釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

若干30歳が遂げた「革命的」研究

2014-01-31 19:16:10 | 自然
今朝は一時的に雪がちらついていた。おかげで気温はさほど下がっておらず、庭の水道もすぐに出てくれた。出勤時も少し降っていたが、その後降り止んでくれた。しかし、昼前から今度は本格的に降り始めて来た。昨夜は強い風が吹いて山鳴りも聞こえて来たほどだった。日中もその風が少し残っていて、時々強く吹くこともあった。昼休みに甲子川へ行ってみると、6羽の白鳥親子の姿は降る雪で姿が見えなくなっていた。後から来た3羽の白鳥だけが雪の降る中で川底の餌をせっせと採っていた。長い首を水に浸けて、頭を潜らせていた。 人の身体は60兆個もの細胞から構成されている。最初はたった1個の受精卵であった。卵管の中で受精が行なわれた後、受精卵は7日で子宮に至る。その時の細胞は100個に増えている。この状態の細胞はまだ将来人の身体の何になるのか定まっていない。この100個の細胞を取り出して、特殊な方法で培養すると将来人の身体の何にでもなれて、細胞分裂により増殖も出来る細胞が得られる。これがES細胞と呼ばれる細胞だ。2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授は4つの遺伝子を使うことで、身体の組織になってしまっている細胞をES細胞と同じく将来身体の何にでもなれる細胞に逆戻りさせることに成功させたことでノーベル賞を受賞した。こうして作られた細胞はiPS細胞と呼ばれている。細胞の名前の最初の「i」はアップル社の製品に付けられたiPhoneやiMac、iBookなどと同じように愛称となるよにと言う思いから付けられたと言う。将来人間の身体の何にでもなれる可能性を持った細胞を創り出すことは再生医療の夢であった。それが実現したから中山教授はノーベル賞を受賞したのだ。しかし、この何にでもなれる細胞をいとも簡単に作ってしまった人が現れた。マウスの細胞を30分間弱酸性の液に浸すだけでこの細胞が出来てしまったのだ。神戸市にある理化学研究所の若干30歳で5人の女性ばかりのスタッフのいる研究ユニットリーダーとなった小保方晴子(おぼかた はるこ)博士だ。しかもまだ博士号を取って2年しか経っていない。世界中の研究者たちを驚かせた研究だ。英国BBC放送は「革命的」という言葉を使っている。この細胞はSTAP細胞と名付けられた。早稲田大学理工学部応用化学科を卒業後同大大学院へ進み、東京女子医科大学先端生命医科学研究所研修生ともなって、研究を進め、2008年から2年間ハーバード大学医学部に留学し、STAP細胞の着想を得たが、各学術誌に投稿した博士の論文はことごとく不採用となった。あまりに研究者たちの常識に反する、単純過ぎる内容に、論文選考者の研究者からほぼ門前払いされてしまったのだ。英国科学誌ネイチャーに最初に投稿した時は「何百年の細胞生物学の歴史を愚弄(ぐろう)している」とまで言われて拒否されている。5年間に渡ってそうした状態が続いたのだと言う。研究者としての最低限の資格である博士号も取得して2年しか経っていないことも理由の一つであったかも知れない。ようやく実証が認められたのだ。認められないために毎晩のように泣いて過ごしたこともあると言う。そんな時に励ましてくれた祖母の「研究者の仕事は世の人のため。一生懸命に頑張っていれば、いつかきっと誰かが評価してくれる。とにかく一日一日、頑張りなさい」と言う言葉をかみしめて研究を続けたようだ。そして、祖母からもらった割烹着を研究室で白衣代わりに使い、いつも祖母がそばで励ましてくれているような気持ちで研究していると言う。中山教授のiPS細胞は4つの遺伝子を導入するため遺伝子が傷付いて癌化する可能性があることと成功率が0.1%に留まると言う問題があった。しかし、博士の方法は「オレンジジュースと同程度の強さの酸性で体温に近い37度の溶液が入った試験管に、マウスのリンパ球などの体細胞を入れ、30分間にわたり刺激」するだけである。「動物の細胞は外からの刺激だけで万能細胞にならない」という専門研究者たちの「常識」に囚われなかった画期的な研究である。成功率も30分間刺激した細胞のうち25%が生き残り、その30%が身体の何にでもなり得る、いわゆる万能細胞になっている。iPS細胞は遺伝子を使って人工的に逆戻りした細胞を創り出したのだが、STAP細胞は細胞自身が逆戻りすると言う生命科学の基本を覆す結果をもたらした。さらに細部ではiPS細胞では不可能であった胎盤まで作ることが出来、すでにSTAP細胞だけで構成されたマウスも作られている。培養法の改良によりES細胞と同等の増殖能力を持つと言う。今後は人の細胞での研究を進め、「酸性の刺激で細胞の状態が制御できるようになれば、老化やがん、免疫など幅広い研究に役立つかもしれない」と期待を抱いているようだ。この博士の成功はまさに人の身体の専門分野へ他分野の人が参加することで、柔軟な発想で研究を進めたことから得られている。しかも、研究上の真理はシンプルだということの典型でもある。小中学生の実験学習でも可能なほど容易な方法なのだ。すでに昨年4月には国際特許も出願している。
3羽の白鳥が餌を食べていた雪の降る甲子川

