釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

自助努力しても報われない人たち

2012-12-31 19:22:57 | 社会
庭の隅の日陰に少しだけ残っていた雪も昨日の小雨で消えてしまった。今日は雲もかなり流れていて、小雪が舞うかと思えば時々日射しも射して来る。朝、またツグミの声を聞き、影の鳥、ミソサザエもやって来た。寒くはあるが、先日のような厳しい寒さは遠のいた。早くも今日で今年も終わる。昨日から娘は新年を迎えるための買い出しに出かけ、今日も大槌町の大型店まで出かけて行った。何日か前に、釜石のスーパーで流れていた正月飾りやおせちのビデオを見て、日本の正月の風習の意味を知ったようで、ひどく感心して帰って来た。クリスチャンでありながら、自分が日本人であることにも自覚させられたのだろう。最近は日本のキリスト教会の在り方にも疑問を感じるところがあるようだ。もっと日本人的な教会の在り方というのがあるのではないか、と考えているようだ。10月に大阪へ行った際には、周囲ではもう震災の話題が出ることがないことに驚きを感じたそうだ。メディアもほとんどもう震災のその後を報じることがなくなった。昨日、買い物に出かけた時に、ついでに釜石の唐丹地区へ足を運び、津波に襲われた堤防の上に怖々上ってみたそうだ。瓦礫は確かに取り除かれているが、それ以外は何も変わっていない。復興の影すら見えない。24日に釜石へ戻って来て、S先生とともに仮設住宅での支援者の会議にも出席し、被災者の方達にも話を聞き、被災者や支援者の精神的な落ち込みが大きくなっていることを感じたようだ。海外からは地元のボランティアが比較的自由に使える資金援助などが今も提供されている。しかし、日本の支援は地元が地元の事情にあった形でなかなか自由に資金を使うことが出来ないものが多い。日本はまだまだボランティア活動への理解が十分ではない。国もたとえ被災者であっても、個人への金銭的な支援は従来の法規に則ってできないという姿勢だ。巨大な震災であっても日常の決め事の範囲から出られない。それが役人の発想だ。そして企業などの支援もほぼそれに准じる形になっている。震災と言う非日常に遭遇しても臨機応変な対応ができない。震災の被災者だけでなく、低所得者数も増え続けており、65歳以上の高齢者世帯の4割が年収250万以下の最低生活保障水準となっている。一昨日政府は消費税増税に伴う低所得者対策、税率8%から現金を配る「簡素な給付措置」の具体化を見送ることを決めた。現在国民健康保険も低所得者が増加したため5人に1人は保険料を滞納せざるを得なくなっている。特に、非正規労働者が増え続けている都市部では深刻になっている。働ける人であっても所得は低下しており、働きたくても働く職がない人も増えている。まして、高齢で肉体的にも就労に差し支えのある人たちは絶望的な毎日を送っている。これほど物質の豊富な世となっても誰にも看取られずに亡くなってはじめて発見される高齢者も後を絶たない。一時新自由主義が席巻した際、よく自己責任という言葉が横行した。どんな世であっても自助努力は人として当然である。しかし、自助努力しても、なお、収入を得られない人が余りにも増え続けている。そして、今の日本を見る限り、今後もそうした人たちがさらに増えて行くだろう。
一昨日まで残っていた庭の隅の日陰の雪

