釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

ミツバチの警告

2013-05-31 19:17:56 | 自然
昨日までと違って、今日は朝からよく晴れて、釜石ブルーが広がった。職場の裏山の桐の花が青空を背景にとてもきれいだった。職場の窓に近い薬師公園からは毎日のようにウグイスの声が聞こえて来て、今日はメジロたちも鳴いていた。甲子川でもオオヨシキリの甲高い声がいつも聞こえて来るようになった。気温は22度までしか上がらないので、風がさわやかでとても気持ちがいい。昼休みにはまた裏山の旧道を走って、朴の花を見に出かけた。山藤が高いところでも咲くようになった。そのうちニセアカシアの白い花が見られるようになるだろう。緑が溢れ、野鳥たちの声が聞こえて来る中で、こうした山の情景は縄文時代の人たちも同じように見ていたのだろうか、とふと、考えてしまった。 藤の花が咲くと必ずクマバチがやって来る。ミツバチもたくさん集まって来るが、クマバチは大きいので目に付きやすい。住田町の菜の花畑やレンゲの咲くところではミツバチが飛び交っていた。しかし、このミツバチは1990年代から世界的に減少するようになった。ミツバチは蜜を作ることより、果樹や野菜の受粉に大きな役割を果たす。多くの農家がミツバチに助けられて来た。今世紀に入り、ミツバチの大量死が欧米で一層問題となり、様々の原因が考えられるようになった。ミツバチは巣箱を飛び立って、そのまま巣箱に戻らなくなる。女王蜂だけが取り残されてしまう。原因としてダニやウィルス、気候変動、遺伝子組み換え作物、電磁波なども疑われた。岩手県でも2005年に772群ものミツバチの群れが失われた。2006年9月に行なった調査では被害は北海道、岩手、山形など全国16県で合計6615群に達した。ミツバチがいなくなるのであるから、当然、ミツバチの価格自体が高騰した。農林水産省によれば、日本の養蜂家は約5000戸あり、同省所管の畜産草地研究所の試算では施設栽培におけるミツバチの経済効果は2000億円近い。我々が普段口にするリンゴやナシ、モモ、スイカやメロンなどの果樹、トマトやナス、キュウリ、レタスやタマネギなどの野菜、これらすべてがミツバチの助けが必要だ。2009年の農林水産省の調査では花粉交配用のミツバチが不足している県は21都県に及んでいる。昨年、世界的科学誌、サイエンスやネイチャーがそれぞれ「ネオニコチノイド農薬がミツバチの採餌行動を減少させ、生存率を低下させる」、「ネオニコチノイド農薬がマルハナバチコロニーの成長と女王の生産を減少させる」、「ネオニコチノイド農薬とピレスロイド農薬の複合影響でマルハナバチコロニーが弱体化する」と言う論文を載せた。そして、本年4月、欧州連合(EU)はネオニコチノイド系農薬3物質(クロチアニジン、イミダクロプリド、チアメトキサム)の2年間の使用禁止を議決した。クロチアニジンは日本の農薬のトップメーカーである化学会社が生産している。私の父も勤めていた会社だ。イミダクロプリドはドイツや別の日本の化学会社が製造している。ネオニコチノイド系農薬はニコチン類似の化学構造をもつ神経毒性物質で、農家で殺虫剤として使われているだけではなく、家庭園芸用からシロアリ駆除剤、ペットのノミ取り、コバエなどの害虫駆除剤まで身の回りで広く使われている。殺虫成分は根などから作物に浸透し、作物全体に移行する「浸透性」を有する。また、効果が長続きする「残効性」にも優れている。昆虫は葉や実を食べても、樹液や蜜を吸っても毒が回り、神経が障害される。消えて行くミツバチは一つの警告を我々に与えてくれている。
山の高いところでも咲いて来た山藤