上流にいるはずの白鳥親子の姿は確認出来なかった

NHKの国営放送化が濃厚になる可能性

2014-01-30 19:13:11 | 社会
今朝も放射冷却で-4度まで下がったが、昼には珍しく15度まで上がった。ここまで上がってくれるともう春の陽気とさえ言える。今日も昼休みに甲子川へ行った。こちらより少し下流でも若い方が白鳥たちに餌をやっていた。ウミネコたちの獰猛さが一層増して来て、投げ与えた餌を口にした白鳥めがけて凄まじい攻撃を加えるようになった。そのため白鳥たちもこちらにより付かなくなって来ている。白鳥たちへの餌のやり手が今日のように二手に分かれている方がいいのかも知れない。与えた餌の半分はウミネコたちがさらって行く。投げた餌が水面に到達する前に見事に空中でキャッチしてしまう。 2月8日NHKは昨年9月28日に放送したETV特集『海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~』を再放送する。1954年3月1日に米国が太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験により、日本のマグロはえ縄漁船、第五福竜丸が被爆した。米国はこの時、放射性物質は海水で薄められるため海洋汚染の心配はないと報じた。実際には日本の各漁港で水揚げされたマグロは放射性物質で汚染されていた。このため水産庁の呼びかけで、関連する分野の気鋭の研究者たちが集まり、若い科学者22人を選出し、調査船俊鶻丸に乗りビキニの実験場を2ヶ月に渡り調査した。測定器具などが乏しい中で、器具そのものを自分たちで作製しなければならなかった。そして、放射性物質が米国の主張するように海水では容易に薄まらず、食物連鎖によりマグロの体内で濃縮されている事実を突き止めた。しかし、米国からの圧力により、以後の継続調査は打ち切られてしまった。この時中心的な役割を果たしていた研究者の一人、気象研究所の三宅泰雄氏はその後国内に次々に原発が設置されて行くのを見て、「大きな原発事故にも対応できる環境放射能の横断的な研究体制」を作るべきだと主張したが、無視された。NHKの放送は「ビキニ事件当時、日本の科学者たちが行った調査から、今私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。」と問いかけている。にもかかわらず、NHKは与党の圧力で会長を強引に更迭し、新たに迎えた籾井勝人会長は商社出身の国際感覚を身に付けた人という触れ込みを裏切り、「従軍慰安婦は『どこの国にも』」、『解決済みを蒸し返し』と韓国を批判し、秘密保護法は『通ったこと』と発言するなど暴言とも思える発言を繰り返した。さらに、新会長を迎えたNHKは早速、番組で「経済学の視点からリスクをゼロにできるのは原発を止めること」とコメントしようとした中北徹東洋大学教授に対して「東京都知事選の最中は、原発問題はやめてほしい」と求めたと今日の東京新聞が報じている。同教授は「特定の立場に立っていない内容だ。NHKの対応が誠実でなく、問題意識が感じられない」として、約二十年間出演してきた「ビジネス展望」を自ら降りることに決めた。23、24日に毎日新聞が実施した東京都知事選の電話による世論調査では、「脱原発など国政に関わる問題が争点になることをどう思うか」との問いに「納得できる」「どちらかといえば納得できる」が合わせて61.3%を占め、都民が選挙での争点として関心が強いことを明らかにしている。東京は日本の首都であり、福島第一原発の電力は東京も消費していた。28日に始まった衆議院本会議の安倍晋三首相の施政方針演説に対する各党代表質問で、首相は「そう簡単に『原発はやめる』と言うわけにはいかない」と答えている。同じ28日に日本外国特派員協会で元首相の細川護煕氏の講演で、同氏は「東京の水を供給する拠点の一つである金町の浄水場あたりも、セシウムがいまだに残っていて、その汚泥を取り除く必要が早急に迫られている。さまざまなそうした問題があります。」と述べ、東京都の放射性物質による汚染が放置されていることを訴えている。同氏の選挙演説では必ず小泉純一郎元首相が付き添い、その度に小泉氏も原発を止める必要性を訴えている。昨年東京電力が発表した報告では昨年5月20日採取の福島第一原発港内の海水からはセシウムの10倍にもなるストロンチウムが検出されている。東京大学大学院医学系研究科准教授である中川恵一氏は放射性セシウムはカリウムに近いアルカリ金属であり、全身の細胞へほぼ均等に分布し、尿に排泄されていく、と述べ、放射性物質の安全性を強調することに一役買っている。器材を自分たちの手で作製し、放射性物質の危険性を明らかにした俊鶻丸の若き研究者たちと比べると研究者としての堕落ぶりが目に余る。政府も東京電力もまだまだ未処理のままの放射性物質による汚染に目をつぶり、いわゆる「御用学者」と呼ばれ学者たちを動員し、原発の再稼働を目指している。「政府が右だと言ってるのに左とは言えない」と語ったNHK新会長の就任により、NHKも今後は原発推進番組を編成して行くだろう。少なくとも原発を疑問視する番組は消えて行くに違いない。
餌をくわえた白鳥(赤印)から餌を奪おうとして群がるウミネコたち 勢いに怯えた他の白鳥も逃げて行く


