goo blog サービス終了のお知らせ 

釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで17年6ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

水月湖

2016-12-27 19:14:48 | 科学
福井県の若狭湾に面する地域にはわずか30Km範囲に4つの原子力発電所と高速増殖炉もんじゅや閉鎖となったふげんなどが並ぶ、いわゆる原発銀座がある。しかし、そんな原発銀座のただ中に、ラムサール条約湿地に指定された三方五湖がある。特に五湖の一つである水深34mの水月湖は世界の地質学者で知らないものはいないと言われるほど著名な湖だ。湖底には7万年分の堆積物が地層として積み重なり、「年縞」と呼ばれる層が形成されている。これにより各時代の遺跡の年代を特定したり、地球規模の気候変動などに関する研究が行われている。地層1枚あたりの厚さは平均0.7mmで、湖底から地下45mの深さに達する。各地層には規則的に黒色系と白色系の粘土があり、黒色系は春から秋に繁殖した植物性プランクトンの死骸で構成され、白色系は晩秋から初冬に積もった鉄分を含む粘土で構成されていると言う。7万年分もの「年縞」が整然と残されているのは世界でも類を見ないそうだ。これほど整然と残されたのには理由がある。水月湖は水深が深く、湖底は酸素がないため、生物が生息出来ない。若狭湾には山が背後に迫り、風が遮られて、湖面に波立つことが少ないために地層が綺麗に保存された。水月湖の近くには断層があり、断層運動で毎年平均1mmほど湖底が沈下しており、そのために7万年分もの地層が堆積可能となったのだと言う。地層の堆積する量と湖底の沈む量が近いためにこれほど長い期間の地層が保存された「奇跡の湖」だ。考古学では放射性炭素を利用して年代測定が行われるようになって来ているが、水月湖の地層とその地層に埋まった落ち葉の炭素を調べることで、放射性炭素による年代測定の精度をより高めることが可能となる。また水月湖の3万年前の層から、厚さ20cmの火山灰が見つけられており、分析の結果、鹿児島県の姶良カルデラ大噴火によるものと判明した。欧米では異分野の研究者が集まって、遺跡の研究を行なっている。しかし、日本ではまだまだ遺跡の研究は考古学者が独占状態である。そのため、個人の識別に頼る土器編年がまだ大手を振っている有様だ。
愛染山

ネオニコチノイド系農薬の蜜バチへの影響

2016-12-26 19:20:52 | 社会
スイスのベルン大学の研究者ら国際研究チームが、ネオニコチノイド系農薬がオスの蜜バチの生殖能力低下させることを証明したことが報じられた。すでに今年7月27日付けで専門誌には発表されていたが。以前からネオニコチノイド系農薬と蜜バチの蜂群崩壊症候群との関連は指摘されていたが、そのメカニズムが初めて明らかにされた。ネオニコチノイド系の農薬の微量を混ぜた花粉などを餌に混ぜて蜜バチに与えたところ、雄バチの精子の総量には大きな差はなかったが、活発な精子の数が農薬を与えない群れに比べて39%少なく、成熟するまでの雄バチの死亡率は、農薬を与えた群れで約50%高く、平均寿命も約7日短かった。1990年代に欧州で蜜バチの大量死や数の減少が報告されるようになり、特に女王バチなどが残っているのに働きバチがいなくなっている状態が見られ、蜂群崩壊症候群と名付けられた。その後同じような現象が北米大陸やアジア大陸、日本でも見られるようになる。ネオニコチノイド系農薬は水溶性で、高い浸透性があるため、水で洗っただけでは農作物から消えず、分解もされにくいため、人の体内にまで入り込んでいる。EUでは2013年に3種類のネオニコチノイド系農薬が暫定的に使用禁止になったが、日本はむしろ食品への残留基準を緩和している。さらに現在、日本ではシロアリ駆除の薬剤にネオニコチノイド系農薬が大量に使用されており、新しく建てられた家などの建材に塗布されている。また、畜産、家庭用殺虫剤、ガーデニング用、ペット用ノミ取り剤など広く生活に入り込んでいる。OECD(経済開発協力機構)の調査では、日本の農薬使用量は単位耕作面積当たりで世界第一位となっている。農業就業者の高齢化も手伝って、作物収穫の効率化の為に農薬が制限なく使われている。農家には自分たちが食べる分には農薬を使わないところもある。人間や畜産物に対する毒性が低く、昆虫に対しての選択毒性に優れるとされて世界中で使用されるようになったが、人の神経系にも影響する可能性がある。微量の化学物質の蓄積は長い時間の後に影響が出ることが多い。これまでも長い時間を要する人体への影響は無視されて来た。影響が顕在化して初めて取り上げられた。しかし、顕在化してからでは、もう取り返しがつかない。ネオニコチノイド系農薬では発達期の子供への影響も指摘する研究者がいる。人の健康よりも企業の利益が優先される構図がこの農薬問題でも見られるようだ。
スズガモ 手前がオス