鳥類の起源

2013-05-30 19:15:16 | 歴史
今日も小雨が時々降る曇天となった。職場の裏山では桐の花がほぼ満開になった。桐の花の近くでは山藤が咲いている。どちらも紫の花だが、桐の花の方が色が濃く、赤紫に近い。山藤は見る人にすぐ気付かれる。しかし、桐の花は意外に気付かれにくい。裏山のように互いに近い距離で咲いていると、尚のこと気付かれにくい。裏山では今も椿が咲く。近くには大きな水木もあり、白い花をたくさん咲かせている。ウグイスが鳴いて、裏山のこの景色を見ていても飽きることがない。若葉のこの季節はほんとうに山が美しい。植林などのなかった時代はさらに山はきれいだったろう。 今日の時事通信によると、中国遼寧省でジュラ紀中・後期(1億6500万~1億5300万年前)の地層から羽毛が生えていたと考えられる小型の恐竜の化石が発見され、新種の恐竜であることが明らかになった。化石は体長51cmほどで、「あけぼのの鳥」を意味する「アウロルニス」と名付けられた。また、共同通信によれば、同じ中国遼寧省で発見された別の化石が獣脚類と鳥盤類の特徴を併せ持つ新種の恐竜であることも分かった。「ジアンチャンゴサウルス」と名付けられた。こちらの化石の研究を進めて来た北海道大学総合博物館の小林快次准教授は「歯や顎の構造が鳥盤類の恐竜に似ているが、走るのが速い獣脚類の体のつくりをしている。このような構造を持つ恐竜の発見は世界で初めて」と、述べている。アウロルニスの化石は1億5000万年前の地層から発見されており、ほぼ同じ年代に棲息していた「始祖鳥」や中国の「孔子鳥」がこれまで鳥類の祖先と考えられて来た。しかし、アウロルニスの骨格は始祖鳥などよりさらに原始的な鳥類のものであることを示した。恐竜はこれまで2億3000万年前に地球上に出現し、6500万年前に絶滅したと考えられて来た。2010年3月4日の英科学誌ネイチャーの記事によれば、アフリカのタンザニア南部で発見された2億4000万年前の地層から発見された初期の恐竜に最も近い爬虫類「シレサウルス類」の化石により、恐竜の起源が従来の推定より1000万年以上遡る可能性が出て来ている。46億年前に誕生したと言われる地球の歴史からすれば、恐竜の生きた時代も短い期間だと言えるが、500万年前に類人猿から分かれた人類の歴史からすれば恐竜の生きた時代さえ途方も無く長い期間だった。長い恐竜の時代には、恐竜も体長が50cm前後から50mに及ぶものまで様々なものが出現している。最近は羽毛を持つ恐竜が次々に発見されており、これらが次第に鳥類へと進化して行った、と考えられている。ただ、初期の鳥類は翼を持つようになっても、胸骨が翼の動きを支えるのに十分な発達をしていないため、地上を滑空するだけに留まっていた、と考えられているようだ。翼を広げると7.5mにもなるプテラノドンなどの翼竜は爬虫類に分類され、鳥類には含まれない。
職場の裏山に咲く桐の花

取り残される救済を最も必要とする人々

2013-05-29 19:17:28 | 社会
今日は曇天のまま一日が過ぎた。時々わずかに小雨が降っていた。最近、夜、ベッドに入ると、近くの甲子川からカジカガエルの合唱が聞こえて来るようになった。澄んだ笛の音のような声につい聞き入ってしまう。道路を走る車が途絶える頃になると一層その声がよく聞こえて来る。これまでカジカガエルの声は人里離れた山間の渓流でしか聞いたことがなかった。それが釜石では市街地を流れる川で聞くことが出来た。最初は、それだけで感動してしまった。カジカガエルも地元の人たちはほとんど気付いていない。知らない人が大部分だが、知っていても、聞き慣れていて、それが珍しいことだと言うことは知らない。 市内の生活に便利な場所に最初の復興住宅が完成し、すでに被災した人たちなどが入居している。生活条件としては、最もいい場所に建った。54戸のうち半分は、しかし、他の復興住宅を建てるために立ち退いた人たちが入った。残りの半分が高齢者などの要配慮世帯に割り当てられた。間取りは1LDKと2LDKの二タイプしかない。家賃は所得に応じて1LDKで月6700円から7万円だと言う。現在、仮設住宅に住み続けている人たちは多くが高齢で、職がない。しかも何らかの病気で医療機関に通う人も多い。もともと津波の被害は海岸地帯に出ており、そこに住んでいた人たちは、漁業や小売業に従事していた人たちである。漁業は震災以前から高齢者が多く従事していた。そのため、被災後は再起出来ない人が多い。小売業でも新たに店舗を構えるだけの余裕のある人は少ない。商店主などではやはり高齢者が多い。雇用されていたわけではなく、大半が小規模だが自立的な職に就いて来ていた。そうした人たちに新たな職に就くことは難しいし、また、就くための職もない。釜石市は2015年3月末までに合計1400戸の復興住宅を建設する。どれも生活に便利な場所であれば問題ないが、残念ながらそうした場所はむしろ少ない。何とか復興住宅に入居出来た高齢者も生活に不便な場所に住まざるを得ないことになる可能性が強い。ほとんどの被災者は車も失った。震災後、市内を定額の循環バスが走るようになったが、それでも、買い出し一つをとっても、高齢者には負担が大きい。一度に、手に持つことが出来る量は限られる。そうした高齢者の嘆きは何度か聞かされた。所得の限られた人たちにとって家賃のかかる復興住宅への入居自体が厳しいが、仮にそれが可能となっても、次には、生活の不便さがのしかかって来る。現在の仮設住宅には所得の望めない人が多く残されている。仮設住宅の利用期間が延長されても、期限はあり、その後、どこで生活をすればいいのか、途方に暮れたまま日々を送っている。
薬師公園の山藤