ドイツと日本

2014-01-29 19:23:25 | 社会
今朝は-2度ほどだった。少し朝は雪がちらついていた。内陸の北上市と秋田を結ぶ線路が積雪で大変だったようだ。一晩で2m近い雪が降っている。内陸の雪は北海道などの雪と違って湿った重い雪だそうだ。北海道では車で走ると、後ろで雪が舞い上がって、後続車の視界が妨げられるほどだった。スキーをしてもパウダースノーでとても滑りが気持ちよかった。それだけ気温が低いと言うことなのだろう。雪かきをした時に、投げた雪が周りに飛び散ってしまったこともあった。釜石では雪かきそのものをしなくて済む。それを考えただけでも、冬の東北にあって、とてもありがたいことだと思う。 日本とドイツは第二次大戦中に軍事同盟を結び、ともに敗戦国となった。そして、戦後の国の復興・発展も同様に見事に成し遂げた。ドイツも国土は決して広くはなく、資源も日本同様に少ないため、同じく貿易により経済発展を遂げて来た。経済面だけを見るとよく似たところがあるし、勤勉な国民性も似ている。しかし、ドイツと日本の大きな違いを見ると、地理的なところから来ている部分も大きい。ドイツは10もの国と国境を接する国であり、陸続きで隣国と接している。一方の日本は四方を海に囲まれた島で構成されている。この違いは貿易一つとっても大きく異なって来る。戦後、日本もドイツも米国の助けで立ち直り始めたが、ドイツは米国に頼り切ることなく、欧州の一員として、近隣諸国との貿易も積極的に行なって行った。そのためには、相手国からの絶対的な信頼を得なければならなかった。信頼の第一は第二次大戦時の侵略国としての反省を近隣諸国に明確に示す必要があった。ドイツは現在までナチス戦犯を許さず、追及の手を緩めていない。首相や大統領はイスラエルを訪れる度にエルサレムのホロコースト犠牲者の慰霊施設を訪れて、謝罪の意を表明し続けている。フランスも1995年に大統領が、フランス人がユダヤ人迫害に加担したことへの謝罪を述べている。米国も戦争中に日系市民を収容所に拘留したことについて謝罪した。しかし、一人日本のみが現在、A 級戦犯を祀る靖国神社を一国の首相として参拝している。さらには防衛費という軍事費を増額もしている。ドイツの政財界の著名人が購読している保守系の高級紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングFrankfurter Allgemeine Zeitung (F.A.Z.)は昨年12月3日の社説ですでに「現在の日本政府が歴史的な責任を重視せず、過去との対決を疎かにしている」と批判している。2009年以来、欧州経済が落ち込んでしまったためにドイツは中国との貿易を強化して行った。ドイツにはブランド的な高級車メーカーやフォルクスワーゲンのような大衆車メーカーまで日本と同様にあるが、いずれのメーカーも積極的に中国に進出し、フォルクスワーゲンなどは、今や、ドイツ国内の生産台数よりも中国の工場での生産台数の方が多くなってしまった。ドイツのメルケル首相は中国との良好な関係を維持する姿勢をシュレーダー前首相同様に継続している。メルケル首相は旧東ドイツ出身の物理学者であり、福島第一原発事故以前までは原発を推進して来た。しかし、この事故以来180度方針を変え、原発を2022年までに廃止することになった。それに代わって自然エネルギーによる発電に力を入れるようになり、この意味でも中国で生産される安い太陽光パネルの導入に積極的であり、シュレーダー氏以上に中国に接近している。米国にしてもドイツにしても、今や中国抜きの経済は考えられないことを熟知している。一人日本のみが中国とあえて対立しようとしている。日本は江戸時代の鎖国により、世界の情勢から隔離されてしまった。明治維新はそれを挽回するために積極的に目を海外に向け、多くの人材を海外に留学させ、また外国人を多く招き入れた。こうして西洋に並ぶ近代国家を造り上げたが、その後は慢心し、再び自ら国外に向けた目を閉ざして、実質的な井の中の蛙になってしまった。太平洋戦争の敗北はそれを挽回するよき機会であったが、ひたすら米国にのみ追従し、それにより経済大国にはなったが、再び慢心をもたげて来ている。周囲や世界情勢を見ようとしない。米国の顔色だけを見ていれば済む時代はもう終わっている。ドイツ紙が言うように、日本は過去と向き合うことを避けている。それが慢心をもたらすことにも繋がっている。資源のない日本は経済を維持するために、国内需要を大きくし、同時に海外の需要をも取り込んで行かなければならない。そのための環境を整えるのが政治家であり、官僚のはずだ。しかし、今の日本では政治家も官僚も慢心し切っており、孤立への道を歩み始めている。ドイツは二度といつか来た道へは戻らない、と決意して歩んでいるが、日本は、今、いつか見た覚えのある道にさしかかっている。
青空が背景の山茶花はとても綺麗だ。椿より素朴で目立たないが。


隣国、韓国

2014-01-28 19:18:21 | 社会
今朝も-3度まで下がって、霜柱や氷があった。日中は雲が多く、10度近くまで上がったが、風もいつもより少し強く、暖かくは感じなかった。今日も昼休みには甲子川で白鳥たちに餌をやった。4羽いる子白鳥も毎日のように見ていると、個性の違いが少しだけ見えて来た。とても気の強い子白鳥がいて、後からやって来た3羽の成鳥の白鳥が近づいて来ると、噛み付いて追い立てたりする。職場の裏山には、こちらも連日のようにゴイサギが休みに来ている。今日も2羽の姿を見たが、そのうち1羽はいなくなった。今日はシジュウカラやヤマガラもやって来て、さえずっていた。 隣国の大韓民国、通称韓国で今、極めて毒性の強い高病原性鳥インフルエンザが広まっている。韓国政府は昨日午前6時から午後6時まで、京畿道、忠清南道、忠清北道、大田広域市、世宗市を対象に期間限定の「移動中止命令」を発令した。韓国は朝鮮半島の南半分を占め、西は黄海、東は日本海に面する。日本の県に相当する「道」で半島部は8つに分けられている。南端の全羅南道、内陸の忠清北道を除いて、西の黄海に面する3つの「道」と東の日本海に面する3つの「道」がある。そのうちの南端の全羅南道と黄海に面する3つの「道」、合わせて4つの「道」で鳥インフルエンザの感染が確認されている。韓国政府は感染の疑いについて届け出のあった農場を基準に、半径3キロ以内にある42カ所の農場で飼われているニワトリやカモ174万9000羽を殺処分することを決めた。26日までに殺処分されたニワトリとカモは48万8000羽に上る。韓国全土ではニワトリは1億5000万羽、カモは1100万羽が飼育されている。日本の農林水産省は韓国を経由して日本に飛来する渡り鳥がいることから、また、過去に韓国で鳥インフルエンザが流行した後に日本でも発生したこともあるため警戒を強めている。韓国のH5N8型ウイルスは2000年代に世界的流行が始まったH5N1型や中国で人への感染が報告されているH7N9型とも異なっており、鳥インフルエンザは一般的には人へ感染することはないが、稀には感染することもある。隣国韓国と日本の間には今対立が生まれている。特に昨年末の安倍首相の靖国神社参拝は一気にその度を強めた。先頃、米国バージニア州上院では在米韓国人によるロビー活動が功を奏して、州内の公立学校の教科書に韓国政府が主張する「東海」を「日本海」と併記する法案が可決された。こうした動きは現在他の州でも広がっている。カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のグレンデール市の市立公園内には、昨年7月、従軍慰安婦を象徴する少女像が設置され、韓国系アメリカ人団体はそれを州全体に広めようとしている。これに対し、日系アメリカ人団体は撤去を求める署名を10万人分を超えて集めた。政府間の対立が国民の間でも生まれて来ている。特に、国民性の違いもあって韓国は日本より自己の意見をはっきり主張する。中国の場合もほぼ同様の傾向がある。しかし、過去の歴史を見ると、為政者は国民の目を外交問題に向けさせ、対立をあえてすることで、内政から国民の目を逸らせて来た。日本はアジアの一員であり、その一員として特に近隣のアジア諸国とは友好関係を保ち、互いに協力し合って発展しなければならないはずだ。経済一つとっても中国市場は無視出来ない。政治的対立を生んで国益になることはない。朝鮮半島南部からは弥生時代の日本土器が発掘されており、特に勒島遺跡からは弥生系土器が長期間にわたって出土している。その時期からすでに日本と朝鮮半島は交流が行なわれていた。日本ではその証しとして、長崎県の壱岐島に原の辻(はるのつじ)遺跡が見出されている。交易によってもたらされた様々な地域の土器や中国の貨幣なども発掘されている。日本最古の船着き場の跡も見出されている。4~5世紀にあった任那や5世紀の「倭王武」は「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」の称号を中国宋の順帝から与えられている。5世紀初頭前後の史実が記された好太王碑(広開土王碑)でも倭国と半島との関係が記されている。これら8世紀より前の史実はすべて倭国、九州王朝の史実だが、日本書紀は九州王朝の史書からそれらの史実を盗用し、近畿天皇家は九州王朝の史書を処分した。いずれにせよ、弥生時代に始まった半島との交流は武力による支配の歴史も含まれているが、現代は軍事力がその歴史の時代とは格段に異なっている。現代で武力による本格的な衝突などを行なえば、短期間で国は両国とも壊滅的な打撃を受けてしまうだろう。日本が従属する米国すらそれは望んでいない。日本では非正規雇用がますます拡大しており、円安による輸入物価の上昇で実質賃金の低下も先頃報じられている。国民の間で今後生まれて来る可能性のある不満が為政者の不用意な対立に乗らなければよいのだが。
まぶたが閉じているゴイサギ


