釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

原発事故はまだまだ終わらないだろう

2011-10-31 19:30:37 | 文化
小雨も降る曇り空だが山の木々もさらにその葉の色を濃くして来た。さすがに東北の落葉樹の山だけある。2日間巣を空けていたジョロウグモが今朝スマートなお腹になって再び姿を現した。やはり産卵していたようだ。巣の回りを見てみたが卵嚢らしきものは見られなかった。見つけにくいところに卵嚢を作ったのだろう。岩手県の瓦礫を引き受けてくれるのはいいが、結局東京都はその引き受ける瓦礫50万トン分の処理を東京電力グループの東京臨海リサイクルパワーへ発注している。200億円以上の予算の大半を使う訳だ。フランス放射線防護原子力安全研究所は福島第1原発事故で海洋に流出した放射性物質セシウム137の総量を約2万7千テラベクレルと発表した。これは先に東京電力が発表している量の30倍近い。先日の空間への放出量にしても東京電力はまったく測定を現実的にはやっていなかった。政府も独自に調査しようとせず、東京電力まかせだった。被曝から住民を守ることにも積極的ではなく、被爆した地域の除染にもほとんど熱意がない。ただ東京電力の存続だけを早々と決めてしまった。25日に内閣府原子力委員会の専門部会は福島第1原発事故の被害額を基に、原発事故のコストを1キロワット時当たり0.0046~1.2円とする試算を出した。福島原発事故を含めた国内実績に基づき、事故の発生頻度を500年に1回とすると、稼働率60%の場合、事故コストは1キロワット時当たり1.2円になると言う。今回の事故は3基から放射性物質が大量放出されたため、これを1回分と数えると、事故コストは3分の1になるのだと言う。しかし、日本国内には54基の原発があることを考えれば、事故の発生頻度は10年に1回だとも言える。どちらにしてもいつも通りの過小評価されたコスト計算でしかない。被害を防ぐ対策も、被害者への補償も、すべてが最小限でしかないのだから、コストが上がる訳がない。国策で始めた原子力発電所がこれだけ日本中に広まったのは、原子力発電が電力会社にとって旨味があるからである。直接的に言えば儲かるからだ。人の命や自然の保存よりも国策が優先される。湯川秀樹氏たちが掲げた『自主・民主・公開』の原子力研究三原則など全く無視されている。首相は英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューに応じて、運転停止中の原発について「(安全評価を原子力安全委員会などがチェックする)一連のプロセスを踏み、再稼働できるものは再稼働していく。」と述べている。福島第一原発事故で原子力安全委員会などのチェックが有効性を失っていることが明確になっているにもかかわらず、また同じ誤りを繰り返している。23日にトルコ東部でマグニチュード(M)7.2の地震があった。この地域はこの100年で死者1000人以上の震災が10回以上もあった。ユーラシアプレートとアラビアプレートが接し、国内には数多くの断層が走る。このトルコ東部の国境地帯に隣国アルメニアのメツァモール原子力発電所があり、今回の地震で被害が出たようで放射性物質がやはり放出されたようだ。ソ連型軽水炉(VVER-440)2基があり、出力はそれぞれ40.8万キロワットで、1号機は1977年から、2号機は1980年から操業を開始している。耐震補強には日本も関わっており、震度8までの地震には耐えられる。1988年12月7日アルメニアで起きたマグニチュード6.9の地震の際、震度6以上で自動停止するように設計されていたが震度5.5であったため原発は運転を続けていた。しかし、発電所のスタッフが避難してしまった。炉心溶融の危険もあったのだ。この原発は従来から世界でも最も危険な原発の一つと言われていた。日本と同じく地震多発地帯なのだ。地震活動期に入っている日本では今後も原発事故の危険性は十分にあるだろう。国民を守らない政府の下でまたさらに多くの人々が被爆させられる可能性がある。
救世菩薩(ぐせぼさつ)