今も縄文の風景を残す35号線

2013-05-28 19:16:30 | 歴史
午前中は薄い雲が覆っていたが、昼頃から少しずつ日が射すようになった。出勤直後、職場の伝統の匠の方と山藤が咲く裏山を見ながら、子供の頃の話をしていた。気仙沼出身だけあって、子供の頃は、フカヒレを無断で取って食べていたそうだ。釜石出身の職場の匠の方は子供の頃の弁当がいつもアワビで、肩身の狭い思いをしていたと、お聞きしたことがある。いずれも人が聞けば羨ましい話だが、本人たちにすれば、それしかなかった、と言うことだろう。他人から見て羨ましいようなものも地元でそればかりに慣れると、特別なものではなくなってくる。この東北の自然のすばらしさについても同じことが言えるのだろう。すばらしく感じること自体が、古くからそこに住んでいなかったから、と言うことなのだ。 釜石市の鵜住居地区を流れる鵜住居川の河口には南北2Kmの砂浜があった。日本列島では数少なくなった自然の砂浜であった。残念ながら津波でその砂が見事に海に消えてしまった。河口の一部のようになってしまった。砂浜があった頃は河口付近の流れも緩やかで、砂州がたくさんあり、野鳥の宝庫となっていた。それも震災後は姿を変えた。この海岸から川に沿って上流に向かったところに栗林地区がある。海岸からの直線距離で6.5Kmほどの地点になる。地区の名前の通り、栗の林が古くからあり、そこの縄文時代の沢田2遺跡と呼ばれる遺跡からは6000年前の遺物が発掘されている。この時代からこの付近には栗の林があった。先日、さらに上流の橋野地区へ行った帰りに見つけた海岸よりずっと内陸の山肌に残された海岸跡はやはり、かってその辺りが海岸であったことを示していた。縄文時代は海がずっと内陸へ入り込んでいた。それだけ現在の鵜住居地区は低地であり、かっては海であって、やがて湿地帯に変わり、現在のように変化して行った。恐らく、海岸から4Kmくらいまでは海だったろう。いわゆる縄文海進によるものだ。人々の生活で栗は貴重な栄養源であり、川を遡上する鮭もまたそこに定着することを助けただろう。遺跡にはいくつかの竪穴住居跡が発見されている。遺跡は県道釜石遠野線、35号線の改修工事の際に発見され、工事のために調査後は遺跡の一部が消えてしまった。考古学的な遺跡の多くが何らかの工事の際に偶然発見されており、まだまだ地中には多くの遺跡が残されていると考えられる。特に東北は未開発地域が多いだけに、その可能性が強い。栗林地区は一次産業主体の地域であり、それだけに、縄文前期から長く同じような環境が残されて来たと言える。山の植林されていない部分は、太古から変わらない姿を見せているのかも知れない。ただ、縄文時代は、このあたりは気温が現在より2~3度高かった。暖流も流れる海岸から今より近いので、それも気温を上げる要因の一つだったのだろう。豊かな栗の林があり、鮭や岩魚、山女などもたくさんいて、山では熊や鹿がいた。安定した食料が得られた。ほぼ同時代の青森県の三内丸山遺跡では栗の林が植林されていたことが明らかになった。栗林地区に長く残る栗の林も縄文時代の人々が植林したものである可能性がある。そして、そこに定住していた人々はかなりの数がいた可能性もあるだろう。三内丸山遺跡は6本柱と3層の床を持つ塔でイシカ・ホノリ・ガコカムイ(天地水の神)を祀った津保化族のものと思われるので、栗林地区に縄文時代に住んでいた人々も同じ津保化族であったろうと思われる。列島に早くからやって来た先住の阿蘇辺族は主に山中の洞窟や簡単な竪穴住居に住んでいた。生活も狩猟が中心であった。35号線の風景は今も縄文時代の姿を見せてくれているのだ。
今日もまた裏山の旧道を走ってみた