グローバリズムも繰り返された

2016-12-22 19:14:39 | 経済
1990年代前半のバブル崩壊後、日本は経済の低迷が持続している。2008年のリーマンショックも追い打ちをかけた。世界では1991年末に旧ソ連が崩壊し、米国がさらに覇権を大きくするとともに、市場原理主義・新自由主義が世界を闊歩し始めた。中心は製造業が廃れた米国の金融業であり、投資資金が世界中に流れ、その投資を保護するための市場の単一化などが米国主導の国際通貨基金(IMF))によっても推し進められて行った。リーマンショックも米国金融界のマネーゲームの結果である。実体経済の衰退をマネーゲームで補おうとしたに過ぎない。2012年に『静かなる大恐慌』と言う新書を出版した、現在京都大学准教授の柴山桂太氏は現在が1929年に始まった世界恐慌の時代に似ているとされる。当時も現在も共通であるのはグローバル経済だとされる。20世紀初頭は世界は英国が覇権国であり、帝国主義の下、植民地を求めて、グローバルな展開を行い、その挙句に世界大戦を引き起こした。世界恐慌もバブルの崩壊がきっかけであり、1930年代に入り、各国は米国をはじめ内向きになり、保護主義に走ったが、現在、米国がやはり、保護主義に向かおうとしている。グローバル経済の行き着く先は、保護主義への回帰であり、世界が保守化、右傾化することもかってと似ている。柴山准教授は、現在を資本主義の断末魔だと言われる。2度目のグローバル経済の終焉と保護主義への回帰が、再び戦争への道を歩ませなければいいが。さらに、日本は途方もない国の借金がある。敗戦の前年の1944年に政府債務は名目GDPの204%出会ったが、今年2016年は249%を超えるとされている。今後も経済の低迷や少子高齢化で就労人口の減少があるため、税収増は望めず、借金の返済の目処が立たない。戦後間も無くと同じく、政府は借金の踏み倒しに出る可能性が高い。そのための布石も着々と進められている。富裕者の資産の海外逃亡に制限がかけられ、マイナンバーの導入で、個人の資産は全て国に把握される形になる。敗戦直後、戦争のために国債を乱発し、その借金を踏み倒すために国は預金封鎖と、富裕層の資産を取り上げ、軍需産業への借金も実質踏み倒し、ハイパーインフレにより、貨幣価値も大きく変わり、新円が発行された。大蔵省から財務省に変わった頃から、財務省では預金封鎖の研究をしているとも言われている。国の内外で近い将来大波乱があるだろう。
夕暮れの火力発電所