自らの手で再生を

2012-12-30 19:21:24 | 社会
昨夜0時前に宮城県沖でM5.4の地震があったが、震源から離れている釜石で最も揺れが強く、震度4であった。地鳴りのする固い地盤が原因なのかも知れない。日本気象協会の過去3ヶ月間の地震統計によれば、地震観測回数は震源地で見ると、宮城県沖が最多で86回となっている。以下福島県沖68回、茨城県沖56回、茨城県北部42回、岩手県沖31回と続く。震度3以上の地震観測回数では茨城県北部が最多で27回となる。震源地では東北から茨城県沖に圧倒的に多いが、気になるのは茨城県北部の内陸の震源地での発生だ。茨城県北部の内陸はプレート境界から離れているので、恐らく内陸の断層が動いているのだろう。プレート境界で受けた圧力が陸のプレート内部にも伝わり、断層を動かす結果になっているのだろう。日本列島は4つのプレートが交差するが、研究者によっては東北や北海道がのる北米プレートはさらに4つにマイクロプレートによって分けられるとされる。中部以西の地域がのるユーラシアプレートもやはり中央構造線を含めて3つのマイクロプレートに分けられている。この他に内陸部では活断層が走るので、ほんとうに日本列島は断層の巣窟といってもいいほどだ。今日の共同通信によれば、過去20年間に世界で発生した自然災害による経済損失額の約5割がアジアに集中しているそうだ。日系企業の生産拠点が集中する東南アジア諸国連合(ASEAN)では今後、年間190億ドル以上の経済損失が発生する恐れがあり、アジア開発銀行(ADB)は「世界経済をけん引するアジアが最も災害の危険に直面している」として早急な対策を呼び掛けている。太平洋沿岸部の地震や津波、多雨地域の洪水などが、発展途上のアジアの成長を阻害する恐れがあるという。新首相は福島県を訪れ、30年の原発ゼロ政策を検討し直すと発言している。首相は古代荒覇吐王国の統率者や奥州安倍氏の血を引く人だ。明治維新時、同じ血を引く福島の三春藩主の秋田氏は皇室と敵対した自己の系図に誇りを持ち、宮内省の勧めを断り、そのままの系図を提出した。政権を簡単に投げ出した今の首相にはそうした誇りは微塵も感じられない。荒覇吐王国にしても奥州安倍氏にしても自らは戦いを仕掛けることを避け、平和な民の暮らしを願った。今日の釜石は小雨が降る一日で、近くの高さが100mもない山の谷間にも霧がかかっていた。そのゆったりとした霧の動きを見ながら、現代の東北と古代の東北をどうしても比較して考えてしまう。自立乃至独立した古代の東北は豊かで平和な暮らしにつつまれていた。日常に誇りさえ感じていただろう。現代の東北は物質的には古代に比べてはるかに豊と言えるが、自分たちの日常に誇りを持つことができるだろうか。そしてこのことは特に東北に限らない。古田武彦氏が明らかにして来たように、日本にはかって多くの国々があった。それぞれが誇りを持って生きていた時代があった。地方の衰退とともに地方の人びとの誇りが失われ、日本という国も柱を失って行った。日本が真に再生するためには地方の再生が先ず第一の条件だと思う。巨大化した企業資本は利益を求めて劣化した日本を容易に離れて行く。従って、国内の空洞化はTPPへの参加とは無関係に進んで行くだろう。いつまでも中央をあてにしていては地方の再生など得られるはずがない。再生はあくまでも自らの手で行わねばならない。地方がそうした自覚を持てれば、日本は再生して行けるだろう。
先日小雪の中を庭にやって来たエナガ