学者の意図された欺瞞

2011-10-30 19:29:47 | 文化
今日は風はないが曇っている。もともとクモなどは好きな訳ではないが、毎日に目にするところいるジョロウグモは何となく気になる。このジョロウグモが昨日巣から姿を消した。どうも産卵のために巣を離れたようだ。別の場所で産卵し卵嚢(らんのう)が作られる。一説にはこの卵嚢を守り続けるというが、観察では別の場所へ行ってしまう雌も多いと言う。他の場所に新たな巣を作るものもいるようだ。いずれにしても雌の親は冬を越さないで死んでしまう。こうしてクモも何代にも渡って本能で子孫を残して来た。環境にそぐわないものは絶えて、適応出来たものだけが生き残って来たのだ。福島第一原発事故後の放射線の影響についての議論でもよく人間はもともと自然放射線を浴びているので心配ないと言う学者がいるが、こうした学者は素人をあまりにもバカにしている。自然放射線と人工放射線を同じものとして語ることは研究者であればできないはずだ。核種ごとに人体への影響、人体内での挙動は異なっている。人類が長い間生存して来た間に自然放射線はずっと浴び続けた。その自然放射線によって何らかの障害を受ける生物は生き残ることが出来ない。人類も自然放射線の中でそれをうまく処理する方法を身に付けたからこそ生き残れた。自然放射性核種には地球の誕生時に発生した地球起源の核種と常に宇宙から降り注ぐ宇宙線によって生成される放射性核種がある。後者は固有の半減期で他の元素に変わるため生成されても地球には一定の量が常に保たれている。自然放射線のほとんどは地球起源のカリウム40だがこうした自然放射性核種は人体内に入っても決して長く留まらないで排出されるメカニズムが人体に備わっている。だからこそ人類は支障なく生き残って来た。ところが自然界に決して存在して来なかった放射性核種を人類自らが創り出してしまった。それが創り出されてから人類のこれまでの長い進化の過程に比べればはるかにわずかの時間しか経っていない。とても人類はそれらの人工放射性核種に備えるだけの進化は出来ていない。従ってそれらの人工放射性核種が人体内に入ればすぐに排出するメカニズムがないためむしろ体内に蓄積されてしまう。よく言われるヨウ素131などは人工的に創り出された核種であるため人体は無害のヨウ素と間違って甲状腺に取り込んでしまう。人体は無害のヨウ素と放射性ヨウ素の区別をつけることができない。こうして明らかに自然放射性核種と人工放射性核種は異なっている。それを同じもののように語る学者はそう語ることに意味を見出しているとしか考えられない。意図して語っているのだ。そこには本人が自覚しているかどうか分からないが悪意が含まれる。要するに「騙し」の手口である。不安に怯える人たちに真実を知らせるのではなく、虚偽を伝えることで不安を沈めて人々の目をそらそうとしているだけだ。福島第一原発事故による放出放射線量も経済産業省の原子力安全・保安院は1000万キューリーと発表したが、これなども京都大学原子炉実験所今中哲二助教がすでに「軍縮問題資料」1999年5月号(No.223)に掲載した「原発事故による放射能災害」で記されている日本原子力産業会議の1960年作成の「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害に関する試算」で述べられている数値をそのまま発表しているだけで、現実に福島第一原発事故が起きてから実測したデータではない。諸外国は従って当初からこの数値を疑っていて、信頼に足る数値でないため独自に調査を開始した。先日のブログにも記したように欧米で観測された放射線量からコンピュータで計算すると福島第一原発事故後に放出された放射線量はチェルノブイリ原発事故で放出された放射線量の政府が発表した10分の1などではなく少なくとも半分以上の放出量があった。事実はすべて隠されている。何も知らされずに人々は生活させられている。子供たちは被曝し続けているのだ。
黄金色の銀杏

今年の紅葉

2011-10-29 19:40:31 | 文化
朝から風もなく秋晴れのいい天気になった。いつもより暖かい。震災以来今年は例年に比べて写真を撮りに出かけると言うことがずっと少なくなった。何だか気力が萎えている。職場の同僚の方がこの週末にご家族で八幡平へ紅葉を見に出かける、と言う話を思い出した。せっかくのいい天気なので少しでも紅葉を見ておこうと出かけることにした。45号線を北に走って久しぶりに両石地区を通った。車を走らせながらあらためて津波の襲った高さを見てみるとその恐ろしさが甦って来た。道路を走る車など簡単に飲み込まれる。何しろ10m近い防波堤を楽々越えたのだ。瓦礫は片付けられているがほとんどの家はコンクリートの土台だけを残してなくなったままである。この地区に住む人は誰もいない。鵜住居地区の45号線沿いも基本的に両石地区と変わりない。ただこちらは壊れた家屋がまだ少し立っている。山側の無事だった家には普段と変わらず人が生活している。鵜住居から45号線を外れて笛吹峠へ向かう35号線に入った。栗林地区までの途中には3カ所に仮設住宅が建てられている。近辺にはスーパーなどまったくない地域だ。山間のこれらの地には限られた土地に田畑が作られ、釜石では最も遠野の雰囲気を漂わせる地域だ。稲刈りを終えて、稲穂の切り取られた稲藁だけが3本一組にピラミッド型に立てかけられていた。乾燥させた後ロール状に巻かれて牛たちの飼料として使われるのだろう。途中には1軒の小さな釣り具店があったがひっそりしている。釜石の大きな良く知られた釣り具店はずっと海岸から奥まった津波の被害など受けないところにあったにもかかわらず潰れてしまった。海釣りをする顧客がいなくなったからだ。以前は人で賑わった港の防波堤には今は釣り人はいない。橋野のどんぐり広場へは立ち寄らずそのまま笛吹峠へ向かった。峠までの道に沿った鵜住居川にはとこどころ紅葉が見られた。鷲ノ巣滝へも寄ってみたがここの紅葉は今ひとつだった。どうも今年は風が強かったせいなのか葉がすでに落ちてしまっている木が多い。それでも峠の少し手前できれいな紅葉に出会えた。峠を越えて遠野側へ下りて行くと日射しが気持ちよく稲架(はぜ)に稲を架け終えて間もない風景が目に入った。途中で土淵方向へ右折して遠く早池峰山を見ながら車を走らせた。釜石出身でグループ「飛行船」から独立した後あんべ光俊が歌った「遠野物語」でも歌われている福泉寺へ行った。280mの高さに本堂がある。駐車場へ車を置いて、ゆっくりと歩きながら本堂へ向かった。福泉寺は300円の拝観料を取るが、境内には様々な花が植えられ、季節を楽しむことができる。普段歩いていないとわずかな上り坂も結構きつい。のんびりマイペースで上ることにした。紅葉も何か所かで見られた。本堂横の多宝塔のそばの山を落ち葉を踏みながら進んでいると目の前に蛇がいた。頭の近くはまだらだがそこから尻尾の方は真っ黒に見えた。多分カラス蛇だろうと思う。それからも用心して歩くようにした。暖かい日だったので動きも早い。本堂には日本一大きい木彫りの観音像が安置されている。本堂前で記念写真を撮っている人もいた。この本堂のある高さからは遠野の街も見渡すことが出来る。少し霞のかかったような遠景の一角に煙が立ち上っていた。野火だろう。そこからしばらく下って行くと五重塔に出る。正面が逆光のため黒ずんで目の前に立ちはだかるような感じだ。周囲にも紅葉が見られた。人は誰もおらずたっぷりとここの雰囲気を味わうことが出来た。再び緩やかな下り坂を下りると仁王門のそばへ出る。ただ福泉寺の仁王は近代的な彫刻のため重厚さに欠ける。釜石にもほんとうは福泉寺のようにどの季節にも目を楽しませてくれる場所があるといいのだが。
鷲ノ巣滝