「タカ派の平和ボケが一番危険」

2016-12-21 19:15:41 | 社会
1980年代から飛行機とヘリコプターの長所を備えた航空機の開発が始まった。2000年頃から米国の海兵隊や空軍に導入される。V-22、通称オスプレイ(猛禽類のミサゴを意味する)である。今月13日、沖縄県名護市安部の海岸に米国海兵隊のオスプレイが墜落、大破した。空中給油訓練中であった。給油パイプとの接触が原因とされるが、大破したのは明らかにコントロール不能になったためである。防衛省のホームページには「MV-22オスプレイ 事故率について」書かれているが、「米国海兵隊」が算出したデータをそのまま使って、オスプレイの事故率は全機体平均より低いとする。しかし、沖縄タイムスによれば、米国海軍安全センターが公表した「海兵隊航空機アフガニスタン事故報告書」で、2010~12年米国会計年度にアフガニスタンに配備した航空機12機種のうち、ヘリ機能を持つ6機種のなかで、オスプレイの運用率は1.02%と極めて低く、クラスA~Dの事故の割合は、全12機種平均の約41倍と突出している。米国国防研究所の元主任分析官でオスプレイの専門家であるレックス・リボロ氏へのインタビューを行っており、同氏は「現地でのオスプレイの利用率の低さと事故率の高さは驚異的で恥ずべき数字だ。実戦で使い物にならなかったことを立証している」と述べている。10万飛行時間当たり、平時の事故は6件で、ベトナム戦争でのヘリコプターの事故は100件であったが、分析官であった1992年から2006年では1105件と言う「驚異的な」件数であったと言う。13日には墜落機と同じ僚機が普天間飛行場で胴体着陸もしている。米国空軍の横田基地にはオスプレイ10機が配備され、普天間基地に24機が配備されている。自衛隊も17機を3600億円で購入し、佐賀空港に配備しようとしている。現政権は秘密保護法や集団的自衛権の閣議決定、教育への国家主義の導入など、戦前への回帰を目指し、なりふり構わない。しかし、軍事・外交に詳しい評論家の田岡俊次氏によれば、「タカ派の平和ボケが一番危険」だと言う。以前は「護憲派の平和ボケ」と言われた。日本が追従する米国は中国を敵視しているわけではない。尖閣諸島についても介入しようとはしない。中国や北朝鮮を危険視することで軍備を拡大する口実にしているが、現実味のない認識でしかない。田岡氏は自衛隊の元高官の知識の無さに呆れたと言う。衛星を使って、北朝鮮のミサイルが地下基地から搬出されたところを攻撃すればいいと言う。衛星は時速26000Kmと言う猛スピードで動いており、地上の1点はわずか2分で通り過ぎる。米国の日本駐留は日本を守るためではなく、あくまでも米国の国益を守るためである。尖閣諸島も東京から静岡ほどしか離れていない台湾を考慮して、350機の航空機を配備している中国にすでに制空権を抑えられていると言う。いくら尖閣諸島のための艦船を増やしても意味がないとされる。田岡氏は「安全保障の要諦は敵を減らし、敵をつくらない事」だと言う。
震災後も毎年鮭が遡上する甲子川