釜石の白鳥

2014-01-27 19:12:13 | 自然
今朝は放射冷却で-3度になっていた。愛染山山頂が斜めに朝日に照らし出されてとてもきれいに見えた。朝は愛染山を見るのがもう日課のようになっている。昨夜わずかに降った雪が庭に残っていた。日中にはみんな融けてしまうだろう。庭を歩いていて、ふと見るとロウバイが開き始めていた。素心ロウバイだ。満月ロウバイの方はまだ蕾が膨らんで来ている状態だ。職場の隣の醤油工場にあった立派なロウバイの木が切り倒されてしまったので、この時期の花として、一昨年に買っておいた。葉のない枝に黄色い蕾が出て来ている。今週中にはかなり開いてくれるだろう。全国には何か所かロウバイの名所もある。釜石は植物の生育にとてもいい環境なのに、市はほとんど花に関心がない。とてももったいない話だ。釜石のようなところは花の名所に簡単になれてしまうのだが。 今日も昼休みに甲子川へ出かけた。今朝通勤時には1羽も姿がなかった。心配して行ってみたが、最初に6羽の親子が目に入った。よく見ると後からやって来た白鳥たちも3羽揃っていた。スーパーであらかじめ買っておいたパンを持って河川敷に下りて行くと、こちらの姿をめざとく見つけた親子の白鳥たちがこちらの向かう方向へ移動して来た。川淵に立ってパンをやり始めると、ウミネコやカラスたちもたくさん集まって来た。後の3羽も遠巻きながら近づいては来ている。目の前の白鳥たちに向けてパンを投げると、近くにいたカラスやウミネコたちがさっと飛び立ち、まだ飛んでいるパンを奪い取ろうとする。その勢いに負けて身を引く白鳥もいる。何度かはカラスやウミネコに奪われてしまう。遠巻きにいる3羽の白鳥にも投げてやるが、途中でカラスやウミネコに奪われる確率が高い。時には、6羽の親子たちがそれらの白鳥たちを追い払おうと噛み付いて行くこともある。しばらく後に、もう一人餌をやる人がやって来て、その方は遠巻きの3羽に餌を投げていた。投げ終わるとこちらに近づいて来て、話しかけて来られた。この方を含めて他にも時々白鳥たちに餌を与える人がいる。内陸の池や川にはもっとたくさんの白鳥や雁がやって来る。遠野は主に北上川の大きな支流になる猿ヶ石川に白鳥たちが毎年飛来する。しかし、釜石は白鳥が飛来しない年もある。今年のように9羽もの白鳥を甲子川で見るのは珍しい。飛来しても数日でまたどこかへ飛んで行ってしまうこともある。釜石は遠野を含めて内陸のように田畑があまりなく、白鳥たちの餌場に恵まれない。そのために飛来する白鳥が少ないし、飛来して来てもまたすぐにいなくなってしまう。それが分かるので、餌付けが必ずしもよくはないと知りつつ、やはり、この冬場は甲子川にいてもらいたいので、つい、餌をやってしまう。話かけて来られた方によれば、手の上に餌をのせて差し出すと、ちゃんと手を咬まないで餌を食べてくれとのことだった。北海道では冬の氷の張った濤沸湖で、一部氷のないところにたくさんの白鳥がやって来て、よく餌をやったものだ。その時はカラスやウミネコではなく、他のカモ類が一緒に集まって来ていた。何年か前には北上市の大堤公園へも出かけたことがある。岩手県では最も多く白鳥が飛来する。毎年1000羽を超える。白鳥も古代からに本へやって来ていた。各地にたくさんの白鳥伝説が残る。奥州安倍氏の守り神でもある。甲子川は東北の多くの川と同じく綺麗な川で、様々の淡水魚がいるだけでなく、「青い宝石」と言われるカワセミもたくさん見られる。水鳥たちにもいい餌場を提供している。ただ、白鳥や雁などの大き目の水鳥たちには穀類の餌も必要のようで、そのためか田畑の限られる釜石には飛来が少ない。もっと多くの白鳥や雁がやって来てくれると冬の楽しみが増えるのだが。特に、釜石では雁の姿を見ることは稀だ。雁は白鳥以上に群れをなすため、その群れに必要なだけの餌が確保出来ない場所にはやって来ない。雁も餌場を田畑に求める。釜石の市街地が広がる甲子川沿いは南北の山に挟まれ、土地が狭く、多くが工場や民家に利用され、周辺の田畑はごく少ない。群れをなした雁はとても望める環境にはない。昨年初めてはぐれた1羽のマガンを偶然甲子川の土手で見つけただけだ。雁が望めそうにないので、せめて数羽の白鳥だけでも毎年飛来してくれると嬉しい。そのためには、飛来すれば餌が確保出来る状態にしてやらなければならない。もう少し市民が白鳥に関心を持って、餌のことを考えてくれるとありがたいのだが。
食後の羽毛繕い