笛吹峠の近くで

干されていた稲藁

福泉寺多宝塔

福泉寺五重塔

元寇船の発見

2011-10-28 19:19:50 | 歴史
最近は朝晩の気温がだいぶ下がって来た。上着を着てても寒い。今日の釜石の予想最高気温は17度となっていた。最低気温は9度。まだ暖房は入れていないが、家によってはすでに暖房を入れ始めているところもあるだろう。大型犬たちの寝そべっている様子を見るとさすがに犬たちは暖かい毛皮を身に付けているためにまだ丸くならないで足を伸ばして横になっている。真冬の一番寒い時期になると鼻先を後脚の間に入れて丸くなっている。山の木の葉もこれだけ気温が下がって来ると急速に紅葉して行くだろう。先日1281年の弘安の役で沈んだと思われる元寇の船が長崎県松浦市の鷹島沖海底から発見されたことが報じられた。琉球大法文学部の池田栄史教授(考古学)の研究チームが調査して保存状態の比較的いい船体が見つかった。モンゴル帝国の第5代皇帝クビライ(フビライ)が中国を征服して建国した元王朝は日本に通商を求めたが鎌倉幕府は拒否し、元軍は十五万人、船四万四千隻の大部隊を東路軍と江南軍の二手に分けて平戸島付近で合流した後鷹島を占領した。九州本島に上陸する直前に台風に見舞われて8割の船を失った。松浦市の名に残る松浦水軍は奥州安倍氏の流れも引いており、この元軍とも戦った。前九年の役(1051年-1062年)で、鎌倉幕府を開いた源頼朝の4代前の祖先にあたる源頼義は奥州の覇者であった安倍頼時一族を滅ぼした。安倍頼時の長男良宗は討ち死にし、次男貞任は捕縛された後斬首される。三男宗任、四男正任はともに囚われて伊予国、現在の愛媛県今治市富田に流される。この地は私の父の生地でもあり、子供の頃よく訪れていた。宗任はしかし、その後筑前国宗像郡の筑前大島に再び流され、彼の三男安倍季任が肥前国の松浦の松浦氏の娘婿となり松浦水軍を継いだと言われる。松浦水軍は後に源平合戦で平氏について敗れたため松浦氏は山口県長門市に流罪となった。その末裔が元総理大臣の安倍晋三氏である。元軍は九州へ来襲する10年前に樺太へも侵攻している。九州か樺太を攻めて潮に流された元軍は東北の津軽地方にもたどり着き、津軽地方にはそのことを織り交ぜた子守唄が現在まで遺されている。「寝ろじゃ 寝ろじゃ 寝ろじゃ 寝ねば 山がら モッコくらぁねぇ 寝れば 海がら ジョジョくらぁねぇ 寝ろじゃ 寝ろじゃ」「寝ないと山から蒙古が来るぞ」と歌われている。和田家文書では安倍貞任の次男高星丸(たかあきまる)は父が敗れた厨川柵を脱出し、津軽十三湊(とさみなと)に逃れ、安東水軍として大陸との交易により栄えた安東氏の祖となった。その安東氏は流れて来た元軍を助け、そのこともあって元から大陸との交易を許された。元を訪れていたマルコ・ポーロも安東氏の交易を助けた。十三湊は一時10万を超える当時としては京の都に次ぐ大都市であったと言う。外国人も多く住んでいた。しかし、その国際色豊かな十三湊は大津波によって一夜にして水没してしまった。遺された安東氏の系はその後秋田に移った後、秋田氏を名のり、さらに徳川家により福島県の三春藩の藩主として勢力を弱められ、明治維新で秋田子爵として継がれて行った。安倍氏に変わって東北の覇者となった奥州藤原氏も源義経をかくまったことが口実となって源頼朝に滅ぼされてしまった。東北は5代に渡る源氏によって衰亡させられたわけだ。仮に十三湊に大津波が来なければ安東氏が元との交易を続けて東北の覇者になっていたかもしれない。しかし、その場合も朝廷からは快くは見られなかっただろう。いずれ征夷大将軍が東北に向けられた可能性は大きいだろう。それでも大陸との交易が維持されていればまた違った日本の歴史があったろうと想像することは楽しい。
花が散ってしまった蓮で休む赤トンボ