医療費を下げるために

2016-12-20 19:19:42 | 社会
先日の寒波が過ぎると、釜石では日中は暖かく、コートがいらない。雪もなく、とても凌ぎやすい。路面は当然凍ってはおらず、スタッドレスのタイヤが勿体無いくらいだ。この時期の花は山茶花くらいしか目に入らない。住宅街の所々で夜はイルミネーションが点くようになった。早いもので後10日ほどで今年も終わりだ。 昨日、日本経済新聞は「2030年 不都合な未来(1)」として、「75歳以上の1人当たり医療費、市区町村で格差2.6倍」と題する記事を載せた。「1人当たり医療費が全国平均を大きく上回っていても、死亡率が高い市区町村がある。逆に医療費が少なくても死亡率が低い市区町村もある。「なぜ格差が生じているのか」。医療費が年々増加する中、調査を通じて、対策どころか原因の分析さえできていない現状が浮かび上がった。」としている。今年9月13日、厚生労働省は2015年度の概算医療費が41.5兆円に達したと発表した。13年連続で過去最高を更新している。同年の国の一般会計予算は96.7兆円であり、税収は58兆円である。寿命が伸び、高齢者が年々増加している日本であれば、医療費が増加するのは当然ではあるが、一方で、無駄な医療費があることも事実だろう。1981年以来、日本では死亡率の1位を癌が占めるようになった。一般には日本は先進国の中でも癌の死亡率が高いとされている。その原因の一つに癌検診の受診率の低さがあるとされる。厚生労働省の「平成25年国民生活基礎調査の概況」によれば、「がん検診の国際比較を見ても、日本の乳がん検診、子宮頸がん検診は、OECD(経済協力開発機構)加盟国30カ国の中で最低レベルに位置しています。欧米の検診受診率が70%以上であるのに対し、日本は20%程度ととても受診率が低いのが現状です。」とある。ところで、国別に癌による死亡率を比較する場合、国ごとの年齢構成を考慮する必要がある。OECDの平均年齢構成を使って、各国間の年齢構成差異による影響を除いた年齢調整後で比較すると、2014年では、対10万人あたり、日本は世界の40カ国中31位と決して高くはない。米国26位、ドイツ22位、フランス21位、カナダ15位、ロシア14位、英国12位で、癌死亡率の最も高い国はハンガリーとなっている。ハンガリーは人口10万人あたり287.30人であり、日本は179.00人となっている。年齢調整をしなければ、日本は4位で、先進国ではトップとなる。現在、癌の治療薬で最先端は分子標的薬と言われるものが使われており、その一つの免疫チェックポイント阻害薬があり、日本で開発されたものが使われ始めている。しかし、このほど薬の価格が半分に下げられたとは言え、1回に60万円を超える価格だ。しかも、効果が出るのはせいぜい3割の人でしかない。残り7割は無効である。シカゴ大学の中村祐輔教授はこうした7割の人の無駄をなくすために、最初から遺伝子検査をして、有効な人にのみ使用すれば、無駄が省けるとされ、そうした遺伝子検査を研究するために国が1000億円を投じれば、ずっと医療費の無駄を回避出来るとされる。癌は免疫力の低下が主因である。高齢になれば免疫力は低下する。免疫力は20代後半でピークに達し、以後は低下して行き、75歳ではピーク時の10%にも満たないとさえ言われる。長寿になれば癌が増加するのは当然である。それだけに医療費を削減する根本は予防である。人の体は食物を含めて外部からのストレスにも晒されている。そのストレスも免疫力を下げる。国がこうしたストレスや検診にもっと力を入れて行けば、医療費は確実に下げられる。ただ検診もこれまでのやり方を変える必要がある。検査の有効性までしっかり見極める必要がある。特に、日本は検診で無駄な放射線の被曝があると指摘されている。
今年も渡りの水鳥たちがやって来ている

世界の変化を読めない日本

2016-12-19 19:18:50 | 社会
先進国、あるいは大国とされる国々は、いずれも何よりも自国の国益を重視する。しかし、大国である日本だけは自国の利益よりも米国に従属することを優先して来た。「押し付けられた憲法」と主張しながら、一方ではひたすら米国に追従して来た。そんな中で、世界の地図は変わりつつある。2001年に4ヶ月後の同地でのアジア太平洋経済協力 (APEC))首脳・閣僚会議に先立ち、中国に国境を接するロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタンが上海に集まり、上海協力機構を立ち上げた。その機構には今やインドやパキスタンも加わろうとしており、トルコまでが加盟を示唆している。米国の同盟国であったフィリピンやトルコも米国から距離を置くようになった。フィリピンは明確に中国への接近を意思表示している。これまでフィリピンは領海を巡って中国と対立していた。米国の次期大統領はこれまでの米国の世界覇権よりも国内の製造業の回復、労働者の所得の改善に力を入れるために1兆ドル規模の公共事業を約束した。2008年のリーマンショック以来、米国は金融経済で見かけの経済を維持して来たが、国内では格差が広がるばかりで、グローバル企業や金融界、高額所得者が利益を上げるだけで、一般国民には還元されていなかった。次期大統領は国外へ出た企業を国内に呼び戻し、製造業を復活させることで、労働者にも恩恵が回るようにしようとしている。しかも企業には法人税の大幅な減税により企業をも満足させようとしている。国外でこれまで覇権を維持するために費やして来た費用を国内に向けようと言うのだ。果たしてその目論見がどこまでうまく行くかは未知数だが、明らかに米国の方針は大きく変更される。現在、米国も実態経済が回復しているわけではないが、次期大統領の政策に期待して、株価が上がり、ドル買いが進み、円が安くなっている。米国は直接自国の利益が脅かされなければ、ロシアや中国の動きに干渉しなくなるだろう。こうした世界の変化を読み切れず、ひたすら米国従属姿勢を維持する日本。米国フォーブス誌は2016年の世界で最も影響力のある人の1位にプーチンを選んだ。日本の首相は37位だ。そんなプーチンには手玉に取られて、経済投資を約束させられただけである。ある意味ではよほど明治期の政治家や官僚の方が諸外国と対等に交渉が出来たと言えるだろう。政治家も官僚も対米従属に反対する者を排除して来たために、多様性を失い、脆弱になってしまった。
落とし柵に捕らえられた鮭