豊かな自然から孤立する暮らし

2014-01-26 19:15:16 | 文化
今日は気温の変化がいつもと違っていた。朝10度もあっただけでなく、時間とともに気温が下がって行き、昼は8度になり、夕方は0度まで下がり、雪も舞った。午前中は日が射し、青空も見えていたが、風が少し冷たく感じられた。気温が上がったせいで、庭の土も融けた雪が乾燥しないまま湿った土になっていた。椿の蕾も少し大きくなって来ていた。この時期はまだ花と言えば山茶花くらいしか目に入らない。もう少し経てば、福寿草が開き始めて来るだろう。近所の少し離れた家の庭に福寿草がたくさん咲くところがある。毎年、そこの福寿草が開くのを楽しみにしている。 東北は夏は関東以南ほど暑くはなく、冬は北海道ほど寒くはない。その1年を通した気候が植物の生育にとても適しているのだろう。そのため植物の種類が豊富で、開花期間も長い。植物が豊かなためにそれを栄養源とする鳥獣も数と種類が多くなる。つまりは自然がとても豊かなのだ。四国で育ち、大阪や東京、愛知県、北海道などで住んで来て、岩手県に来てみるとそのことを強く感じた。北海道も広大な自然が広がっているが、気候のせいで植生は東北ほど豊かではない。海の幸の種類も限られて来る。寒流と暖流が流れる三陸は魚種も豊富だ。北海道と同じように鮭や毛ガニ、ホタテは獲れる。しかし、この豊かな自然の東北は、中でも岩手はツキノワグマが国内でも密度が高く分布する地域でもある。津軽海峡で隔てられた北海道にはヒグマが分布する。本州と北海道ではクマの種類が異なる。太古に海峡で分断されたのだろう。「和田家文書」では最初に津軽にやって来たのは阿蘇部族であり、彼らは山裾に住む狩猟民であった。後にやって来た津保化族は平地に住んだ。双方の間で戦いが起きたが、武器や馬術に秀でた津保化族が勝利する。その後に安日彦、長髄彦兄弟により荒覇吐王国として統一される。こうした東北の歴史の中で、狩猟民としての阿蘇部族の文化が後のマタギへと伝わって行ったのではないか、と考えている。マタギは平安時代にすでにいたとされるが、それよりさらにずっと古い時代から東北にはいたはずだ。マタギは山に入ると独特の言葉を話し、彼らだけの信仰を持っていたとされる。マタギと言う言葉もアイヌ語由来とされる説があるが、これもおそらく阿蘇部族に由来する言葉ではないかと思われる。アイヌの人々は阿蘇部族と津保化族の融合した人々の流れではないかと思っている。東北のマタギには中でも阿蘇部族の伝統が残っているのではないかと思う。アイヌの人々はクマを神とするが、マタギは山を神とする。鉄砲が進化するに従い、現代ではマタギの伝統が失われつつある。マタギは冬以外は農耕に従事し、冬になると集団で山にこもり、クマや鹿を狩りした。青森県や秋田県のマタギが有名だが、岩手県にもマタギの伝統があった。現在は和賀郡西和賀町沢内にマタギの資料館として残されている。昨年1年間に10件以上のクマによる人的被害が岩手県でも起きている。被害の場所も沿岸部、内陸部を問わず起きている。山間での山菜採りが多いが、民家付近でも起きている。巨匠のお一人の話では繁殖し過ぎた鹿の駆除に対策が集中されたためにクマが増え、餌を求めて民家にまでやって来るようになったのではないか、と言われる。人が動物たちの天敵であった狼を絶滅させてしまったために山の動物たちの循環を断ち切ってしまった。鹿やクマなどの比較的大きい動物たちが増えている。増えれば餌が足りなくなり、山から里へ下りて来る。現代はマタギではなく各地の猟銃会がそれらの捕獲にあたる。動物たちもそれを知っていて、たくみに逃れる。研究者の一部には山に狼を放つことも案として出ているが、さすがに容易には受け入れられていないようだ。北海道や東北では毎年のようにクマによる犠牲者が出ている。知恵があるのは人間の方であるから、やはり人間がその被害を最少にすべく努めるしかない。各自治体が山菜採りの時期には警告を発しているが、それでも被害は出てしまう。本来、クマたちの領域であるところへ人が入り込んでいるのだから、必要以上に警戒して入らねばならないはずなのだが。最近では猿も増えて来ているようで、活動域が広がって来ているようだ。自然から離れた現代人は自然とともに生活した古代の人々とは異なり、次第に山と言う大自然の中での処し方を失ってしまっている。都合良く山菜採りの時期だけ山に入って安全でいられる保証はない。周囲に豊かな自然が広がる地域こそ自然との共生の方法を身につけなければならないだろう。しかし、現実は便利な現代文明の中に浸って、そのことを忘れ去ってしまっている。
甲子川で飛ぶウミネコの幼鳥

