釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

中国にもあった「山神」

2012-12-01 19:15:47 | 文化
今日も朝起きた時に、真っ先に愛染山を見てみた。山の輪郭がすっきりと見えてはいたが、空は高い雲で覆われて、日射しが出ていない。風も少しあって、寒い。庭の3本あるモミジの最後の1本だけに紅葉した葉が残っている。その葉も風が吹くたびに少しづつ散って行く。午後になりようやく日が射して来て青空が広がったが、気温はあまり上がらず、風が吹くととても寒く感じた。しばらく外にいると手がかじかんでくるほどだった。明日の朝の予想気温はマイナス4度になっている。さすがに12月ともなると東北は急激に寒くなる。 休日なのでのんびりと中国の明朝末期を描いた映画を見ていると、「山神廟」と書かれた建物が出て来た。実際には中国の横書きなので「廟神山」となっていたが。廟は一般に祖霊を祭る建物だ。岩手県の沿岸部を南北に走る45号線でちょうど釜石市と大槌町の境に古廟坂トンネルというのがあり、いつもここを通るたびに名前が気になっていた。実際に古廟坂と言う坂があるが、もともとは「御廟坂」であったようで、阿曽沼氏の二男の本拠地が大槌にあり、その子孫である大槌孫三郎が1437年に主家に背いたとして、この「御廟坂」で南部守行に討たれた。この付近に大槌孫三郎の「御廟」があったのだろう。中国にも山神の信仰があるのだ。今年10月末に中国の広西チワン族自治区にある防城港市で大雨が降り続き、山から下って来た鉄砲水で大水害が起きた。防城港市は名前の通り港があり、大量の水が流れて70隻の船が流され、6人の行方不明者を出している。この地域ではこれまでもたびたび大雨や集中豪雨に見舞われ、山から下るこうした洪水を「山神」によるものだと言われて来たようだ。日本だけではなく、中国でも同じように山神を敬って来たのだ。日本では全国に山神が祀られている。北海道はさすがに明治のものしか残されていない。札幌の円山の山頂に明治5年と刻まれた山神の石碑が立っている。全国の山神の総元締的存在が瀬戸内海の愛媛県大三島の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)だ。ただ大山祇神社は「大山津見」とも書かれるように「津」にも関係して、海の神様ともされる。また、中世以降、特に多くの武者が戦勝を祈願して、鎧や兜を奉納している。八幡宮と同じく軍神としての性格も与えられている。大山祗神の娘は富士山浅間神社の祭神である木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)だ。記紀ではアマテラスの孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)に嫁いでいる。従って、記紀の記載通りだとすれば、大山祗神は弥生時代初期の人と言うことになるだろう。しかし、山神の信仰は縄文時代からあったと思われる。列島にそれまで住着いていた縄文人たちの間で信仰されていた山神を弥生の大山祗神に収斂させたのだろう。縄文時代には大陸にも当然人びとが住んでいたはずで、大陸とも日本列島の縄文人たちは現代人が想像する以上に頻繁な交流を持っており、どちらから発生したかは別として、両者に共通して信仰されたのが山神だったのだろう。大陸であれ、列島であれ、縄文の頃の人びとにとっては自然は恵みであると同時に脅威でもあったはずだ。ちなみに中国では山神を「シャンシェン」と発音している。
古木の紅葉