債券危機の到来する可能性

2013-05-27 19:12:04 | 社会
昨日に続いて春霞のかかった晴れた日になった。職場の裏山の椿の大樹を覆う山藤の色が濃くなった。周りの緑の中でとてもきれいだ。近くからウグイスの声が聞こえて来た。鳴き方も上手になった。昼休みには25度まで気温が上がり、風が吹いていれば、日陰ではとても気持ちがいい。朝と比べると気温は10度も高くなった。例年の如く、この時期は晴れると昼休みに裏山の旧道に出かける。朴(ほう)の木の花が目的だ。山は今頃の時期が一番きれいだ。緑のトンネルを走っていると、山藤が木々の間から見えてくる。健康のために歩く人も増えて来た。何本かの朴の木で花が見られるようになった。木陰に車を止めて、気持ちいい風に当たっていると、ウグイスをはじめいくつもの小鳥たちの声が聞こえて来る。まるで癒しのCDを聴いているようだ。ほんとうにそのままずっと居たくなってしまう。 株価はアベノミックスを受けて2008年5月以来の14000台に乗った。先週末からの下落は「プチバブル」の崩壊に過ぎず、大きな変動はないだろう。円安と株高をもたらしたアベノミックスは多くの人たちから評価されている。そして確かに一部の消費も上向いて来た。しかし、円も株も実体経済とは異なる「博打」である。予想を基本にした賭けでしかない。日本銀行の異常な金融緩和に乗った賭けでもある。冷静に見れば、その異常な金融緩和のツケをいつか払わなければならないだろう。英国の金融情報紙フィナンシャル・タイムズは、米国の運用資産15億ドルを有するヘッジファンド、Hayman Capital Managementの創業者、Kyle Bass氏の記事を載せている。氏は以前から日本国債の危険性を指摘して来た。4月21日に日本経済新聞も氏の「異次元緩和が呼ぶ 日本国債の終わりー日本売りの「急先鋒」カイル・バス氏に聞く」と題する記事を載せている。これまで日本の国債は安定した資産と考えられて来た。しかし、国債の発行は要するに将来返済されるべき国の借金である。その国の借金は国民の貯蓄が膨大であったため、いざとなっても問題はないとされて来た。「かつては、経常黒字の対国内総生産(GDP)比は3~6%で、財政赤字のそれは3%でしかなかった。一方で、日本の貯蓄超過主体は安心して日本国債を買っていた。 ところが、人口は減少基調に転じており、貯蓄不足主体が貯蓄超過主体を凌ぐようになっている。経常黒字はほとんどなくなり、財政赤字はGDP比11%に膨らんでしまっている。」「国内で資金繰りをつけるメカニズムが、文字通り一夜にして変わってしまった」、「2~3年のうちに日本は債券危機に見舞われるだろう。金利や通貨がコントロールできなくなるという話だ」と氏は語っている。氏は2007年の米国の住宅価格急落を予測し、2006年以降、平均で年率25%の収益(運用手数料控除後)を上げて来ている。日本銀行による異常な金融緩和は同行による日本国債の直接買い取りを含み、国の借金のさらなる積み増しを助けている。企業が利益を上げても社内留保を高め、従業員の所得増に結び付かず、国民の貯蓄が低下する中で、日本経済の復活は期待が難しい。わずか1割であっても日本国債の海外投資家による「売り」が生じれば、それを契機に国債金利の急上昇さえ起こりかねない。国内の国債保有者もかってのように安定した保有者ではなくなって来ている。氏は1009人の日本人投資家を対象とした調査を行なった。「仮にあなたの国で債券危機が生じ、政府が日本国債をもっと買うよう訴えかけてきたら、あなたは国債の購入を増やしますか、増やしませんか」と言う質問に、83%は「ただ手を引くだけでなく、走って逃げる」と回答している。
朴の花が咲き始めて来た