老いることない経済学者

2011-10-27 19:14:02 | 文化
2日続いた強い風も治まって今日は穏やかないい晴れた秋の日になった。日ごとに木々の葉の色が変わって行く。一昨日米国から日本に戻って来た娘は週末まで東京で過ごしてから釜石に戻る予定になっている。米国ではコロンビア大学で心理学系の博士号をとられた日本人女性と親しくなり、何日かともに語り合ったようだ。若い時には出会う人からの刺激が大きい。自分の学生時代を思い出してもその頃に受けた影響はやはり強かったと思う。今問題になっているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を考え、いったい経済とは何か、経済学とは何か、を考えていると、学生時代に経済原論の時間に講義をしていた教授がよく口にしていた言葉がまた甦って来た。上野で彰義隊と新政府軍が戦っている時にF・ウェーランドの 『経済学』を講義していたという福沢諭吉がeconomyに「経済」と言う訳を当てたことを。経済は「経世済民」から来ていると言う。世を治め民を救う。ちょうどその頃シカゴ大学教授を辞して日本に戻って来た宇沢弘文が東京大学の職に就いた。シカゴ大学では後にノーベル経済学賞を受賞した若いジョセフ・E・スティグリッツもいた。そして現在二人はいずれもグローバル経済、新自由主義経済を批判し、宇沢弘文は高齢にも関わらず、TPP批判の先頭に立っている。日本経済はこの20年間低迷を続けている。これほど長きに渡って経済の成長が低迷し、人々の生活が豊かにならない。しかもそれが平時の戦争もない時にである。これは経済学がまったく機能していない状態だと言えるだろう。宇沢弘文はもともと数学科出身で河上肇の『貧乏物語』を読んで経済学に転じたと言われている。息子の宇澤達も数学者だ。一般的に近代経済学と言われる学問は数学を道具として仮設を立てることで科学性を保持しようとする。しかし、社会あるいは経済の分野には数学を適用することに限界があるものがある。経済学の領域には多くの数学科出身者がいるが、同じ数学科出身者でも概ね二通りに別れる。見事に数学的手法のみで経済学を押し進めようとするタイプとむしろ数学科出身であるが故に数学の適用の限界を熟知するタイプに。宇沢弘文はまさにその後者の典型である。人々が豊かになるとはどういうことかを常に念頭において、経済だけでなく教育など、社会的な問題へも積極的に発言するようになる。経済学では後に「社会的共通資本」の概念を打ち出し、この社会的共通資本を崩壊させる元凶としてのグローバル経済や新自由主義経済に批判を強めて行った。「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する」。それにあたるものとして大気、水、森林、河川、湖沼、海洋、湿地帯、土壌などの自然環境、道路、交通機関、上下水道、電力ガスなどの社会的インフラストラクチャー、教育、医療、金融、司法、行政などの制度資本がある。農業についても「農の営みというとき、それは経済的、産業的範疇としての農業をはるかに超えて、すぐれて人間的、社会的、文化的、自然的な意味をもつ。農の営みは、人間が生きてゆくために不可欠な食糧を生産し、衣と住について、その基礎的な原材料を供給し、さらに、森林、河川、湖沼、土壌のなかに生存しつづける多用な生物種を守りつづけてきた。」として「どの社会をとってみても、その人口のある一定の割合が農村で生活しているということが、社会的安定性を維持するためにも不可欠なものとなっている。」と位置づけている。農林漁業については基本的に同じ視点で見ている。今83歳の宇沢弘文はTPPが農林漁業や医療など社会的共通資本をさらに破壊するものとして批判を続けている。68歳になるジョセフ・E・スティグリッツも負けずに今月2日の「Occupy Wall Street (ウォール街を占拠せよ) 」の抗議デモに参加している。
木立紺菊(きだちこんぎく)