やはり拡大された旧来の公共事業

2012-12-29 19:18:54 | 社会
朝は氷点下であったが、日中に青空が広がり、寒さも先日の厳しさが和らいで来た。先日続いて降った雪も釜石らしく、日陰を除いてほとんど消えてしまった。路面は乾いて主な道路であれば夏タイヤでも市内を走ることが出来そうなくらいだ。昨夜、娘は以前働いた釜石のNPOの忘年会に呼ばれて深夜遅くに帰って来た。都会だと終電車が一つの目安になるが、地方では家が比較的近いため宴会の流れが遅くまで続くようだ。明け方近くまで飲み歩く人もいるようだ。長引く被災者の支援でNPOの人たちもそれぞれ肉体的にも精神的にも疲れが出て来ている様子だったそうだ。支援者でそうした状態であれば、狭い仮設住宅で先の見えない被災者の人たちはさらに心身の疲労は大きいだろう。現在平田地区に建設中の復興住宅を見た被災者の方ががっかりされておられた。贅沢は言わないが、もう少しゆとりのある住居を考えていたので、期待が裏切られたようだ。被災地域には基本的に住居は再建できないため、もともと土地の限られた釜石の地形では、新規に土地を手に入れたりするには被災以前より地価が上がってしまっており、しかも、購入出来るような土地も少ない。この被災者の方は震災以前には通常よりは経済的にまだ恵まれていた方であるが、その方でさえ、家をすべて失って、残った土地も価値が下がってしまった。ともに生活をしていた家族は離ればなれで生活せざるを得なくなり、家族の職を含めた行く末を心配されている。新政権は予想通り、先の中央自動車道の笹子トンネル事故を口実に補正予算で道路や橋などの改修・整備に充てる公共事業費を大幅に増やすことを決めた。風水害対策として堤防や防潮堤なども整備するため農林水産予算も大幅に積み増すことになった。日本には下請けの中小を含めた建設関連企業が世界でも際立つほど多くある。高度経済成長期を中心に列島ではたくさんの土木・建設事業が展開され、その過程でこうした企業が増殖して行った。新政権はそうした企業に支えられて来たため、常に公共事業に国費を投じて来た。再び政権の座についても、旧来通りの政策を踏襲し、こうして公共事業費を膨らませている。震災後1年ほどは全国からのボランティア活動も維持されていたが、1年を過ぎると徐々に忘れられて来た。新首相はおざなりにとりあえずは福島県を訪れているが、結局は、被災者へのさらなる支援のための政策は今のところ出て来ていない。他の被災者への影響を考えて、という理由で、被災者の自殺は公にされることがない。しかし、被災者の自殺は確実に増えて来ている。他者に相談をしても解決出来そうにない問題ばかりを抱えて、一人悩む被災者の数が多いのだ。それを見ている直接の支援者までが精神的に疲労を抱え込んでしまっている。国の公共事業への投資は一時的な経済の上向きをもたらせても、波及効果は限定されており、すぐにまた経済は収縮してしまうだろう。費用と効果を考えればかなり効率が悪い。一方に困窮する被災者がいて、為政者はその現状を見ず、旧来の手法を繰り返すだけだ。高度経済成長期とは日本の置かれている状況がまったく異なって来ているにもかかわらず、政策手法は当時と同じ手法をとり続けている。2007年に前任期の首相当時に新設して以来、名目的に少子化担当大臣を置いてもフランスやドイツのように具体的な実効ある政策はほとんどなされていない。政策を実行する官僚を動かすだけの力量を持ち合わせていないし、その必要性も感じていないのだろう。震災を含め日本が直面する従来とは異なった問題に対処するシステムが欠如しているのが今の日本だ。
職場の近くの変わった店 下の提灯には「ラーメン」と書かれていたが・・・

未知の領域に突入する日本

2012-12-28 19:12:50 | 社会
朝、内陸方向を見ると愛染山がはっきりと見えたが、山頂には日が射していなかった。庭の水落しをした水道はまた凍っていた。午前中に高く薄い雲が空全体を覆った。職場の裏山にはカケスの群れが今日もやって来た。カケスはヤマガラスとよく似ているが羽根の部分の筋状の青色が強く、遠目でもそれが目立つ。野鳥の中ではカラフルな部類に入るだろう。木の枝をつっついているが、何を食べているのだろう。今日は今年最後の仕事納めの日だ。 京都府京丹後市に住む男性が今日で115歳と253日となり、男性では世界で史上最高齢を更新した。これまでの記録では1998年に米国で亡くなったデンマーク出身の115歳と252日の男性だった。女性の記録では、122歳と164日で1997年に死去したフランス人だ。丹後市の男性は今月17日に存命中の世界最高齢者になったばかりだった。日本は戦後経済発展し、栄養が改善され、医療環境が整ったことから、長寿への道を進み始めた。しかし、一方で少子化も速いスピードで出現して来たため、人口は2004年をピークに以後、減少の一途を辿っている。その影響は最初に地方に顕著に現れ、地方の県はどこも人口が減少している。特に青森県の人口減少は深刻で、2008年に青森市は公立小中学校の4割の削減計画を立てるまでになった。住民の反対でその計画は撤回されはしたが。青森県では0~14歳までの人口が毎年5,000人ずつ減っている。単純計算では2045年には0になる。地方の人口減少は小売店の減少を促進させ、医療や福祉の担い手の不足を深刻化している。私鉄やJRなどの鉄道網も大きな打撃を受けている。長崎県の五島列島では銀行まで撤退してしまった。地方が少子高齢化で急速に人口が減って行くのに対して、東京のような大都市では今後急速な高齢化が進み、全国平均の約2倍の高齢者増加率となる。大都市では巨大ビルやマンションなどが建設されて来たが、住宅建設を含め高齢化が急速に進むことで新規建設数は激減して行かざるを得なくなる。大阪・兵庫・京都といった他府県の都市部でも同じような状況にある。2010年11月号の『The Economist』は「A special report on Japan: Into the unknown」と題するレポートをすでに出している。日本の人口減がこれまでの世界で「未知の領域に」至るとする。日本の歴史ではこれまでに3度の人口減があった。縄文時代後半と鎌倉時代、江戸中後期に起きている。そして、その3度とも外来文化の移入で減少を克服して来たが、これまでの減少は高齢化は伴っていなかった。今回で4度目になる現在の人口減少ではまさに日本の歴史でも未知の高齢化という問題を抱えている。高齢者の増加は医療福祉の需要を急増させるが、その担い手の不足は現在でも地方で深刻となっており、医療や福祉の屋台骨を崩壊させかねない状況になる可能性がある。数々のデータは日本の少子高齢化と人口減少が国家として最大の問題であることを示している。人口問題の研究者である上智大学鬼頭宏教授によれば、仮に出生率が今2以上となっても人口減を止められるのは2100年頃になるだろうと言う。この国家最大の問題を国家の中枢にいる人たちがまったく手を打っていない。利益誘導の政策に慣れ親しんで、責任が問われないシステムの下では、直接利益の見出せない困難な問題は互いに押し付け合って、誰も手を打たないまま先延ばしして行く構造になっている。
下げられた提灯の店名に釘付けになってしまう

