釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

常識を外れても批判されない日本銀行

2012-12-10 19:21:02 | 社会
今朝も続いて庭に氷が張り、霜柱が立っていた。さらに今期はじめて犬たちの飲み水も凍っていた。冷たい突風が吹き、外は寒い。しかし、釜石は沿岸部に暖流が流れ込んで来ている関係で、内陸は雪が積もっているのに、まったく雪はない。京都や名古屋の積もった雪を見ていると奇妙な感覚になる。釜石の方がそれらの地域よりずっと北になる。午前中から少しづつ青空が出て来たが、風が強く、冷たい。所用で昼休みに職場を離れたが寒さと風で、八幡神社まで行く気がしなくなった。 1998年のリーマンショック以来、日本は先進国の中でも特異なデフレ状態が続いている。過去30年間で先進国でデフレを経験したのは日本だけだ。世界では日本はデフレが定着してしまったので、デフレを「日本化」と表現されるようになってしまった。デフレは物の価値よりお金の価値の方が高くなることを意味する。同じ1,000円でも物価が高いインフレの時は、1,000円というお金の価値が下がる。逆に物価が下がっているデフレの時は1,000円のお金の価値が上がる。今はデフレだから物の価値は下がっており、お金の価値が上がった状態になっている。お金の価値が上がっているのだから高所得者ほど有利な状況だ。この状況が何年も続いて来たのだ。日本のお金である円の価値が高いのだから円高になっているのは当然だ。一般に今のように景気が悪い状況の時には預貯金の利子、利息は低くなる。出来るだけ企業が融資を受けやすくしたり、個人が借金をしたりしやすくするためだ。景気がいい時には利率を上げて、少し融資を受けにくくして、引き締める。利率を下げたままにしておくと、どんどん融資や借金が進み、お金がたくさん市中に出回り、インフレに繋がる。要するにお金である円の価値は利率と円というお金の供給量でコントロールされる。ところで、利率は長く低い状態が続いており、景気も悪いままなので、これは仕方がない。しかし、お金の供給量も少ない状態がずっと維持されて来ているため、いつまでもお金の価値の高い状態、つまりデフレが続いている。お金の供給量を増やす権限は日本銀行にある。その日本銀行がかたくなにお金の供給量を増やさないで来た。そのためデフレがこうして長引いている。市中にお金が増えれば、お金の価値は下がる。それがデフレからの脱却と言うことになる。こんな簡単な高校生でも分かる話は世界でも経済関係者の間では当然常識となっている。米国や英国などもこうした手段をリーマンショック後に講じて、景気を回復させている。日本だけが同じ手を使わないでデフレ状態を放置して来た。日本銀行法と言う法律により日本銀行の独立性が保証されており、政府からの余分な圧力を受けないで、日本銀行が処置できるようになっている。しかし、この独立性が誤解され、日本銀行は独自の判断で、これまでデフレを放置して来た。国の政策には目的と手段があり、日本銀行の独立性と言うのはあくまで手段の独立性であり、目的の設定は政府の権限範囲である。国民により選ばれたものでもない日本銀行には本来、日本の経済目的を決定する権限などない。政府から完全に独立している中央銀行などと言うものは存在しない。一人日本だけがあたかも一国の独立国でもあるような日本銀行の在り方が許されている。以前にも触れたが、日本銀行に対してはメディアも経済学者もほとんど批判を向けない。政府までもが及び腰だ。本年10月東京で開催された国際通貨基金(IMF)・世界銀行総会でラガルドIMF専務理事が日本銀行への量的金融緩和(実質的なお金の供給量の増加)の期待を表明し、11月5日日本銀行もようやく35兆円の量的緩和を決定したが、これも小出しになれば効果はない。2001年から2004年まで小出しの量的緩和は行われたが、その効果はほとんど見られていない。今回程度の量的緩和は効果が無いことはすでに2004年に経験済みだ。過去の経緯を見れば、日本銀行が量的緩和に消極的であることは明らかであり、これまでのかたくなな姿勢を改めたとは思えない。増税と長引くデフレは低所得者ほど負担を大きくする。まして、不況も長引いているため、満足な職さえ得られない状況であれば、尚のこと生活が厳しくなる人が出て来る。貴公子の日本銀行マンにはこうした人たちの生活の苦しさや不況にあえぐ中小企業など目に入らないのだろう。
職場の裏山の木々もほとんど葉が散ってしまった