自治体毎に姿勢が違っているが・・・

2011-10-26 19:33:21 | 文化
昨日から少し強い風が吹いている。晴れていても風に吹かれると寒い。家の庭にはジョロウグモが何匹か巣を張っている。建物の影になるところに張られた巣は無事だが、建物から離れた広い空間に張られた巣はみんな風で飛ばされてしまった。巣を飛ばされたクモたちはそれぞれ木の枝に退避している。以前写真を撮ったジョロウグモは無事だ。ただ雄はとっくに雌に食べられてしまった。交尾だけは成功したようで雌のお腹が大きくなっている。来月から来年3月までまたガソリンスタンドが灯油の巡回をやってくれる。北海道や愛知県の時にも家には灯油タンクがあったが愛知県だけはスタンドの巡回はなかった。ポリタンクを3個用意してある水準まで減るとスタンドに補充に出かけた。仮設住宅の高齢者はこの灯油の補充だけでも大変だ。仮設住宅に住む被災者の債務整理手続きを調停する第三者機関は仮設住宅から民間の住宅に移り住んだ場合、家賃などの支出増で返済不能になる被災者も債務免除の適用対象とすることを決めたようだ。被災者の窮状が少しでも救われれば、自殺などの悲惨な結末を見なくてすむ。岩手県宮古市の1000トンの瓦礫が先行分として来月始めに東京都へ搬出され始める。岩手県の瓦礫は推計で約435万トン。東京都は宮城県分も合わせて3年間で約50万トンを受け入れる。5月末に東京都が瓦礫受け入れを表明すると、メールや電話が殺到し、約1500件のうち9割が放射線の不安を訴えた抗議だった。岩手県が行った焼却試験では焼却灰の放射性セシウムは1キログラム当たり133ベクレルで、東京23区の焼却灰の平均3005ベクレルよりも低いくらいだった。東京都は安全性確認のため放射線測定は都内に搬入後も破砕、焼却、埋め立て後の3段階で実施する。岩手県の瓦礫は県外では現在東京都だけが受け入れを表明している。岩手県よりもかえって関東の方が放射線量は高い。国際放射線防護委員会(ICRP)が定めた、一般の人が自然放射線以外で浴びてもよいとされる閾値は年間1mSvで、これは1時間あたりで0.114μSvとなる。これに自然放射線量や屋外での活動時間を考慮して、0.19μSvまでなら許容範囲とするという考えの下で神奈川県の川崎市では汚染レベルごとに細分化した除染方法をとることになった。環境省基準(0.23μSv/hr)より厳しい規準を設定しているのはしかし川崎市だけである。この0.19μSvですら食事や空気中に含まれる放射性物質が体内にはいることによって起きる内部被曝の量は加味されていない。豊島区や埼玉県川口市では0.23μSvであり、横浜市などは0.59μSvを規準としている。川崎市は測定する高さも地表5cmの値で対処する方針で、主流となっている地表1mより厳しくしている。福島第一原発から200Km離れた千葉県の柏市で57.5μSv/hrもの高い線量が測定されている。文部科学省は福島第一原発から出た放射性セシウムを含む雨水が壊れた側溝から漏れ出し、土壌に染み込んで蓄積した可能性が高いとの調査結果を発表している。市内全域の除染を掲げている福島県の伊達市では今日から宅地除染の本格的作業を始める。その伊達市に接する宮城県の最南端にある丸森町では子供の健康調査を実施することが決った。宮城県の有識者会議は「健康に影響はない」と発表したが住民の不安解消に向けて「調査は必要」と独自に判断した。甲状腺の超音波検査のほか、内部被曝量を測定するホールボディーカウンターの使用も検討する。対象地域は年1mSvを超えており、4.1mSvや2.8mSvが検出されている。昨日Nature.comに掲載された記事によると今回の福島第一原発から放出されたセシウム137は日本政府発表より多く、チェルノブイリの半分の量になり(日本政府はチェルノブイリの10分の1と発表している)、キセノン133はむしろチェルノブイリをはるかに超えるという。日本政府の計算には北米やヨーロッパで観測された多量の放射線が考慮されていないのが原因だと言う。
常盤山櫨子(ときわさんざし) ピラカンサの名で知られる

