釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

岩手には景色としての自然美もたくさんある

2009-08-31 07:02:16 | 自然
朝雨が上がった週末に家人が知人と秋田の田沢湖畔の温泉に出かけたのでこちらも晴れた日中を無駄にしないよう出かけることにした。かねてから一度浪板海岸から山手へ入ったところにある浪板不動滝を見たかった。岩手の滝は山間を入り込んで行くため北海道の然別湖で買ったカウベルを熊避けのために腰に下げて行くことにしている。不動滝は伝説の山で岩手百名山にもなっている鯨山への登山道に沿って登ると途中で登山道と分かれ、そのまま道なりに進むとやがて鯨山神社が見えて来る。滝は神社の奥に控えている。近くには熊に注意という表示もあった。確かに熊が出ても不思議ではない雰囲気だ。滝は20mの落差があり水量もあって見応えは十分ある。周囲には神木とされている杉の巨木も何本かあり、巨岩に据えられた祠もある。やはり古の山への信仰の表れだろう。しばらく滝と古木や石碑群を眺めてから同じく大槌新八景である吉里吉里半島の崎山展望台へ向かった。この展望台からは船越湾と太平洋が一望でき、眼下には潮騒とともに野島の岩礁に砕ける白波が広がる。一服しながら眺望を楽しんでいるとその岩礁の隙を一隻の漁船が悠然と通り抜けていた。車を笛吹峠に向け遠野に下り、283号から107号へ入り、小友地区へ向かった。藤沢渓流の1Kmに渡って滝が続く。ただこの日は朝までの雨で水が濁っていたため奥へ行くのを止めて寺沢高原の夕日を見ることに切り替えた。一月程前に来た時は高原がひどく涼しく気持ちがよかったがさすがに晩夏のしかも夕方なので風も強く展望台上で360度の眺めと刻々と変わり行く空の色を見ていると寒さが身に滲みて来た。それでもその眺めはすばらしい。誰もいない広大な自然の中で大きくなったオレンジの光の徐々に欠けて行く様は人を十分感動させてくれる。おかげで帰路は牧場の門を閉められていることに気付かされてしまった。チェインを巻いただけのものだったから良かったが。

浪板不動滝 滝の右手にも小さな祠がある

崎山展望台からの眺め 眼下に野島の岩礁が見える

寺沢高原展望台からの夕日

古代史の著名人を通して見る知性の退廃

2009-08-30 07:09:54 | 歴史
日本の古代史で著名な人々は3世紀の卑弥呼、5世紀の倭の五王(讃、珍、済、興、武)、7世紀の多利思北孤などである。何故に著名かと言えばいずれも日本の正史には一切登場せず主に中国の歴史書に登場する人たちとして著名な人物たちである。日本書紀などは神功皇后の記事にこの卑弥呼の記事として中国史書に書かれている記事をそのまま抜き出してあたかも神功皇后の史実であるかのように見せかけている。倭の五王も日本の現代の歴史学者もこぞってむりやり過去の近畿天皇家の天皇に当てはめようとしている。そこには在位期間の矛盾や家族関係の矛盾、そして何より名前自体の矛盾という大きな問題を抱えながらもあえて当てはめて既定事実のようにやり過ごすと言う杜撰な有様だ。これほどあからさまな論理の放棄が学問の名前で許されるだろうか。日本歴史の大家と自分でも見ていた井上光晴にしてその有様なのを知り日本の歴史家への幻滅を覚えざるを得ない。日本の他の分野の学問ではとても考えられない非科学性を内包しているのが日本の歴史学会、考古学会なのだ。多利思北孤などは天皇でさえなかった聖徳太子に同定され、国内の教科書に始まるすべての史書でそれで通ってしまっている。しかし中国の史書では明白に多利思北孤は一国の王者として記述されている。これほど明らかな相違をあえて無視するその誘因はすべて日本には王者と言えば近畿天皇家しか有り得ないという固定観念に根ざしている。卑弥呼の統治したいわゆる邪馬台国も決して大和の王権とは同じものではない。明らかに別の王朝である。出雲から国譲り(強奪)を受けた天照一派が北部九州を制圧しそこを拠点に独自の王朝を建て663年白村江の戦いで新羅・唐の連合軍に敗れ衰退し、これにとって替わったのが現在の天皇に続く近畿天皇家である。素人でも少し歴史を読めば理解出来る明らかな矛盾をむしろ学会が平気でその矛盾をやり過ごしている。日本の古代史は一般に学問の世界ではとても受け入れられない知性の退廃を見せている。恐らく日本固有という性格が井の中の蛙さながら諸外国の批判の目に曝されることがなく、退廃がまかり通っているのだろう。単純に言えば日本の古代史は江戸時代から一歩も進んでいない。