人の手を入れた食物

2014-01-25 19:22:17 | 文化
驚いたことに、今朝の気温は7度だった。雪ではなく、小雨が降っていた。庭の水道もそのまま素直に出てくれた。ほぼ日中もその近辺の温度が維持され、冬としては暖かいと言える一日だった。先日の夜に降って、庭に残っていた雪もみんな融けてしまった。水溜まりに張っていた氷もだ。久しぶりに訪れて来たイソヒヨドリも気のせいか動きが活発に見えた。日中、少しの買い出しに出かけた時も、周辺の山々の雪が消えていた。明日の日中まではこの気温が続いてくれるようだが、明日の夜からは再び冬の寒さに戻るようだ。 釜石へ来て間もなく、職場の方たちと匠の方のお宅にある「小屋」で楽しい集いがあった。そこでは釜石の山海の幸がたっぷりと用意されていた。このことがきっかけで、釜石の自然の豊かさを知った。ウニや秋刀魚の味がこれまでとはまったく違っていたこともその後経験させられた。山菜の美味さも初めて釜石で知った。しかし、この山海の幸の美味しさもやはり調理法と新鮮さにかかっている。地元だからこそ味わえる美味しさだ。そして、その美味さはまさに調理法にかかっている。最近、スーパーに行くと、揚げられたタラの芽が売られている。タラの芽は東京の高級料亭でも出される珍味だ。適切に揚げられたタラの芽はとても美味しい。北海道で食べて以来好物の一つになった。その好物の誘惑に負けて、スーパーの揚げられたタラの芽を買って食べてみた。しかし、覚えていたタラの芽の味ではない。とてもタラの芽の本来の美味さとは言えない代物だった。揚げた油が酷いのだ。この話をある方にしたところ、スーパーの油は何度も使われて、油が酸化してしまっている酷い油なのだと言う。少しでも安く売るために油を取り替えないで、古い油をそのまま使い続けているのだ。その油のせいで、タラの芽の本来の味が死んでしまっているのだ。スーパーには揚げていないタラの芽そのものも売っている。それを自分で料理すればもう少し増しなタラの芽の味を味わうことが出来る。この油の話をしてくれた方からは調理用の油についても教えていただいた。そして、普段よく飲むコーヒーに入れている砂糖についてもアドバイスをいただいた。何も考えずに使って来た砂糖だが、必要以上に血糖を高めている。砂糖に代わるものとして黒砂糖やアガベシロップ、希少糖などがあることも教えていただいた。福島大原発事故以来、山海の幸は確実に放射性物質に汚染されてしまった。事故が起きた年には検出されなかったキノコから昨年福島県の会津で放射性物質が検出されている。濃縮が進んで来たのだ。生きるためにはそれを許容するしかない。起きてしまった現実は受け入れるしかない。二度と起きないようにすることとは別の問題だ。海の魚介類も山の山菜もなにがしかの放射性物質を吸収している。大人はそれを食べるしかないだろう。自然が豊かな釜石で自然が与えてくれるその美味さを美味さとして味わうだけでなく、その自然の豊かさは人が動物であり、動物としての食物を食べることの大切さも同時に教えてくれる。現代はあまりにも食物が変化してしまった。それもあまり時間をかける余裕もなく、急速に変化してしまった。遺伝子操作作物はむろんだが、自然から離れた、人の手の入り過ぎた食物が日常的に口に入るようになってしまった。かなりの食品に保存料や添加物が加えられている。見た目はよくなっているが、そのための犠牲を考えると、それはもう一度動物としての人間の食物として考え直す必要があるように思う。様々のアレルギー疾患の出現は明らかにこうした人の手の加えられた食品にも起因する可能性がある。動物である人の身体はせいぜい煮炊きする程度のものしか、本来は受け入れないはずだ。長い時間をかけてそうした生活を営んで来たのだ。それをわずか100年にも満たない年数で大きく変えてしまった。身体がその変化に対応出来るはずがない。人は短期間に身体の中へ入れるものも、身体の外の環境も大きく変えてしまった。その結果は必ず、自分の身体へ跳ね返って来るだろう。スローフードやスローライフは、要するに人間らしい本来の姿を取り戻そうと言うことだろう。中でも食物は直接身体に日々影響を与えているのだ。低線量の放射性物質よる内部被曝が軽視されているように、食品の添加物もあまりに軽視され過ぎているように思う。本来自然界の素材にはなかったものが体内に入っているのだ。
先日の夜に降った雪が残る職場の裏山にいたゴイサギ