「何故日本では誰も怒らないのか?」

2011-10-25 19:26:02 | 文化
職場のそばの薬師公園の少し階段を登った一段高くなったところに石碑がたくさんおかれている。震災時にはここにも波が瓦礫とともに押し寄せた。そのため流されて来た車が石碑の前に長い間放置されていた。一段高くなっていて狭い場所でもあるため撤去が簡単ではなかった。その車もようやく最近撤去された。新日鉄の構内には今も瓦礫がうず高く積まれている。被災した商店街の瓦礫は恐らく平田の海岸よりの山の中にまとめて捨てられているのだろう。被災地域の道路は日中はむしろ震災前より交通量が多いぐらいになっている。他府県ナンバーの車も相変わらずよく見かける。ただ以前のように戸外でのボランティアの姿を見かけることはなくなった。職場近くのキリスト教教会のボランティア用テントも今月初めには畳んでしまった。昨日の共同通信によると滋賀県の住民らが定期検査で運転停止中の日本原子力発電の敦賀原発(福井県敦賀市)1、2号機の再稼働差し止めを求め仮処分を申し立てることになったようだ。同原発で事故があれば、琵琶湖が放射性物質で汚染され、生命に深刻な危機が生じるとして。弁護団には北陸電力志賀原発2号機について原発の差し止めを命じる判決を言い渡した元裁判官井戸謙一弁護士も名を連ねている。若狭湾沿岸部には「原発銀座」と言われるほど14基もの原発が並んでいる。そしてここには過去に大津波があったことも知られている。この地域を原発の本拠とする関西電力もHPでその津波のあったことを紹介している。同じく共同通信は東洋大学の渡辺満久教授(変動地形学)らが東北電力東通原発(青森県)の敷地内に複数の活断層が存在するとの調査結果をもとに耐震安全性審査の見直しなどを求めていると報じている。震災後、福井県の原発に関する委員会も、科学的な根拠が不足していると指摘し、昨日からボーリング調査も開始されることになった。東京電力の福島第一原発、第二原発については3年前に過去の大津波の調査結果から安全策の見直しの必要が求められたにもかかわらずそれが無視されて今回の事故に繋がっている。今日のニュースでは、以前東京電力が福島第1原発の事故の際、使われた運転操作手順書のほとんどを黒塗りし、内容が分からない状態で衆院科学技術・イノベーション推進特別委員会に提出していたが、昨日東京電力が再提出した手順書(マニュアル)が経済産業省原子力安全・保安院により公表された。そして原子炉を冷却する非常用復水器や代替注水装置などを動かす際に、全電源喪失を想定した手順書がなかったことが明らかになった。要するに東京電力は最悪の炉心溶融(メルトダウン)に至ることを予防することも至った時の処理の準備もまったくやっていなかったのだ。こうした東京電力に対して最も手厳しく見ているのが日本ではなくドイツだ。ドイツは日本のメディアとは異なり、福島の現状や東京電力への批判の報道に熱心であり、日本のメディアが原発から20Km以内に入ろうとしないのに対して20Km以内に留まらざるを得ない住民がいる現状をよく伝えている。以前事故後にドイツの風刺的なニュース番組で東京電力は「犯罪会社」とされた。そう表現したレポーターのウルリヒ・フォン・ヘーゼンUlrich von Heesenは東京電力は「長年に渉って原発内の故障を隠蔽して来た。そして日本政府はそれを許して来た。」と語り、官房長官であった枝野幸男現経済産業大臣が「確かに炉心溶融(メルトダウン)は起こりましたが一過性の、一時的なものです」と発表したことに対して、「まるで手術後に医者が「奥様申し訳ありません、ご主人は一過性の死を迎えられました」「一時的に埋葬しなければなりません」と言うようなものだ、一過性の炉心溶融などありえない!言葉の矛盾だ。」と述べている。司会者が「何故日本では誰も怒らないのです?ジャーナリストさえ怒りません」と尋ねるとヘーゼンは「日本の文化と関係してるんだ ガイドブックに書いてある「日本では、直接ものを尋ねることは非常に失礼とされる」」と答えた。スタジオにいるドイツの聴衆は笑っていたが、日本人にとってとても笑えるような内容ではない。
オクラの花

遠野

2011-10-24 19:25:11 | 文化
まわりの山をよく見てみると明らかに先週より色が変化して来ている。自然は気温や日照時間の差はあっても確実に毎年同じ変化を繰り返す。遠野に住んでおられる同僚の方がログハウスを建てる。完成すれば娘と一緒に一度招待を受けることになった。遠野は岩手県下では住む場所としては一番不人気なところだと聞かされた。あまりにも田舎過ぎるというのだ。確かに冬は気温がかなり下がり、酷い時には釜石と10度も違ったりすることがあるようだが、環境としては昔ながらの田園風景が残されていていつ訪れても懐かしく心を和ましてくれる。「ロサンゼルスの方」は「日本の原風景」だと言われていた。岩手県は石川啄木や宮沢賢治のような詩人を輩出し、高村光太郎を引き寄せた。彼等が生きていた頃と今の遠野はさほど大きくは変わっていないように思う。バイパス沿いには確かに大型店が出来ているし、車は当たり前のように走っているが、少し街中をはずれると昔ながらの田園風景が広がっている。同じ田園でも都市近郊の田園とはまったく趣が異なる。都市近郊では見られないたき火の煙が必ずと言っていいほどいつも田園を漂っている。「手ぬぐい」を頭に巻いた古老があぜ道を歩く姿が見られる。牛や馬に替わったトラクター位が違っているだけだろう。釜石とは異なり平野部が広いので一軒の農家の田畑の広さもかなりある。光沢のある瓦を使った城のようなどっしりとした農家の建物も独特だ。馬が使われなくなったために現在はほとんど曲り家を見ることはなくなったが、ふるさと村や千葉家に今も残されている。柳田国男の『遠野物語』に遺された昔話の舞台もそのまま残っているところも多く、田園のあちこちで見かける石碑がまた都市近郊の田園とは異なっている。ただこれらの遠野の「原風景」は江戸期の原風景であり、南部氏の配下であった遠野だ。それ以前にも「遠野」は存在していて貞任高原や安倍屋敷跡として伝わっている。「遠野」の名前の由来もアイヌ語だという説もあるが一戸から十戸までの地名の一つである十戸(とおのへ)から来ているという説の方が正しいのではないかと考えている。安倍氏のさらに先祖の代に戦いの重要な役割を担った馬を管理放牧した場所として一戸から十戸が置かれた可能性が強いからだ。綾織地区の観光場所として有名な続石も2mの2つの巨石とその上に乗せられた7mの笠石で鳥居状に構成されているが、東北一帯に残る義経伝説にそって弁慶が造ったものとされている。しかしこれなどはまさしく縄文の巨石文化そのものであり、東北に多く残る山神(やまのかみ)と同根だと思われる。山神もほとんどは巨石とともに祀られている。青笹地区の遠く早池峰山を望む茅葺屋根の社殿が維持された荒神神社も釜石や山田の荒神社とともに荒覇吐(あらはばき)の神に繋がるものではないかと考えている。こうしてみると遠野には趣はかなり異なってしまっただろうが太古からの片鱗がいまだに残っている。その意味では遠野は東北の原風景ということはできるのだろう。そのことがいつもここを訪れると心を和ませてくれることに繋がっているのかも知れない。ログハウスを建てられる同僚は東京生まれの方で不思議と同じ地をこれまで引っ越しされて来ている。静岡県の御殿場市と北海道だ。御殿場市では時期は違うがやはり同じ職場におられた。北海道も北見におられてやはり近くであった。そんな縁もあって余計にログハウスの件では話が弾んでしまった。小さい子供さんもおられるので牛乳とキノコだけは注意されるように話しておいた。近々文部科学省から岩手県の航空機による放射線量の測定結果が発表されると思うがドイツやSPEEDI(スピーディ)のシュミレーションでもまちがいなく岩手にも福島ほどではないにしても放射性物質は降り注いでいる。濃縮の高い食物は子供や妊婦は避けておいた方がいいに違いないだろう。
荒神神社 右には霊峰早池峰山を望む

