職場の隣の醤油工場裏の山肌に著莪(しゃが)の花が今年も咲いて来た。山野に雑草のように咲くことが多いので、ほとんど気付かれないで咲いていることが多い。しかし、花をよく見ると、とても綺麗な花だ。もともと中国の花で、いつの頃か定かではないが、古い時代に日本へ伝わったようだ。著莪は3倍体といい、動物や他の植物のように雌雄二つの2倍体とは異なり、3種が揃わないと、種が出来ない。しかし、日本に咲く著莪は遺伝子的に同一であるため、種を生み出すことが出来ない。同様の植物には秋に咲く曼珠沙華がある。著莪は漢字で射干とも書かれることがある。しかし、射干は本来は夏に咲くオレンジ色の檜扇(ひおうぎ)の漢名らしい。檜扇は黒い種が出来ることから、万葉集では射干玉(ぬばたま)として、黒を象徴する「夜・夕・髪」の枕詞として使われている。著莪は種がないため、地中で根を深く張って、根を通して繁殖し、群生する。著莪も檜扇もいずれもアヤメ科の植物だ。著莪は花を見れば、アヤメ科であることが十分納得出来るが、檜扇は色がとてもアヤメ科のようには見えないし、花もアヤメの風情は感じさせない。原産地の中国には何種類かの著莪があるようで、中国では著莪を『蝴蝶花』と呼ぶそうだ。中国名の方がこの花には似つかわしい。実際にもこの花にはよく蝶が寄って来る。蝶が好む香りを出しているのだろうか。岩手では少し人の通りの少ない山野の道に入ると、山野草が自生しており、どれもが可愛く、綺麗だ。もっとも、著莪は中国から持ち込まれたため、最初は人為的に植えられており、それが放置されたため、山野草となった。種では殖えて行かないので、どの時代かに人の手でそこに植えられたのだ。山中で著莪が咲いているところは、かってはそこに人が住んでいたのだろう。それは曼珠沙華も同様だ。東北には離農や引き継ぐ人がいなくなった野草の茂る田畑の跡が多く見られる。そんなところにも著莪や曼珠沙華が咲く。これらの花は人の歴史に関わる花だとも言える。
著莪