トライアングルの無責任体制の復活

2012-12-27 19:16:28 | 社会
昨夜は夜空が澄み渡り、たくさんの星と輝く月が見えていた。その分地上は冷えきっていた。今朝も愛染山周辺には雲がなく、山頂が朝日で白く浮き出ていた。まったくの快晴で、気温は-5度になっていた。犬たちの水入れは厚く氷が張っていた。北海道にいた時は、冬場は犬たちに水入れを用意しなかった。凍り付いて飲めないからだ。犬たちは降り積もった雪を食べて水分を補給していた。今冬の釜石はまるでその北海道のような気温になっている。今朝は特に全国的にも厳しい寒さの朝だったようだ。大阪府豊中市や高松市あたりでもそれぞれー4.5、ー4.9を記録し、12月としては過去最低となったようだ。青森市の八甲田山系の火山起源の温泉地である酸ケ湯(すかゆ)では297cmの雪が積もり、12月の最大積雪記録を更新している。そんな寒さの中でも午前中に職場の裏山にはまたカケスの群れがやって来ていた。午後には雪雲が流れて、再び雪が舞い始めた。 新しい内閣が発足して株や円は新政権の経済政策を好感してやや改善して来ているが、新政権は基本的に戦後50年に渡って維持し続けて来た手法から脱却することはなく、国のおかれた状況が大きく変わって来ていることを認識して、政策の転換を行う視点は持ち合わせていない。公共事業や原発の推進も従って旧来通りである。経済産業大臣は早速、当然のごとく「2030年代までの原子力発電所稼働ゼロ」目標については、「再検討が必要だ」と述べており、原発の新設についても「専門的知見を十分に蓄積した上で判断したい」と、将来的に建設を認める可能性を示唆している。原子力規制委員会を所管する環境・原子力防災大臣には総裁選中に原発事故の汚染土壌に関して、「運ぶ所は福島原発の第1サティアンしかない」とオウム真理教施設の呼称を引用して批判を浴びた、原発推進派の石原伸晃氏を起用している。防災対策に取り組む「国土強靱化」担当大臣を設けることで、「防災」に名を借りた公共事業の積極的な推進を打ち出している。目先の景気は一時的に改善出来るかも知れないが、国債の発行などで国家債務はさらに増えて行くことになるだろう。日本のシステムは誰も責任をとらない構造になっている。政治家は経済政策を進めて国家債務を増やしても、自分の任期中のことしか考えない。官僚も法的にはまったく責任を問われることはない。1961年に丸山眞男は名著『日本の思想』ですでにこの日本のシステムの欠陥を喝破している。翌年1962年には映画『ニッポン無責任時代』まで登場した。新政権は従来から政官業のトライアングルを組み、日本の明暗を築いて来た。その肥大化した暗部が新政権によってさらに増幅されるだろう。電力については以前からの業界との癒着から考えれば、発送電分離や家庭向け電力の自由化なども遠のくと考えられる。企業と都市中心の発想からの転換は望めそうにない。まさに復古体制が甦っただけだ。日本の実質的な衰退と危機を促進して行くことになるだろう。
花巻から見た早池峰山