「決断できない日本」

2011-10-23 19:20:40 | 文化
今釜石の被災地域を歩いても根本的な復興策は何もとられていない。建物は残されても中は荒れ放題になっている。建物周囲や道路の瓦礫だけは取り除かれてしまったが。国の復興の具体案が一向に出て来ないため県や市は少ない財政の中でとりあえず緊急に手を打たなければならないことだけをやっているが、被災者同様国に対してはいらだっている。第3次補正予算案の概要は21日に閣議決定はされたが震災関連の9.2兆円からは各自治体の単独事業、復旧事業や既に着手済みの事業などは除外されている。復興のための基本計画案の策定自体も出来ない状態に未だにおかれている。国は復旧・復興費用として10年間で23兆円を見込んでいるが市町村がとりあえず計画したものを積み上げただけで10年間の復興事業費は宮城県の12.8兆円と岩手県の8兆円を足しただけでもすでに20兆円を超える。原発事故の被害などの影響が見えて来ない福島県を考えれば相当の上乗せが必要になってくる。釜石の仮設住宅には気温が下がって来たため県の手配で石油ストーブが配布された。しかし、高齢者にとって市街地から離れた仮設住宅にいる限り灯油の入手も困難になっている。車がなければ灯油の購入は不可能だ。しかも狭い仮設住宅でストーブ自体がさらに場所を狭めている。日赤からは冷暖房付きの空調機が贈られているが電気代が高くなるためほとんどの人が使っていない。高齢者で灯油が手配できない人には電気代を無償にするとか、灯油を業者と提携して配布するとか対策がとられればいいが。20日福島県議会は県内にある東京電力の原子力発電所10基すべての廃炉を求める県民からの請願を賛成多数で採択した。当初最大会派の自民党は反対であったが選挙を考慮して賛成に回った。どれほど県民に「健康に影響はない」と学者を動員して触れ回っても県民はもう誰も信じないだろう。もう原発は福島県にはいらない、と意思表示したのだ。福島県の電力を供給するわけでもないのだ。原子力発電所の立地自治体に支払われる国の交付金も南相馬市と浪江町は辞退する。岩手県の農協グループは畜産農家の損失など約9億8千万円を東京電力へ請求することを決めた。千葉県柏市根戸の市有地では採取した土壌から最大で1キログラム当たり27万6千ベクレルの放射性セシウムが新たに検出された。神奈川県の逗子市の池子小学校でもセシウムが8026ベクレルとなっていた。今月13日の土壌調査では岩手県の一関市でも1000~2000代のセシウムが検出されており、4歳の男児の尿からも 3.20Bq/Lのセシウムが検出された。9月までは牛乳を飲んでいたようだ。柏市の小中学校や病院が隣接する最終処分場南部クリーンセンターでは1キロあたり最高70800ベクレルになる焼却灰が25トンも埋められていた。どこもこれまで放射性物質の拡散の事態など考えてこなかったため測定体制も出来ておらず、従来通りただ処理を進めて来ただけなのだろう。仮に測定して高濃度の放射性物質が検出されても取り除かれた土壌や瓦礫の保管場所がまた問題になって来る。多くの自治体が他の自治体からの受け入れを拒否している。岩手県の災害後の瓦礫を東京都が受け入れてくれたが、それはそれでまた心配でもある。果たして放射線量を測定しての受け入れだったのだろうか。早い段階での受け入れなのであるいは測定されないまま搬入された可能性もあるかもしれない。いずれにしても汚染されたものは早急にどう処分して行くのか国が指針を出す必要がある。『決断できない日本』の著者前米国国務省の日本部長ケヴィン・メア氏も書いているが、危機や緊急時に際し、日本はあまりにも決断が遅く、結局はかえって被害を大きくしている。基本的に誰もが責任をとりたくないために決断がなされない構造になっている。そして責任の所在があいまいなシステムにされているようだ。
被災地に咲くコスモス 一帯の建物には誰も住んでいない。以前はここにも建物があった