医療研究の後進性

2016-12-17 19:10:50 | 社会
日本が追従する米国は製造業がダメになると株や投資と言う金融を主軸に経済の延命を図った。世界の警察としての役割も果たそうと各地で軍事介入も行った。そのため軍事費の支出も大きく、国の財政を厳しいものにした。先進諸国はいずれも高齢化が進み、医療費が嵩む。米国はその医療費を削減するために病気の予防にも力を入れ、病気の頂点に立つ癌の治療費の抑制にも取り組んでいる。日本のようにただなんの戦略もなく医療費をやみくもに削減するのではなく、癌も高価だが、単なる延命でしかない抗癌剤をいつまでも使うのではなく、人間が本来持つ免疫力を使った治療法の研究を進めている。日本では未だに抗癌剤が主流で、免疫力を使った治療はまだまだ異端である。超高額な免疫療法も一部には見られるようにはなったが、国としての戦略は全く見られない。こうした医療のあり方が米国に10〜15年遅れていると言われる。シカゴ大学の中村祐輔教授によれば、米国では遺伝子情報を元にした治療法の研究開発企業が「大きく育ち、1兆円を超える価値を有する企業もある」と言う。また中国でも40歳の社長が立ち上げた企業は「百億円単位で資金を集め、医療と人工知能を結びつけた分野を開拓しようとして」おり、この企業には20-30歳代の若者が集まっていると言う。中村教授によれば、国レベルで戦略を立てれば、経済の活性化と医療費の削減の両立が可能になると言われる。しかし、いつまでも変わらない日本を見ていると、「これでいいのか日本の医療は?と叫ぶ元気がなくなってきた。もうお終いか、日本の医療は?という気持ちだ。」と述べられている。東京大学や 理化学研究所でゲノム研究所所長を歴任し、研究者として国立がん研究センター研究所所長も経験された後に、国に期待して、2011年には内閣官房医療イノベーション推進室室長まで引き受けられたが、結局は官僚や他の権威ある研究者に阻まれて、何の権限もないことを悟り、辞任され、希望のある米国に移られた。数々の賞を受賞され、世界的にも知られた中村教授のような人材を生かしきれない日本と言う国。世界中から人材を集める米国とは大きく異なる。明治政府の評価できる点は世界から優秀な人材を集め、その人たちに日本人を教育させ、短期間で世界の学識に追いついたことだろう。現状はむしろ江戸時代の鎖国状態に近いのかも知れない。何れにしても将来を見据えた国家戦略が欠如していることは間違いない。
遡上して捕らえられた鮭