「せんきょCAMP」

2014-01-24 19:15:35 | 社会
今朝は-6度まで下がった。家の外に出ると足先が痛くなった。放射冷却だ。空は晴れ上がって、愛染山の山頂に日が射して来て、白く輝き始めた山頂がとても綺麗だった。日中は7度まで上がり、昼休みに甲子川へ出てもいつもほど寒くはなかった。どうも後から飛来した白鳥のうち1羽はどこかへ飛んで行ってしまったのか、姿がなかった。人が既に餌をやっていて、その下流で、餌にありつけないでいる後から飛来して来た白鳥に餌をやり始めた。少し上流で餌をもらい終わった6羽の白鳥親子もまもなく集まって来た。カモやウミネコ、カラスたちもたくさんやって来た。 2012年12月16日の衆議院議員総選挙から有志によって「せんきょCAMP」が立ち上げられた。2013年7月21日の参議院議員通常選挙でも全国的な広がりを見せた。むろん、まだ主要都市でしか行なわれていないが。特定政党への応援ではなく、投票率を上げ、政治への関心を高める目的で立ち上げられた。特に、政治に関心のなかった若者たちが参加出来るように。候補者たちが自由にCAMPを訪れ、来ている人たちと一方通行ではなく、相互に話をする場として。つまり、参加型民主主義を実践しようとしている。非正規雇用の拡大、ブラック企業の放置、共働きせざるを得ないが保育所がない、塾に行かなければならない教育環境、すべて若い世代を直撃している。にもかかわらず、若い世代の投票率は極めて低い。若い世代の現在と未来の生活がかかっている政治に彼らの声が反映されなくなって久しい。それは政治家たちの責任でもあるが、一方で、政治に背を向けた若い世代の人たちの責任でもある。自ら動かなければ何も変わらないし、何も反映もされないだろう。2月9日投開票の東京都知事選が昨日告示された。立候補者16人中13人は60歳以上だ。東京新聞は主な4人の候補者について街頭での第一声の演説時間の中で語られた「原発」と「暮らし」の部分の政策時間を測っている。前日本弁護士連合会会長の宇都宮健児(67)氏はそれぞれ1分20秒と10分40秒、元航空幕僚長の田母神俊雄(65)氏は36秒と9分13秒、元厚生労働相の舛添要一(65)氏は0秒と5分7秒、そして元首相の細川護熙(76)氏は5分55秒と2分5秒となっており、「原発に依存しない社会をつくる」と言っていた舛添氏は原発にはまったく触れなかった。田母神氏は「原発を使わずに景気回復するのは難しい。安全を徹底的に管理し、使うしかない」と述べている。宇都宮氏は「東京は電力の最大消費地で、都と都民は福島の被害者を支援する大きな責任がある」と述べ、細川氏は「知事の最大任務は生命と財産を守ること。原発ゼロを明確に打ち出す。欧米先進国のように、自然エネルギーに変える方が生産的」と述べている。舛添氏は「最高水準の医療を受けられ、認知症も介護できる。東京を世界一の福祉都市にしたい」と訴えている。現在の東京都では特別養護老人ホームや保育園に入れない待機者が計6万人以上いると言う。直下型地震や福島第一原発事故の被害も無縁ではない。今回の東京都知事選に向けた「せんきょCAMP」の呼びかけ人に初めてなった歌手の加藤登紀子氏は前の選挙で「せんきょCAMP」を覗いてみて、「候補者の名前も、顔も、立場も一切分からないチンプンカンプンの人たちが、それでも渋谷の「せんきょCAMP」に遊びに来るようになり、少しずつ彼らのやり方での議論らしいものも始まった。あれは、本当にウキウキするような集まりだった」そうだ。そして、「二文字漢字語を、一文字に置き換えると気持ちにピッタリくる言葉になることが多い」として、「例えば「農業」を「農」に、「精神」を「心」に、「国家」を「国」に。そして「政治」を「政(まつりごと)」に置き換えてみよう。「政」を「祭り事」って書いてみると、なんか見えてくるよ。」と語る。そして、「お祭りの時って集落のほとんど全員が参加して、神輿を担ぐ人、指揮をする人、交通整理をする人、出店する人、綿あめを食べる子供達、お家で料理作る人、お酒を飲んで酔っ払う人、みんなそれぞれのやり方で楽しんでるじゃない?あれが本当の「政」のあるべき姿だと思う。」と述べている。民主主義は本来は直接民主主義にこそ意味がある。現在の代議制民主主義は選挙制度により歪められてしまう。民意からは離れてしまう。それが若い世代の無関心へも繋がっている。少しでも直接民主主義を取り戻す手段として「せんきょCAMP」のような試みは大切なものだろう。
水鳥たちが憩う甲子川

巨大噴火を無視する原発

2014-01-23 19:18:19 | 社会
昨夜降った雪で、今朝は2~3cm積もっていた。今朝の通勤路の7割ほどが滑りやすくなっていた。日中には路面はほとんど融けてしまった。出勤時にまた白鳥たちを見かけたので、昼休みに、釜石に来てからは初めて、白鳥たちの餌を準備して甲子川へ出かけた。6羽の親子は慣れてしまっているのか、すぐに近寄って来たが、後から飛来した白鳥たちはすぐには近づいて来なかった。ウミネコやカラスまでがたくさん集まって来た。特に、ウミネコはかなり強引に割り込んで来る。順番に白鳥たちに餌を投げてやってから、写真を撮らせてもらった。 「デーリー東北」という地方紙によれば、青森県六ヶ所村にある日本原燃の使用済み核燃料再処理工場の敷地には火山噴火に伴う火砕流が3万2千年前と1万5千年前の2回到達した可能性が高いという。原燃が原子力規制委員会に提出した資料で明らかになった。いずれも南西約60Kmの活火山「十和田」(青森、秋田両県にまたがる)の噴火による。十和田湖は20万年前に活動を開始し、大規模噴火によるカルデラ(陥没)に水が溜まって出来た。原燃は「敷地は火砕流の到達した末端部分。カルデラができるような大規模噴火が発生するとしても数万年先だ」と主張しているという。敷地に到達したのは3万2千年前の「大不動火砕流」と、1万5千年前の「八戸火砕流」だ。群馬大学の早川由紀夫教授(火山学)は「火砕流の挙動と十和田湖からの距離を考えると、到達していても不思議はない」と指摘した上で、「火砕流の直前に高く上がった噴煙から降り積もった軽石を見ている疑いがある」ので、規制委による再調査が必要ではないかという。毎日新聞が昨年12月に行なった、火山の巨大噴火による原発事故のリスクについての全国の火山学者へのアンケート調査では九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県)に対する懸念が最も高く、北海道電力泊原発(北海道)などが続いた。1991年の長崎県雲仙・普賢岳噴火での火砕流で43人が犠牲になっているが、火山学的には雲仙の火砕流は小規模で、巨大噴火による火砕流は桁外れだという。日本国内では巨大噴火は約6000~1万年に1回起きている。数十~百数十Km圏を火砕流で埋め尽くし、直径10Kmを超えるようなカルデラを形成し、火山灰が日本列島全体、あるいは地球規模で広がるという。約9万年前の阿蘇の巨大火砕流は九州の中北部を焼き尽くし、一部は海を越えて山口や愛媛にまで達している。2.6万~2.9万年前の鹿児島の姶良(あいら)の巨大火砕流では南九州が壊滅した。日本で最後に起きた巨大噴火は7300年前であり、これまでの周期から考えるといつ起きてもおかしくはない。規制委では火山の専門家が直接こうしたチェックをしていないのだと言う。地震学者が判断しているのだ。日本は火山列島であり、それ故に温泉も多いのだ。日本の原発の150Km以内には必ず活火山が存在している。東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)などはその範囲に15もの活火山が存在している。今月21日の「エコーニュース」によれば、1984年に外務省が委託したレポートでは「原発は過疎地へ優先的に配置している」、原子炉一基の格納容器がミサイルなどで破壊された場合、「急性死亡は最大で1万8千人」になると記されているという。しかし、外務省国際連合局軍縮課長は「反原発運動に繋がる恐れがあることなどを理由に、公表を差し控えるべきである」と述べているそうだ。東日本大震災とそれに続く福島第一原発事故により規制委は原発の地震対策には以前より少し厳しくなっているが、火山の巨大噴火は原発の耐用年数以内には起きないものとして審査している。しかし、過去には6000年周期で巨大噴火が起きたこともあり、すでに最後の巨大噴火から7300年経っているのだ。原発が火砕流に飲み込まれれば、もはや核物質のコントロールは不可能となる。世界的に見ても日本ほど原発設置の自然条件が最悪なところはない。地震と火山の大国が原発大国になっている。
子白鳥