震災の象徴

2011-10-22 19:21:05 | 文化
ここのところ晴れの天気が続いていたが昨夜からは雨に変わった。周囲の山々も霧で覆われている。津波で岸壁に打ち上げられた貨物船の撤去が予定より2日遅れて一昨日行われた。昨日の昼休みにその貨物船ASIA SYMPHONYの様子を見に行った。4,700トンの元パナマ船籍のその船は他府県から釜石へ震災による被害状況を見に来た人たちの必ず訪れる名所になっていた。津波の凄まじさをいつまでも教えてくれる記録となっていた。しかし、港湾の復興の妨げにもなり結局放置はできないため撤去された。行ってみるとすでに船は海に浮かんでいて岸壁に係留されていた。海側からは起重機船がぴったり横付けされている。岸壁へ出る堤防沿いの入口はすべて閉鎖されて立ち入り禁止となっている。貨物船が打ち上げられた時に船首が乗り上げたために崩された堤防の穴にもロープが渡されていた。貨物船周囲の海面には一応念のためにだろうが油漏れの際のブイが浮かべられている。この船を見ると辛い思い出が甦るため早く撤去してほしいという地元の人たちの声があったそうだが、あらためてこの船を見るとむしろこのまま残しておいた方がいいのではないかと思われた。これほど大きな船までも簡単に翻弄される津波が襲ったという記憶を留めておくためにも何らかの形でこの船を残す必要があるように思う。人は辛い記憶を簡単に忘れようとする。何十年、何百年後かには今回の津波の記憶は忘れ去られているかも知れない。今月5日から行われていた岩手県警の最後の海中の遺体捜索も終了したようだ。宮古市、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市の漁港付近12カ所でダイバー延べ53人で行われたが結局は発見された新たな遺体はなかった。海中での視界はせいぜい3mで防潮堤の残骸や鉄骨、木材などのがれきが散乱しヘドロ状の土砂も堆積しているようだ。放射性物質が暫定許容値(300ベクレル/Kg)を超える牧草が約9000トン、稲わらは約600トンほど岩手県内で処理されないまま残されている。国の処理方法が定まらないのだ。20日に行われた『田原総一朗談論爆発!』というネット番組を見たがタレントの山本太郎との対談になっていて若く行動派の山本太郎と老練で世に通じた田原総一朗の対比がけっこう面白かった。その中で日本には大気中の汚染に対して放射性物質による汚染を規制する法律がないということが言われていた。田原総一朗は1976年に原子力船むつ問題を扱った本や映画『原子力戦争』を出して東京12チャンネルを辞めさせられており、10年後の1986年には『ドキュメント東京電力』を出して基本的には原発に反対の姿勢をとって来ている。震災後も福島へ入り農家の方々とシンポジウムを開き意見を聞いているようだ。ただ東京電力はもう潰れることは当然決っていることのように捉えていることには山本太郎と同じく頷けない。元通商産業省官僚である古賀茂明氏が言われるようにむしろ8月3日に成立した原子力損害賠償支援機構法によって東京電力は潰さないということが早々と決められてしまっている。さらに田原総一朗はもう現在のような状況では誰も原発など進めようというものはいない、と言い切っているが、東京新聞が各電力会社へ問い合わせた結果、計画・建設中の原発12基のうち7基までは推進する予定だという回答を得ているし、17日に首相は原発の新規建設について「新増設は全体的には困難だ。ただし既に建設が相当進んでいるものもある。これらについては、地元の意向を踏まえながら個々の案件ごとに判断していくことだろう」と答えている。着工済みの原発は東京電力東通原発1号機(青森県)、電源開発大間原発(同)、中国電力島根原発3号機(島根県)の3カ所だ。古賀茂明氏が言われるように時間が経てば経つほど推進の勢いが強まりいつのまにか元へ戻ってしまうだろう。驚くことに日本の名監督と言われた『世界の黒澤明』は最後の映画『夢』ですでに日本が原発事故によりチャイナ・シンドロームを生じ富士山が噴火し、放射能汚染により人々が死んで行く様子を描いている。逃げようとする妻に夫は「狭い日本なんだから、どこへ行ってもしょうがないだろう」と言っている。
撤去前の岸壁に打ち上げられて船首が防波堤に乗り上げた貨物船

撤去されて岸壁に係留された貨物船

貨物船に壊された防波堤