快適な生活の代償

2012-12-26 19:14:22 | 社会
今日は朝から一日、強い風が吹き、雪が降り続けた。時々吹く突風で、路面に降った雪が舞い上がり、吹雪のようになった。気温も日中の最高気温が-3度で、犬たちの水飲み用の皿も凍り付いていた。雪と風の中を家の庭にまたエナガの群れとシジュウカラの群れがやって来ていた。朝には近くでツグミの声も聞いた。天候が悪くても野鳥たちは生きるための本能で変わらず餌を探して飛び回っているのだ。北海道並みの今日のような寒さになると、古代の東北に住む人びとの冬の生活を思う。縄文時代の竪穴住居の遺跡では現在の囲炉裏にあたる「炉」が見出されている。恐らく、屋根の部分を含めて住居のまわりは雪で覆われていて、かえって、中は「鎌倉」のように暖かくなっていただろう。衣類は鹿や熊の毛皮を使っていたとのだろう。足や手も毛皮を使って覆っていたかも知れない。炬燵(こたつ)や行火(あんか)などが見られるようになったのは室町時代からだ。明治時代になってやっとストーブが輸入されるようになったが、一般庶民の家庭にそれが見られるようになるには100年近くかかっている。今では屋内の暖房が十分行き届くようになり、快適な生活が雪国でも出来るようになったが、そのために、エネルギーも大量に消費するようになってしまった。快適さは資源の大量消費と引き換えに手に入った。地方の生活に不可欠となった車もやはりエネルギーを消費する。屋内に溢れる電化製品も同じだ。年間を通して快適な住環境を維持することで、大量のエネルギーを消費するだけでなく、人の身体の環境への適応力も少しずつ衰えることになった。簡単に手に入る薬や殺菌力を持った製品が屋内に多用されるようになったことで微生物にとっての環境も大きく変化した。そのため、微生物は微生物なりにそうした環境に適応せざるを得なくなる。抵抗力をもった微生物が現れるようになる。快適さは動物としての人間を弱体化させているとも考えることが出来る。こうした状況の中で遺伝子操作の問題も捉えておかないと、気が付けばとんでもない世界になっている可能性がある。近代までの科学や技術でも世界を大きく変えたが、現代のそれらは尚のこと短期的には何も問題を起こさないが、長期的に見ると、もう二度と帰ることの出来ない世界に行き着く可能性がある。人間は自ら自分の首を絞めている可能性がある。太古の時代から鳥たちは移動することで自分たちに適応した環境を探して、それを見出して来た。人は定住して環境を自分たちに適応させる科学や技術を導入して来た。その積み重ねには恐らくどこかで限界があるだろう。動物としての人の身体を一層弱体化させないためにも、今、人と環境の問題を真剣に考えなければ、自滅の道を歩むことになるのではないだろうか。雪と風の中を変わらずやって来た野鳥たちの姿を見ていて、そんなことを考えた。
庭に降った雪