アメリカ芙蓉 通常の芙蓉より大きく草芙蓉ともいう。真夏の青空を背景に燃えるような赤が印象的

釜石は人の暮らしにふさわしい街なのだ

2009-08-29 07:05:33 | 文化
今週に入り日中は日射しが出て夕方曇るというパターンが続く。女心と秋の空と言ったところか。もっとも移り易いのは女性に限らないと思うが(実際、男心と秋の空とも言うらしい)。職場の仕事は日本全国どこにいても変わらないだろうが生活の場となると一定年令を過ぎると都会より地方、その地方の中でもさらに地方に位置する釜石のようなかっては陸の孤島のように言われた場所の方がいいのかも知れない。この時期爽やかなほんとうに気持ちのいい風が吹き、夜半袖で庭に出ていいても寒くもなくそれでいて虫たちの声に聴き入ることが出来る。世の中には今様々な問題があるが釜石の街を見ていると表面的にはそうした問題とは無縁のように見える。確かに経済状況一つとっても大都会ほど影響は大きいのだろう。製鉄所がなくなって空気は澄んで青い海と緑の山々に囲まれ甲子川に沿った狭い範囲に民家が密集しけっしてのびのびとした環境とは言えないが何よりも自然がじかに感じられる。何もなかった子供の頃の自然を相手にした遊びしかできなかったあの環境がそのまま残されている。同じ職場の住田町から来られている若い人の話で住田町を流れる気仙川に潜り素手で魚を獲ることもあるという。今夏も何回か潜ったそうだ。水が冷たいのでハイネックの長袖でズボンをはいて潜るのだそうだ。大変だろうがウェットスーツなどではないところがまたいい。釜石にも似た環境の清流はたくさんある。釜石へ来て何か忘れていたものを思い出させてもらったような気がする。いくら技術が進み高度な文化が得られても人間は所詮動物であることを忘れてはだめなのだろう。動物である人間は自然を失ってはならないということだ。釜石で人間らしい暮らしというものをまた見出したように思う。むしろ残念なのは釜石にもともと住む人たちがこの釜石の良さに気付いていないことだ。それは特に釜石の為政者たちに表れている。もはや地球環境を考えれば先進国自体が以前のようなエネルギー消費型の経済にはもどれない。自然を今以上に保護しなければならなくなる。従って自然を生かした人々の生活を考えて行かざるを得ない。

白鷺の舞

陸前高田には魅せられるものがある

2009-08-28 07:04:37 | 寺社
先日一関市大東町山吹の棚田を見に行った際、行き帰りに陸前高田によった。自分も家人もこの陸前高田が気に入っている。釜石に比べ比較的平野部が広く、高い建物もごく限られている。それでいて街がちゃんと整備され、自然の保全のしかたも素晴らしい。延々と続く松原や砂浜だけでなく防波堤の築く位置やその背後の水辺の野鳥を考慮した小湖の在り方など。街に気負いがなくどことなく洗練された感じすら漂わせている。行きには陸前高田市の山手にある普門寺を訪れた。ここももう何度も訪れている。いつきてもほとんど人の姿を見かけないが広い境内に根元が苔むした杉の巨木が立ち並び、立派な本堂前には樹齢三百年を超える百日紅の木がある。今回はこの百日紅の花を見るためやってきた。鐘楼近くにも少し小さい百日紅の木があるがいずれもほぼ満開だった。夏の青空によく映える赤い花だ。普門寺からすぐ坂を下ったところにりんご園があり一部がもう赤く色付いていた。棚田からの帰りには陸前高田市の竹駒神社へまず立ち寄った。神社の手前には旧街道跡の松並木が残されている。734年行基が近くの玉山金山を開いた後伏見大社より金山守護神として勧請したのが創建と伝えられている。正一位稲荷大明神である。大きな一の鳥居から本殿まで1.5Kmあり、二の鳥居と本殿の間に2対の狛犬と1対の狐の石像がありいずれも赤い手拭いを冠っている。本殿裏には6社の末社と樹齢1000年を超える神木の杉の巨木がある。この後松原の方へ移動して松の香りに浸されながら砂浜に出た。この日は夏日に戻って暑い日だったので午後も4時頃になっていたが若者が仲間と泳ぐ姿が見えた。砂浜ではビーチバレーをやっている若者の集団もいた。海辺の砂浜に立っていると子供の頃毎年泳いだ同じような海を思い出す。残念ながら砂浜としての素晴らしさは四国愛媛の砂浜の方が好きだ。まさに白砂青松の字の如くで日射しが明るいだけでなく砂そのものがもっと明るい白で瀬戸内海に浮かぶ島々も素晴らしい景観を見せてくれる。難点はただその暑さだ。何もかもすべて満点というものはそう得られるものではないようだ。