南極大陸

2014-01-22 19:17:21 | 自然
釜石はほとんど雪が降っても積もることがないが、遠野から内陸にかけては雪が積もる。積雪量は日本海側の秋田や山形ほどではないが。冬の遠野へ行くと、いつも北海道を思い出す。ちょうど雪の積もった感じがよく似ている。北海道の方がもう少し多いが。一面が真っ白になった田園地帯を見ると一層、その感が強くなる。ただ、北海道の田園地帯では家がごくわずかで、家と家の間隔がとても広い。道路と田園の境もなくなってしまうこともしばしばだ。さすがに、遠野は田園地帯であっても家はたくさん見える。 10億 - 7億年前の地球にはロディニア大陸という超大陸があった。6億年前にそれが分裂し、ゴンドワナ大陸と呼ばれる大きな大陸と、シベリア大陸、ローレンシア大陸、バルティカ大陸と呼ばれる小さな大陸が形成された。ゴンドワナ大陸には現在のアフリカ大陸、南アメリカ大陸、インド亜大陸、南極大陸、オーストラリア大陸や、アラビア半島、マダガスカル島が含まれていた。現在の南極の西南極と呼ばれる地域は5億年前には北半球に位置していた。この頃には従って南極大陸も森林で覆われていた。1億8000万年前からゴンドワナ大陸は少しづつ分裂を始め、2500万年前に南極大陸は現在の位置で留まった。南極大陸の大きさはオーストラリア大陸の2倍ほどある。年間の平均気温は氷点下83度になり、1年を通して数度の幅でしか変動しない。2010年8月10日には氷点下約93度という史上最低の気温が観測されている。この気温は南極大陸東部の高地で観測された。空気は冷たいほど密度が高くなるので、冷たい空気は高地の斜面を滑り落ち、低いところに溜まると考えられるが、実際には冷たい空気は斜面の途中の平坦な箇所で留まっていた。南極大陸の98%は氷で覆われ、その氷の厚さは平均1.6kmある。そして、その氷床下に眠る南極大陸の地形が明らかとなって来たのはつい最近のことだ。昨年の6月、英国南極観測局(BAS)が地形図「Bedmap2」として作成したものだ。大陸表面の標高や形状を測定するレーザーや、氷の下に隠された岩盤を測定するアイスレーダー搭載の航空機で南極大陸全域の上空を飛行、データを収拾するNASAのプログラム「アイスブリッジ作戦 Operation IceBridge」のデータが活用された。大陸を覆う氷床も不動のように見えるが、自重と傾斜のために動いている。海に到達した氷はそこで融けてしまう。南極の氷は減少が続き、1992年から地球全体で海面が約11.1mm上昇し、今や年間約3.2mmに達すると言う。米国ワシントン大学のダグ・ウィーンズ Doug Wiens 教授のチームは2010年1月にマリーバードランドと呼ばれる西南極の標高の高い地域に、複数の地震計を設置した。その結果、2010年と2011年に、ほぼ1年の間隔で2回の群発地震を検知した。地震の震源の深さはおよそ25~40Km程度と、地殻とマントルの境目に近い領域に位置し、通常の地殻内で起きる地震と比べてかなり深い。震源の深さや、その震動が低周波であることから、群発地震が火山の活動域で起きる深部低周波地震であることが分かった。この研究によって、南極の厚い氷の下に活火山が存在することが初めて明らかとなった。いつこの火山が噴火するのか予測は困難だが、数百万年前から活動を続けており、過去にも複数の噴火があったはずで、その中でも氷床は数百万年もの間、持ちこたえて来ているので、火山の噴火のみでは、氷床の融解には繋がらないと見られている。しかし、噴火は噴火口に近い氷河の底部分にある氷の溶融を促進するため、その部分に発生した水が潤滑剤となって、火山の上を覆う氷河が海へ向かうスピードを早めてしまう。それは地球の海面上昇を早めることにはなる。さらに最近西南極には氷の下に、深さ最大3Km、幅25Km以上に及ぶ巨大な氷河底地(峡谷)があることが明らかになっている。最深部で1.8Kmの米国のグランドキャニオンより深い峡谷だ。場所によっては海面下2000mを超える深さだと言う。海面下に峡谷を作ったのは水の流れではなく、氷河による。科学技術の進歩により、様々の測定技術が高度となることで、地球の謎の一つである南極大陸の成り立ちが少しづつ明らかになって来ている。