時間のスケールと自然の変化

2012-12-25 19:19:53 | 自然
今朝はかなり冷え込んで庭の水道が水落しをしていたにもかかわらず凍ってしまった。仕方がないのでお湯をかけて水が出るようにした。北海道でも今期では最も気温が下がったようで、旭川市の北になる士別市で-28.7度になったようだ。今朝の釜石は-5度ほどだった。朝、釜石上空は青空が見えていたが、愛染山を含む西の遠野方向では雲が覆っていたので、今日は次第にその雲が東へ流れて来て、結局、午前中のうちに釜石も曇り空となって、雪が降ったり止んだりを繰り返した。一昨日降った雪は日陰にはまだ残っている。 今朝の時事通信は最古の恐竜化石の発見を報じている。化石自体はすでに1930年代に発見されていたが、化石の詳しい調査が行われていなかったようだ。アフリカ東部タンザニアの約2億4500万年前(三畳紀中期)の地層から見つかった化石で、恐竜に最も近い爬虫(はちゅう)類に当たる。米国ワシントン大や英国自然史博物館などのチームによる研究結果だ。これまで恐竜化石は南米アルゼンチンの約2億3000万年前(三畳紀後期)の地層から発見された「ヘレラサウルス」や「エオラプトル」が最古のものとされて来ていた。これらの化石の時代はアフリカも南米も含め、地球上ではほとんどすべての陸地が一つになった超大陸「パンゲア大陸」の時代であった。南米大陸とアフリカ大陸は隣り合って繋がっていた。地球は46億年前に誕生して以来、10億年以上にわたって超大陸の形成と分裂のサイクルを繰り返して来た。パンゲア大陸という一つの超大陸が形成される前のサイクルではロディニア大陸とゴンドワナ大陸という2つの超大陸が存在した。その後、この二つの超大陸が分裂し、また2億9千万年前にパンゲア大陸として一つの超大陸にまとまった。これが1億9千万年前に再び分裂をはじめて、現在の地球上の大陸の状態となった。従ってまた未来には現在の大陸はまた何らかの形で統合されて行くことになる。日本列島近辺には4つのプレートがあるが、地球全体の表面近くがこのプレートで構成され、そのプレートの下では岩石成分で構成された高温のマントルが熱によって対流を起こしており、その対流で上に乗るプレートが動かされている。そして超大陸の形成や分裂はこの対流でもスーパープルーム(巨大対流)と呼ばれるさらに巨大な対流がプレート間に沸き上がって、プレートが大きく動くことで起きているとされる。2008年にカナダの聖フランシスコ・ザビエル大学の研究者らによって、太古の太平洋中央部に地球の核にぶつかるほど深部までプレートが“沈み込む”プルームがあったことが分かった。沈み込んだ部分は過熱状態となって再び沸き上がり、スーパープルームを作り出す。このスーパープルームがプレートを押しやり、他のプレート同士と結合することで超大陸が誕生する。超大陸形成にスーパープルームが関与しているという考えにはさらなる裏付けが必要なようだが、いずれにしても、こうして地球上で超大陸の形成と分裂が繰り返されて来たことは事実だ。日常、周囲で目にする自然は何の変化もないように見えるが、そこにはやはり様々な変化が起きている。時間のスケールを我々の生活と同じスケールでいつも見ていると、何も見えなくなってしまう。
葉牡丹 正月飾りとしてよく使われる 江戸時代に日本へ入ったヨーロッパ原産のもの

これからの日本人の規範

2012-12-24 16:19:17 | 文化
昨日は夜になって雪が降り始めた。朝起きてみると3cmほど雪が積もっていた。青空が広がって、気温が少し上がると、雪が融け始め、木々の枝から少しずつ雪が落下して来た。周辺の山々もすっかり雪化粧をしている。青空を背景に白い雪を冠った愛染山がくっきりと見えていた。午後一番の飛行機で花巻に着く娘を迎えるため、11時過ぎに家を出た。車に積もった雪を落とし、専用具で窓に付いた氷結も取り除いた。釜石市内の道路は雪解けで、ぬかるんでいて、前や対向車線の車が汚れた水しぶきを跳ね上げて来る。釜石自動車道へ入っても、雪国とは違って、まったく除雪されていないため、路面には雪が残っていて、みんなのろのろ運転だ。特に日陰は滑りやすい。遠野へ入ると、さすがに遠野は雪の量が多く、歩道を除雪していた。路面は除雪車が走る遠野の方が走りやすい。新しく開通した自動車道の宮守ICからはじめて自動車道に入ってみた。こちらは同じ自動車道とは思えないくらい、釜石ー遠野間とは路面の状況が違っていた。除雪がしっかりされていて、走る車も80~90Kmのスピードを出していた。ちょうど前を多摩ナンバーの観光バスが走っていて、そのバスもそれなりのスピードで走っている。2カ所ほど追い越し車線も設けられていて、自動車道らしくなっている。おかげで空港へは予定より早く着いた。350円の利用料金も高く感じなくなった。以前は東和ICからのわずかな利用区間で同じ料金だった。早めに空港へ着いたので、空港の駐車場でしばらく遠くに見える岩手山や早池峰山(はやちねさん)を眺めていた。娘の乗った飛行機が到着し、出口から出て来た娘を迎えて、二階のいつものレストランで昼食を食べた。食事中もすっかり関西弁になってしまった娘が大阪での話をしゃべり続けていた。帰路も同じ道を走ることにした。最近、大阪で、米国で著名な伝道師の話を聞いたそうだ。その人の話の中で、日本の切腹の話が出て来たのだそうだ。日本の武士は「証しのために」腹を切ったので、それはちょうど自分が神の前で証しを立てているのと同じだ。だから私は毎日切腹をしているのですよ、ということだったそうだ。新渡戸稲造の『武士道』は最初、米国で英文で出版され、欧米でベストセラーになった。クリスチャンである新渡戸稲造が書いた『武士道』は欧米のクリスチャンたちの心を打ったのだ。『武士道』には普遍的な人の在り方が書かれていたのだろう。それでなければ、欧米人には広く読まれることはなかったろう。車の中で娘が「身勝手な個人主義と言うのは何か個人主義と言うものを間違って受け取っているのではないか」と言う疑問を出して来た。個人主義と自立は分ちがたいもので、自己の言動には責任を伴ってはじめて自立や個人主義が成り立つこと、武士道は男性社会の規範だが、そこには自立や個人主義に繋がるものがある、などの考えを娘に話した。外来の「個人主義」という概念ではなく、日本の文化に良くも悪くも根付いて来た武士道などの規範から出発しなければ、新たな日本人の規範は根付かないだろうと思う。新渡戸稲造は欧米人やキリスト教に接する中でそのことをすでに感じ取っていたのではないだろうか。
遠野郷からの早池峰山遠望