新しい目

2013-05-26 19:36:01 | 文化
朝は薄い白雲が流れていたが次第に青空に変わり、午後にはよく晴れた。気温も23度まで上がり、日射しの中を庭で少し身体を動かすと汗が出て来た。モミジの花がたくさん開いていて、光に透けた緑の葉とともに風に揺れていた。その花のためなのか、メジロが何羽かモミジの木にやって来た。山査子の花も庭で咲き始めた。日がずいぶん長くなり、朝はもう4時前には明るくなって来ており、夕方は7時近くまで日が延びて来た。よく晴れてくれたが、今日は出かけることなく、家で過ごした。庭の花たちをゆっくり見ておきたかった。庭で花が咲くと、ほとんどの花はカメラに収めている。毎年同じ花を撮っていても、そのつど写りが異なる。光の具合や、背景にも違いがある。目で花を見るときも、目の高さや距離で花の見え方が変わる。目は水晶体というレンズを持っており、虹彩が光の量を調節して絞りの役割をしている。カメラもその目の構造を手本にして作られている。水晶体もレンズとしての厚みを変化させることで、光の屈折を変化させている。目で花を見ることから始まって、カメラで花を撮るようになると、レンズというまた別の目を通して花を見ることになる。自分の目で見られる花の世界とは全く別の花の世界が現れる。とても想像もしていなかった世界だ。目で見える花でありながら、その花とはまた別の花が写し出される。レンズを変えれば、それはそれでさらに別の花の世界が現れる。1本のレンズが1つの目を与えてくれる。自分の目ではとても見ることが出来ない花の姿をレンズが見せてくれる。すばらしいその花の姿を1度見てしまうと、レンズと言う新しい目を手放せなくなってしまう。カメラが作られてから多くの人がこのレンズという新しい目を手に入れ、虜になって来た。対象が花ではなく、風景や人物であっても同じで、新しい目は自分の目では見ることが出来ない風景や人物を写し出してくれる。そこにあるものは同じであっても、光の屈折が変われば見える世界が違って来る。画家は目にしたものを脳の中にあるレンズを通して描き出しているのだろう。目の前にある花もレンズを通して見える花もみんな光の反射で視覚的な確認をしている。その光の量が変われば、同じように違ったものが写し出されて来る。普段何気なく見ている風景も、光の量が変われば同じものではなくなって来る。花や風景を撮っていて楽しいのはそうした違いがあるからだろう。時々、ふと、家にいる犬たちには庭に咲く花がどのように見えているのだろう、と思うことがある。
庭の礼文敦盛草