陸前高田市の普門寺の百日紅 本堂はこの写真の右手にある

竹駒神社の二の鳥居前 向かって左手には石碑群も並ぶ

竹駒神社本殿 裏手に6つの末社が祀られ、本殿の左後に神木の杉が見える

陸前高田の松原 やや右寄りの海で若者達が泳いでいる

北限の棚田より室根神社に感ずるものがあった

2009-08-27 07:04:42 | 寺社
一関市大東町の山吹に日本の棚田百選に選ばれた北限の棚田があるのを知り一度見ておこうと出かけた。陸前高田まで南下しそこから343号線へ入り峡谷を走る。途中笹ノ田峠の手前に小黒山ループ橋がある。いくつかのカーブした小トンネルを抜けて峠を越えると大東町に向かって下って行く。少し迷ったがまもなく標識を見つけて道なりに進むと棚田に着いた。しかし棚田自体は正直がっかりした。これ位の棚田ならさほど珍しくもない。これだとよほど橋野の石組みの棚田の方が見応えがある。山吹は景色としては遠くに室根山を望みいいところだとは思うが。帰りはその室根山の山頂へ行き、小天文台の屋上から周囲を展望した。期待した室根牧場は山陰になり見ることが出来なかったが遠く陸前高田の市街地とその向こうに横たわる太平洋を一望出来る。気のせいか太平洋には点々と黒い島影らしきものが見える。大きさからすると船ではないと思うが。頂上から下る途中で牛やポニーや羊が放牧された牧場を見ながら8合目にある室根神社に向かった。室根神社は日本でも最も古いと考えられる形で祭事が執り行われるそうだ。本宮に金の鈴が、新宮に銀の鈴があり両者を振って願い事をすれば叶えられると言う。陸奥国で最初に瀬織律姫を勧請した神社らしいがその創建は不明のようだ。養老二年(718年)、鎮守府将軍大野東人が元正天皇の勅命を受け、蝦夷降伏の祈願所として、紀州本宮村の熊野神を勧請したものが本宮とされ、正和二年(1313年)、陸奥守護職葛西清信が奥羽七郡(磐井・江刺・胆沢・気仙・本吉・登米・牝鹿)の鎮守として、紀州新宮村から熊野神社の神霊を勧請したものが新宮とされる。源義経、弁慶も平泉から馬を走らせて二度も祈願に詣でたそうだ。境内の横を入ると江戸期に建てられた石像の33体の三十三観音が祀られている。そのためなのか立派な鐘楼が何故か建てられている。境内を眺めているとこうした山中の歴史ある古社はこうしたところを神聖視した太古の時代から続くものだろうと感じられる。

一関市大東町山吹の棚田 向こうに室根山が見える

室根山山頂の展望台から見た陸前高田の市街地と太平洋

金鈴の室根神社本宮 すぐ隣接して同様の祠で銀鈴の新宮も鎮座する

自然を育てる岩手の気温

2009-08-26 07:02:46 | 自然
今週に入り晴天が続いている。ただ気温も20度近くに下がり空気は秋を感じさせる。夜にはキリギリスやコオロギがあちこちで鳴き、日中には赤トンボが群れをなして舞うようになった。東京辺りではまだ30度前後の気温が続いている。釜石も今週末には28度位まで一旦上がるようだが。釜石の今夏は曇天が多く野菜のできも良くなかったがこれは全国的な現象だったようだ。天候不順による不作だ。この天候の影響が稲にどのように影響するだろうか。先日昼食時に遠野のホップの収穫が報じられていたがホップもやはり収量は少なめだったようだが品質は悪くないとのことだった。我が家には庭があるが畑には向かないので家人が匠の方の敷地をお借りして野菜作りをやっているが毎日野菜の具合を見ると言うわけにはいかないのでどうしても思ったようないい野菜はできない。野菜も生き物だからこまめな世話が必要なのだ。今年中に土の改良の準備も考えているようだ。また孤高の巨匠の方が来年新たな土地に野菜を作ろうとされているのでそこでも便乗を考えているようだ。プロによる毎日の野菜の世話に与ろうと言うずるい考えのようだ。むろんその代償に作業の手伝いも考えてはいるようだが。岩手は植物や動物が良く育つ地理的な環境が整っているがさらに気温の変化が大きく影響しているように思う。春に気温が上がって来るとそれからは余り急激な気温の上昇がなく秋までかなり安定した気温が続く。この安定した気温の長い期間が植物の生育を助け、そこで虫たちも良く育ち、結果的には野鳥も増えると言う食物連鎖が出来上がっているのではないだろうか。孤高の匠の方の話では鳥がトマトのようなものを啄んでも種だけは消化されず糞の形で他所へ運ばれてそこで新しい芽を出すと言う。岩手の自然は自然自体が互いに繋がっていることを教えてくれる。