現在も生活の中で伝えられている縄文の神

2012-12-23 19:19:59 | 文化
今日は青空が広がる、風も比較的穏やかな日だった。放射冷却で朝はやはり氷が張り、霜柱が立った。愛染山や周辺の山のおよそ200m以上のところは雪が残っている。落葉樹の葉はもうすっかり落ちてしまった。今日の天気予報を見ると、山陰地方や北部九州にも雪マークが付いていた。北海道はさすがに一日中氷点下になっている。日本列島は世界地図で見れば、小さな島だが、それでも地域によって気温がかなり違っている。同じ釜石の市内であってさえ、地区によって気温の差があるくらいだ。暖流が寄せて来る海岸部ほど暖かい。今日も所用で何軒かの店に行ったが、どの店でも何種類もの正月飾りが売られていた。子供の頃、家では太い竹を使った門松やだいだいの付いたしめ飾りが飾られていた。そうした風習も次第にその後は薄れて行った。しかし、北海道や岩手などではまだまだそうした風習が根付いている。もともと門松は歳神が依り憑くための目印として飾られるようになった。これは木に神が宿るという古来の考えに基づいている。歳神はその歳1年の守護神であったり、その歳の豊穣をもたらす神であったり、その家の祖霊神であったりする。稲作の実りをもたらす神は弥生の文化の中で付加されたものだろう。門松に竹が加えられたのは鎌倉時代かららしい。かっては松ではなく、榊や栗、柳が用いられた。現在でも地方によっては栃、杉、楢、葛、椿、朴などを飾るところもあるようだ。しめ飾りはしめ縄などと同じく、神域と現世の境を表す、いわゆる結界にあたる。神社の鳥居がやはりそうした結界の意味があるのと同じだ。現代ではそうしたそれぞれの意味合いも自覚されないままに飾られているのがほとんどだろう。そしてこの風習の元になる「神」は天照大御神(あまてらすおおみかみ)や素戔男尊(すさのおのみこと)と言った古事記や日本書紀に神話として登場する神々ではないのだ。日本の神道では、仏教で人が亡くなると仏になるのと同じく、人が亡くなると神になる。そうして、日本の古代にはたくさんの神々がいた。しかし、よく言われる「八百万の神(やおよろずのかみ)」は古代の無くなった偉人たちを指すのではなく、むしろ、自然に宿る神々を指している。古来、民衆にとっての神々はそうした自然の中にいる神々であって、その考えが風習として現在まで伝わっているのだ。つまり、この神々はやはり縄文時代に遡る神々だ。日本の文化は自然との融合が特徴である。庭園や水墨画などは無論、和歌や俳句などに詠われている自然もたくさんある。その背景には縄文時代から培われた自然への敬いがある。東北や北海道のようにまだまだ自然が豊かな地域で住む人たちは、そうした自然に宿る神々の存在を忘れないでいる。伝えられて来た正月の風習も、従って、簡単には捨て去ることはない。都会や地方でも工業化、商業化の進んだ地域ではこうした風習が時とともに忘れられて行っている。都会では若者中心にクリスマスと初詣だけは娯楽の一種として盛んではあるが。1年に1度訪れる正月くらはこうした風習の由来を思い出し、日本の縄文時代から続く自然の神々を想起したいものだ。
まだ咲いていたホトトギス