環太平洋の巨大地震

2013-05-25 19:15:49 | 自然
薄い白雲が流れ、霞がかかったような晴れた日になった。暑くもなく、寒くもない、歩いていて気持ちのいい日になった。家々で牡丹や芍薬が見られるようになった。ツツジももう終わりかけているものから、これから咲き始めるものまで様々だ。菖蒲類もよく目にするようになった。市街地を走る国道の街路樹の花水木もしばらく前から咲いている。近所を歩くと周りは緑で溢れるようになった。この緑を見ていると空気まで新鮮に感じる。まだ冬毛のままの犬たちはさすがに日が射すと暑そうだ。家の庭も緑が溢れ、小鳥たちもよくやって来る。セグロセキレイは毎日見かけるが、今日はシジュウカラとイソヒヨドリもやって来た。少し離れたところからウグイスの声も聞こえて来た。 大きくはないが、釜石ではここのところまた地震が続いている。昨日日本時間午後2時44分にロシア極東、カムチャツカ半島沖のオホーツク海でM8.2の地震が起きた。震源地から6500Km離れた首都モスクワなど欧州地域でも弱い揺れを感じるほどの異常に広い範囲で揺れが観測されている。幸い、現在まで大きな被害は伝えられていない。昨日は、政府の地震調査委員会が、駿河湾から九州沖に延びる南海トラフ全域でM8以上の巨大地震が30年以内に起きる確率を60~70%とする新たな予測も公表している。同委員会では「地震への切迫度が高まっていると受け止めてほしい」としている。この地震が起きると被害額は東日本大震災の10倍になると言われている。20世紀以降、M9以上の地震は東日本大震災を含めて世界で5回発生している。それらはチリやアラスカなど環太平洋に集中しており、いずれも海のプレートが陸のプレートの下に沈み込む海溝付近で発生している。チリではM9地震が平均300年間隔で繰り返し発生して来た。従来、M9地震は陸側に固着しやすいチリなどの海のプレート年代が若い場所で起きる特別な現象と考えられて来た。ところが、2011年には1億3千万年前にできた古い太平洋プレートで東日本大震災が発生した。巨大地震の研究は東日本大震災後ようやく始まったばかりだ。京都大学防災研究所は大震災前の衛星利用測位システム(GPS)のデータからプレートの沈み込み帯に蓄積される歪みの量を解析し、巨大地震の発生する可能性のある場所を明らかにした。歪みが大きいのは千島海溝、日本海溝、南海トラフ、カムチャツカ、アラスカ、チリの6カ所で、M9地震の発生地域と一致した。1700年にM9地震が起きた北米西海岸のカスケード地方も、歪みは大きかった。最大規模の巨大地震を探る研究を行なっている東北大学地震学の松沢暢教授は、日本海溝から千島・カムチャツカ海溝にかけての3000Kmの断層が一気に60m滑ると、東日本大震災の30倍のエネルギーを持つM10地震が起きる、とする。可能性は低いが、巨大地震のメカメニズムは解明されておらず、そのためには数十年を要すると言われており、自然を侮れないことを東日本大震災が教えてくれた。日本はさらに、巨大地震や津波と原発とが切り離せない。原子力規制委員会が直下に活断層があると認定した日本原子力発電の敦賀原発2号機(福井県敦賀市)は使用済み核燃料プールに1600本の燃料棒が残されており、適切な貯蔵場所がないため他へ移動出来ないままになっている。日本原子力研究開発機構の茨城県東海村にある加速器実験施設では放射線漏れを過小評価したため内部被爆者を出すなど、相変わらずのずさんな管理が続いている。
近所の黄独逸菖蒲

山背のために朝よりも気温が低くなる日中

2013-05-24 19:18:23 | 自然
朝起きると小雨が降っていた。小雨が降る中で庭に出ると、礼文敦盛草が咲き、敦盛草も4つの蕾を付けていた。山野草のエビネや白花のノビネチドリ、鯛釣草、コマクサなども咲いている。晴れれば花たちの色彩は鮮やかになるが、今日のような日は鮮やかさはなくともしっとりとした落ち着いた色合いを楽しむことも出来る。山野草は気候が合っているせいで、ほとんどは特別の手入れをしなくともちゃんと育ってくれる。無精な人間にはとてもありがたい。出勤後裏山を見ると椿の大樹を覆う山藤も色が濃くなって来た。山藤の上では桐の花も咲き始めている。同じ場所の同じ花も毎日変化している。いまだに咲いている椿には今日もメジロがやって来ていた。昼休みに裏山の朴の木の花の開き具合を見に行くと、また甲子川の河川敷辺りから雉の声が聞こえて来た。少し朴の花が咲き始めて来た。山藤も山の高さのわずかな差で色合いが異なる。市街地周辺の山々の山頂部には霧雲がかかっている。少しずつそれが流れているのが分かる。昼の気温は12度で遠野よりも5度近く低くなっていた。関東以南では30度近くまで気温が上がっている。東北は山背のために気温が下がってしまった。古人はよく付けたもので、東から吹く冷たい風が海上で霧を発生させて、山の頂を中心に這うように内陸方向へ流れて来る。まさに山の背を流れている。この時期は沿岸部の方が山背の流れて来ない内陸部より気温が低くなる。北海道にいた頃、釧路へ行くと霧が出て、気温も低くく、釧路はそのイメージが焼き付いていた。今考えるとそれも山背のせいだった。冷たいオホーツク海気団の東風が北海道や東北に山背をもたらす。同じ釜石でも、先日行った橋野地区の職員の方の実家の辺りはほとんど山背の影響はないそうだ。山背が流れて来なければ天気はずいぶん違って来る。古くから東北では山背の流れる地域で冷害を生じて来たようだ。農家は大変だったろう。一昨日、橋野へ行った帰りに、鵜住居川沿いの道路脇に石碑を見つけた。古くなった石碑の字が読みずらかったが、どうやら鞭牛和尚の道路工事を記念した石碑のようだった。1750年に橋野と大槌を結ぶ小枝街道が和尚の指導で造られた。和尚は橋野にある曹洞宗林宗寺の僧であった。江戸時代は大槌に代官所があり、釜石は小さな漁村であった。領主のいる遠野と代官所のある大槌の間の交通は橋野経由で行なわれており、当時は旅籠も橋野近辺にあったようだ。釜石は江戸時代末期から近代製鉄が行なわれるようになって人口が増え始めた。もっとも、その近代製鉄も橋野から始まっている。橋野の高炉跡付近はずっと和尚の造った街道の奥になるので、山背の影響はあまりなかっただろう。むしろ、和尚たちの街道造りの方は山背で悩まされただろう。当時は釜石同様に鵜住居地区も海がかなり入り込んでいたと思われる。現在の平地部分はほとんど海だったろう。橋野から鵜住居へ下って行くと、平地に出たところで、山裾を見ると、かっては海岸であったと思われる岩肌がたくさん見られる。今回の津波もその辺りまで来ている。当然、山背もその辺りはやって来る。山背の冷害は農作物に現れるが、山の植物たちにも影響するだろう。成長を遅らせることになり、花が開く時期を遅らせる。この時期、毎年襲って来る山背に適応する形で植物たちが生育してきた。5月の花々が長く見られることも、この山背と無縁ではないのかも知れない。
職場近くの主のいなくなった家の庭先にひっそりと牡丹が咲いていた