ニホンカモシカ

2016-12-16 19:11:36 | 自然
昨夜も釜石では少しだけ雪が降ったが、平地では今日の日中にみんな消えてしまった。遠野から内陸にかけてはさすがに雪が残ったようだ。自宅から見える五葉山や愛染山は真っ白になっていた。朝は雲一つない青空が広がり、西の空にはまだ月が見えていた。放射冷却で水たまりは氷が張っていた。職場の裏山では今日も二匹のリスが木々や山の斜面を駆けていた。クマはもう冬眠に入ったはずだが、さほど高くない裏山は雪も積もることがないので、リスはまだ冬眠には入っていないようだ。昼休み甲子川から八幡神社へ歩いて行ってみると、神社の階段をニホンカモシカが降りて来た。特別天然記念物のニホンカモシカを実際に見るのは、これで5度目になる。そのうち4回を釜石で目撃している。ごく短い角を持ったニホンカモシカだが、ニホンカモシカの場合は雌雄ともに角があるため、どちらなのかはよく分からない。日本の固有の唯一のウシ科の野生動物だ。北海道と中国地方を除く日本の各地で生息するが、いずれもほとんどが高地である。釜石のように平地に近く現れるのは珍しい。嗅覚や聴覚、視力が鋭く、人を見るとすぐに姿を消す。足の蹄が広がるので急峻な断崖のようなところも難なく駆け上る。縄張りを作るため、おそらくこの個体もこの辺りを縄張りにしているのだろう。ニホンカモシカの天敵は今ではクマだけになっており、鹿ほどではないだろうが、数は増えて来ていると思われる。鹿は市街地の住宅街にまで入り込むことがある。しかし、ニホンカモシカはいつでも逃げられるように山からはあまり離れないようだ。戦後間もない頃には肉の確保のために密猟され、個体数が減り、地域によっては絶滅に瀕していたようだが、単なる天然記念物から特別天然記念物に指定されてからは数も回復し、増えているようだ。
ニホンカモシカ

太宰府を取り巻く「万里の長城」

2016-12-15 19:16:15 | 歴史
今冬で最も厳しい寒波が北日本の日本海側を中心にやって来ており、釜石では昨夜雪が少し降ったが、最低気温は1度で、日中も5度まで上がり、日中には雪も溶けた。しかし、夕方からまた湿った雪が降り出した。1週間ほど前に秋田県へ行ったが、岩手県の西部から風景が一変した。同じ県とは思えない雪景色であった。錦秋湖近くの路面は滑りやすく、とても疲れる運転であった。同じ東北でも釜石の冬の良さを改めて感じた。 今月初めに福岡県筑紫野(ちくしの)市の前畑遺跡で発掘調査の現地説明会が催された。太宰府の南7Kmの位置になる。標高61~49mの丘陵の尾根上に古代の大宰府を防衛した外郭の防衛壁と見られる土塁が南北に500mに及んで発見された。7世紀のものとされる。土塁は水城跡や太宰府の北西の大野城跡の土塁に類似すると言う。この土塁は宝満川から基難城跡(きいじょうあと)に至るルート上に構築されたもので、大宰府の外郭の防衛壁は、宝満川を取り込んでいた可能性もあり、古代の東アジア最大となる全長約51Kmにおよぶ大宰府羅城が存在した可能性が高いとされる。これが事実であれば、ちょうど中国の万里の長城のような土塁であり、都市を防御するために城壁(土塁や石塁)を巡らしたものを、羅城(らじょう)と呼ぶ。韓国には古代百済の首都、涸批(さび)を守る扶余羅城(プヨナソン、全長8.4Km)がある。大宰府政庁跡は地元では「都府楼跡(とふろうあと)」の名で知られており、都督府としても知られる。この「都督」は中国で軍政・民政を統轄した長官名であり、その長官がいたところを都督府と呼んだ。この名称は中国から見た名称であり、近畿の朝廷から見た名称ではない。中国南朝の臣下として南朝と交流した九州王朝の王都である。日本書紀は大野城を天智天皇4年、665年に基肄城とともに倭国防衛のために築いたとするが、すでに前年の664年に唐の占領軍である郭務悰(かくむそう)が筑紫(ちくし)に来ている。郭務悰は翌年もやはり筑紫へ来ている。そんな占領軍の来ている中で、唐に対する防衛施設を築けるはずがない。むしろそれらの防衛施設は白村江の戦い(663年)以前に王都である太宰府を守るために築かれたものだ。太宰府の発掘によると、太宰府政庁は3回建て直されており、その太宰府政庁よりも先に太宰府条坊都市が成立していたことが太宰府市教育委員会によって明らかとなっている。太宰府政庁の創建は7世紀後半~8世紀初頭とされている。従って、太宰府条坊都市は7世紀前半である可能性があり、条坊都市としては国内で最も早く作られた可能性がある。今回の筑紫野市教育委員会の発表した太宰府を取り囲むような巨大な羅城、防衛壁については日本書紀は全く触れていない。さらに古代の城としては大野城は国内最大の城でもある。近畿にはこれほどの古代の城は見られていない。羅城は近畿を守るためではなく、まさに太宰府を守るべく構築されていた。今後も北部九州各地で発掘調査が進めば、日本書紀に触れられていない事実や、矛盾する事実が発見されるだろう。
桃色の小さな花が咲いていた

