もかかるだろう。そして、一度失われた農地はそのまま荒れた状態になる可能性が強い。木造家屋と田園風景という「日本の原風景」はこのまま失われて行くしかないのだろうか。
家の近くの住宅地に接する淡い緑の山に山桜が咲き始めた この辺りも毎年熊が出る