少子化対策

2013-05-23 19:16:39 | 社会
昨日はとても暑く感じた日で、今朝も暑くなりそうに感じたため、薄手のものに着替えて出勤した。しかし、昼休みになると気温は朝より下がっていた。我慢出来ないほどではないが、少し寒い。また山背の影響のようだ。昼休みに忘れ物を取りに家まで帰った。往復路でよく見ていると、鈴蘭が咲いているところが意外に多いのに驚いた。菖蒲も咲き始めたところがある。柏館跡の丘の線路際にはツツジと藤の花が見事に咲いていた。職場のある方と話していると、その方は花の咲く植物よりも実の生る植物がお気に入りらしく、家で食べた果実の種を必ず植え込むのだそうだ。8年前のグレープフルーツだけは一向に花が咲かないのだと言う。どうしてなのか聞かれたが、こちらもよく分からない。ネットで調べるとグレープフルーツの種を平成1~2年頃に植えて、平成18年にようやく花が咲いたと言う記事が出ていた。ずいぶんとかかるものだ。花が咲かないことには果実は手に入らない。 今年3月、内閣府は少子化対策として、「少子化危機突破タスクフォース」なるものを立ち上げた。15人の学識経験者等を含めたメンバーで構成され、3月から5月まで3回の会合が持たれている。5月7日の会合で若い世代の女性向けに妊娠、出産の知識や適齢期情報を盛り込んだ「女性手帳」(仮称)の導入が決められたようで、各所から批判が出ている。女性の知識不足だけが少子化の大きな原因ではない。結婚をしない人が増え続けており、結婚をしても子供の数が少なく、出産年齢も上がって来ている。妊娠や出産の「正しい知識」が身につけば解決するような問題ではない。さらに男性の6人に一人は精子に問題を抱えていると言う。現代の生活環境がその問題を発生させているようだ。何故、独身者が増え、少数しか子供を産まないのか、真剣に考えた取り組みなのか疑問を感じる。少子化問題は確かに日本の「危機」であり、緊急に対策を立てねばならない。4月1日現在、15歳未満の子供が昨年比で15万人減の1649万人で、32年連続の減少になっている。2060年には791万人で、総人口に占める割合は9.1%となり、現在の半分以下と推計されている。しかし、憲法改正草案に盛り込まれた古い家族観や4月に首相が語った「成長戦略」の「女性の活躍」での「3年間の育児休暇」の提唱も、現代の多様化する女性の生き方や若い世代の置かれている現状への無理解としか思えない。欧米では男性も育児に参加する国が増えており、そうした国々の方が少子化を避けられる傾向にある。出産・育児を女性の問題としてしか捉えておらず、知識が増えて女性の育児休暇が延長されても少子化は止まらないだろう。他人との煩わしい関係を避けたり、苦労を背負い込みたくない現代世代が結婚を避けている。非正規雇用が増え続けて、結婚しても子供はたくさん生むことが出来ない。子供を預ける施設が余りにも不足している。子供一人を産むと家計の負担が大きくなる。居住環境も子供の成長とともに家計の負担増に繋がる。何よりも雇用が安定していることが家庭の維持には必須である。安定した雇用環境と収入があり、乳幼児を安心して預けられる施設が十分にあり、教育費が家計を圧迫しない社会環境がなければ人生を楽しむことを覚えた世代に、結婚や出産を期待することは出来ないだろう。復古的な家族観や女性像からしか少子化問題を捉え得ない政府の対策にはとても「危機突破」は望めない。
咲き始めた菖蒲