堆積物が示す過去の地震

2012-12-22 19:37:47 | 自然
今日は比較的高い雲が空全体を覆い、愛染山も見えていたが、小雨も落ちて来た。そのため、寒さも若干和らいだ。昨夜、娘から電話があり、24日に釜石へ帰って来ると言う。今日は大阪で弟とともにゴスペルのコンサートに出るらしい。8曲の英語の歌詞を覚えるのに苦労しているようだ。弟も最近はソロで歌うことに慣れて来たようで、今日のコンサートでもソロをやる予定だそうだ。米国人のプロが指導しているので、毎日練習に力が入っているのだろう。 昨日のマヤの終末論というのは古代マヤ文明の暦が紀元前3114年に始まり、2012年12月21日に終わっていることから来たものだが、実際のマヤ族の長老は「西洋のマスコミが作った話」だと憤慨していると言う。マヤ族もわれわれ日本人と同じモンゴロイドだ。昨年の震災や近年の太陽の磁場エネルギーの変化や、天候の異変など、自然の変化がここのところ目立つが、日本人にとって今のところ最も心配な地震について、昨日、政府の地震調査委員会が全国地震動予測地図を発表した。今年1月から30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率の分布が示されている。それを見ると、関東、中部・東海及び中央地溝帯、大阪から紀伊半島、四国全体が赤く色付けられていて、確率が高くなっている。プレートの歪みが解消されていないと見られる茨城、房総沖は、最大でM8とされるため、関東の沿岸部を中心に確率が大幅に上昇しており、水戸市で62.3%、千葉市で75.7%となっている。東南海、南海地震などM8級地震が繰り返し起きている南海トラフ沿いはさらに高く、静岡市で89.7%、津市で87.4%などとなっている。今日の時事通信は地震地質学専門の高知大学の岡村真特任教授の研究結果を報じている。それによれば、大規模な津波を伴う東海・東南海・南海地震が3連動した南海トラフ付近の巨大地震が過去6000年の間に300年~500年に1回の頻度で15回以上起きていると推定されている。同教授は今年7月から、高知、徳島、三重県の沿岸部にある池で、池底から深さ約6mまで掘削して約6000年前から堆積する津波堆積物を調査し、高知県土佐市にある池から、巨大津波によって海から運ばれた砂の層が少なくとも15層見つかった。過去60年の間でもM9以上の地震は太平洋周辺だけに5回起きた。1952年にM9.0のカムチャツカ地震が起きて、15~18m規模の津波が3回発生した。1960年には観測史上最大のM9.5のチリ地震が起きた。幅が400Km、長さが1200Kmにもなる範囲で巨大な断層の動きがあった。日本列島がすっぽりと入る長さだ。この時の津波で三陸沿岸も大きな被害を受けた。それから4年後にはM9.3のアラスカ地震が起きている。2004年にはM9.1のスマトラ島沖地震が起きた。岡村教授は昨年の地震や津波は想定外ではなく、869年の貞観地震は今回と同規模の地震であったことは分かっていたことであり、それをただ無視していただけのことだと述べている。南海トラフ沿いの巨大地震でも1498年の明応地震では津波により淡水湖であった浜名湖が以後塩水湖となってしまった。1605年の慶長南海地震では室戸市の4つのお寺が10m以上の高さの津波を受けている。1707年の宝永地震は東海・東南海・南海の三つが同時に動いて300年間では最大の地震・津波が起きた。しかし、2000年前にはそれを4倍上回る地震・津波が起きていることも地層調査で明らかになっている。実家のある愛媛県には伊方原発があるが、その近くを世界最大級の活断層である中央構造線断層帯がある。関東から九州まで全長1000Km以上にもなる断層だ。その断層が過去に8m横ずれして動いた事実も分かっている。
南天の赤い実は小鳥たちの冬場の食料にもなる