ダリア メキシコ原産で日本には1842年にオランダから渡来。別名 天竺牡丹

民主党政権でも経済はさらに悪化するだろう

2009-08-25 07:05:27 | 経済
今回の選挙で圧勝を予測されている民主党の代表である鳩山由紀夫氏は自分のホームページで「私の政治哲学」と題する小論を載せている。そこでは「今回のアメリカの金融危機は、多くの人に、アメリカ一極時代の終焉を予感させ、またドル基軸通貨体制の永続性への懸念を抱かせずにはおかなかった。」としながらも「しかし、今のところアメリカに代わる覇権国家は見当たらないし、ドルに代わる基軸通貨も見当たらない。」とし、「アメリカは今後影響力を低下させていくが、今後二、三〇年は、その軍事的経済的な実力は世界の第一人者のままだろう。」と述べている。米国の覇権や軍事力はさておき、経済力についての氏の認識については大いに疑問を持たざるを得ない。現在の米国で進行中のドルへの信頼性の低下がもはや基軸通貨たり得ないところまで来ていることが全く認識されていない。「今後二、三〇年は」などと言う悠長な状況ではない。金融情報ネットワークであるBloombergの8月22日記事でもノーベル経済学賞受賞者のジョゼフ・スティグリッツ教授(コロンビア大学)がバンコクの会議で「資産価値保全の手段としてのドルの役割を「疑問視」していると発言。ドルには高いリスクがあるとの認識を示し」、「世界的な準備制度が必要だ」との見解を表明。という記事が出ている。ドルの崩壊はすでに そこにある危機 なのだ。このドル崩壊は1971年のいわゆるニクソン・ショックによりドルが金という裏付けを失った時点である意味運命付けられて行ったと言える。以後の米国は連邦準備銀行(連銀)により無制限にドルを裏付けなく印刷し続けてきた。市場に溢れたドルは疲弊した製造業に投資することが意味を失い貨幣が貨幣を生み出す金融商品という大ばくちに投じられた。ドルは自らその価値を貶めた。鳩山氏にはこの実状が認識されていない。民主党政権になっても日本経済は立ち直れないだけでなくさらなる悪化を招くだろう。

庭に咲いた薔薇

岩手の夏はどうも晴れる日が少ない

2009-08-24 07:01:00 | 自然
昨日は一昨日の天気予報で宮古が晴れの予想だったので浄土ヶ浜の夜明けを見ようと朝3時過ぎに起きて車を走らせた。時間が時間なので当然車は少ないのだが思ったより多く既に人が起きて車を走らせている。いつもなら山田町でバイパスに入るのだが朝早いので差はないだろうと思い市街地を走った。いつも行く浄土ヶ浜の第3駐車場へ来てみると車が進入禁止で遮断機が下りている。時間は4時40分。仕方がないので駐車場に車を止めて歩くことにした。水平線辺りが赤らんでいるので少し急ぎ足で坂を下る。周囲はしかしもう既に明るくなって来ている。心配しながら浜に着いてみると大学生らしい集団が浜で石投げをして騒いでいる。何人かはデジカメを持っていてどうも同じく日の出を待っている様子だ。水平線近くは赤らんでいるが待てどもいっこうに日輪が見えて来ない。雲が多過ぎる。周囲は既にかなり明るくなってしまった。どうやら今回はだめなようだ。日の出で空が赤く染まるためには晴れていなければだめだ。天気予報はどうもあてにならない。諦めて坂を登って引き返していると後ろから人が、今日は残念だったねと声をかけて来た。朝の散歩ついでに日の出を見に来られた地元の方だった。その方の話では結構地元のカメラマンの人たちは遮断機を勝手に上げて車で浜まで入って来るそうだ。その方は明らかに初老の方だが話しながらも歩き続けてどんどん先へ登って行く。その健脚には驚いた。姿が見えなくなると変わって杖をついた老女がこれまたらしくない早さで坂を下って来る。この人たちはいつもこうしてこの坂を歩いているのだろう。自分の足のふがいなさを思い知らされる。お盆直後に少し晴れ間を見たが以来また曇天が続き、昨日ようやく昼頃から晴れ上がって今朝は青空が広がっているがもう秋の気配を感じる。岩手の夏はほんとうに晴れが少ない。こればかりはちょっといただけない。