チェルノブイリ事故から30年

2016-12-14 19:19:29 | 科学
チェルノブイリ原発事故は1986年4月26日に4号炉で起きた。今年で事故後30年になった。国際原子力事象評価尺度 (INES) では福島第一原発事故と共に最悪のレベル7(深刻な事故)に分類される。事故直後、当時のソ連政府は原発から30Km内を立入禁止区域とした。実際には、この立入禁止区域からかなり離れたところでも高濃度の放射性物質が観測されていた。2011年の福島第一原発事故では原発からわずか20Km以内を立入禁止区域とされた。チェルノブイリでは4号炉が破壊されただけであるが、福島では1号炉から4号炉までの4基が事故を起こしている。炉心内の核燃料は合計でセシウム137で見ると、チェルノブイリの280(10の15乗Bq)に対して、福島は1号炉〜3号炉だけで、710(10の15乗Bq)である。総量の20-40%がチェルノブイリでは放出されたとされている。それに対して福島では当時の原子力安全・保安院はわずか2.1%しか放出されていないとした。水素爆発をした4号炉を考慮すると、にわかには原子力安全・保安院の発表は信じがたい。未だに炉心の状態すらつかめず、廃炉の予定も立っていない。チェルノブイリも福島も立ち入り禁止区域外で放射性物質が高濃度に観測されたところがたくさんある。しかし、それらはほとんど除染の対象とはなっていない。30年経ったチェルノブイリの立入禁止区域では、ヘラジカやシカ、ビーバー、フクロウ、この地域には珍しいヒグマやオオヤマネコ、オオカミなど多種の動物たちが繁殖している。その一方で、森林を中心に枯葉の堆積が異常に起きていると言う。米国サウスカロライナ大学のTimothy Mousseau准教授らはチェルノブイリの植物を調査した。異常な枯葉の堆積は本来枯葉を分解するはずの微生物の減少が原因であった。同准教授は枯葉の堆積による火災を危惧していたが、今年7月立入禁止区域でやはり火災が発生した。チェルノブイリ同様に福島でも鳥類では異変が見られている。いつもながら国内の研究者よりも海外の研究者の方に福島はチェルノブイリより深刻だと捉えられている。特にドイツ、フランスの研究者にはそうした見地に立つ人が多い。フランスのパリ第11大学の科学者アンダース・パぺ・モラーAnders Pape Møller氏は日本の原発の多くが地殻変動断層帯の上に建造され、緊急・保守作業チームの接近を危うくし、メルトダウンの連鎖を招く原子炉の群立に疑問を呈し、同じ原発敷地内に使用済み燃料棒を保管していることにも、緊急時に冷却を阻害するとして、やはり疑問を呈されている。フランスや米国では原発事故では50Km以内が制限域とされる。
教会のクリスマスリース