朝は少し霧雨が降ったが、昼頃から日が射して来た。半袖でちょうどいいくらいの気温だ。日は射したが雲も多く、夜半の3時には台風17号が岩手県に達する予想になっている。昨夜は匠の方の奥様がわざわざ娘のために送別会を開いて下さった。生憎、匠の方は入院されており、味の匠の方ご夫婦が出席され、私までお誘いいただいた。昨年の震災で被災された、匠の方のお知り合いが仮設商店で小料理店の営業を再開されていて、そこへご招待いただいた。このお店も美味しい料理を出してくれることで知られている。薄味でいながらとても美味しい料理だ。山海の幸を使って匠の技でとても美味しく作り上げる。久しぶりにお会いして、震災直後からの思い出話に花が咲いた。娘もその頃、皆さんにはずいぶんとお世話になった。こうした人たちの支えがなければ、釜石での娘の活動もあれほどは出来なかっただろう。それを思い出して、帰りの車の中で、娘はやや涙ぐんで「ほんとうにいい人たちだよね」ともらしていた。震災当日、経験したことのない揺れが続く中で、わずか、二日前に釜石へ来たばかりの娘は、そのころ家の中にいた2匹の小型犬を抱いて、庭に飛び出して行った。建物に接した囲いの中にいた大型犬たちも囲いから外へ出して、揺れが収まるのを恐怖の中で待っていた。とりあえず揺れが収まって来たところで、家の中の落下物を大まかに処理しておいた。津波に追いかけられていたことも知らずに車で帰宅した私と合流した後、匠の方の奥様が津波で海岸地帯が大変な状態になっていることを知らせて下さった。まだ寒さも和らいでいない時期で、停電にもなっていたので、味の匠の方のお薦めもあって、結局は、匠の方の小屋へ避難することになった。その後も、娘は何日かその小屋でお世話いただ後、私の職場で職場を手伝いながら一緒に職場で寝泊まりするようになった。6月に入って、家や職場が少し落ち着きを取り戻した頃、U先生が釜石で活動されるようになってからも、また匠の方ご夫婦や味の匠の方ご夫婦にはU先生たちのことで、娘はずいぶんお世話になった。釜石に住む匠は女性にも見られ、そうした方々にも娘は紹介していただいた。そうしたことのすべてが、その後の娘の釜石での活動範囲を広げて行くことに繋がって行った。人と人の繋がりがいかに大切かを学んだようだ。毎日接していると親でもあり、娘の変化には気付きにくいが、味の匠の方から震災の頃とはずいぶん変わった、と娘にお褒めをいただいた。人に頼れない環境に一時的ではあっても立たされれば、自分で積極的に何とかやり遂げねばならなくなる。娘の中に自ら動く姿勢が育ったことは間違いないだろう。釜石で直接被災した人たちの支援活動に関わるようになると、自分ひとりの問題ではなく、人の繋がりの重要さにも気付くようになったのだろう。都会では得られにくい人と人の強い信頼関係も築き得たようだ。人が自分を育ててくれたということにも気付いてくれたようだ。釜石で出会った多くの方々から娘は、また、釜石へ戻って来ることを期待されたようだ。10月の初旬には大阪へ行く予定だと言っていた。
近所の八重の山吹 歌人でもあった源実朝も山吹を詠っている