以前、北海道に住み始めた頃、地元の人から北海道は四季がはっきりしていると言われた。そう言われると、怪訝な気持ちになった。全国各地に住んだが、北海道の印象は逆に四季がはっきりしないと感じていたからだ。どうも厳しい冬が温かい春と涼しい夏と対比されて、地元の人には四季がはっきりしていると感じられていたのかも知れない。東京以南に長く住むんでいたので、北海道は春と夏がはっきりしていないと感じた。春の花が初夏に咲いていたりした。秋も寒さから言えば四国の冬に感じることが多かった。11月半ばには降った雨が夕方には凍ってしまう。そんな北海道と東北のこの岩手を比べると、北海道よりずっと四季の違いがはっきりしている。それでいて、北海道ほどには冬は寒くなく、夏は東京ほど暑くはない。この気温の変化が多分植物にはとても適しているのだろう。岩手に来て驚いたのは、山野草がたくさんあることだった。山野草と言うことは、それらが山野に自生すると言うことだ。山野草に魅入られ、その花たちを写真に収めるために、庭で育てることを始めた。育て始めてわかったことことは、同じ山野草でも温度だけでなく、土が大事だと言うことだった。あらためてホームセンターなどの植物用の土を見てみると、何種類もある。ほとんどの山野草はホームセンターが野菜と花に共通の土として用意してくれているもので大丈夫だが、一部の山野草だけはやはりそれ用の土が必要になる。特に、野生蘭の王者と言われる敦盛草はそれなりの土が必要になる。敦盛草の保護活動が盛んな隣の住田町では道の駅や産直で、そのための土が販売されている。敦盛草はすでに絶滅危惧種に指定されている。一昨年まで住んでいた旧居の庭で発泡スチロールで敦盛草を育てていたが、株分けを怠ったためにダメにしてしまった。仕方なく、昨年、住田町でまた鉢植えの敦盛草を買った。花が終われば発砲スチロールに植え替えようと思っていたが、時期を失してしまった。またダメにしてしまったかと諦めていた。先日、庭のいくつかの山野草の間に置いておいたその鉢をみると、小さな芽が出て来ていた。こう言う時はとても感動させられる。植物の生命力に打たれる。家のすぐそばの職場の関連施設に、遠野からこられている方がいる。この方も山野草を育てられており、先日話した際に、敦盛草があるのを見られると、簡単に盗難に会うと言う話を聞かされた。旧居の庭は周りに大きめの木があるため庭は外からほとんど見えないが、現在の家は十分に外から庭が見える。悩ましいが、今のところ隠すようなことはしないつもりでいる。自分でも毎日目にすることが出来る位置だからだ。来月には本格的な山野草の時期がやって来る。近辺の産直でもたくさんの山野草が安く売られる。昨日見ると、2000年前の種から蘇った大賀蓮も巻き込んだような新しい葉が見えて来た。やはり希少な早池峰薄雪草も葉を伸ばして来てくれている。
朝焼け