あらためて橋野の良さを感じた半日

2013-05-22 19:19:47 | 自然
午前中から20度を超えて、日射しの中で少し身体を動かすと、汗ばむ日になった。よく晴れてくれたので、職場の方の橋野地区の実家で開いたと教えていただいた敦盛草(あつもりそう)を見せていただくことにした。車を走らせていると目に入る緑がとても気持ちいい。窓を開けて風を入れると、尚、気持ちがいい。被災した両石の漁港にもかなり小型の漁船が揃って来た。しかし、まだこの両石湾でも浚渫船が動いている。海底にはまだまだ瓦礫が残っているのだ。堤防から陸側は更地になっただけで、何もない。高台の2軒無事だった家も結局、1軒だけに人が住んでいるだけだ。鵜住居地区に入っても、状況は変わらず、やはり、更地のままになっている。鵜住居川に沿って上流に向かって車を走らせる。川の両岸には5~6カ所に仮設住宅があり、山間の不便なところで被災した人たちが住んでいる。鵜住居川の清流からはカジカガエルとオオヨシキリの声が聞こえて来た。山の若葉が溢れる木々の間からはウグイスの声が聞こえて来る。上流に向かうに連れて、道路脇の木には山藤が咲いているのが見えるようになった。若葉の岸に挟まれて、岩の見える清流を見るだけでも空気を美味しく感じる。結局、職員の方の実家には誰もいなかった。いなくても、遠慮なく庭に入っていい、とあらかじめ言われていたので、遠慮なく入らせてもらった。家の裏の山の斜面に敦盛草がたくさん咲いていた。地植えされた敦盛草がこれほどたくさん咲いているのは初めて見た。ちょっとした感動だ。そばには著莪(しゃが)も咲いている。先日見せてもらった白根葵(しらねあおい)の花はもう終わっていたが、緑の葉はさらに大きく広がっていて、あらためて見てみると、こちらも立派なシラネアオイであることが分かる。縁台があったので、そこに腰掛けてのんびり気持ちのいい風に吹かれながら、敦盛草を眺めていた。白根葵も敦盛草も四国では見たことがない。敦盛草は釜石へ来て初めて知った。花弁の一部が袋状になった赤紫の花が独特で、今では自生種も限られるようになったようだ。目の前に咲く敦盛草も濃淡の色合いが様々で、中に見事に濃い目の赤紫の色が出た花がある。たくさん同じ種の花が咲いていても一輪一輪花の色が異なる。ここでも近くでウグイスが鳴いていた。十分満喫した頃合いを見て、家の表側の庭の方へ移り、そこに咲くツツジや鈴蘭を見ながら花たちの間を歩いた。菖蒲類もこれから咲いて来るようだ。石南花が開きかけている。ここだと鹿は無論、熊も出没するだろう。緑の木で隠れているが、目の前には鵜住居川が流れている。瀬音も聞こえて来る。水田は田植えが終わっていた。川の対岸に遠くまで広がる山の斜面に日が当たり緑がとてもきれいだ。自然が自然のままに少しでも残されているこの橋野地区はいつ来ても気持ちがいい。しかし、地元の人たちは逆で、自然の中に都会を造ろうとする。行政が造るものには特にその傾向が強い。自然は出来るだけ自然のままであることのすばらしさが理解されない。自然があまりにも見慣れた風景だからなのだろう。初老のご夫婦が川の中流域の木々の若葉にカメラを向けていたが、この人たちは、一度は都会の生活をした人たちなのかも知れない。そうした人たちの方が自然のすばらしさに感動するのかも知れない。
両石湾

鵜住居川

山藤

たくさん咲いていた敦盛草

発色のいい敦盛草