夜明けの浄土ヶ浜 残念ながら日輪を見ることが出来なかった

甲子園だけはテレビで見たくなる

2009-08-23 07:09:57 | 文化
我が家にはテレビはあるがテレビを見ることがないので大きな置物になって邪魔になるので仕舞われてしまっている。新聞も釜石へ来てからはしばらくして取るのを止めてしまった。それぞれにインターネットに繋がったパソコンがあって、そのパソコンを使って必要な情報を入手している。最初はパソコンなど覚える気もないと言っていた家人も愛知県にいる時に子供からネット小説のあることを教えられたちまち嵌ってしまった。以来毎日パソコンの前に座った姿を見るようになった。今のパソコンは画面がずっと小さくなることを厭わなければチューナーなどの器具やソフトがなくてもテレビ番組さえ必要な時に視聴することができる上新聞などは各社の主要な記事内容も読むことが出来る。日常生活のあらゆる情報をネットを通して入手している。衣類や家具など大抵の品の購入もネットで選んでネットで購入している。同じものでも最も価格の安いものを購入出来る。テレビでスポーツ番組を視聴することはもともと好きではなく、スポーツは人がやるのを見るよりどちらかというと自分でやるものだという考えがあり、尚、テレビを視聴することがなかったのだが毎年夏の甲子園だけはちょっと違っている。出身地の四国が以前強かったせいもあったのだろうがこれまで住んできた各地の県代表が勝ち進んでいたりすると職場の人たち共々つい熱くなってしまう。この観戦ばかりはやはりテレビの大画面がいい。今回は四国は勝ち残っていないが岩手県代表の花巻東が準決勝まで勝ち残っており、今日の第二試合で愛知県代表の伝統校中京大中京と戦うことになっている。愛知県にいた頃なら中京を応援していただろう。しかし、高校野球を見ているとほんとうに人というのは気持ち次第で力が発揮出来るものなのだと教えられる。

浜苦菜(はまにがな) 菊科の花で全国の砂浜で見ることができる

遺伝子組み換え食品の脅威が放置されている

2009-08-22 07:05:38 | 文化
釜石は海と山が近くそれぞれが豊かなため新鮮な状態で幸を口にすることができる。ただ野菜は全くの無農薬というわけには行かない。手作り野菜ですら病害虫駆除のためなにがしかの農薬は使わざるを得ない。それでも都会地に比べれば食品面ではずっと恵まれた環境と言える。本年5月アメリカ環境医学会は遺伝子組み換え作物の使用を禁止するよう勧告した。遺伝子組み換え作物を使って多数の動物実験を行った結果、不妊症、免疫不全、老化促進、肝臓、腎臓、脾臓、胃腸器官におけるさまざまな分泌不全等、その毒性が認められたからだ。米国は遺伝子組み換えに世界でも最も積極的な国であるばかりでなく、その安全性の確認に対しても最も甘い国である。安全性を確認するためのテストを政府機関はしなくていいとされ、「遺伝子組み換え作物は使っていません」という表示をすることさえも禁じている。 こうして作出された食品の最大の輸入国は日本なのだ。その日本では全重量の5%以上が使われてなければ表示義務はない。食料自給率の高い欧州での基準は0.9%以上なのだが。現在のような円高の状況下では輸入企業には有利であり、かつ、国内のデフレ状況であればコンビニ弁当などは低価格競争でますます輸入食品に頼り、遺伝子組み換え食品の輸入は加速されるだろう。食生活面でも従って安全性の格差が今後顕著になると思われる。豊かな人ほど高額だが安全な食料が手に入り、貧しい者は安い安全性に疑いのあるものを食べざるを得なくなる。まるで荒廃した未来を描いた映画のようなことが現実となってきている。いつものことながら最悪なのはマスコミがこうしたことを一切報じないことだ。現在のマスコミはかってのマスコミとは異なりスポンサーが嫌いそうな内容は事前に自粛してカットしてしまう。そこには報道機関の使命などというものは存在しない。

オークランド オランダ産の透かし百合と鉄砲百合を交配したもの